日光街道歩き(第2回) 千住宿~草加宿2
(1より続き)
橋を渡りきって左折、そして右折。
少し行くと石不動尊がある。脇のお地蔵様は荒川沿いにあったものだそうだ。
御堂の中には不動明王が。耳不動尊と刻まれている。
ここを左折してしばらく行くと咳に御利益があるという明王院(赤不動)があるのだが、時間の関係でカット。
このあと、道は北上する。
この日は北風がとても強く、進むのが大変・・・
さて、ショッピングモールが見えてきた。
この中にある夢庵でお昼にすることにする。
うまか丼の味噌汁・漬け物・小鉢付のセット。ご飯は小盛りで。
暖かいお茶にほっとする。
うまか丼は、ばくだん納豆を丼にした・・・みたいな感じでおいしくいただいた。
夢庵、新聞も置いてあるんですね~
お昼を終えて出発。
少し進んで左に入ったところに佐竹稲荷神社がある。
佐竹稲荷神社は、秋田佐竹藩下屋敷の休息所として創建され、「いぼ稲荷」 とも称される。願を掛けるといぼが取れるそうだ。
佐竹抱屋敷跡という標柱がたっている。
街道に戻る。
「右旧日光道中 左東武鉄道旧線路跡」と刻まれた道標があった。
明治32年、東武伊勢崎線が開通したが(北千住・久喜間)、荒川放水路の建設がはじまり、路線変更となったという。
梅島三丁目交差点を右折したところに小右衛門稲荷神社。
小右衛門新田を開発した渡辺小右衛門が故あって同僚の高橋伴右衛門を討ち、伴衛門の霊を慰めるために建立し、蔵稲魂(うかのみたま)大神を祀った。
戻って先に進むと左手に国土安穏寺寺標がある。
左が安政2年(1855年)の南無妙法蓮華経題目碑。
右が宝暦13年(1763年)の南無妙法蓮華経題目碑。傍らには将軍家御成橋 御成道松並木跡の標柱がある。
ということで安穏寺に寄った。将軍秀忠および家光の巡遊の折の御善所となったお寺。
山門の仁王門。左右に阿吽の仁王様がいる。
裏には巨大なわらじが!
天井には龍。門には葵の御紋が見える。
本堂。
島根歌舞伎発祥公演之地碑なるものもあった。江戸時代に始まった素人歌舞伎で、戦後途絶えたらしい。
徳川家光御手植え松。
掃除小僧に・・・
居眠り小僧。
お庭もなかなか素敵だ。
次によったのが鷲神社。日本武尊が海岸線の近くにあったこの場所に着いたので、浮島明神として祭祀し、文保2年(1318年)武蔵国足立郡島根村の鎮守として中興された。
御社殿は立派な神明造だ。
明神型石鳥居は享和2年(1802年)のもの。
長寿山灯籠。高さ4.7メートルで、重さはなんと35トン!でかい。
富士塚もあった。
吉宗が腰掛けたとされる将軍石。
(3へ続く)
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