« 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿3 | トップページ | オリオン 75BEER IPA »

2021/06/30

甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿4

(3より続き)

国道にまた合流する。

1_20210629003001

ぶどう棚が続く。

2_20210629003001

脇に入った道に横吹の一里塚跡の標柱があったが、木に覆われてしまって途中までしか見えない。

3_20210629003001

深沢交差点のところに、近藤勇像があった。
ここ、柏尾古戦場跡は官軍と甲陽鎮撫隊との激戦地。剣一筋の新選組は近代装備の官軍に歯が立たず、総崩れとなり八王子まで後退し解散。近藤は流山で官軍に捕らわれ板橋で斬首され、土方は会津、宮古、函館と転戦し五稜郭で戦死するのである。

4_20210629003001
古戦場跡。

5_20210629003001

ころび石坂を少し下ったところにあるのが馬頭観音。三面に彫られているのはめずらしいかも?天保8年(1836)建立。難所で息絶える馬も多かったのだろう。

ここで少々休憩し、雨が降ってきたので慌てて出発。
ほどなくぶどう寺こと大善寺に到着した。

薬師堂に入るには入場料500円。そして飲み物つきが800円ということで、ワインが飲めるので飲み物つきにする。

6_20210629003001

長い長い階段を上がっていく。山門が立派だ。

7_20210629003001

途中の常夜灯のとことに富士山が見えると書いてあったのだけど、実際は山が邪魔して見えないのですね。

8_20210629003001
ブドウ棚がある。このお寺ではワインを作っているのである。

9_20210629003001

さらに上がる。楽屋堂。

10_20210701010001

薬師堂(本堂)は国宝。撮影不可。

ご本尊の薬師如来はブドウを持っていて、甲州葡萄はじまりの地だという。
残念ながら五年に一度のご開帳だ。
木造の二神将などは見ることができる。

11_20210629003201

唯一撮影できるのが、逃げ恥でみくりさんと平匡さんが座った座布団。
逃げ恥詣でに来る人多いんだろうな。

12_20210629003201
鐘楼。

13_20210629003201
勝頼の乳母で、武田氏の最後を見届けた理慶尼(信玄の従姉)の墓。武田滅亡記を書いた人物で、このお寺で82歳でなくなっている。

このあたりからまた雨が降り始め、急いで中に入る。

14_20210629003201

15_20210629003201

16_20210629003201

素晴らしい庭園を眺めつつ、自家製白ワインをいただく(白桃のシロップ漬も)。ワインは結構辛口だ。

さらに雨が強まり、とても外に出られる状況ではなかったので、ちょうどいい休憩となった。

小降りになったので出発。

国見坂を下る。元和7年(1753)に甲州道中の往還筋地名と定められた。

17_20210629003201

18_20210629003201

脇には宝暦3年(1753)建立の南無妙法蓮華経題目碑と馬頭観音がある。

上行寺の参道口で甲州街道歩きは終了。
勝沼ぶどう郷へと向かう。

19_20210629003201

山並みが美しい。

20_20210629003201

棚につってあるカボチャ(だよね)。

21_20210629003401

電車はこの時間帯は一時間に一本しかないので、急がなければならないのだが、少しだけ余裕があったので、シャトー勝沼に寄っておみやげを買う。

22_20210629003401

ともかくこのあたりはぶどう畑ばかりだ。

23_20210629003401
駅近くで発見したマンホールは旧勝沼町のもので、ぶどうが描かれている。さすが!

24_20210629003401

さて、勝沼ぶどう郷駅に到着。
5時25分の電車に乗り、地元駅着は7時前。

25_20210629003401

残念ながら7時を過ぎてしまいお酒の提供はなかったが、御寿司を食べて帰宅。

約42200歩。
同居人さん、おつきあいしてくれてありがとう!


(完)

« 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿3 | トップページ | オリオン 75BEER IPA »

街道歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿3 | トップページ | オリオン 75BEER IPA »

twitter

google


  • Google

    WWW
    ブログ内

amzon