日光街道歩き(第2回) 千住宿~草加宿4
(3より続き)
谷塚駅入り口交差点の右に富士浅間神社がある。

奥には力石が。きっと一ミリも動かないな(笑)。

そして富士塚。この日3つめ。
このあたりは富士講が盛んだったのかもしれない。
そのすぐ近くに善福寺がある。

山門脇には元禄4年(1691年)、正徳3年(1713年)建立の青面金剛像がある。

境内には元禄4年の六地蔵が。

草加市のマンホールがあった。草加市のシンボル百代橋(次回行きます)と市の木の松が描かれる。

吉町五丁目交差点のところにあるのが火あぶり地蔵。

公に出た娘が、母親が大病で臥せっていることを知り、お暇を願い出たが許されず、この家が火事になれば帰れると思い放火してしまい、火あぶりの刑に処せられた。これを不憫に思った村人が地蔵堂を建てたとのことだ。
交差点を渡ったところに草加煎餅のお店いけだ屋があり、おみやげをあれこれ買う。元々おうめだんごという屋号で茶店を営んでいたが、江戸末期に煎餅やを創業した。
このあと、おせんべいやさんがちょくちょく出てきた。さすが!
やがて広い通りから左に入る。

いよいよ草加宿である。

市役所の前に地蔵堂がある。
草加市役所は、幕末から明治にかけての豪商浅古家(屋号・大和屋)の跡地であり、地蔵堂は浅古家の屋敷にあったものだそうだ。

回向院。元禄14年(1701年)創建。

旅籠武蔵屋が抱えていた飯盛女の墓がある(真ん中。左は大正12年大震災死者霊供養塔)。
そろそろちょっと休憩しようかな~と思っていたところに目に入ったのがたい焼きやさん。小倉あんのを注文。
しばらくして、あつあつのたい焼きが運ばれてきた。
ん?鯛じゃない(笑)。

車に人とうさぎ?が乗ってる・・・ごまが入った生地はまわりはかりかり、餡子が入ったところはしっとり。おいしい!甘いものを食べると力がでますね。
だいぶ日が傾いてきたがもうちょっとだけ進むことにする。

八幡神社。


中に獅子頭の雌雄があったのだが、これがでかい!
80センチ以上あるのだ。山車に乗せて曳いたらしい。


藤城家。
明治期の建築で木造二階建、切妻造、二階は格子を立て、軒は太い腕木の出桁造り。国登録有形文化財である。

問屋場跡には明治44年建立の道路元標がある。

大川本陣跡。
草加宿は、享保年間(1716-36年)から発達し、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠67軒があった。この本陣は宝暦年間(1751-63年)までの本陣。

こちらは清水本陣跡で、宝暦年間から明治初期まであった。会津藩の松平容頌、仙台藩の伊達綱村、盛岡藩の南部利視、米沢藩の上杉治憲(鷹山)らが休泊したとのこと。

最後に氷川神社に寄ってこの日の街道歩きは終了。
草加駅より東武スカイツリーラインに乗り、新越谷でJR越谷駅に乗り換え、武蔵野線、中央線を乗り継ぎ、地元に到着。

庄やでカンパーイ!
きびなご焼き、豚キムチ炒め、細巻き3種、漬け物盛り合わせ。
帰宅は8時前だった。
約33300歩。

今回のおみやげ。
次回歩きも日光街道となりそうです。
(完)
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