日光街道歩き(第3回) 草加宿~越ヶ谷宿2
(1より続き)
草加松原がはじまる。
天和3年(1683年)綾瀬川を改修した際に植樹したのがはじまりと言われる。昭和40年代に減ったものの、今は634本まで回復している。

矢立橋を上って・・・
降りる。松尾芭蕉の 「行く春や 鳥啼き魚の目は泪 これを矢立の初めとして行く道なほ進まず」から名付けられた橋。

こんなタイルが埋め込まれている。

ハープ橋にはハープが乗っている!
名勝碑。ドナルド・キーン揮毫によるもの。

百代橋の手前には由来の碑がある。
「月日は百代の過客にして 行きかう年もまた旅人なり」ですね。
ドナルド・キーン記念植樹の木もある。

百代橋を渡る。
松ぼっくり。

いやいや、松並木堪能しました。

松尾芭蕉文学碑(奥の細道の一節「その日ようやく草加という宿にたどり着きにけり」といる)を通り過ぎ、続いてでてきたのが、水原秋桜子の句碑。「草紅葉 草加煎餅を 干しにけり」。

ここで、お寿司屋さんが見えたのでお昼にすることにする。
頼んだのは、にぎり寿司とそばのセット。
なかなかにボリューミーでおなかいっぱい。おいしかったです、ごちそうさま。
ゆっくり休んで出発。

ほどなく草加松原の北端に到着した。
このオブジェは、人と自然が環となり治水に取り組む姿をシンボリックに表現したものとのことだ。

すぐ先に石仏群。
左から水神碑、一面六臂の馬頭観音、一面六臂の青面金剛の庚申塔。

その先で外環自動車道を潜り、壁に草加宿に到着した芭蕉と曽良が描かれていた。

綾瀬川沿いは桜並木。
もう少し咲きはじめていた。

明治40年、旭氷川神社に合祀された愛宕神社。

中には、祭神の馬に乗った軻遇突智命(かぐつちのみこと)が。
イザナギとイザナミとの間に生まれた火の神だ。

蒲生大橋を渡る。

高浜虚子の句「舟遊び 綾瀬の月を 領しけり」が書かれている。

渡りきったところに蒲生の一里塚。
埼玉県で唯一現存する一里塚とのこと。現在は東側のみが残り、愛宕社があって、まわりにはムクノキ、松、ケヤキがある。

六地蔵。

藤助河岸跡。
旧日光街道と綾瀬川が交差するという地の利を生かして、綾瀬川を代表する河岸場の一つとして繁栄したが、東武鉄道に越ヶ谷駅が設置されたのを機に次第に衰退し、事実上昭和初期に廃止。
荷の積み降ろし小屋の一部が復元されている。
蒲生大橋の途中で越ヶ谷市に入ったようだ。

ということでマンホール。市の鳥のしらこばとと市の木のケヤキが描かれている。
白子鳩は見なかったと思うが、確かに越ヶ谷市には鳩がいっぱいいたような?

先に進むと不動明王と一面六臂の青面金剛の庚申塔があった。
不動明王の台座は道標になっていて、「是よ里大さがミ道」と刻まれていた。右に進むと、越谷市相模町にある大聖寺(大相模不動尊)へと至る。
前回もだが、不動明王をよく見るような?

ぎょうだいさま。
外にはわらじが吊されているが・・・
もとの日光街道の大きな修理があり、修理の完成を記念して蒲生の人びとが建てたもので、旅人の道中の安全を願ってわらじが供えられているのだそうだ。

中にあるものはなんだろう?かっぱ?鳥?
どうやらわしの神様らしいのだが・・・

冠木門のあるお寺があった。清蔵院である。
山門から中には入れないので、ちらっと見て退散したのだが・・・
なんと!山門の欄間に左甚五郎作の龍の彫刻があった模様。よなよな抜け出して近隣の田畑を荒らしたため、金網がかけられたとか。ちゃんと見ればよかった・・・

本堂も山門から撮る。
(3へ続く)
« 日光街道歩き(第3回) 草加宿~越ヶ谷宿1 | トップページ | 日光街道歩き(第3回) 草加宿~越ヶ谷宿3 »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡5(2025.06.19)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡4(2025.06.18)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡3(2025.06.17)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡2(2025.06.16)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡1(2025.06.15)


コメント