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2020/12/14

甲州街道歩き(第4回) 矢川~日野宿~八王子宿~高尾2

(1より続き)

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見学を終えて、向かいの日野宿交流館にも行ってみる。

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ありました!ジオラマ。ジオラマ、大好きでついつい見入っちゃうんですよね。

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日野の渡し船の模型。

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この建物は元信用金庫だったとのことで、元の金庫の中も展示室になっている。
日野でも鮎がとれたんですねぇ。

先を進む。

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問屋場・高札場跡を通り過ぎ(碑があった・・・月の前半は下佐藤家、後半は上佐藤家が問屋をつとめた)、ちょっと寄り道。

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大昌寺である。

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紅葉がまだまだきれいですね。

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これも一石六地蔵の一種ですかね?

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墓地には佐藤家の墓がある。
下佐藤家の彦五郎とノブの名があるが、ノブは土方歳三の実姉である。

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武蔵国立川郷の領主・立川能登守の子といわれ、日野宿の人に請われて大昌寺を創建したという讃誉上人の墓もある。

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街道に戻ると八坂神社がある。

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天然理心流近藤周助(勇の養父)の門人が奉納した額があるとのことだが、見ることはできなかった。

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馬が新撰組!

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宝泉寺。

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達磨像。

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本殿。

墓地に日野宿出身で、鳥羽伏見の戦いで戦死した新撰組副長助勤六番隊組長・井上源三郎(八王子仙人同心の三男として生まれ近藤勇の兄弟子だった)の墓と顕彰碑があるとのことだったが、見つけられず。

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線路の手前にあったのが坂下地蔵=西の地蔵。ここが日野宿の京口である。

正徳3年(1713)造立の地蔵菩薩座像が安置されているとのことだったが、手前に並ぶ地蔵群に気を取られ、地蔵堂の中を見ないという痛恨のミス!!

本来の甲州街道はこの先に続いているのだが、線路があり通れないので、少し戻ってガードをくぐる。

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坂の途中に宝暦7年(1757)と元禄7年(1694)の庚申塔等が並ぶ。

中央自動車道の高架をくぐり、都道に合流するとちょっとつまらない。日野自動車の敷地が大きくて、ようやく終わるところに日野台の一里塚跡の説明板があった。
実際はここから西に90メートルほどのところにあったそうだ。10里目。

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銀杏並木がはじまったところで八王子市に入った。
ちょうどいい色に色づいている。

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八王子のマンホールは、幕末に多摩地域で始まった郷土芸能である人形芝居、八王子車人形のデザインである。

コニカミノルタの工場を過ぎたところで、さあサイゼリヤで昼食!と思ったら、なんと改装のために臨時休業中!
さてどうするかとググってみたら、少し先に珈琲のお店と寿司屋があることがわかり、寿司屋のメニューをみたら握りがよさげだったので、こちらに決める。

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頼んだのはスペシャル握りで小鉢も2つついており、結構おなかいっぱいになりました~

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八高線を跨ぎ、少し進むと日枝神社。
慶安2年(1649)徳川家光より御朱印社領五石を賜ったという。

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行きは男坂を登り・・

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お詣りして今度は女坂を下る。こっちの方が段数が多かったかな。

(3へ続く)

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