甲州街道歩き(第6回) 関野宿~上野原宿~鶴川宿~野田尻宿~犬目宿~下鳥沢宿4
(3より続き)
ようやく舗装道路にでた。
尾張殿様定宿跡。米山家。
尾張のお殿様が犬目宿の本陣でなく、こちらに泊まったのは、眺望がよかったからだそうである。富士山が見えたのですね。
寛政元年(1789)の庚申塔と馬頭観音。だいぶ埋まってしまっていますね。
さらに進み左にちょっと入ったところに犬目の兵助の墓があった。
天保四年(1833)以来凶作が続き、同七年(1836)犬目の竹七と兵助が指導し、一揆を起こす。鎮圧後竹七は捕らえられ牢死したが平助は維新後まで逃げ切ったのだそうだ。
お墓を見て振り向くとなんと富士山が!!
この日は曇りベースだったのであきらめていたのだが、少しだけでも見られてうれしい。
犬目宿を歩く。
本陣2軒、問屋1軒、旅籠15軒。宿並は昭和45年の大火で6割が焼失してしまったとのことである。
犬目の兵助の生家跡を通り過ぎ、明治天皇御小休止址碑があるのが笹屋本陣跡である。
岡部本陣跡のところで道は右折、宝勝寺に寄る。
上がっていくと、またまた富士山がちらっと見えた。
葛飾北斎「富嶽六景甲州犬目峠」や歌川広重「不二三十六景犬目峠の富士」はこのあたりから描いたものという。
犬目慈母観音像や犬目夜泣き観音があった。
阿吽の席。これはかわいい!
犬目宿を出る。
ここからは下り坂となる。
白馬不動尊赤鳥居が見えてきた。
手前に不動明王があったが、白馬に跨がっているのですね。享和3年(1803)建立。
白滝山不動明王塔を通り過ぎた先に恋塚の一里塚。南塚が残っている。21里目。
聖徳太子塔(弘化2年(1845)建立)の向かい、山住神社から脇道に入る。
と、石畳があった。
10メートルくらいなものだけれど。
宝暦11年(1798)の馬頭観音。しっかり馬が見えますね。
そしてすぐに大月市に入った。
なんだか不思議な空間が!
くまモンにトトロ。
これは巨神兵かな?
かかし?なんでしょうか?
立場だったという山谷村をぐんぐん降りていく。
馬頭観音をいくつか見て、竹藪の中にあるお地蔵様。
坂下橋にある石仏群。
大月のマンホールは、猿橋、市の花のやまゆり、市の木の八重桜、雲に浮かぶ富士山、桂川の鮎が描かれている。
下鳥沢宿に出た。駅まであとちょっと!
下鳥沢宿は上鳥沢宿との合宿。前半問屋業務を務めたという。
本陣1軒、脇本陣2軒、問屋1軒、旅籠11軒で。宿並は明治39年の大火で焼失。この日の宿は焼失してしまった宿が多かったですね。
福地八幡神社を通り過ぎ・・・
コノテガシワがあった。子どもが手のひらを立てたように樹立する木ということらしい。
鳥沢の一里塚跡は木柱のみ。
鳥沢駅到着は4時過ぎ。
ちょうど21分に特快東京行きがきてラッキー。
地元にはちょうど一時間後に到着。
寿司居酒屋にてかんぱーい。
生ビール、白ワイン、日本酒(醸し人九平次)。
しめさばユッケ、しらすのシーザーサラダ、うなぎの柳川風、とろたく巻。
約45000歩でした。よく歩きました。
(完)
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