甲州街道歩き(第4回) 矢川~日野宿~八王子宿~高尾1
10月、11月と中山道を歩いたが、新型コロナ感染者も増え、遠出しにくくなったので、久々に甲州街道を歩くことにした。7月14日以来である。
8時少し前の電車に乗り、前回のゴール矢川駅には8時10分着。
近くてよろしい。早速街道に出て歩き始める。
矢川にかかる矢川橋を渡ったところに五智如来があった。
五智とは仏教でいうところの五智(大円鏡智 妙観察智、平等性智、成所作智、法界体性智)を備えた仏で大日如来の別名とのこと。
青柳地蔵堂があったが、中は見られず。
そのすぐ先に元青柳村の常夜燈がある。
正面の「正一位稲荷大明神」は読めたが、左右の「秋葉大権現」「榛名大権現」は削れてしまっていて読めなかった。
横には嘉永2年(1849)建立の馬頭観世音が。
立川市に入ってきた。
早速立川市のマンホールを撮影。
市の花のコブシのデザインだ。
日野橋の交差点で細い道に入りほっとする。
桜並木で春はきれいでしょうね。
日野の渡し場の碑と・・・
日野の渡し碑。
最初の渡し場はもっと下流の万願寺の渡しだったが、低地で度々洪水に見舞われたため、貞享元年(1684)日野の渡しができた。3月から10月までは舟渡しで,大小2隻の平底船が使用され、冬は土橋が架橋されたが、文政7年(1824)以降は1年中舟渡しとなり、大正15年日野橋ができたため渡しはなくなったとのことだ。
土手にあがり、立日橋へと向かう。
橋の上にはモノレールが通っている。
晴れていればここから富士山が見えるはずだったが、残念ながら曇りで見えず。
日野橋の方を見る。
なんか鳥がいる!と思ってズームするとかるがもだった。
橋を渡り終え、土手を左に行くと解説板があった。
昔の絵はがきを見るとずいぶん平べったい舟だったんですね。
江戸の頃、武士、僧侶、宿の人たちは無料だったそうだ。
橋を行くモノレール。
ようこそ!「新撰組」のふるさと日野へ
という看板に迎えられる。そう、もう日野市に入ってきた。
日野市のマンホールは、市の鳥カワセミである。
日野宿に入る。本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒、旅籠20軒。
江戸口にあるのが東の地蔵。福地蔵ともいう。
お地蔵さまの前には馬頭観音があった。
道はここで右折。
有山家(屋号綿十)。
洋館と蔵がある。
高幡不動道標。明治17年に建てられたものだがつぎはぎ・・・
高幡不動はなぜかまだ行ったことがない・・・
本陣到着。
ちょうど9時半で開館したところ。
天然理心流佐藤道場跡碑。
当主が道場を開き、近藤勇が教授にきて、土方、沖田等が稽古にはげんだそうである。
明治天皇日野宿小休所及建物附御膳水碑。
宿場には2軒の佐藤家があり、西側の佐藤隼人家(上佐藤家)は本陣を、東側の佐藤彦右衛門(下佐藤)は脇本陣をつとめたが、幕末には下佐藤家も本陣を称している。現在の建物は火事で焼失したのち元治元年(1864)に再建されたもの。
東京都で唯一現存する本陣である。
式台玄関がとても立派だ。
お屋敷の内部。
ここには上段の間がないのだが、明治26年の大火で有山家(佐藤彦五郎の四男彦吉の養子先)が焼失したため、上段の間と続きの一間は有山家に移築されたからなのだそうだ。
こうもりの釘隠し。
うさぎの釘隠し。
お庭。
(2へ続く)
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