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2020/03/17

日光街道歩き(第3回) 草加宿~越ヶ谷宿3

(2より続き)

道は県道に合流、しばらくはこの道を行く。

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途中、蒲生駅入り口交差点のすぐ先で左折、久伊豆宮寿神社に寄る。後にマンションがあるという不思議な風景だ。医療、温泉、酒造業者の信仰が篤かったという。

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街道に戻りすぐ先に明治天皇田植御覧之處碑があった。奥州巡幸の際に田植えを上覧したという。

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並びに、忠勇碑や用水完成祈念碑などもあった。

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武蔵野線のガードをくぐりしばらく行くと窮民救済の碑がある。
瓦曽根村の名主中村彦左衛門は飢饉に備え金子を幕府の貸し付け所に預け入れ、天明の飢饉の際に払い下げて窮民に与えたのだそうだ。

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そして照蓮院に寄る。

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六地蔵。

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本堂。

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内陣には本尊弥勒菩薩が安置されている。

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墓所には、武田勝頼の遺児千徳丸供養塔があった。
武田氏滅亡の際に家臣秋山長慶に伴われ、千徳丸はこの地に潜居したがほどなく千徳丸は亡くなり、悲しんだ長慶はこの寺の住職となり菩提を弔ったのだそうだ。

この先、道は左へと入っていく。

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新町八幡神社をちらっと見る。

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御神灯は文政7年(1824年)のもの。上は明らかにあたらしいけれど。

いよいよ越ヶ谷宿に入ってきた。

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横田診療所は、昭和初期の建築だそう。
ピンク色でかわいい。

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違う柄のマンホール。越ヶ谷市の花の菊だ。

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浅間神社。大きなケヤキの木があった。
越ヶ谷市でもっとも大きなケヤキとのことだ。

懸仏があるとのことでのぞいてみたが・・・
なんと久伊豆神社で保管されているとか。中にあるものはそうじゃなかったのだ・・・

街道に戻る。このあたりから古い家が続く。

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まず、木下半助商店。
明治時代後期から大正時代にかけて建築された道具店で、表通りに面する店舗のほか、土蔵、石蔵、主屋、稲荷社が現存する。

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続いて塗師屋(小泉家)。
先祖が漆を扱っていたことから塗師市(ぬしいち)の屋号をもつ江戸時代から続く呉服商で、店舗と蔵が横並びになっている形式は越ヶ谷宿で現存する唯一の建物だそうだ。

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鍛冶忠商店。
明治33年に建てられた蔵造りの日用雑貨店。

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はかり屋。秤商を営んでいた大野屋が明治38年に建てた邸宅を利用。レストランやカフェ、ギャラリーなどが入っている。

市神社を通り過ぎ、大橋のところで右折、寄り道する。

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元荒川沿いに進むと、ヒドリガモがいた。
水の中にいたカモたちが次々丘に上がっていく。
上にコロニーでもあるのかな?

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進むと、越ヶ谷御殿跡の石柱があった。
家康が建てた御殿跡。家康は越ヶ谷宿での鷹狩りがすきで、ここが休憩・宿泊場所になったという。秀忠も利用したそうだが、明暦3年(1657年)の振袖火事で江戸城が全焼した際、将軍の仮殿として江戸城二の丸に移されている。

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後になにかいる!と思ったら猫。

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少し歩きはじめてまた戻ると、姿勢が変わっていた(笑)

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そのすぐ先に建長元年(1249年)板碑。この地域で発見されたものの中では最古かつ最も大きなもの。

(4へ続く)

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