日光街道歩き(第6回) 幸手宿~栗橋宿~中田宿~古河宿3
(2より続き)
向かいの浄信寺。
梅澤太郎右衛門(徳川秀忠公日光東照宮社参の折、暴風雨のため利根川が満水となり、将軍の渡る船橋が危うくなった。人夫を率いて水中に入り、命がけでこの橋の安全を守り、災難を救ったという人物)の墓があるとのことだったが見つけられず・・・
また覆屋に安置されているという十九夜塔も見つけられずじまい・・・残念。
深廣寺には、南無阿弥陀仏名号塔がある。二代住職単信上人が伊豆より大石を船で持ち帰り、承応3年(1645)~明暦2年(1656)の間に供養塔を20基建立、その後、明和3年(1766)に九代住職法信上人が1基建立したという。
本堂内陣にはご本尊阿弥陀如来。
栗橋宿は利根川の舟運で栄えた宿。対岸の中田宿と半月交替で問屋をつとめた。本陣1、脇本陣1、旅籠25。雰囲気は残っていますね。
築地塀の残る家もあったり。
ちょっと寄り道。栗橋駅前に向かう。
途中の猫。ソーシャルディスタンスばっちりだ(笑)。
駅近くに静御前のお墓がある。
静御前は、義経を追って奥州に向かう途中、義経の死を知り、文治5年(1189)9月15日に此の地で亡くなったと言われる。
この後すっかり暑くなってしまい、セブンイレブンでアイスを買って体をひやした。
街道に戻る。
突き当たりにある神社が八坂神社。栗橋宿の総鎮守である。
御神輿。
で、ここは狛犬でなくて、狛鯉!!
鯉ははじめてみましたね。
右が招福の鯉、防災の鯉だ。
おみくじ?も鯉。
ここは境内社もいろいろあり、御神木は樹齢300年の欅であった。
利根川橋に向かう途中に栗橋関所跡の碑があったはずなのだ見逃してしまい・・・
利根川橋を渡る。写真にはうまく写っていないが、うっすらと筑波山が見えた。
昔は舟渡しだったそう。
渡っている途中で茨城県に突入!古河市である。
向こうに見える電車は東北本線だ。
渡りきったところで、左折、中田関所跡(その後関所は対岸の栗橋宿へと移った)、中田宿の説明板を通り過ぎる。
本陣1、脇本陣1、旅籠6。対岸より小さな宿という感じ。
鶴峯八幡宮に寄る。
源頼朝もしくは二代将軍源頼家が、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものという。
神楽殿。永代太々神楽は市の無形民俗文化財。
拝殿。
狛犬たちはマスクをしている。このマスク、誰かが作ったのかな?
御慶事の樽が奉納されていたが、このお酒是非買いたい(今回は時間切れで買えず)。
日光街道旅の神にお詣りする。
もちろん?狛犬はマスクをしている。
左から松尾大社・月読宮・諏訪明神・青龍権現・若宮八幡宮・春日社・住吉神社。
(4へ続く)
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コメント
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猫のソーシャルディスタンスには笑えました!
投稿: tona | 2020/09/29 13:05
猫もよくわかってますね(笑)
投稿: nocci | 2020/09/29 22:12