日光街道歩き(第4回) 越ヶ谷宿~粕壁宿1
約三ヶ月ぶりの日光街道歩き。
前回歩いたあと、緊急事態宣言が出され、解除されたあとも都外に出られず・・・
ということでようやく続きを歩くことができた。
スタートは北越谷駅。
予定していたより早い電車に乗れて、9時45分すぎに歩き始める。
なんとなく細かい雨が降っているが弱い雨なので傘はささずに歩く。
東武スカイツリーラインの高架をくぐった先に、石造物がいくつかある。
このうち一つは寛政3年(1791年)の青面金剛庚申塔なのだが、道標をかねていて、「右じおんじのじま道」と刻まれている。古奥州街道の道標である。
その先を進むと林が見えてくる。
冠木門があり、ここが宮内庁埼玉鴨場の入り口だ。
鴨の飛来が少なくなった浜離宮の代わりとして明治41年(1908)に元荒川沿いに設置された鴨場だが、いったい一年のうち何回くらい使われるのだろう?鴨池はなんと1万2000㎡あるとのことだ。
大林寺。
門前(右にみえている)にあるのは大乗妙典一千部供養塔は元文9年(1740)年の建立だそうだ。
一千回、読誦したことを記念したものだろうか?
境内に出世大黒天があるのだが、見ることはできなかった。
香取神社の参道には、壊れかかった石造物が並んでいた。
一番左は、享保5(1720)年の青面金剛庚申塔。その隣も三猿が見えるので同じく青面金剛庚申塔の模様。さらに隣は割れてしまっているが「申塔」と読める。一番右はまるで蛇みたいだけどなんだろう?
力石。
猿田毘古大神と猿田彦大神。
天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した神である猿田彦大神は、庚申信仰や道祖神と結びついた。
この日は、この後もいくつか見かけることとなった。
東武スカイツリーラインの踏切を渡る前にあった庚申塔。
宝永7(1710)年建立の青面金剛庚申塔である。
踏切を渡った先に、ごちゃごちゃっと石造物が。観音像、地蔵菩薩像など。どこか別のところにあったものが集められたのだろうか。
この先のいくつかの墓地の中に、青面金剛庚申塔や、たくさんの地蔵菩薩(古いのもある)があった。
下間久里香取神社。
こじんまりとした神社だが、下間久里村の鎮守として祀られており、県指定無形民俗文化財の 「下間久里の獅子舞」 が行われているそうである。
この先に秋田炉という秋田藩主の佐竹候が参勤交代の際に必ず立ち寄り、鰻を食べたという秋田家の跡があるはずだが、特に解説板などはなく・・・
気づくと春日部市に入っていた。
新方川(昔は千間堀と言われた)を渡ると春日部市なのだった。
大枝香取神社(このあたり香取神社が多い)。
その奥の歓喜院の中にあった、六地蔵尊碑(舟形の一石六地蔵)、寛永4(1627)年の宝篋印塔、かつて日光街道沿にあったと言われる安政4(1857)年の普門品供養塔。
これまた日光街道沿いにあったと言われる寛延3年(1750)の馬頭観音。
西光寺にも寄る(入り口がわからずぐるっと回ってしまった)。
参道脇の弘法大師、地蔵菩薩2体、大畑村講中と刻まれている庚申塔が並ぶ。
境内の宝暦4(1754)年の十一面観音菩薩を刻んだ普門品供養塔と寛政10(1798)年の聖観音菩薩。
なかなかにお庭の立派なお寺である。
台杉仕立ての北山杉。京都市街の鞍馬寺の周辺に群生する杉だそうだ。
(2へ続く)
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