甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿4
(3より続き)
国道にまた合流する。
ぶどう棚が続く。
脇に入った道に横吹の一里塚跡の標柱があったが、木に覆われてしまって途中までしか見えない。
深沢交差点のところに、近藤勇像があった。
ここ、柏尾古戦場跡は官軍と甲陽鎮撫隊との激戦地。剣一筋の新選組は近代装備の官軍に歯が立たず、総崩れとなり八王子まで後退し解散。近藤は流山で官軍に捕らわれ板橋で斬首され、土方は会津、宮古、函館と転戦し五稜郭で戦死するのである。
古戦場跡。
ころび石坂を少し下ったところにあるのが馬頭観音。三面に彫られているのはめずらしいかも?天保8年(1836)建立。難所で息絶える馬も多かったのだろう。
ここで少々休憩し、雨が降ってきたので慌てて出発。
ほどなくぶどう寺こと大善寺に到着した。
薬師堂に入るには入場料500円。そして飲み物つきが800円ということで、ワインが飲めるので飲み物つきにする。
長い長い階段を上がっていく。山門が立派だ。
途中の常夜灯のとことに富士山が見えると書いてあったのだけど、実際は山が邪魔して見えないのですね。
ブドウ棚がある。このお寺ではワインを作っているのである。
さらに上がる。楽屋堂。
薬師堂(本堂)は国宝。撮影不可。
ご本尊の薬師如来はブドウを持っていて、甲州葡萄はじまりの地だという。
残念ながら五年に一度のご開帳だ。
木造の二神将などは見ることができる。
唯一撮影できるのが、逃げ恥でみくりさんと平匡さんが座った座布団。
逃げ恥詣でに来る人多いんだろうな。
鐘楼。
勝頼の乳母で、武田氏の最後を見届けた理慶尼(信玄の従姉)の墓。武田滅亡記を書いた人物で、このお寺で82歳でなくなっている。
このあたりからまた雨が降り始め、急いで中に入る。
素晴らしい庭園を眺めつつ、自家製白ワインをいただく(白桃のシロップ漬も)。ワインは結構辛口だ。
さらに雨が強まり、とても外に出られる状況ではなかったので、ちょうどいい休憩となった。
小降りになったので出発。
国見坂を下る。元和7年(1753)に甲州道中の往還筋地名と定められた。
脇には宝暦3年(1753)建立の南無妙法蓮華経題目碑と馬頭観音がある。
上行寺の参道口で甲州街道歩きは終了。
勝沼ぶどう郷へと向かう。
山並みが美しい。
棚につってあるカボチャ(だよね)。
電車はこの時間帯は一時間に一本しかないので、急がなければならないのだが、少しだけ余裕があったので、シャトー勝沼に寄っておみやげを買う。
ともかくこのあたりはぶどう畑ばかりだ。
駅近くで発見したマンホールは旧勝沼町のもので、ぶどうが描かれている。さすが!
さて、勝沼ぶどう郷駅に到着。
5時25分の電車に乗り、地元駅着は7時前。
残念ながら7時を過ぎてしまいお酒の提供はなかったが、御寿司を食べて帰宅。
約42200歩。
同居人さん、おつきあいしてくれてありがとう!
(完)
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