日光街道歩き(第8回) 間々田宿~小山宿2
(1より続き)
間々田八幡宮の社標が見えてきた。少々距離はあるが寄っていくことにする。
間々田八幡宮は天平年間(729-49)の創建。ジャガマイタ祭りが行われるところ。
二の鳥居。
参道を下って行く途中で、いくつか石造物が。
これは文政9年の出羽三山供養塔。
出羽三山とは月山、羽黒山、湯殿山で、江戸後期各地で供養塔が造られたという。
で、これはいったいなんだろう・・・??
力石もある。110キロ。
大正2年に神社から持ち去られた石を、3人の力自慢が5~6キロ一度も地上に下ろさずに持ち帰ったと伝えられている。
境内を歩いていると、猫が2匹!悠々としている。
どうやらかなりの数の猫がいるらしい。
弁天池。
頼朝手植えの松。明治28年枯れてしまい、これは三代目だそう。
秋の例大祭で奉納子ども相撲大会が行われる土俵。
「シコふんじゃった。」のロケで使われたんですって。
拝殿。本殿と同様、享和年間に焼失。嘉永四年(1851年)に再建された。
日光東照宮の改修を手がけた職人達による見事な彫刻が見られる。
この狛犬たちかわいいな~
安政3年(1856)の狛犬だそう。
夫婦杉。根本部分が手をつなぐようにつながっていることから夫婦杉と呼ばれる。
御神木。樹齢500年。落雷で3分の1ほどが焼けてしまっている。
右にちらっと写っているのは神輿舎である。
池のほとりに芭蕉句碑もあった。
「古池や 蛙飛こむ 水の音」。芭蕉は旅の二日目に間々田宿に宿泊していはいるものの、この地でこの句を詠んではいないのだが・・・
間々田八幡公園を通り抜け、街道へと戻る。
戻る手前で寄ったお寺が浄光院。
鐘楼門の山門が立派だ。
観音堂の脇には、延享元年(1744)の如意輪観音、宝永3年(1706)の一面六臂の青面金剛の庚申塔、宝永元年(1704)の一面六臂の青面金剛の庚申塔、安永9年(1780)の十九夜供養塔、宝暦4年(1754)の十九夜念佛供養塔、明和9年(1772)の供養塔、享保12年(1727)の供養塔、享和元年(1801)の十九夜塔、天保5年(1834)の十九夜塔などがある。
正面から出るとそこは日光街道・・・
ということで先に進む。
このあたりが間々田宿の日光口だ(土塁と矢来橋があったそうである)。
そろそろお昼の時間が近づいてきた。
元々、和食のお店を予定していたのだが、なんと定休日・・・
ということで第二候補のラーメン店に入る。
入り口に手を洗う場所があってよろしい。
頼んだのは、味玉醤油ラーメン。
煮干し使用の醤油ラーメンでおいしかった。味玉も!
街道歩き初のラーメンやさんだったかも?
あなかいっぱいになったところで出発。
千駄塚古墳の道標、浅間神社社標があるところに、覆屋があり、中には年代不明の青面金剛の庚申塔と天保15年(1844)の一面六臂の青面金剛の庚申塔がある。
そこを左折、浅間神社へ。
この神社、千駄塚古墳(円墳)の上にあるんですね。
墳丘は直径70メートル、高さ10メートル。6世紀代のものではないかと言われている。
参道を上がっていく。
拝殿にはシートが被されていたが、東日本大震災の被害を受けたとのこと。まだ修復がされていないのですね。
(3へ続く)
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