陣馬街道1
先日、関場バス停から川原宿まで陣馬街道を歩いた。
この冬に陣馬山に行った際、陣馬高原下から陣馬街道をバスで高尾駅まで戻ったのだが、疲れてほぼ寝ていたので景色が見られず・・・
やはりこの冬めぐった、武田信玄の五女(四女や六女との説もあり)松姫ゆかりの地(信松院、心源院、松姫を慕った八王子同心にちなんだ場所など)のしめくくりとして、金照庵跡を訪ねてみたいとも思い、行ってみることに。
距離的にはそう長くはないので午後歩くことにして遅い出発。
10時半すぎの電車、さすがにすいている。
高尾駅には11時15分前に到着。ちょっと早いがお昼ご飯をということで、南口のサイゼリヤへ。
バッファローモッツァレラのピザ、エビとブロッコリーのオーロラソーススパゲティ。
2品で1000円ちょっきり。サイゼリヤは安いな~
高尾駅はちょっと不便で、駅で南口と北口を行き来することができない。仕方なく、くるりとまわって踏切を渡り北口に出る。
目当てのバスルートは一時間に一本しかなく、乗り過ごしたら大変と思い、かなり余裕をもって高尾に到着したので、少し待つ。
12時40分の陣馬高原下行きのバスに乗り込む。
心源院最寄りのバス停、川原宿大橋まではなんとなく景色を覚えていたけれど、やはりその先は覚えておらず・・・
陣馬街道に入ると途端に道幅が狭くなり、次第に車がすれ違うのも大変になってくる。
さらにちょうど道路工事をしていてより通りづらく・・・
なんだかんだで歩きスタート地点の関場バス停到着は遅れてしまったのだった。
さて、歩きスタート。
陣馬街道はこのバス停から左へと入っていくのだが、陣馬街道を歩く前に一カ所見学。
右の道に入り、じわじわ上がったところにあったのが、龍泉寺。
いろいろといらっしゃる。
真ん中は鉄造の聖観音菩薩立像。
八王子で唯一の鉄仏なんだそうだ。
ご本尊。
たくさんの石仏たち。
再び陣馬街道へと戻ってきた。
古い家屋もある。
口留番所跡にやってきた。
甲州街道の裏街道だった陣馬街道(案下道)の関所にあたる口留番所があった場所で、関所跡の碑がある。
関場は小規模な関所があったところで、旅人の検問、物資の移出の監視していたもの。明治2年に廃止されたが、今もこの地名が残っているのである。
この並びにあるのが松姫之碑。
松姫は甲州からこの地に逃れて、最初に身を寄せたのが金昇庵。
その碑もある。
実際に金昇庵があったのは、ここから150メートルほど離れた場所で、現在は恩方第二小学校があるところ。
ここには4ヶ月ほどいて、川原宿の心源院へ移り出家したのである。
少し進むと上恩方郵便局がある。
とてもレトロな建物だが、昭和13年に建てられたものだ。
現在も使われているのですね。
やがて宮尾神社(正式名称は住吉神社琴平神社合社)の看板が出てきたので、上がっていく。
上がっていくとそこにあったのは夕焼小焼の碑。
夕焼小焼の歌の歌詞を書いたのは中村雨紅であるが、この神社の宮司の息子だったのですね。
青山師範学校を卒業したあと、日暮里小学校に勤めていた、毎日恩方村から八王子駅まで16キロの道のりを歩いていたという(!)
そういえば八王子の発車メロディは夕焼小焼でしたっけ。
残念ながら夕やけ小やけのふれあいの里は休館中。
中村雨紅に関する展示はちょっと見てみたかったなあ。
施設の中にボンネットバスがとまっているのが見えたのだが、2006年まではボンネットバスの夕やけ小やけ号が運行されていたとのことである。
少し進むと中村雨紅のお墓があった(本名は高井宮吉)。
このレリーフは夕焼小焼の情景かな。
(2へ続く)
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