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2021/04/13

甲州街道歩き(第7回) 上鳥沢宿~猿橋宿~駒橋宿~大月宿~下花咲宿~上花咲宿~下初狩宿~中初狩宿~白野宿~阿弥陀海道宿3

(2より続き)

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星野本陣跡。

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建物の前に大きな「本陣」と彫られた石碑と、明治天皇花咲御小休所の碑がある。
星野家は本陣と勤め、庄屋、問屋、名主を兼ねたいた。

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なかなか立派なお宅である。
以前は中が見学できたようだ。

下花咲宿は上花咲宿と合宿で本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠23軒。問屋業務は月のうち下15日を勤めた。

さて、まだ時間は早かったが、本陣の隣にある藍屋にて昼食タイム。この先、食事ができるところがなかなかなさそうなので・・・

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お昼は鴨南蛮そば。
お茶を2杯いただいて出発。

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お店から見えていた神社が稲村神社。
すっかり新しくはなっているが、大同2年(807)創建の神社で、下花咲村の鎮守。永代壮大は下花咲宿本陣を勤めた星野家だそう。

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この道祖神も、丸石道祖神だろうか?

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NEC山梨の大月工場が見えてきた。
下花咲宿から600メートル、早くも上花咲宿である。
本陣1軒、脇本陣2軒、問屋1軒、旅籠13軒。上15日の問屋業務を勤めた。

花咲という地名の由来だが、昔、桜の木があっれ枝葉が広がり、花が咲くと旅人が木陰に憩い、枝を折ってかざしたところから「花折」と呼び、これが地名となったという説、笹子川が桂川に合流する地で、両側に挟まれた「端の地」であるところからという説もあるらしい。

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上花咲のバス停を過ぎて右に入ったところに明治27年(1894)建立の廿三夜塔がある。

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たくさんの石仏石塔もある。
残念ながらこの先は行き止まりなので、国道を進む。

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尾曽後峠の標識があり、鎌倉街道口だそうだが、ここにも鎌倉街道が!

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ちょっと寄り道。川を渡って善福寺に行ってみる。
ここには、このあと出てくる・・・毒蛇になった葦ヶ窪の小俣氏の娘が親鸞聖人に済度され成仏した・・・というお話に関連するお寺で、毒蛇済度の名号石と毒蛇の鱗とされるものが伝えられていると聞いたのだが、見つからず・・・
山門は立派だった。

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真木橋を渡ったすぐ先にある親鸞上人太布名号碑を通り過ぎ、真木諏訪神社に寄る。

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拝殿。

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ここで見るべきは本殿の彫刻だ。
八王子の藤兵衛によるもの。

源氏橋を渡ると街道は砕石工場の脇を通っていく。

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第七甲州街道踏切を渡るとすぐのところに聖護院道興歌碑があった。文化3年(1806)建立の歌碑。
「今はとてかすみをわけてかえるさにおぼつかなしやはつかりの里」

下初狩宿へと入ってきた。
100.1キロメートルの標識を見る。甲州街道は210キロちょっとなのでもうちょっとで半分というところだ。
下初狩宿は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠12軒。中初狩との合宿で、問屋業務は月の内16日から晦日まで勤めた。

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山本周五郎生誕之地に碑があったが、ここが奥脇本陣跡である。
奥脇本陣の御堂屋敷の長屋で生まれ、その後寒場沢の土石流で長屋は流失し家族を失ったのだそうだ。
向こうに丸ポストも見えてなかなかいい風景だ。

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こちらが脇本陣跡と思われる。

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下初狩中と刻まれた廿三夜塔。傍らに明治40年建立の常夜燈がある。

初狩駅を過ぎたところで宮川を宮川橋で渡る。

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ここは宮川橋の一目富士といわれ、富士山の頭が見えるスポットなのだけれど、晴れというのにまったく見えなかった・・・残念である。

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国登録有形文化財の今池家(旧医院)。

少し歩くともう中初狩宿だ。
本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒、旅籠25軒。下初狩と合宿で、問屋業務は月の内朔日から15日までを勤めた。

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標識のあるところに芭蕉碑があった。
「山賊のおとがいとずる葎かな」
芭蕉は、あの八百屋お七の大火で焼け出され、初狩に住む姉を頼ってこの地に半年間暮らしたそうなのである。

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小林本陣跡。

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明治天皇御小休遺跡の碑があり、門が残っているが、当初のものではないようだ。

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すぐ先でツバメを撮影。
今年は鶯も早かったけれど、ツバメも早くきていると思う。

(4へ続く)

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