そろそろ涼しくなってきたことだし、街道歩き再開!
といってもまだ緊急事態宣言下(9/30)なので、都から出られず・・・
近場でということで、五日市街道を歩いてみることにした。
五日市街道は、家康の江戸入府後、五日市や檜原から木材・炭などを運ぶために整備された街道で、初期には「伊奈道」と呼ばれ、伊奈の石材を扱っていた石工が江戸城修築のため江戸へ行き来するための道として発展したが、修築が終わり木炭輸送が主流になるにつれ、五日市の方がメインに。
約43キロなので、3回に分けて歩こうと思う。
仕事に行くときと同じ電車に乗って出発!
と思ったら、電車が遅れている。が、ちょうどきた電車に乗り、荻窪での乗り換えがスムーズだったこともあり、9時30分には歩きスタート。

旧道の入り口を入っていくと、突き当たったところに大法寺がある。
牛込榎町で江戸時代、二度の火災にあい、明治42年に移ってきたお寺。

境内に、女団十郎と言われた市川九女八(明治期に活躍。9代目團十郎の唯一の女弟子)のお墓があった。
だいぶ進んで、成田東三丁目交差点を過ぎた先から七曲がりが始まる。新五日市街道を出たり入ったりする。これ、地図ないと難しい・・・実際、一回行き過ぎてしまったりしたのだった。

最初の旧道から新道に出て、斜め向かいの米店から入ると・・・
坂になっていた。白幡の坂である。ゆるやかに下って行く坂だけど、昔は急坂の難所の一つと言われていたとか。

下った先に石造物が3つ。
左から、宝暦3年(1753)の地蔵菩薩、宝暦10年(1760)の馬頭観音、元禄11年(1698)の地蔵菩薩。
新道に合流、五日市街道の説明板を過ぎると尾崎橋。善福寺川を渡る。尾崎はおさきと読む。突きだした台地の先端(小崎)を指す地名だとのこと。

善福寺川沿い、なかなかいい散策(ジョギング)コースですね。
緑地広場にて少々休憩。

コンビニの裏を回りこむように旧道を行くとあるのが宝昌寺。
入り口に道標をかねた石橋供養塔がある。
正面に「石橋供養 十方村々」、右に「東江戸道」、左に「長新田道」と刻まれているらしい(部分的にしか読めない)。石橋の完成と交通安全供養と道標をかねていたものとのこと。
寛文8年(1668)と元禄3年(1690)の青面金剛の庚申塔。
これは何かな?
豊川稲荷社。明治時代末期に豊川稲荷から勧請したもの。周辺に豊川稲荷信仰が広まるきっかけになったという。

元禄3年(1690)の青面金剛の庚申塔。
どうやら、この日は庚申塔をよく見そうな予感・・・

その後何回も旧道・新道の出入りを繰り返し、あったのが庚申塔。宝永5年(1708)のもの。なかなか立派。
少し進んで五叉路を左に入り、すぐに右に曲がるとまた新道に。
この合流地点にあるのが、五日市街道の碑。

五日市街道の略図がざっくりしすぎてるような??

けやきの葉、花、実の図もあったけれど、実は見たことがないような??
ここにて七曲がりも終了。
環八を越えて、しばらく言ったところに庚申堂がある。
立派なお堂に、左から延宝6年(1678)、元禄9年(1696)の青面金剛の庚申塔がある。大切にされているんですね。いい状態で残っている。

ケヤキ並木を進む。
しばらくすると、大宮前春日神社が見えてきた。
大宮前新田の鎮守として、万治年間(1658-60)に農民井口八郎右衛門により創建された。
ここは狛犬ではなくて狛鹿である。

石造りの大神鹿一双は明治27年4月、小鹿一双は明治33年4月に寄進されたとのこと。

拝殿。

入り口のところに、力石があった。

一番大きいのがこれかな?73貫!273.75キロ!よく持ち上げられるな~
(2へ続く)
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