中山道六十九次歩き(第12回) 中津川宿~落合宿~馬籠宿1
昨年12月に歩いて以来の中山道歩き。
冬の木曽路は寒そうということで、その間は京街道を歩いたりしていて、春になったら再開と思ったところ・・・
コロナで東京から出られなくなってしまい、ようやく再開の運びに。
感染対策を十分しつつ、出かけてきました~
この間に電車のダイヤが変わり、前より少し早く出なくてはならなくなったが、新幹線は前と同じ、6時15分。
前よりはすいているけれど、それなりに人がいるなあという感じ。
名古屋で8時発のワイドビューしなのに乗り換える。
団体客が結構いて、これまたそれなりに人が乗っていた。
中津川着8時50分。9時歩きスタート。

駅前広場にあったのは、栗きんとん発祥の地の碑。
前回、川上屋のを買って帰ったっけ。

中津川のマンホール。
前回も色のついていないバージョンは撮影している。
「おいでん祭り」で踊られる「風流おどり」と市の花のサラサドウダンが描かれているもの。
前回のゴール、すや本店までやってきた。
しばらく歩くと、高札場が見えてきたのだが・・・

常夜燈、庚申塔、二十三夜塔が並んでいる。
日光街道でも二十三夜塔をいくつか見たが、このあたりもあるんですね。どうやら二十三夜塔は全国に分布している模様。

高札場は復元。

歩道橋を渡った先に旭ヶ丘天満宮があり、その横にはだか武兵の祠がある。
武兵は中山道の篭かきだったが、御嶽山で悪病退散の秘法を授かり、人々の病を治したという。
茶屋坂を上がってきた。

芭蕉の句碑がある(俗称すみれ塚)。
「山路来て 何や羅遊かし 寿み連草」。野ざらし紀行の句である。

経王書写塔。
この下に、法華経の経文を一字ずつ小さな小石360個に書いてあるものが納められているという。

三井寺観音。

伏見稲荷。

拝殿の手前に並んでいるのが標示石。
これらはもと台地にあった2つの塚の中央に置かれ、天明3年(1783)芭蕉の90回忌に設けられたことを表し、それ以前にすみれ塚が存在していたことを標示しているものという。

街道は緩やかに下っていく。
この後もずっと、道路にカラーの石が埋め込まれていて道がわかりやすい。

尾州白木改番所跡の碑。
天明2年(1782)に設置され木曽から伐採した材木を監視していたが、明治4年に廃止されている。

道祖神。わりと新しいものかな?

秋葉常夜燈と二十三夜塔。

国道19号を地下道で渡る前のところにあった道祖神。これはもっと新しそうですね。
道はまた上りはじめる。
そこにあったのが、子野石仏群。いやーすごい数!

十一面観音と弘法大師。

馬頭観音がいくつか。

地蔵菩薩。

地蔵菩薩、南無阿弥陀仏碑などが並ぶ中に・・・

はじめて見るものが!7体の観音像が彫られた石碑である。一石六地蔵は日光街道でいくつか見たがこれははじめてだ。

この庚申塔は文字が太くくっきりしてますね。元禄7年(1694)のもの。
一番右は徳本名号塔。徳本上人が書いた南無阿弥陀仏の文字は丸みをおびていて、終わりがはねあがり、縁起がよいとか。
道は下り、子野川を渡るとまた上り。槇坂である。

上がりきったところに覚明神社。
御嶽山を開山した覚明上人が御嶽山に行く際に泊まった茶屋跡である。

覚錠霊神、覚導霊神、嶽覚波霊神、藤覚霊神、光覚霊神、覚巌霊神、實利霊神、覚山霊神など、多くの霊神碑がある。

道はまた下り、子野の一里塚が見えてきた。
東側に痕跡が残っている。
三五橋を過ぎると上り坂。

与坂立場跡には越前屋というカフェがあり、三文餅(米粉の餅に黒砂糖を煮詰めて塗ったもの)が再現され、食べられるのだが、残念ながらこの日は定休日。
かつて与坂御番所がおかれていたが、その後中津川の上金に移転した。

立場跡の前の祠の不動明王、弘法大師。
その後も道は下ったり上ったり。実に忙しい。

落合宿が近づいてきて、マンホールも変わった。
中山道の石畳のデザインである。まわりにはクワガタ、カブトムシ、トンボ、芋虫、チョウ、ホタルが描かれている。

遠くの風景もなかなかよい。
マップはこちらを使っています。
(2へ続く)
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