ケレウ カベルネ・ソーヴィニヨン

チリの赤ワイン。
ケレウというのは、ブドウが十分に熟した収穫のベストタイミングになると、ブドウ畑に群がって、収穫期を教えてくれた、という伝説の鳥だそうだ。ラベルの絵はこの鳥なんですね。
飲んでみると、結構タンニンたっぷり、濃いワイン。
じっくり飲めるワインでした。
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チリの赤ワイン。
ケレウというのは、ブドウが十分に熟した収穫のベストタイミングになると、ブドウ畑に群がって、収穫期を教えてくれた、という伝説の鳥だそうだ。ラベルの絵はこの鳥なんですね。
飲んでみると、結構タンニンたっぷり、濃いワイン。
じっくり飲めるワインでした。

プロヴァンスのロゼワイン。
ロゼってほとんど家で飲むことがないのだけれど、なんとなく突然飲みたくなって買ってみた。
きれいな色ですねぇ。
飲んでみると、すっきりとした中に、ほんわかフルーティな香り。
意外といいですね。
たまには買うことにしようかな。
なんとなく、ロゼだと、ニース風サラダとか作っちゃうのだけど(笑)

チリの白ワイン。
安いのでついつい買ってしまったワイン。
飲んでみると、思ったよりしっかりとした味。
が、もう少し甘みが弱いともっといいかなあ・・・
よーく冷やして飲むとよさそう。
いや、この値段なら文句は言えないけれども。
(3より続き)
昼食を終えて、いったん坂を下る。
さ、清水屋さんの見学をと思ったのだが、よんでも誰もいない・・・
ということで、お隣槌馬屋資料館(島崎家の屋号は槌馬屋)を先に見学・・・
と思ったがあれ?ここも人がいない?
と思ったら店先にいた方に言えばよかったのだった。


電気をつけてもらい、2階の資料館を見学。

おゆうさんの写真。

島崎正樹の書。
藤村関係の資料が充実している。

清水屋さんに戻る。
やっぱり人がいない・・・と思ったらいらした!

ということで、無事入館。
代々馬籠宿の役人をつとめた清水屋原家は島崎家と親交が深かった。


ということで、藤村直筆の書簡や資料が残されている。
藤村の「嵐」(未読)の森さんのモデルである原一平の家である。


絵のコレクションもなかなかよい。

続いて、本陣跡へ。
藤村の生家の跡で、長男楠男から資料の寄贈をうけて、藤村記念館が建てられた。

母屋は明治28年の大火で焼失してしまったが、隠居所のみ焼け残っている。藤村も幼い頃ここで勉強したとのことだ。

最後の資料館は馬籠宿脇本陣史料館。
蜂谷家がつとめた八幡屋脇本陣のあとである。
ここも明治28年の大火で焼失してしまったが、当時の上段の間を復元している。
木曽五木も見える。左から、ねずこ、あすひ、ひのき、さわら、こうやまき。
前回中津川でも見ましたね。

山口誓子の句碑「街道の 坂に蒸れ柿 灯を点す」もある。
玄武石垣が残っている。
亀甲型の積み石、おもしろいですね。ここに玄武神を迎えて北の守りとしたそうである。
駆け足ではあったけれど、資料館4つを制覇!
まだ時間はあるので、宿の終わりの方まで行ってみることに。

いつの間にかツアー客と修学旅行生がいなくなり、人がぐんと減っていた。

高札場は只今塗り替え中?
上陣馬公園は秀吉と家康が戦った小牧・長久手の合戦の時、徳川勢の菅沼・保科・諏訪の三武将が馬籠城を攻める為に陣を敷いた所である。
島崎藤村ニーチェ言葉碑。
越県合併記念碑。
島崎藤村の父正樹の歌碑。

恵那山が見えてとてもいい風景だ。

雲がかかった山も神秘的。

さて、ここで終わりとして、下って行く。
酒屋さんでお酒も無事ゲット!
最後に島崎家の墓に行くことにする。

途中の猫。
藤村の墓は一番右。隣は妻冬子の墓である。
ちょっと離れたところにあるのが、藤村の父、島崎正樹と縫子の墓。
これにて終了。バス乗り場に向かう。
雨が少々降り出したが、傘を出すほどではなく、3時50分のバスに乗り、中津川駅到着は4時15分。
電車までの時間は少々あるので、前回と同じくにぎわいプラザでおみやげを買う。

やっぱり栗きんとんは買わないと!
4時49分のワイドビューしなの19号に乗って、松本着は数分遅れて6時10分前。
駅弁を買い6時40分のあずさ32号に乗り込む。

夕食は無農薬新鮮野菜添えの地鶏めし。
と、ビールに白ワイン。
あずさがほんの少々遅れるも、9時に家到着。
約28100歩でした。これくらいだとだいぶ楽ですね。
(完)
マップはこちらを使っています。
(2より続き)

お寺を出て、鐘鋳り場跡(医王寺の梵鐘を鋳造した場所。鐘は第二次世界大戦時に供出されてしまった)を通り過ぎると、石畳の道が始まる。

石畳は840メートルあり、そのうち約70メートル(三カ所)は江戸時代のもの。

ここ、多分江戸時代の石畳ですね。
あきらかに前後と違ったので・・・
結構苔むしていて、乾いてはいるものの、すべったら大変なので、ストックを使用する。

なんじゃもんじゃの杜の碑があった。
ヒトツバタゴの群生地だそうだが、花が咲いてないとわからないな~

東屋には69次の木の札。
いやはや、まだまだである。

石畳も終わり。

新茶屋の一里塚跡。復元だそうだ。

その先が美濃と信濃の国境だ。
平成17年の市町村合併で長野県木曽郡山口村が越境して中津川市になっており、これは昔の国境ということになる。

熊出没注意の看板。このあたりでも出るんですかね?
うっかり、芭蕉句碑と「是より北木曽路 藤村老人」の石碑は見逃してしまったのが残念。
芭蕉句碑は馬籠の大黒屋が建てたものだそうだ。
道は上がっていく。

正岡子規の句「桑の実の 木曾路出づれば 麦穂かな」が刻まれた碑のある公園は、信州サンセットポイント百選に選ばれている。

棚田の向こうに中津川市街や笠置山などが見える。

謎のきのこ。毒きのこかな?

ほうばの木。だいぶ葉っぱが落ちてしまっているが、去年も御嵩に向かう道でみたっけ。

山並みが美しい。

旧山口村のマンホールには、村の木の椿、村の花のムラサキツツジが描かれている。

ぎゃあああああ。ヤマカガシ!
と思ったら死んでいた。よかった・・・

道祖神。これから道祖神はたくさん見そう?

旅館本三屋。

向かいには島崎正樹(夜明け前の青山半蔵のモデルとなった藤村の父親)の記念碑がある。

馬籠城跡(丸山城)には庚申塔などの石造物がいくつか。

馬頭観音も。
丸山城は藤村の祖先島崎重通が城主だった。

坂を下り、また上りはじめると、馬籠宿が見えてきた。
ここまでほとんど人がいなかったが、急にたくさんの人が見える。

枡形。馬籠の枡形はこちら側一カ所のみ。

水車。発電施設とのこと。

結構な坂を上がっていく。
ここから順番に見ていきたいところだが、1時近くになってしまったので、とりあえず昼食のお店に向かう。

但馬屋。
江戸時代からの旅籠(建物は大火のあと建てられたもの)。

そして、こちらが昼食場所の本陣の隣の大黒屋。
元酒蔵のため、杉玉が見える。
藤村の初恋の人おゆうの実家。
藤村の「夜明け前」は大黒屋の大脇兵衛門信興が文政3年(1826)から明治3年にわたる44年間記録した「大黒屋日記」が資料となって執筆された。

さて、お昼は、栗こわめしセットB。
栗こわめし、お吸い物、香の物、ますの甘露煮、山菜、枝豆豆腐、びわのシロップ煮。
栗のおこわがとてもおいしい。甘めなので、ごま塩をちょっとかけるとよいですね。この栗こわめしは「夜明け前」にも登場しているとのこと。
「夜明け前」を読んだのはずいぶんと前のことなので、要所要所しか覚えておらず・・・もう1回読み直すべきかな~
マップはこちらを使っています。
(4へ続く)
(1より続き)

道を下った先にある下落合川に掛かった横手橋は親柱が道標になっている。

おがらん神社。
木曽義仲の家来落合五郎兼行の館があった場所と言われる。おがらんというのは伽藍(大きな寺院)からきているらしい。
落合五郎兼行之城跡碑。
キンモクセイが満開で、うちの近所よりだいぶ遅いですね。やはり気候が涼しいのだろうか。

このあたりは段々畑が多い。
おがらん橋を渡るといよいよ落合宿である。

道を曲がるところにあるのが善昌寺の門冠の松。
創建当時の山門を覆っていたことから門冠の松を呼ばれている。450年ほどたっているそうだ。

助け合い大釜。
秋の祭りではこの釜で千人分のきのこ汁が振る舞われるとのこと。
文久元年(1861)皇女和宮の大通行時には、四日間で述べ約二万六千人余が落合宿を通過し、その際、暖かいおもてなしをする為に、各家の竈焚きつづけられたという。

井口本陣。現存する数少ない本陣建築。門は前田家から贈られたもの。
本陣を務めた井口家は、尾張徳川家給人の千村氏(久々利方)の庄屋と問屋を兼ねていた。
前には明治天皇落合御小休所碑がある。
脇本陣跡は標柱のみ、説明板のみの泉屋跡は、藤村「夜明け前」に登場する鈴木弘道(小説では勝重)の実家の稲葉屋。

脇本陣塚田家が建立した高福寺に寄る。

境内には塚田弥左衛門の顕彰碑がある。

筆塚。筆が入ってますね。

二十三夜塔もあり!
お寺を出ようとしたところ、住職の方が出てこられ、是非お庭を見ていていって下さいとのことで、ご案内いただく。

趣のある広いお庭だ。


山野草がたくさん植えられており、季節ごとにいろいろと咲きそうだ。

赤い大文字草ははじめてみたと思う。
本堂からなにやら声がと思ったら、この日はヨガ教室が行われていて、何もなければ本堂も御覧いただいたのにということで、残念でした・・・
街道に戻る。

枡形になっているところに上町の秋葉山常夜燈(寛政4年(1792)がある。4基あった常夜燈のうち1基は善昌寺境内、2基はおがらん公園の愛宕社に明治時代に移されてとのことである。

落合宿を出ると、景色が広がり、またまた段々畑が見える。

遠くから見えていた中央高速の落合川橋もだいぶ近づいてきた。

高札場跡、白木番所跡を通り過ぎ、下桁橋の手前に、「右飯田道 左御嶽山 善光寺」の道標や馬頭観音、廻國供養塔などの石造物があった。

下桁橋を渡る。この橋は広重の落合の絵にも描かれている。
いよいよ十曲峠のはじまりだ。

竹林の中を進む。

馬頭観音(イボ観音)。
イボができると石を借りてさすり、治ったら石を二つにして返すのだそうだ。
道は大きく曲がる。

その先で、3匹の沢ガニが道を歩いていて、近寄ると威嚇してくるのだった。

突き当たりにあるお寺は医王寺(山中薬師)。最澄が開いた天台宗のお寺。
春にはしだれ桜がきれいでしょうね。初代の枝垂桜は伊勢湾台風で倒れ、現在は二代目なのだそうだ。

観音像と地蔵尊。

芭蕉句碑。
「梅が香に のっと日が出る 山路かな」

ご本尊の薬師如来は行基作だそう。
マップはこちらを使っています。
(3へ続く)
昨年12月に歩いて以来の中山道歩き。
冬の木曽路は寒そうということで、その間は京街道を歩いたりしていて、春になったら再開と思ったところ・・・
コロナで東京から出られなくなってしまい、ようやく再開の運びに。
感染対策を十分しつつ、出かけてきました~
この間に電車のダイヤが変わり、前より少し早く出なくてはならなくなったが、新幹線は前と同じ、6時15分。
前よりはすいているけれど、それなりに人がいるなあという感じ。
名古屋で8時発のワイドビューしなのに乗り換える。
団体客が結構いて、これまたそれなりに人が乗っていた。
中津川着8時50分。9時歩きスタート。

駅前広場にあったのは、栗きんとん発祥の地の碑。
前回、川上屋のを買って帰ったっけ。

中津川のマンホール。
前回も色のついていないバージョンは撮影している。
「おいでん祭り」で踊られる「風流おどり」と市の花のサラサドウダンが描かれているもの。
前回のゴール、すや本店までやってきた。
しばらく歩くと、高札場が見えてきたのだが・・・

常夜燈、庚申塔、二十三夜塔が並んでいる。
日光街道でも二十三夜塔をいくつか見たが、このあたりもあるんですね。どうやら二十三夜塔は全国に分布している模様。

高札場は復元。

歩道橋を渡った先に旭ヶ丘天満宮があり、その横にはだか武兵の祠がある。
武兵は中山道の篭かきだったが、御嶽山で悪病退散の秘法を授かり、人々の病を治したという。
茶屋坂を上がってきた。

芭蕉の句碑がある(俗称すみれ塚)。
「山路来て 何や羅遊かし 寿み連草」。野ざらし紀行の句である。

経王書写塔。
この下に、法華経の経文を一字ずつ小さな小石360個に書いてあるものが納められているという。

三井寺観音。

伏見稲荷。

拝殿の手前に並んでいるのが標示石。
これらはもと台地にあった2つの塚の中央に置かれ、天明3年(1783)芭蕉の90回忌に設けられたことを表し、それ以前にすみれ塚が存在していたことを標示しているものという。

街道は緩やかに下っていく。
この後もずっと、道路にカラーの石が埋め込まれていて道がわかりやすい。

尾州白木改番所跡の碑。
天明2年(1782)に設置され木曽から伐採した材木を監視していたが、明治4年に廃止されている。

道祖神。わりと新しいものかな?

秋葉常夜燈と二十三夜塔。

国道19号を地下道で渡る前のところにあった道祖神。これはもっと新しそうですね。
道はまた上りはじめる。
そこにあったのが、子野石仏群。いやーすごい数!

十一面観音と弘法大師。

馬頭観音がいくつか。

地蔵菩薩。

地蔵菩薩、南無阿弥陀仏碑などが並ぶ中に・・・

はじめて見るものが!7体の観音像が彫られた石碑である。一石六地蔵は日光街道でいくつか見たがこれははじめてだ。

この庚申塔は文字が太くくっきりしてますね。元禄7年(1694)のもの。
一番右は徳本名号塔。徳本上人が書いた南無阿弥陀仏の文字は丸みをおびていて、終わりがはねあがり、縁起がよいとか。
道は下り、子野川を渡るとまた上り。槇坂である。

上がりきったところに覚明神社。
御嶽山を開山した覚明上人が御嶽山に行く際に泊まった茶屋跡である。

覚錠霊神、覚導霊神、嶽覚波霊神、藤覚霊神、光覚霊神、覚巌霊神、實利霊神、覚山霊神など、多くの霊神碑がある。

道はまた下り、子野の一里塚が見えてきた。
東側に痕跡が残っている。
三五橋を過ぎると上り坂。

与坂立場跡には越前屋というカフェがあり、三文餅(米粉の餅に黒砂糖を煮詰めて塗ったもの)が再現され、食べられるのだが、残念ながらこの日は定休日。
かつて与坂御番所がおかれていたが、その後中津川の上金に移転した。

立場跡の前の祠の不動明王、弘法大師。
その後も道は下ったり上ったり。実に忙しい。

落合宿が近づいてきて、マンホールも変わった。
中山道の石畳のデザインである。まわりにはクワガタ、カブトムシ、トンボ、芋虫、チョウ、ホタルが描かれている。

遠くの風景もなかなかよい。
マップはこちらを使っています。
(2へ続く)

先日、古河から小山まで日光街道を歩いた際、街道沿いにある西堀酒造で購入したお酒。
このお酒は、飲んでいただく方が若々しく盛るように・・・という願いからつけられたネーミングという。
若い味のお酒なのかな?と勝手に考えていたけれど、そうではないらしい(笑)
いただいてみると、全然若い味じゃないですね(当然だ)。
けど飲みやすい。スイスイ飲んでしまうお酒。
甘みはすっきり辛口。
これ180mlだったのだけど、もうちょっと飲みたかったな。
いや、街道歩きの時は大きいの買うと重くて大変なんだけども。

ボルドーの赤ワイン。
なんかラベルがちょい安っぽい感じだ・・・
で、2015年のワインというとちょっと不安に・・・
あまり安いワインで、古いものだと大丈夫だろうかと思ったけれど・・・
ギリギリOKかな。ちょっととがった感じもあるが、メルローらしく軽めのワインでありました。

同居人の金沢出張みやげ。
ん?これなんだ、描いてあるのは?
と思ったら、石川県のPRマスコットキャラクターのひゃくまんさん、だそうだ。
加賀八幡起上がり、加賀友禅、九谷五彩、金箔、輪島塗など伝統工芸の技術が用いられ、兼六園のことじ灯籠、白山、能登キリコ他、いろいろな観光絵巻が描かれている・・・とのこと。このゆるキャラ?が歩いたら、結構インパクトあるな~何しろ金箔だし(笑)
このラベルはまだおとなしめだと思う。
さて、お酒だが、優しいお酒だな~
ほんわかとした甘みで、とがったところが全然ない。
じわじわうまみがくるお酒。
本日の映画
movie-17 「心のともしび」 MAGNIFICENT OBSESSION 1954年米
DIR:ダグラス・サーク
CAST:ロック・ハドソン、ジェーン・ワイマン、バーバラ・ラッシュ、オットー・クルーガー、アグネス・ムーアヘッド
STORY:富豪の道楽息子ボブを助けるため、自らの呼吸器を貸したたため亡くなったフィリップス医師。それを知ったボブは医師の妻ヘレンにお金を渡そうそるが受け取ってもらえなかった。なんとかつぐないたいとボブはヘレンにつきまとうが、それが原因で彼女は事故にあい失明してしまう・・・
☆☆☆感動ドラマ。
1935年の映画「愛と光」のリメイク。オリジナル作品の方が題名としてはうまいですね。
とっても古い映画・・・時代的にもそうだけれど、作りがすごく古いんですね。メロドラマだし、そりゃできすぎだよ!というストーリーで。
でも、結構感動しちゃって、最後は涙、涙。
一言で言えば、どうしようもない放蕩息子が、あることをきっかけに立ち直り、奇跡を起こす・・・というお話で、この役にロック・ハドソンがぴったり。甘いマスクがよくあうなあ。
ジェーン・ワイマンとの息もぴったり、助演のアグネス・ムーアヘッドも印象に残る・・・と思ったら、奥様は魔女のエンドラだ!
こうなったらいいなあ、でもそうはならないよな・・・と思う展開になっていき、奇跡のラストにつながる。
こういう悪意のまったくない映画もたまにはいいもんだなと思いました。

日光街道歩きで古河に行った際に購入し、持って歩くのは大変・・・ということで自宅に送ったお酒。
青木酒造は天保2年(1831)創業。
御慶事という名のお酒は、大正天皇ご成婚の際、皇室繁栄と日本の隆盛への願いを込めて命名されたとのこと。
で、ふくまるってなんだろうと思ったら、茨城産のお米なんですね。
←知らずに、買う奴(笑)
飲んでみると、意外とアルコール感があるなと思ったのだが、そのあとにじわーっとお米の甘みがくる。口に含んでゆっくり飲むといい感じでで、水炊きにもおでんにもよくあいました~

国産ホップシリーズ第4弾。なにげに楽しみなシリーズ。
今年は岩手県岩手郡岩手町のホップ農家さんのホップ使用。信州早生という品種らしい。大正時代からあるホップとのこと。
注いでみると、フツーの黄金色。
飲んでみると、ホップの苦味がぐぐーっときますね。好きだな、こういう苦味。
これこそビールって感じですね。
よいと思います。

昨年も飲んだ金麦の派生品。
濃いめ・・・完の色も濃いめ。
今からの季節にぴったりのような?
注いでみると、これまた濃い。
飲んでみると、やや甘みはあるものの苦味もあって、結構コクもある。
ビールじゃないなとはわかるけれど、これは結構よくできてるんじゃないですかね。
フツーの金麦よりおいしい。
秋~冬にいい感じ。
本日の本
book-13 『ヴァン・ショーをあなたに』 近藤史恵著 創元推理文庫
STORY:小さなフレンチのお店、ビストロ・パ・マル。三舟シェフは不可解な謎をあっという間にといてみせる・・・シリーズ第2弾。
☆☆☆日常の謎ミステリ第2弾。
1作目がとてもおもしろかったので、続けて2作目も。
1作目はすべて、ギャルソンが語り手だったのだが、今回はお客さんが語り手の作品もあり、シェフのフランス修行時代のお話もあり・・・
バリエーションが広がった感じ。
とはいえ、テイストは変わりなく、読み終わってほっとするというか、読み心地のいいお話ばかり。
特に好きなのは「ブーランジュリーのメロンパン」と表題作「ヴァン・ショーをあなたに。特に暖かいミステリだ。
久々にブイヤベース・・・それも本格的な・・・が食べたいなあとか、トリュフ入りオムレツもいいな~
いや、メロンパンも今度食べようかとか、とにかくおなかがすくミステリなんである。
それに、1作目にもしばしば出てくるヴァン・ショーの原点が!
ホットワインは飲まないワタクシでも飲んでみたくなりました!

ビール初の糖質0が出た。
糖質0の新ジャンルはいろいろ飲んでみて、どれもおいしくない!と思い、ずっと買うのもやめていたのだが・・・
もしかしてビールなら!と思い買ってみた。
注いでみると、薄い色。
飲んでみると、味薄いな~
ほぼ味なしって感じ。苦味もあまりなし。
これでホントにビール???
いやー、やっぱり糖質0製品、やめよう・・・
(3より続き)
須賀神社到着。
天慶3年(940)藤原秀郷公が京都の八坂神社を勧請した。
石田三成との決戦を決意した家康はここで戦勝を祈願したそうである。
木曽檜造りの随神門の向こうに拝殿が見える。
随神門の右は櫛磐牖命(くしいわまどのみこと)。
左は豊磐牖命(とよいわまどのみこと)。

神楽殿には酒樽が・・・
そうか!鳳凰美田って小山のお酒だったのね・・・

七ツ石と右が小山朝政之碑、左が小山義政之碑。
七ツ石はもともと小山城内にあった七ッの庭石が、落城したことによって結城の城内に接収され、夜中になると哀れに泣いたというもの。
小山朝政は初代小山城主政光の子で、頼朝の信頼厚い有力御家人だった人物、義政は朝政の孫で、足利氏満の制止を無視して宇都宮基綱と合戦し、最終的に追い詰められて自害した人物である。
神社を出たところで、心配していた雨が思ったより早く降りだし、ザックカバーをかけ、傘をさす(その後もずっと降っていたけれど、雨量は多くなかったのでよかった)。

妙建寺。
本堂の格天井には百人一首が描かれているとのことだが、やはり見られず・・・

ちっちゃなお地蔵様がかわいい!

宮本愛宕神社のケヤキはとても大きい。
康歴元年(1379)。小山義政が山城国愛宕郡から勧請した際に植えられたケヤキという。
大正2年の火事で樹冠が類焼し上部が欠けてしまっている。

市役所前にあるのが小山評定跡碑。
家康が上杉景勝を討つため小山に到着した時に、石田三成挙兵の知らせをうけ、急遽軍議(小山評定)が開かれ、三成打倒が決まり、これが関ヶ原の戦いへとつながるのである。

小山御殿広場。
小山御殿は徳川将軍家が日光社参の際の休憩・宿泊所として作られた。この南が小山評定が開かれた地と言われている。
城山公園へ向かう。
思川をのぞむ高台にある公園で、祇園城の跡地である。
城守りの神として祇園社をまつったことからこの名で呼ばれるようになった。
小山氏の本拠地で、小山氏が追放されたあとに北条氏照により拡張されたものの、北条氏滅亡後は、江戸幕府の重臣本多正純が城主となった。しかし正純も宇都宮に転封となり、廃城となっている。

前週も見た思川。

二の丸跡。


堀が残っている。

今頃桜だろうか?
Googleマップに従い、天翁院に向かうが、本祇園曲輪跡に入り込んでしまい、結局いけず・・・しかし、偶然たどり着いた(笑)

見逃してしまったが、小山氏の墓もある菩提寺である。小山氏初代の小山政光が北山に祇園山万年寺として創建したお寺。

鐘楼。

天保4年(1833)の如意輪観音が刻まれた十九夜塔。
この日も十九夜塔をたくさん見た気がする・・・

そして、最後は表の門から出るという(笑)
天翁院に続いて、裏から入ってしまった興法寺。
小山氏代々の祈願所として城内にあったが、その後この地に移転している。

左から、大乗妙典千部供養塔、二十三夜塔、弘化4年(1847)の馬頭観音、寛政9年(1797)の十九夜塔、寛延元年(1748)の庚申塔、享保10年(1725)の一面六臂の青面金剛の庚申塔、庚申塔(三猿あり)。

参道には桜が植えられていて春はきれいでしょうね。
さて、蛸屋総本店(午前中に最中を買ったお店の本店・・・元禄11年(1698)創業とか)でおみやげにお菓子を買って帰ろう!
と思ったらこの日は臨時休業・・・

うなだれつつ、愛宕神社へ。
貞応2年(1223)小山城主小山朝政が門守護の鎮守として山城国(京都)の愛宕の神を勧請した。狛犬は天明5年(1785)のもので市内最古とのこと。

最後に寄ったお寺は光照寺。

境内には慶応4年(1868)、戊辰戦争の小山での戦いで戦死した笠間藩士海老原清右衛門の墓や、一遍上人の像があった。

旧八百忠の商家と石蔵を利用した、小山市まちの駅思季彩館をちらりとのぞいたあと、小山駅へと向かう。
4時半すぎの東北本線に乗り、浦和、南浦和、西国分寺で乗り換え、国分寺着は6時20分過ぎ。

地元の居酒屋さんで打ち上げ!
今回は35600歩と、前々回、前回と比べると少ないけれど、それなりに歩きました。寄り道が結構あったからですね。

おみやげの若盛。
(完)
(2より続き)

街道に戻って少し進むと見えてきたのが西堀酒造。
ここは是非とも寄らねば!
もちろん?若盛の小さな瓶をお買い上げ!

酒蔵の長屋門。
国登録有形文化財に指定されている。

レンガ造りの煙突は明治時代に造られたものとのこと。

その先にちょっとだけ旧道の跡が残っている。
こうした細い道を歩くのは楽しいですね。

国道4号と県道265号と別れるところに安房神社の一の鳥居がある。

200メートルほど進むと、社殿がある。
創建は崇神年代(紀元前97-30)、その後仁徳年間(373-99)に再建されたと伝えられている。平安時代末期、平将門と戦った藤原秀郷が戦勝祈願したと云われており、小山氏や古河公方の信仰が篤く、足利政氏、小山高朝らの古文書を所蔵しているそうだ。もちろん見られないが・・・
モミの群落があり、市の天然記念物に指定されている。

神楽殿。

水神社。

両部鳥居。こちらの参道を歩いていくと西堀酒造のあたりに出るようだ。
街道に戻る。県道を進んでいく。
このあたりからなんとなく足がつった感じで痛くなってきていたのだが、横断歩道を渡っていたら、車が突っ込んできて危うくぶつかりそうになり、よけたところさらに足が痛くなり・・・
このあと、帰るまで足をひきずることになって、だいぶ速度が落ちてしまった・・・
国道50号の高架をくぐると少しずつ街が賑やかになってきた。
天満宮に到着。
このあたりが小山宿の江戸口である。
小山宿は、壬生通り、佐野道、結城道が集まるところで栄えたという。
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠74軒。

石鳥居は享和3年(1803)建立。

境内に、嘉永3年(1850)の十九夜塔、宝篋印塔がある。
裏に小さな公園があったので、痛んだ足を休めるべく休憩。

昼食前に蛸屋総本店で買ったたこ壺もなかを食べる。蛸がかわいいですね~
持宝寺。
宝亀3年(772)、弓削道鏡の開基。江戸時代は日光街道側の東向きだったらしい(現在は南向き)。
享保13年(1728)八代将軍徳川吉宗が、日光社参の際、休息所としたお寺である。歴代将軍が休憩した小山御殿が取り壊されていたからである。

山門は鐘楼門。この日はなんだか鐘楼門をたくさん見たような?
寛政4年(1792)の梵鐘。鐘の銘文に「孝謙天皇」 の名があったため戦時供出を免れたそうだ。
若松脇本陣跡。唐破風の玄関が残っている。
ここには、明治天皇小山行在所碑・明治天皇御駐輦之碑もある。
常光寺。

慶應4年(1868)の戊辰戦争の際の幕府軍の流れ弾が当たった阿弥陀如来座像があるとのことだったが、どうやらこの廿三夜堂の中にあるようで見ることはできなかった。

本堂。

上にいるこの人たちはいったい誰なんだろう??

少し街道を戻って、須賀神社に行く。

参道を歩く途中右にまがっていったところにあるお寺が秀郷山現馨寺。藤原秀郷の創建。山門は冠木門だ。

一遍上人像があった。4度ここに立ち寄っているとのこと。
(4へ続く)
(1より続き)

間々田八幡宮の社標が見えてきた。少々距離はあるが寄っていくことにする。
間々田八幡宮は天平年間(729-49)の創建。ジャガマイタ祭りが行われるところ。

二の鳥居。
参道を下って行く途中で、いくつか石造物が。

これは文政9年の出羽三山供養塔。
出羽三山とは月山、羽黒山、湯殿山で、江戸後期各地で供養塔が造られたという。

で、これはいったいなんだろう・・・??

力石もある。110キロ。
大正2年に神社から持ち去られた石を、3人の力自慢が5~6キロ一度も地上に下ろさずに持ち帰ったと伝えられている。


境内を歩いていると、猫が2匹!悠々としている。
どうやらかなりの数の猫がいるらしい。

弁天池。

頼朝手植えの松。明治28年枯れてしまい、これは三代目だそう。

秋の例大祭で奉納子ども相撲大会が行われる土俵。
「シコふんじゃった。」のロケで使われたんですって。

拝殿。本殿と同様、享和年間に焼失。嘉永四年(1851年)に再建された。

日光東照宮の改修を手がけた職人達による見事な彫刻が見られる。


この狛犬たちかわいいな~
安政3年(1856)の狛犬だそう。

夫婦杉。根本部分が手をつなぐようにつながっていることから夫婦杉と呼ばれる。

御神木。樹齢500年。落雷で3分の1ほどが焼けてしまっている。
右にちらっと写っているのは神輿舎である。

池のほとりに芭蕉句碑もあった。
「古池や 蛙飛こむ 水の音」。芭蕉は旅の二日目に間々田宿に宿泊していはいるものの、この地でこの句を詠んではいないのだが・・・

間々田八幡公園を通り抜け、街道へと戻る。
戻る手前で寄ったお寺が浄光院。
鐘楼門の山門が立派だ。

観音堂の脇には、延享元年(1744)の如意輪観音、宝永3年(1706)の一面六臂の青面金剛の庚申塔、宝永元年(1704)の一面六臂の青面金剛の庚申塔、安永9年(1780)の十九夜供養塔、宝暦4年(1754)の十九夜念佛供養塔、明和9年(1772)の供養塔、享保12年(1727)の供養塔、享和元年(1801)の十九夜塔、天保5年(1834)の十九夜塔などがある。
正面から出るとそこは日光街道・・・
ということで先に進む。
このあたりが間々田宿の日光口だ(土塁と矢来橋があったそうである)。
そろそろお昼の時間が近づいてきた。
元々、和食のお店を予定していたのだが、なんと定休日・・・
ということで第二候補のラーメン店に入る。
入り口に手を洗う場所があってよろしい。

頼んだのは、味玉醤油ラーメン。
煮干し使用の醤油ラーメンでおいしかった。味玉も!
街道歩き初のラーメンやさんだったかも?
あなかいっぱいになったところで出発。

千駄塚古墳の道標、浅間神社社標があるところに、覆屋があり、中には年代不明の青面金剛の庚申塔と天保15年(1844)の一面六臂の青面金剛の庚申塔がある。
そこを左折、浅間神社へ。

この神社、千駄塚古墳(円墳)の上にあるんですね。
墳丘は直径70メートル、高さ10メートル。6世紀代のものではないかと言われている。

参道を上がっていく。

拝殿にはシートが被されていたが、東日本大震災の被害を受けたとのこと。まだ修復がされていないのですね。
(3へ続く)
しばらく晴れの日が続くと思ったら、台風や秋雨全然の影響でどうやら途中から雨かも?という予報ではあったけれど、それほどたくさんは降らないだろうと思い、先週に引き続き、日光街道を歩くことにした。
朝晩涼しくなり、出かける時間帯はまだ結構寒かった。
前回より1本早い中央線に乗ったが、武蔵野線~京浜東北線~湘南新宿ライン直通東北本線は前回と同じ電車。間々田到着は8時42分。
まずは街道から少し離れ、博物館等を見学してから、また街道に戻ることにする。
間々田宿は日本橋から数えて11番目の宿場でちょうど中間に位置する宿。思川の乙女河岸(前回河岸跡を見学)があり、物資の集積地として栄えたところ。家数175軒、人口947人、旅籠50軒、本陣・脇本陣各1軒であった。

小山市立博物館に到着したのはちょうど9時。
一番乗りで見学(笑)。

展示室に入る前に、間々田のジャガマイタ祭りの蛇の模型があった。
竹と、ワラで作られた蛇体に、シダの葉を飾りつけた15メートルもある竜頭蛇体がジャガマイタ、ジャガマイタというかけ声とともに練り歩くというお祭り。5月5日に行われるそうだが、今年は残念ながら中止。
ちょっと見てみたいですね~
博物館の常設展示は、小山の原始・古代~中世~近世~近代までのあゆみが、実物や複製、模型などで紹介されている。
小型銅鐸の模型、板碑、乙女不動原瓦窯で作られた瓦などいろいろと興味深いが、イチオシは乙女河岸の模型。だいたいが、こういう模型が好きなのであります!

続いてお隣の乙女かわらの里公園に移動。
奈良時代、日本三戒壇の1つであった下野薬師寺に瓦を供給した瓦窯跡であり、思川の左岸に沿ってのびる台地の西端に立地する。

粘土溜跡(成形前の粘土を一時的に溜めておいた場所)、向こうに見えるのは工房跡。

粘土採掘坑跡(粘土を採った跡、あるいは一時的に溜めておいた場所)。

4基の平窯跡。隣あう2基一対で操業され、次々と瓦の焼成が行われるようになっていたとのことだ。

まだまだ彼岸花が咲いている。
向こうに思川の土手も見えた。

公園の向かいにある泉龍寺乙女不動尊は、赤い山門(鐘楼門)がとても目立つ。鐘楼門は享保5年(1720)の建立。

門の左手前に不動明王の剣が。不動堂にも剣が飾られているそうなのだが見逃してしまった・・・
そしてもう一つ見逃してしまったのが芭蕉句碑。どうやら不動堂の横にあったらしいのだが・・・

たくさんの石造物。やはり十九夜塔がいくつも。

延命の泉。

不動堂。

本堂。
疫病に悩む庶民の苦しみを救うため、本尊に祈ったところ、この地に清らかな泉が湧き出でて、病がたちどころに平癒したところから泉龍寺と言うようになったという。

このお寺、庭の手入れがよくされていて、とてもきれいなのだ(この日も花の植え替え作業している方がいた)。

池には鯉や金魚も。
街道にようやく戻り先を進む。

小山市立車屋美術館に到着。
小川家住宅の米蔵を、美術館として改装し、主屋(おもや)・庭園なども一般公開し、2009年(平成21年)4月に開館。
小川家はかつて思川の河川舟運を利用して肥料問屋を営んでおり、明治の終わり頃、物資の輸送が水路から陸路になったことに伴い、乙女河岸からこの場所へと移転した。

展覧会もちょうど見たいものだったが(「描かれた水神展」)、先は長いので小川家住宅のみ見学することにする(100円)。
国登録有形文化財。
ちょうどガイドの方に説明していただき、ぐるっと見学。
やはり、解説していただくと、自分で見ただけではわからないことを知ることができてよいですね。
近代和風建築の木造二階建てだが、和洋折衷でちょっとモダン。
玄関入ってすぐの神棚の間は、間々田八幡宮などを祀っているが、天井は漆喰で、照明器具を吊すところは植物をモチーフとした飾りが施されている。
廊下のガラス戸は吹きガラスで、ところどころ気泡が見えたり・・・
2階に上がると洋風な装飾の洋室があって1階とはまた違った趣だ。
残念ながら土蔵は修復中で見られなかったが、旧肥料蔵をちょこっとのぞいて出発。

少し歩くと、逢の榎がある。
江戸と日光の中間地点で、榎の大木があり、「間の榎」と呼ばれていたが、いつの頃からか 「逢い榎」 と呼ばれ、縁結びの木として信仰されるようになったという。初代の榎は昭和40年の台風で倒れてしまい、現在のは2代目なのでまだ小さいですね。

すぐ先の琴平神社は、乙女河岸の河川の交通安全を祈願して創られた。

斜め向かいが龍昌寺。

入ってすぐ右にある不動堂(延享2年(1745)建立)が寝起不動尊である。
ある僧が明王の示現によって、尊像を背負い旅に出たが、日毎に衰弱がひどく、この地に辿り着くと足も動かなくなり、死ぬ苦しみだった。一夜が明けようとする時、明王が枕辺に現れ「この地こそ我が済度化縁の地なり、人々の病難諸難を救って無量の福徳を与えよう」と僧侶は寝起され、思わず尊像をお拝すると疲労と病が一時に消えて杖も使わずに立ち上がれたという。そこで人々は寝起不動尊と呼んで、御堂を建て、尊像をお祀りしたといわれている。
鐘楼。春はつつじがきれいなのだそうだ。
宝暦2年(1752)の木堂不動尊と嘉永5年(1852)の十九夜塔。
向こうにキンモクセイが見えるが、この日はどこにいってもキンモクセイが香ってきたのだった。
大猷院殿贈正一位大相國公尊儀霊棺御一泊之碑と徳川家光公御尊骸一夜宿棺の碑。
徳川家光が亡くなり、遺骨を日光へ運ぶ途中、このお寺に骸の安置所が設けられたとのことである。

間々田ひも(甲冑や刀の下げ紐として用いられた)のお店を通り過ぎた先に問屋場跡、本陣跡の説明板が続く。
(2へ続く)

昨日抜歯をして、お酒はダメというので、うなだれつつスーパーでノンアルコールビールを買って帰った。
やぶれかぶれで?500のを2本買うことにしたのだが、零ICHIは500のがなく、やむなくオールフリーとドライゼロを購入。
注いでみるとフツーのビール色。
飲んでみると、むう、やっぱり不思議な香りが・・・
結構苦味というか渋みがあるのだけれど、基本はスーパードライ風なので、しゅわしゅわっと炭酸を強く感じる。
結局、零ICHI、オールフリー、ドライゼロという順位となりました。

東海道沿いの酒蔵さん。
たすけてくださいというお酒を夏前に頼んだが、またまた3本セットを頼んでしまった・・・
まず一本目は・・・
特別純米酒だが、特別契約栽培米の玉栄を100%使用しているとのこと。玉栄は3分の2を滋賀県で栽培してるんですね。
飲んでみると、結構アルコールが強い感じがあるけれど、ふわっとお米の味が感じられますね。やや辛口。
他の2本も楽しみだな。

ノンアルコールビール第2弾。
今年3月リニューアルしているサントリーのオールフリー。
以前はノンアルだとこれ一択だったが・・・
注いでみると、フツーのビール色。泡も盛り上がってビールに見える。
飲んでみると、やっぱり特有の香りはしますね。
でも苦味はちゃんとあって、ビール風ではある。
うーん、2本飲んでみて、今回はゼロイチの方がいいなと思いました。
(3より続き)
友沼八幡神社。
源頼義が鎮守府将軍に任命され、その子八幡太郎義家を伴い阿部頼時、貞任父子討伐のとき、八幡神社を勧請したといわれる。
江戸時代、将軍が江戸を出発し、二泊目になる古河城を朝出て、最初に小休止をした場所である。

神社の斜め前にあるお寺が法音寺。


仁王門には、金剛力士像・東西南北を守護する四天王があるのだけれど、ガラスの中に入っているのでちょい写真が撮りづらい。
安永9年(1780)の芭蕉句碑がある。
「道ばたの むくげは馬に 喰はれけり」
芭蕉は間々田宿に宿泊したそうだ。

本堂。

庚申塔・十九夜塔・大黒天供養塔・明真言供養塔などたくさんの石造物。

たらようの木。

ここでおやつの時間。
古河で買った古河八萬石最中。疲れた時は甘いものがいい。
小山市に入る。

乙女の一里塚。
ケヤキの根元に鳥居があって、石の祠が祀られている。
十八里目。

すぐ先に若宮八幡宮。

ここには宝永6年(1709)に鋳造された大日如来座像がある。州江戸湯島渡部九兵衛が父母の供養のため安置したもの。外にあることから濡れ仏様と呼ばれていたという。

そしてまたまた!
安永5年(1776)の十九夜念佛供養塔(手前も十九夜塔)他、石造物が。
赤と白のストライプの彼岸花が咲いている先にあったのは・・・

屋根付きの明治22年(1889)の如意輪観音が刻まれた十九夜塔。
いやはや十九夜塔だらけ!

小山市のマンホールは馬。なぜ?と思ったら、馬の躍動感と、優雅で軽やかな足取りを表現してみた。からんだつる草に足をとられることなく、 奔走する馬に未来に向かって意欲を燃やす若者を重ねた・・・だそうだ。うーん、小山市に馬がたくさんいるとかではないみたい。
佛光寺。
ニ代将軍徳川秀忠から十石の寺領を賜ったという。
ここもまた彼岸花が満開だ。

お地蔵様。

やっぱりあった(笑)十九夜塔。

お寺の向かいに鳥居があるのが乙女八幡宮。
この鳥居は元禄16年(1703)船問屋が寄進して作られた石造の鳥居である。

拝殿。狛犬は文化10年(1813)のもの。

明治の神仏分離によってお寺が廃された跡に土俵が設けられていて、子ども相撲が行われるそうだ。
最後に思川に設けられた河岸の一つ、乙女河岸跡に向かう。

田んぼが広がる風景。

彼岸花。
川に出てみると気持ちいいな~

向こうに山も見える。

彼岸花が続く。
春は桜がきれいなんだろうな。とてもいい散歩コースだ。

乙女河岸は慶長5年(1600)、家康が会津上杉討伐から石田三成討伐へと一転させた天下分け目の軍議 「小山評定」 が行われた場所。この会津討伐に際して、軍勢や武器・兵糧の陸揚げ地になっており、また軍議後一転して上方へ向かうため、諸将を従えた家康が船で江戸へ向かった地でもある。そして、日光東照宮造営の際には、御用船で運ばれた資材はここで陸揚げされたそうである。

この石柱は、黒田長政が東照宮に寄進した鳥居の一部との伝えられているそうで、昭和54年頃、河川改修の際に引き上げられたとのこと。
ここでこの日の街道歩きは終了、間々田駅に向かう。
滑り込みで5時3分の電車に間に合い、大宮、武蔵浦和、西国分寺で乗り換え国分寺着は6時42分。
お魚がおいしい居酒屋さんで打ち上げ!
約44550歩。今回も結構よく歩きました。
涼しくなり歩きやすい季節となりました・・・
(完)
(2より続き)
ほどなく、古河宿を出る。

こちらの入り口にも行灯のモニュメントがあった。
うっかり見逃して先に進んでしまい、ちょっと戻って見たのが、塩滑地蔵菩薩。

身体の具合が悪い所に塩を塗ればご利益があるとのことで、塩を塗られすぎたのかお地蔵様は平べったくなっていたような・・・

栃木県野木町に入り、国道4号に合流する手前、野木神社の鳥居が見えてきた。
少し遠いが行ってみることに。

参道には彼岸花。今年は少し遅いかな?
野木神社は仁徳天皇時代(313-99)に建立され、坂上田村麻呂が延暦21年(802)に参詣し勝どきを上げたといわれる。

拝殿。

野生のふくろうが棲んでいるそうで、5,6月には雛も見られるとのこと。残念ながら見られず。まあ夜行性ですもんね。

推定樹齢500年の大ケヤキ。

御神木の公孫樹(大イチョウ)。坂上田村麻呂が蝦夷討伐に成功した凱旋の途中、野木神社に奉埴したといわれる。
街道に戻り、ほどなく国道4号に合流する。

筑波山が見える。
野木宿に入ってきた。
野木宿は本陣1軒、脇本陣1軒、問屋場4か所、旅籠25軒、人口527人。
思川に河岸があり、江戸との舟運が盛んだったという。
しかし、この宿、遺構はほぼ残っていない。

このような案内板が残るのみ。

道は街道っぽいけれど・・・
野木町のマンホール。町の花ひまわりのデザイン。

別のデザインのマンホール。ひまわり+町の木のエンジュが描かれている。

満願寺。

門前には元治元年(1864)の十九夜塔があった。十九夜塔だらけ(笑)。

弘法大師御影堂の中の弘法大師。

一里塚跡を通り過ぎた先の浄明寺。
またまた嘉永5年(1852)の十九夜塔があるはずだったが・・・

おや、あったのは宝暦10年(1760)の青面金剛と刻まれた庚申塔。どうやら、十九夜塔は撤去されてしまったようだ・

先に進むと太平山の道標がある。「是より大平山道」 と刻まれている。
思川の渡しを越えて、日光例幣使道の栃木宿太平山神社に至る道だ。
そのすぐ先に観音堂がある。
おお!またもや!嘉永3年(1850)の十九夜塔。お地蔵様がかわゆい。

文化12年(1815)の普門品供養塔・宝篋印塔・馬頭観音など。
石造物の撮影をしていたら、うっかり観音堂じたいを撮影するのを忘れるという(笑)
道はカーブしており、カーブした先はかつては松並木があったというが、今は面影はない・・・
この日は、気温は25度くらいではあったけれど、ずっと陽の当たる国道を歩いて少々暑くなっていたため、ソフトクリームでクールダウン。
国道を歩くのはなんとなく味気ないものだが、それでも楽しみはある。

ちょうど栗の季節。
栗畑が結構あったりするのだった。

こちらは、青木酒造さんでいただいた栗。

塚の上にある愛宕神社。
村境にあって悪霊の侵入を防ぐという塞の神と火伏せの神を併せ持っている。

拝殿の中の本殿。

神社のすぐ北側に観音堂があるが、ここには十九夜塔と(左は明治11年(1878、右は嘉永元年(1848))・・・

はじめての廿三夜塔(文政2年(1819))。このあとも見られるだろうか。
(4へ続く)
(1より続き)
すぐ近くに永井路子旧宅がある。無料で見学することができる。せっかくなので見学していくことにする。


本人への聞き取り調査をもとに修復を行い、住居の一部を再現しているのだが、永井路子が子どもの頃住んでいた家である。

お庭も広くていいですね。
少し進んで正定寺。
古河城主土井利勝が寛永10年(1633)創建したお寺。
利勝は家康~家光まで三代につかえ、大老となった人物である。

この赤門は安永4年(1775)、8代目の土井利里が建立した。

利勝公。

永井寺。
寛永3年(1626)、初代古河藩主永井直勝が創建したお寺。永井直勝は小牧・長久手の戦いで豊臣方の池田恒興を討ち取った武将である。

境内には如意輪観音がのっかった十九夜供養塔がある。
さらに寄り道したのは雀神社。

この狛犬もいいのだが・・・


こちらの狛犬もかわいいな~

貞観年間に出雲大社から勧請したと言われているが、現在の社殿は慶長10年(1605)、古河城主松平慶長が造営したものとのこと。
街道に戻る。

角(街道の枡形にあたる)にあるのが常夜燈を兼ねた文久元年(1861)の道標がある。
「左 日光道」「右 江戸道」と彫られている。

神宮寺にも十九夜供養塔が。

石造物群。

ご本尊は不動明王である。

右折するとよこまち柳通りである。

まもなく武蔵屋到着。鰻やさんで、この日予定していた昼食処だ。

頼んだのは、ミニうな重。
かわいらしいお重だが、小食のワタクシとしてはこれくらいがちょうどよい。
久々のうなぎ、おいしゅうございました!今年初の鰻かも??
タレがやや甘めでおいしかった。

武蔵屋さんの斜め前にあるのが提灯竿もみ祭り発祥の地碑。
江戸時代の古河藩領であった栃木県野木町の野木神社に伝えられる神事 「七郷めぐり」 に付随した行事に由来しているという祭りで、長い竹竿の先に提灯をつけ、大勢でもみ合いながら提灯の火を消し合うものだという。ちょっと見てみたいですね~
徳星寺。
土井利勝が古河城の鬼門除けとしたもの。

入り口のところに、やっぱり?十九夜塔がある。

創業160年の小澤糀店と荒物店。
趣のある家が並ぶ。街道らしいですね。

こちらの蔵造りの家屋も立派だ。
本来は手前の正麟寺から寄るべきだったのだが、入り口を見逃してしまい、少し先の本成寺を先に見学。

赤い山門が目を惹く。
お堂も赤い。

5代古河藩主土井利益の生母、法清院殿(22歳でなくなっている)の墓がある。立派なお墓だ。

正麟寺に戻る。

本堂。

鷹見泉石のお墓がここにある(少々探してしまった)。
(3へ続く)
2週間ぶりの日光街道歩き。
前回はまだ夏の暑さが残っていたが、今回はすっかり秋模様。
だんだん家から遠くなってきたので、早めに家を出ることにした。
6時40分に出発、中央線、武蔵野線、京浜東北線を乗り継ぎ、湘南新宿ライン直通東北本線で、古河についたのは8時34分。
今回は古河宿をじっくりとまわることに。
古河宿は古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つ。本陣・脇本陣各一軒、旅籠31軒、宿内家屋1105軒、人口3865人である。
とりあえず、前回の最後の地点=原町口木戸跡に向かう。

途中八幡神社に寄る。
初代古河公方足利成氏が鶴岡八幡宮を勧請、寛永19年(1642)に藩主土井利勝が古河城の鬼門よけとしてこの地に移したものという。

さて、街道歩きスタート!

古河宿はこういった説明が書かれた行灯がたくさんおかれていて充実している。いちいち全部は見なかったけれど。

まずは稲荷神社へ。
宝暦2年(1752)本多美濃守忠敞が古河城主のとき、山城国伏見より勧請したもの。

一面六臂の青面金剛の庚申塔、安政2年(1855)建立の十九夜塔、如意輪観音。前回もいくつか見たが、この日もたくさん見そうな予感がした・・・

長谷観世音参道の寺標を通りすぎて、古河城御茶屋口門跡。
古河藩主土井利勝が第三代将軍徳川家光の参詣の際、茶屋を置いたことに始まると云われ、日光社参の際、徳川将軍家はここから古河城に入城したそうである。
ここから街道を離れ、鷹見泉石記念館へ。
鷹見泉石は家老として、藩主土井利位に仕えた古河藩士。利位が大阪城代であった折り、大塩平八郎の乱で鎮圧にあたった。優れた蘭学者でもあり、数多くの研究資料の収集をした人物。利位の『雪華図説』の刊行をたすけ、晩年、自らも日本初の『新訳和蘭国全図』を出版している。
この記念館は泉石の晩年の住まいで、古河城の余材で建てたと言われる建物を改修したもの。

立派な長屋門。

竹林と彼岸花。

屋根は藁葺き。



趣のある家だ。

奥原晴湖画質=繍水草堂もあった。
今まで知らなかったが、明治時代を代表する女流画家とのこと。

続いて長谷観音。
日本三大長谷観音の一つで室町幕府を開いた足利尊氏公の血脉をひく足利成氏公により、明応2年(1493)に古河城の鬼門除けとして建立されている。

本堂の龍、見事!

ややボケてるけれど、ご本尊は十一面観世音菩薩なんですね。

次に古河歴史博物館に寄る。
ここは旧古河城出城跡である。

出城であった諏訪曲輪を囲う堀が復興されている。
館内は撮影できないため写真はないけれど、とても充実した展示内容だった。
展示室1は古河藩家老鷹見泉石が収集・記録した蘭学関係資料。
入り口で肖像画があったのだけれど、これよく見るよね?と思ったら、渡辺崋山が描いた泉石の肖像画だった(複製画)。トーハクにあるのでよく見てるんですね。すごいコレクション!鷹見泉石日記、読んでみたいなと思いましたね。
展示室2は原始古代から近現代の歴史。古河宿や利根川の橋渡しのジオラマがみものである。橋渡し、ずいぶんたくさんの船を並べて渡したのだなあ。
古河城の城主は鎌倉公方足利成氏のあとどうなっていたかもよくわかった。土井利勝以降土井家が城主となり・・・土井利位の雪華図説はワタクシでも知っていました。オランダから輸入した顕微鏡を使って雪の結晶を観察して記した書である。古河市ではあちこちに雪の結晶の紋様がありました。
展示室3は奥原晴湖や河鍋暁斎らの書画。暁斎は好きなのでうれしいが、、今回新しく奥原晴湖。南画風でなかなかよい。
本当はもうちょっとゆっくり見たかったところだけど、先があるので30分弱で出発。

古河城址の土塁、獅子ケ崎を見て・・・

向かいには古河藩重臣屋敷の長屋門。
ぐるっとまわって、鷹見泉石生誕之地の碑を見る。

お休み処坂長。
江戸時代から両替商を経て、その後酒問屋として栄えた店だったところ。国の登録有形文化財である。

福法寺。
山門は、旧古河城二の丸御殿の入口にあった乾門(いぬいもん)を移築したものだ。
街道に戻る。

が、前回行けなかった青木酒造にちょいと寄り道。
御慶事を自宅に送る。
思いがけず、栗をいただいてしまった!今年はまだ栗ご飯を作っていなかったのでとてもうれしい。

続いて、駅近くの西光寺に寄る。

ここには古河大仏と呼ばれる阿弥陀如来坐像がある。意外ときれいだなと思ったら昭和54年に再建した2代目とのことである。初代は第二次世界大戦時に供出されてなくなったしまったのですね。
街道に戻り、高札場碑を見て(向かいの本陣跡の碑は見逃してしまった)またぐるっと寄り道することにする。

篆刻美術館。
旧平野家表蔵棟・裏蔵棟である。酒類卸売業を営んできた平野家の石蔵として大谷石を用いて大正9年に建てられたもの(入場はせず)。
(2へ続く)

先日昼にピザを食べることになり、それじゃあノンアルコールビールでも飲んでみるかね~ということで買ってきた2本のうち1本がこれ。
昔飲んだことはあるけれど、2回目かな、飲むのは。
昨年リニューアルしたらしい。
注いでみると、やや濃いめの色で、泡がぐーっと盛り上がり、見た目はビールですね。
飲んでみると、やはり変な香りはあるのだが、苦味も結構あってビールにちょっと近づいたかなという感じ。以前よりおいしくなった気がしますね。
まあ、もちろんビールの方が断然いいけれども。

夏休み、奥多摩にドライブに行った際に買ったお酒。
そのときはまだ奥多摩が混み混みということはなかったのだけど・・・
で、このお酒は、創業当時(1863年)の銘柄を復刻ラベルで発売したものだそう。
飲んでみると、じわじわとお米の旨みが感じられてとてもおいしい。
常温で飲んだのだけれど、確かにオススメのぬる燗でもよいのかも?(燗酒はワタクシは飲まないのだけど)
好みのお酒です。

カルディで見つけたビール。
カルディに行くとついついいろいろと買ってしまうな・・・
ムーチョ?メキシコのビール?
アロハ?ハワイのビール??
と思ったら、アメリカ本土、ウィスコンシン州のビールらしい。
注いでみると、オレンジがかった黄金色。
飲んでみると、香りはよい。
そして、苦味がはじめきて(IPAの軽いのみたいな)、でもわりとさっぱり系ですね。
これはゴクゴク飲めちゃうタイプのビールですね。
この会社の他のもあるみたいなので、今度買ってみたい。
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