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2020/11/02

中山道六十九次歩き(第13回) 馬籠宿~妻籠宿~三留野宿2

(1より続き)

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立場茶屋跡にあるお休み処(牧野家住宅)。

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休憩はしなかったが、いろりなんかもあっていい感じだ。

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一石栃白木改番所跡を通り過ぎ、少し進むと、お化けの木のようなサワラの木が見えてきた。
こうした下枝が立ち上がった針葉樹を神居木(かもいぎ)と言うそう。
山の神あるいは天狗が腰掛けて休む場と信じられていたという。

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一石栃旧道口を進み、県道7号を渡り、また合流する。

滝マニアとしては見にいかねば!ということで、街道をちょいと離れる。

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女滝。

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男滝。
三段でなかなかに迫力がある。

幕末の頃までは滝の下を中山道が通っていたそうである。

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街道に合流したところに庚申塔、馬頭観音。

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すぐ先に倉科祖霊社。
松本城主小笠原貞慶の重臣倉科七郎左衛門朝軌は、主人貞慶の命を受けて大阪の豊臣秀吉のもとに使いに行き、その帰りに馬籠峠でこの地の土豪たちの襲撃にあい、奮戦したがついに下り谷で、従者三十余名とともに討ち死。後年、山崩れがあって祟りとされ、ここに祀ったという。

道はどんどん降りていく。

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途中にあったのが牛頭観音。
馬頭観音はいっぱいあったが、牛頭ははじめてだ。
石の多い急な坂道を重い荷物を運ぶため、黒牛が使用された。中山道に唯一ある観音とのことだ。

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とうがめ沢旧道口にて石畳終了。

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民宿こおしんづか。

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県道を入ったところに庚申塚碑。
ツタがはってますね。

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養殖場のところに合鴨が。

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大妻籠集落に入ってきた。
つたむらや、まるやなど民宿。いい雰囲気ですね。

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前回からよく見る水車。

さて、金剛屋到着。
元々は妻籠宿までいってお昼にしようと思っていたのだが、その手前で食べた方がいいかと思い、ここを昼食場所とする(結果的にはここで食べておいてよかった。妻籠のお店はあまり開いていなかったので)。

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山菜そば。
残念ながらこの日は五平餅が用意できないということで、それは妻籠宿で食べることにする。
太くて食べごたえのある蕎麦だった。つゆは甘めかな。

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屋根に見える石は板葺の屋根の重しだそうである。

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蘭川を大妻橋で渡る。

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渡った先に石柱道標。大きいですね。
「中仙道 東京江七十八里半   西京江五十四里半」と刻まれている。
見えなかった側には「飯田道 善光寺旧跡江八里半   長姫石橋中央江八里」とあったらしい。

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はしば道標には「右志ん道 左旧道つまご」と刻まれている。

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いよいよ妻籠宿に入ってきた。
本陣1、脇本陣1、旅籠31。

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藁馬実演販売のお店。これは大きい!

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妻籠発電所を通り過ぎて・・・

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おじゃごまさま。
古代からの土俗信仰の神様で 「土地精霊神」、「土地丈量神」、「酒神」などの諸説あるらしい。

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宿のメインストリートに入ってきたが、それほど人がいない。
馬籠の方が人がいたかな。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています。

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