甲州街道歩き(第3回) 柴崎~布田五ヶ宿~府中宿~矢川1
都外に出られなくなったので、再び甲州街道歩きを。
梅雨明けなかなかせず、雨の予報で、しかももしかすると強い雨かもということだったので迷ったのだが、涼しそうだし思い切って出かけることにした(結果的には昼すぎまで降ったが雨量はそうでもなかった)。
バスで府中駅まで行き、京王線で柴崎まで。
予定より早め早めに乗れたので、歩きはじめは予定より30分ちかく早い9時20分。
やはり雨は降っていたので、マップケースにマップを入れようと思ったら、いつの間にか破れていた・・・マップがぬれてしまう!!
雨がかからないようい注意して歩く。
街道を歩き始め、野川の少し手前の道を入ったところに金剛夜叉明王がある。
削れてしまって(あとから修復した?)よく見えなかったのだが、金剛夜叉明王は三面六臂で正面の顔には眼が5つあるらしい。
野川を馬橋で渡る。
うちの近所を流れる野川は細いがこのあたりになるとそれなりに広い。
旧甲州街道入り口交差点の二叉を左に入り、国領宿に入ってきた。
国領宿は布田五ヶ宿の一つ。
布田五ヶ宿は間の宿の色彩が強く、本陣、脇本陣はなく、旅籠9軒。五ヶ宿は合宿で、問屋業務は月の内、1日から6日までは上石原宿、7日より12日までは下石原宿、13日から18日までは上布田宿、19日から24日までは下布田宿、25日から晦日までは国領宿が勤めた。
国領駅に向かう道をちょっと入ったところの稲荷神社。ちっちゃな鳥居だ。
街道に戻り、道がカーブするあたりにあった庚申塔。寛政10(1798)年建立。
常性寺。
成田不動尊を勧請して中興したといい、以来、「調布不動尊」と称されている。
石仏、石造物がたくさん。
お花も生けてあったりと、なかなか素敵なお寺だ。
小橋馬頭観音塔。
街道の小橋(馬橋から西に50メートル)のすてばにあったものだそうだ。
馬頭観音の像を彫った供養塔は、市内でも珍しく、また商人を含む多数の村民が造立した貴重な像塔とのこと。
地蔵堂には一願地蔵尊が祀られている(周囲にはびっしりと小さなお地蔵様が)。
ご本尊は薬師如来。
日光街道でも見た一石六地蔵もあった。
敷石碑。明治11年に布田五ヶ宿の女郎屋が敷石を寄進した記念碑だそうだ。
斜め向かいの圓福寺には、天明5(1785)年の地蔵尊があり、六地蔵も並んでいた。
蓮慶寺。
徳川家光より御朱印地を賜り、以後歴代将軍の菩提を弔う御朱印寺として赤門と住職の乗駕が許されたお寺。
三つ葉葵が目を惹く。
赤門が保存されていた。
本堂。
調布駅を過ぎたところにPARCOがあり、なんとその中に好日山荘があるではないですか!
元々マップケースは立川の好日山荘で買ったものなので、きっとあるに違いないと行ってみるとまったく同じものがあったので即購入。東海道の途中から使っていたので2年くらいは使っただろうか。
このあとまだまだ雨は降ったので、ここで買えたのはラッキーだった!
少し道を戻り、天神通り商店街に入っていく。
このあたりに水木しげるが住んでいたらしく、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪田地がたくさんいるのだ。
鬼太郎。
ねずみ男。
一反木綿とねこ娘。
塗り壁。いやー楽しいな。
商店街を抜けた先に布多天神社がある。
延長5(927)年の創建で、この地の長者が布多天神のお告げにより木綿織りを習得し、この布を朝廷に献上したそう。
御神木は樹齢500年のケヤキだが、大きく割れてしまっている。
ちょうど茅の輪があり、茅の輪くぐりをしてみた。
狛犬は寛政8(1796)年のもの。市内で一番古いという。
御神牛もあった。
本殿。
(2へ続く)
« サントリー セブンプレミアム ザ・ブリュー | トップページ | 甲州街道歩き(第3回) 柴崎~布田五ヶ宿~府中宿~矢川2 »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋6(2024.05.04)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋5(2024.05.03)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋4(2024.05.02)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3(2024.05.01)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋2(2024.04.29)
« サントリー セブンプレミアム ザ・ブリュー | トップページ | 甲州街道歩き(第3回) 柴崎~布田五ヶ宿~府中宿~矢川2 »
コメント