日光街道歩き(第2回) 千住宿~草加宿1
先週木曜日。
予定では、京街道を歩き終えるはずだったのだが・・・
今の時期、新幹線に乗るのはちょっとためらわれ、ならば近場の日光街道の続きを歩こうということになった。
通勤ラッシュをはずし、遅めに出発。
北千住駅から10時半前に歩き始める。
西口から出てうっかり通り過ぎそうになったが、宿場町通りに入り、街道歩きスタート!

千住宿高札場解説と冠木門がある。

その先で右折するとあるのが長圓寺。
出羽湯殿山の行者雲海が寛永4年庵を結び、後に賢俊が開山したという。

山門脇にはめやみ地蔵尊があった。
目の病を持つ人が訪れるところで、めめと書かれた絵馬が奉納されていた。

お地蔵様。

境内の六地蔵。

左から貞享3年(1686年)の青面金剛の庚申塔、石仏の庚申塔、釈迦如来像。

弘法大師。

荒川辺八十八所毛彫石碣。

享保17年(1732年)の宝篋印塔。

魚籃観音堂の中の魚籃観音像。右手に持っているのが魚を入れた籠かな?
三十三観音の一つだ。
街道に戻る。

千住絵馬屋吉田家。絵馬をはじめ地口行燈や凧などを描いてきた際物屋である。千住絵馬は縁取りした経木に胡粉と美しい色取りの泥絵の具で描く小絵馬だそうである。

向かいにあるのは伝馬屋敷の面影を残す横山家住宅。立派なお宅だ。
前回通った(残念ながら開館時間に間に合わず)千住宿歴史プチテラスは横山家から寄贈した土蔵をギャラリーとして活用したものだった。
現在この敷地に残るのは外蔵一棟のみとのこと(昔は外蔵2、内蔵、紙蔵、米蔵の5つの蔵があったそう)。

斜め向かいにはかどや。
槍かけだんごのお店である。
槍かけとは、水戸光圀公が家来に槍を立てかけさせ休息した清亮寺の槍かけ松が店名の由来。

まだ歩きはじめて間もないが、みたらしとあんだんごを1本ずついただく。
お店の前に備長炭の箱があったが、みたらしは備長炭で焼き目をつけているらしい。おいしいなあ。このサイズもよい。
旧水戸街道との追分道標を見てからちょっと寄り道。

安養院。鎌倉時代に北条時頼が創建したと言われ、兵火により現在地に移ってきたと言う。

山門脇の左から青面金剛の庚申塔、地蔵菩薩の庚申塔、貞享3年(1686年)の青面金剛の庚申塔。

境内には芭蕉の句碑もある。「ゆく春や 鳥なき魚の目は泪」。

六地蔵。

かんかん地蔵尊なるものもあった。
小石でたたくと願いが叶うというので、諸々お願いしてきた。
みんなにたたかれて顔などなくなってしまっていますね。

仲良し地蔵尊。左が寛文4年(1664年)の地蔵菩薩、右が寛文10年(1670年)の地蔵菩薩。

先に進むと、名倉医院がある。
江戸時代からつづく整形外科で、骨接ぎといえば名倉と言われたらしい。周辺には遠くからくる患者や重症患者のための宿屋が5軒もあったという。
長屋門は江戸時代に建てられたもの。
やがて荒川の堤下に突き当たるので、左折、らせん階段を上がって千住新橋を渡る。


荒川は大正時代に開削された人工河川。千住新橋は大正4年に完成したが、昭和32年に拡張された上、昭和58年に掛け替えられたものだ。
(2へ続く)
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