« 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿2 | トップページ | 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿4 »

2021/06/29

甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿3

(2より続き)

1_20210629002101
朽ちかけた馬頭観世音菩薩の木柱があって、どれが馬頭観音?と思ったのだが、なんとなくお顔が見える。ほぼ埋もれてしまっているが・・・

そしてついに県道に出た!
無事越えられてホッとする。

2_20210629002101

桃の木茶屋跡を通り過ぎ、旧道は通行できないのでひたすら県道を下って行く。

3_20210629002101

山の緑が美しい。

4_20210629002101

大持沢を大持沢橋で渡る。

5_20210629002101

甲州市のマンホール。旧大和村のもので、甲斐武田家の家紋花菱とヤマザクラ、まわりに武田菱がデザインされている。武田家滅亡の地ということで。

ベンチで少々休憩と思ったら、急に雨が降り始め、慌てて先を急ぐ。
あっという間に豪雨となり、軒先で雨宿りさせてもらう。
やはり天気予報はあたった!

少し雨宿りをしているうちに少し小降りになってきたので進む。

6_20210629002101

駒飼宿に入ってきた。
本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠64。問屋業務は鶴瀬宿と合宿で、毎月21日より晦日まで勤めた。

芭蕉句碑と脇本陣跡の標柱はとばしてしまい・・・(雨のせいということで)

7_20210629002101
本陣跡の標柱の後に明治天皇御小休所址の碑があった。

本当は養真寺に寄る予定だったが、雨に気を取られうっかり通り過ぎてしまい・・・

8_20210629002101

中央自動車道をくぐる。

9_20210629002101

石仏群があったが、お地蔵様は巡礼供養地蔵といい、廻国巡礼僧が追いはぎに追われ、胴体だけ残っていたのを村人が埋葬し、宝永5年(1708)地蔵を建立したという。

国道20号線に突き当たる。
甲州街道は左折するのだが、そろそろ1時。ということで、お昼を食べるべく、甲斐大和駅の方へ歩いていく。

ところが、予定していたハムカツ喫茶が臨時休業。
さらに駅近くまで歩き、定食やさんに入る。

10_20210629002101

大月市は天野さんという苗字が多いなと思っていたが、甲州市に入ってもあまのさんだった(笑)。

11_20210629002301

いただいたのは、五目そば。
食べている最中、また雨脚が強まりどうしようと思ったが、1時50分、出発する頃には小降りに。

大和橋西詰の交差点を少し過ぎて左に入ったところに武田勝頼の腰掛け石がある。

12_20210629002301

韮崎にある新府城から落ちのびて家臣・小山田信茂の居城である岩殿山城へ向かう途中、武田勝頼一行は笹子峠を越える前にこの場に留まり小山田信茂の迎えを7日間待った。その際に武田勝頼が腰掛けていたと言われる石で、武田菱が浮いて見えるというので、菱石とも呼ばれているそうだ。
うーん、見えないし、なんか小さいな・・・

13_20210629002301

側道を進むと、金岡自画地蔵尊碑がある。
金岡という大和絵の巨匠が岩に地蔵尊を描くと、時とともに消えてしまったが、水をかけると絵が浮かび上がったという。この岩は明治40年の洪水で焼失してしまったそうだ。

鶴瀬関所跡(甲州12関の一つ)を通り過ぎる。ここが鶴瀬宿の江戸口。
鶴瀬宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠4。駒飼宿と合宿で、問屋業務は毎月朔日より20日まで勤めた。

14_20210629002301

享和3年(1803)建立の常夜灯(秋葉大権現、石尊大権現と刻まれる)。ここが鶴瀬宿の諏訪方。宿は130メートルほどしかなかったのですね。

15_20210629002301

その先になぜか達磨石。石材やさんかな。

しばらくは国道沿いを歩く。やっぱり国道は味気ないですね。

16_20210629002301

その途中あったのが、古跡血洗澤の標柱。
武田勝頼が落ち延びる際に、家臣の跡部大炊介が逃亡、土屋惣蔵がこれを討ち取りこの沢で血を洗い流した。土屋は天目山で討ち死にしたという。

その先に古跡鞍懸の標柱があるはずだったが見逃してしまい・・・
長柿洞門に到着した。

旧甲州街道はこの右に上がっていく。
観音堂の先は崖のような道になっていて相当キツいと聞いていたので、雨も降ったことだしやめよう、でも観音堂(ここからの眺めを広重は絶景だと評している)にはいってみようと思ったのだが・・・

17_20210629002301

違う道を上がってしまい、上から見えたものの、もう行く気がうせていまい、下る。

洞門の途中から脇道に入ると・・・

18_20210629002301

日川を跨ぐ古い吊り橋がある。長柿の吊り橋だが、ここはもう通ることができない。

19_20210629002301

さらに進むと芭蕉句碑があった。
「観音の甍見やりつ花の雲」。

信号のところを左折し、国道の下をくぐる。

20_20210629002301

ここが観音堂から出てくる道ですね。確かにこれはなかなかの道と思われます。

21_20210629002701

くぐった先に武田不動尊の標柱。
実際は降りていくとあるらしかったのだが、すべりそうだったのであきらめ、常夜灯を撮影して終わる。

22_20210629002701

共和バス停のところになる橋からの風景。いい感じですね。

23_20210629002701

旧道は歩いていて落ち着きますね。

24_20210629002701
今は誰も住んでいないと思われる家にスズメバチの巣があった。
ずいぶんと丸い形ですね。

25_20210629002701

丸い道祖神。
前回からよく見る道祖神だ。


(4へ続く)

« 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿2 | トップページ | 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿4 »

街道歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿2 | トップページ | 甲州街道歩き(第8回) 黒野田宿~駒飼宿~鶴瀬宿~勝沼宿4 »

twitter

google


  • Google

    WWW
    ブログ内

amzon