京街道歩き(第3回) 枚方宿~守口宿1
前週に続いての京街道歩き。
前週は雪も舞い、とても寒くて耳にしもやけができかかったので、慌てて耳が隠れる帽子を買ったのだが、この日は暖かくなる予報で(実際かなり暖かった)結局出番なし。いや、暖かい方がうれしいけれど・・・
いつもの通り4時半起きで6時16分ののぞみに乗り京都着8時26分。近鉄に乗り換え、丹波橋で京阪の特急に乗り換え、枚方市駅到着は9時11分。20分過ぎ、歩き始める。どんよりと曇っていたが幸い雨はやんでいた。
駅前には案内図があってわかりやすい。
枚方宿は結構力を入れている感じ。
枚方橋跡を通り過ぎ(今は暗渠となった安居川にかかっていた橋)、宗左の辻を曲がる。製油業を営んでいた角野宗左の屋敷があったことからこう呼ばれるようだ。
道標があり、磐船街道が分岐している。
ピオルネという商業施設を通りすぎた先に岡本町公園があり、京街道と枚方宿の説明版があった。
第2日曜日は五六市があるそう。東海道の56番目の宿場であることから命名されたようですね。
明治の創業だという北村みそ本家の隣、呼人堂でどら焼き(あかつき)をおやつ用に購入する。
嘉永7(1854)年の妙見宮常夜燈。能勢町にある妙見山山頂付近にある宮らしい。
高札場跡の先に、くわらんかギャラリー。
江戸時代(享保)から続く塩やさんの塩熊商店の建物だそうだ。
ベトナムから徳川吉宗に献上された象も享保15(1730)年にこの宿に泊まっているらしい。
三矢公園がある場所にかつて本陣があった。
入り口には明治天皇御晝餐所の碑がある。
向かいには塩熊の看板のあるお店があった。塩やさんではなさそう?
京阪の踏切を渡りちょっと寄り道。
願生坊。
真宗大谷派の寺院で、東本願寺の別院とされた後、願生坊の名が与えられた。
この道に「万年寺山周道」のプレートが埋め込まれていた。
ということで道を上がっていく。
意賀見(おがみ)神社の鳥居を右手に見つつ、まずは御茶屋御殿跡へ。
秀吉が家臣の枚方城主・本多政康の娘・乙御前のために茶屋御殿を建てたことから、ここ万年寺山は御殿山と言われている。
ここから淀川が見える。もっと天気がよかったら遠くの山まで見渡せたんだろうなあ。
神社の境内には梅園がある(意賀見梅林)。
廃仏毀釈以前は奈良時代に創建された万年寺があったそうだ。
古墳もあったらしい。
すでにだいぶ咲いていた。
3月にいつも梅祭りが行われているようなのだけど、今年は暖冬だったからその頃にはもう終わっちゃってるかも?
意賀見神社。
さて、街道に戻り、浄念寺へ。
こちらは西本願寺が本寺兼帯所として特別な扱いをし、地元の人々は、願生坊を東御坊、浄念寺を西御坊と呼んでいたという。
山門が工事中だったので、脇から入って本堂を撮影。
このお寺の前は枡形になっていた。
その先に問屋役人だった木南善衛門家(屋号は田葉粉屋)がある。宿最大の町屋で明治時代に再建されたものという。
立派なお宅だ。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています。
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