日光街道歩き(第7回) 古河宿~野木宿~間々田宿4
(3より続き)
友沼八幡神社。
源頼義が鎮守府将軍に任命され、その子八幡太郎義家を伴い阿部頼時、貞任父子討伐のとき、八幡神社を勧請したといわれる。
江戸時代、将軍が江戸を出発し、二泊目になる古河城を朝出て、最初に小休止をした場所である。
神社の斜め前にあるお寺が法音寺。
仁王門には、金剛力士像・東西南北を守護する四天王があるのだけれど、ガラスの中に入っているのでちょい写真が撮りづらい。
安永9年(1780)の芭蕉句碑がある。
「道ばたの むくげは馬に 喰はれけり」
芭蕉は間々田宿に宿泊したそうだ。
本堂。
庚申塔・十九夜塔・大黒天供養塔・明真言供養塔などたくさんの石造物。
たらようの木。
ここでおやつの時間。
古河で買った古河八萬石最中。疲れた時は甘いものがいい。
小山市に入る。
乙女の一里塚。
ケヤキの根元に鳥居があって、石の祠が祀られている。
十八里目。
すぐ先に若宮八幡宮。
ここには宝永6年(1709)に鋳造された大日如来座像がある。州江戸湯島渡部九兵衛が父母の供養のため安置したもの。外にあることから濡れ仏様と呼ばれていたという。
そしてまたまた!
安永5年(1776)の十九夜念佛供養塔(手前も十九夜塔)他、石造物が。
赤と白のストライプの彼岸花が咲いている先にあったのは・・・
屋根付きの明治22年(1889)の如意輪観音が刻まれた十九夜塔。
いやはや十九夜塔だらけ!
小山市のマンホールは馬。なぜ?と思ったら、馬の躍動感と、優雅で軽やかな足取りを表現してみた。からんだつる草に足をとられることなく、 奔走する馬に未来に向かって意欲を燃やす若者を重ねた・・・だそうだ。うーん、小山市に馬がたくさんいるとかではないみたい。
佛光寺。
ニ代将軍徳川秀忠から十石の寺領を賜ったという。
ここもまた彼岸花が満開だ。
お地蔵様。
やっぱりあった(笑)十九夜塔。
お寺の向かいに鳥居があるのが乙女八幡宮。
この鳥居は元禄16年(1703)船問屋が寄進して作られた石造の鳥居である。
拝殿。狛犬は文化10年(1813)のもの。
明治の神仏分離によってお寺が廃された跡に土俵が設けられていて、子ども相撲が行われるそうだ。
最後に思川に設けられた河岸の一つ、乙女河岸跡に向かう。
田んぼが広がる風景。
彼岸花。
川に出てみると気持ちいいな~
向こうに山も見える。
彼岸花が続く。
春は桜がきれいなんだろうな。とてもいい散歩コースだ。
乙女河岸は慶長5年(1600)、家康が会津上杉討伐から石田三成討伐へと一転させた天下分け目の軍議 「小山評定」 が行われた場所。この会津討伐に際して、軍勢や武器・兵糧の陸揚げ地になっており、また軍議後一転して上方へ向かうため、諸将を従えた家康が船で江戸へ向かった地でもある。そして、日光東照宮造営の際には、御用船で運ばれた資材はここで陸揚げされたそうである。
この石柱は、黒田長政が東照宮に寄進した鳥居の一部との伝えられているそうで、昭和54年頃、河川改修の際に引き上げられたとのこと。
ここでこの日の街道歩きは終了、間々田駅に向かう。
滑り込みで5時3分の電車に間に合い、大宮、武蔵浦和、西国分寺で乗り換え国分寺着は6時42分。
お魚がおいしい居酒屋さんで打ち上げ!
約44550歩。今回も結構よく歩きました。
涼しくなり歩きやすい季節となりました・・・
(完)
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