甲州街道歩き(第3回) 柴崎~布田五ヶ宿~府中宿~矢川3
(2より続く)
ここで街道には戻らず、府中競馬正門駅の方へ向かう。
駅前には金の馬!アハルテケといわれる黄金の馬なのだそうだ。
府中競馬場は高速の上から見たりするが、実に大きい。
ちょっと迷いつつ、ようやく普門寺にたどり着く。
ご本尊の薬師如来は目の神様として親しまれているとのことで、絵馬には「め め」と書かれていた。
街道に戻る道で猫発見!なかなかのにゃん相だ。
街道に復帰、新宿標石を通りすぎ、柏屋脇本陣跡は気づかず通り過ぎてしまった・・・
新宿はしんじゅくじゃなくてしんしゅくと読むのですね。
このあたりの古い地名で、新宿、番場宿、本町でかつての府中宿は形成されていたのだ。
大通りのところにケヤキ並木馬場寄進碑。
そもそも源頼義、義家親子が奥州安倍一族を平定し、戦勝のお礼に苗木千本を大国魂神社に寄進し、その後、並木周囲の馬場を家康が寄進したのだそうだ。
そして、大国魂神社。うちからそう遠くはないが、はじめてである。
武蔵國総社で武蔵國の鎮守。将軍家より武蔵國最大の五百万石の朱印地を賜ったものである。
鳥居の前の御神木は大きい。
長い参道を行く。
境内の宮乃咩(みやのめ)神社にはたくさんの穴の開いた柄杓が奉納されていた。頼朝の妻政子が安産の祈願をしたと伝えられ、願いが叶うとお礼に底の抜けた柄杓を納めるのだそうだ。
常夜燈は苔むしている。
随神門。
続いて中雀門。
野口酒造店の国府鶴、サントリービール工場のビールが奉納されていた。
狛犬も苔が。
拝殿。
本殿。
思った以上に立派な神社だった。
街道にもどり、進む。
神戸(この地名は他にもありますね)の説明板を通りすぎ、是非寄ろうと思っていた中久本店が見えてきた。
お酒を買う前にまずは亀田屋によって、おみやげに鮎の里(中に求肥とあんこがはいった和菓子を買い、酒屋さんへ(カフェも併設されている)。
中久本店は万延元(1860)年創業。
名前は知っているのだが飲んだことはなかった国府鶴を買う。
向かいは高札場。高札はかかっていないが、現存している高札場である。
鎌倉街道と甲州街道が交差するので札の辻と呼ばれた。
番場宿の説明板(府中三ヵ町の1つの番場宿であり、脇本陣があった。多摩郡府中領のうちで、幕府領。 寛永13(1636)年から番場宿となったとされる)、鹿島坂の説明板(大国魂神社例大祭の国造代法幣式を司る鹿島田家に由来)を見て先に進む。
おや?ちはやふるのマンホールが!
ちはやふるって府中を舞台にしていたんですね。知らなかった・・・
髙安寺に寄る。
藤原秀郷の館跡に足利尊氏が鎮護国家の安国寺として再建したもの。
仁王門。
仁王様が見えるが、裏には脱衣婆や地蔵尊もいる。写真のピントがあわず載せないが、脱衣婆はなかなかに怖い。
たくさんの水子地蔵。
武蔵国府中領の最初の代官となった高林吉利の墓。
時刻を定めて撞いている時の鐘。
谷保のかなや親子が造ったもの。
本堂。
奥の方には秀郷稲荷大明神があり・・・
下に下っていくと弁慶硯の井戸があった。
鎌倉入りを許されなかった源義経のため、弁慶が赦免祈願と般若経をしたためたという。
(4へ続く)
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