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2020/09/23

日光街道歩き(第6回) 幸手宿~栗橋宿~中田宿~古河宿4

(3より続き)

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鶴峯八幡宮のお隣にあるのが光了寺。

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文化14年(1817)の芭蕉句碑「いかめしき 音やあられの ひのき笠」。

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古河市名木古木に指定されたヒバ。

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円光寺。

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お庭がとても素敵だ。

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本願寺。

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文化年間(1804-17)に旧峰埼の地から発掘された板碑があった。

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日光街道の踏切を渡る。

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渡ると中田の松原が続く。
寛永7年(1630)古河城主永井尚政が植えた松並木で、東海道にもこれほどきれいな松並木はないと言われたが、戦時中伐採されてしまう。
今の松は最近になって植えられたと思われ、まだまだ小さいがそのうち立派な松並木となることだろう。

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すぐ先に石仏群があった。
文政6年(1823)の馬頭観世音供養塔、元禄15年(1703)の青面金剛庚申塔、天明5年(1785)の十九夜念仏供養塔、明治10年(1877)の馬頭尊などである。
いやー十九夜塔、よく見ましたね。

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田んぼに積みわら。モネが描いたものより小型ですけれど。

ここのコンビニで飲み物を買う。
この時点で4時をまわり、難しい選択に迫られる。20分すぎにバスがくるのでそれでもう帰ることにするか、がんばって寄り道して古河公方公園に寄るか・・・

なんとかがんばって公園に寄ることにするが、これが結構距離があり・・・

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とても広くきれいな公園だ。

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御所沼。

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古河公方館址の碑。
鎌倉公方足利成氏が享徳4年(1455)に移り住んだところである。その後、足利氏は古河公方と呼ばれることとなった。

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残念ながら、遅くなってしまったので民家園は閉まるところで、中田家(延宝2年(1674)頃の家)などは外の垣根ごしの撮影となった。

20分ほど待つとバスがくるのだが、もうこうなったら歩いてしまえ!ということで駅まで歩く。

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古河市のマンホールは渡良瀬遊水地花火大会・・・谷中湖(渡良瀬遊水地)の中之島から打ち上げた花火を、渡良瀬川の三国橋越しに見た風景が描かれている。この花火大会は2005年で終わってしまっているそうなのだが。

街道に戻る。

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古河の一里塚(再現)は古河第二高等学校の校庭内にあるため、少々撮影しづらい。16里目。

そして、古河宿に入ってきた。

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原町口木戸跡である。

すでに日没、暗くなってきたので、この日の街道歩きはここで終了。古河駅へと向かう。

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駅到着は6時すぎで、すぐにきた東北本線に乗り、浦和で京浜東北線に乗り換え、南浦和で武蔵野線、西国分寺で中央線に乗り換えて国分寺着は7時半過ぎ。

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いつもの庄屋でかんぱーい。

久々の街道歩きでしたが、よく歩きました。
約45700歩。最後には足がつったよ・・・

次回も日光街道の続きかな。

(完)

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