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2021年10月

2021/10/31

米澤穂信『王とサーカス』 

本日の本

book-15 『王とサーカス』 米澤穂信著 創元推理文庫 

STORY:フリーじゃナリスと大刀洗万智は取材でネパールへとやってくるが、王子による王族殺害時間が発生、国は大混乱に陥る。話を聞いた軍人が殺され、さらに取材を進めるが・・・

☆☆☆ミステリーランキング三冠を達成したミステリ。

この主人公が登場する作品は二作目とのことだが、一作目を読んでいなくとも大丈夫。いずれ一作目も読みたいですけどね。

この作品は、2001年ネパールの王宮で実際に起きた王族殺害事件(王太子が王をはじめとした王族たちを殺害した事件)を
題材にとっている。

ということで、この王族殺害事件を独自に究明した物語かと思いきや・・・
想像と違う方向へと物語は進んでいき・・・
なるほど、そうきたかという結論だった。
あとから考えてみると、伏線がたくさん張り巡らされており、すべてが回収されるラスト前はすっきりしたが、苦い結末である。

ミステリとして第一級であるけれど、やはりこの小説は主人公の心の動きが読みどころだ。
フリーの記者としての不安あせり、スクープをつかまねばと舞い上がり、危うく裏をとらずに記事を書いてしまいそうになる主人公。
なんとか踏みとどまることができるのかどうか・・・

主人公に絡む人々も鮮やかに描写されていて、人間ドラマとしてなかなか深いなと思いましたね。

三作目もあるとのことなので、こちらも是非読みたいです。

2021/10/30

サッポロ セブンプレミアム 岩手県軽米町 中里さんのホップ畑から

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セブン限定ビール。
このシリーズ、1回買いそびれちゃったけれど、チェックするようにしてます。
日本にも結構ホップ農家さんがいるんですね。

注いでみると、普通のビール色。
飲んでみると、やっぱりホップの香りがいいですね。ふわーっと鼻の中に入ってくる。苦みはそれほどでもないなけれど、じわじわとくる。

このシリーズこれからも出してほしいな。

2021/10/28

ヤッホーブルーイング よなよなエール(2021年限定製造版)

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クラフトビール定期便、2本目に飲んだのはよなよなエールの今年の限定製造版。
缶のデザインが、地球なのだ。レギュラー缶は麦の穂ですもんね。
裏は地球が青く、こっちのデザインの方が好きかも?

味はというと・・・
レギュラー缶となんら変わることなく、ホップの香りのよいエールであります。

ヤッホーブルーイング 僕ビール君ビール

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今年になってから1回飲んではいるのだが、今回のクラフトビール定期便でチョイスできるようになっていたので(前回はなかった)、頼んでみた。

缶のデザイン、これ好きなんですよね。

注いでみると、レモン色というか、かなり薄めの色。
飲んでみると、グレープフルーツっぽい香りと苦み。
けれど、とても飲みやすいというか、すーっと飲めるんですね。軽い感じ。
爽やかです。

2021/10/27

中山道六十九次歩き(第15回) 大桑~須原宿~上松立町4

(3より続き)

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松淵橋。

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これは普通列車ですね。

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桃山発電所が見えてきた。
この前に、サイレンがなって、水流が多くなるので気をつけよというアナウンスが流れていたのだが、放流していたのかな?何事かと思うほど大きなサイレンだった。

上松町に入った。

旧道への入り口がよくわからずちょっと遠回りしてしまったが、池の尻の集落を通っていく。

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屋号札がかかっていて、これはなんだろう?きざみ屋って何を刻むのかな?生姜?あげ?

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隠居というのもいいですね。

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ここから見えたのは桃山橋のようだ。

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この日は柿の木をたくさん見たのだが、ちょうど食べ頃という感じ。
今年は柿は豊作なんですかね。

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国道に合流したあと、大澤橋のところで線路をくぐり、道は上がっていく。

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おや、こんな道しるべが。
ここから細い道を上がり、畑の前を通って・・・

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ここにも道しるべが。かわいらしいけれど、見過ごしてしまいそうだ。

上り詰めたところに(柴犬にえらく吠えられた)石造物がたくさんある。

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南無地蔵尊、百万遍供養塔、徳本の南無阿弥陀仏名号碑。

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法華塔、馬頭観音、西国三十三所観世音など。

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供養塔、笠付庚申塔、観音像、石仏。
この庚申塔は上松最古の庚申塔だそうで、享保12年(1727)のもの。

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先を進むと、またまた石仏があったのだが、左から2番目のはあとから顔だけつけたもののようだ。

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倉本の集落を下る。いい感じの道だ。

倉本駅で少々休憩。
ちょうど電車がくる時間なのにこない!
7分遅れくらいで到着してなんだ?と思ったら金山で車が橋梁に追突とかで、電車運休や遅れが出ているとのことで、ちょっと不安になる。乗り継ぎがうまくいかなかったらどうしよう・・・

立町の集落に入る旧道を見逃してしまい、バス停まで出てしまった。
そろそろバスの時間が近づいていて終わりにしなければならない。

まだちょっと時間があったので、旧道に戻って歩く。

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諸原橋。木造の吊り橋だ。

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橋からは木曽川の眺めがよい。

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元に戻ってバスを待つ。待合室が立派だ。

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そうか!御嶽海ってここの出身だったのね。

やがてバスがきて、30分ほどで木曽福島駅に到着。
駅員さんに確かめると、特急は3分遅れくらいとのことでほっとする。

発車時刻までは1時間くらいあるので、駅前のおみやげやさんで、お酒を買い(木曽福島の酒蔵中善酒造の中乗さん)、中山道を少し歩いて芳香堂という和菓子やさんでそば饅頭を買う。

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駅に戻りしばし待ってしなのに乗車。

松本には5分遅れくらいで到着。駅弁とワインを買う。

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あずさに乗って、乾杯!
今回の駅弁は和風牛肉弁当。おいしいお弁当だった。

食後は爆睡・・・
ふと気づくと八王子で数分遅れとのアナウンス。

立川で乗り換え、家に帰ったのは9時すぎ。

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今回のおみやげ。

約29600歩。これくらいだとすごく楽ですね。
次回からは往きもあずさの予定ですが、交通の便が悪く、歩く時間は短くなりそうで、少しずつしか進めなさそう・・・まあそれもいいか。

(完)

2021/10/26

中山道六十九次歩き(第15回) 大桑~須原宿~上松立町3

(2より続き)

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清水医院跡は、島崎藤村の『ある女の生涯』の舞台となったところだそうだ。
家自体は明治村に移築されているそうで、多分見てる・・・はず。

このあたりで雨が降り出し、傘をだしザックカバーをかける。
このあとも、降ったりやんだりだったが、強い雨でなくてよかった。

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西尾酒造は脇本陣跡。
西尾家は木曽家の家臣で、中山道の宿場が出来るのに伴い須原宿の脇本陣・問屋・庄屋を兼ねてきた。木曽のかけはしを造っている蔵元だ。
すでに木曽のかけはしは入手しているので、今回は買わずに通り過ぎる。

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向かいにあるのが正岡子規の歌碑。子規は明治24年に須原に止まったのだそうだ。
「寝ぬ夜半を いかにあかさん山里は 月いつるほとの 空たにもなし」という句が刻まれている。

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本陣跡。今はなにもなし。

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水舟が続く。

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これも。

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一番趣があったのはこれかな。

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高札場も何もなし。

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だいぶ坂を上がってきた。そろそろ宿もおしまい。

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須原駅。明治42年開設。駅舎はその当時のものだそうだ。

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駅前に幸田露伴の碑があった。
幸田露伴は明治22年須原に宿泊したそうだ。ここを訪ねての出世作が『風浪仏』だ。

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駅前にあったお店が大和屋さん。桜の花漬を製造販売する。

国道の合流地点に一里塚跡があり、歩道案内があるところから、旧道に入る。

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井戸にところに水神がある。

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先に進むと工事中とあり、隙間を通る。
先日の台風で崩落してしまったんですね。下を見下ろすと国道は片側走行になっていた。

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国道に合流すると先の歩道はかなり狭い。草もボウボウに生えていてちょっと通りづらかった。

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猿沢歩道橋。
水量豊富だ。

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その先に林道松渕沢線の開設記念碑があった。ここで右に入ると糸瀬山への登山道に至る。

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中央線のトンネルをくぐると神明神社がある。

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夫婦大杉があるのが大きい!

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室町時代の五輪塔もあった。

(4へ続く)

2021/10/25

中山道六十九次歩き(第15回) 大桑~須原宿~上松立町2

(1より続き)

道はまた下る。

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須原発電所が見えてきた。福沢桃介が造った発電所だ。

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このあたりの中央線、各駅停車より特急しなのの方が本数があるのかと思うくらい、見かけるのはほとんどしなのだ。

須原宿が近い。木曽駒も見える。

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水神。
川沿いに歩いているからか、この後も見ることになる。

ちょうどお昼の時間。

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ということでいったん国道沿いに出て、本陣というお店に入る。

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頼んだのはBランチ。
海鮮ちらしと手作り豆腐のセット。おいしい!
思ったより寿司飯が多く(見た目はそうでもなかったけど)おなかいっぱい。まあでも歩くのでちゃんと炭水化物をとっておかないとね。

満腹になって出発。街道に戻る。

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鍵屋の坂を上がっていく。
上がったところで左に曲がる。枡形になっている。

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ここからが須原宿である。

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宿内を歩く前に定勝寺へ。
木曽三大寺中の最古刹。木曽川洪水の後、慶長3年(1598)にここにウツされ、本堂、庫裏、山門は桃山建造物として国の重要文化財となっている。
明治天皇がここで昼食をとったらしい。

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須原宿は水舟の里と言われ、たくさんの水舟がある。
参道脇にもあったが、これは比較的新しめの模様。
サワラをくりぬいた水舟には湧き水が注がれている。

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廿三夜塔、庚申塔、南無阿弥陀仏名号碑。

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法華塔。

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ここにも羅漢が。

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お気に入りはこれと

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これ。

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聖観音。

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庫裡。

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鐘楼。

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お庭がきれいですねぇ。

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向こうに亀が、手前が鶴。ということで鶴亀蓬莱庭園。
ここまた紅葉の時期はもっときれいかもしれない。いや、これでも十分だったけれど。

街道に戻る。

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水舟。
水が豊富でいいなあ。

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秋葉常夜燈。向こうにちらりと見えているのは鹿島神社仮宮だ。


(3へ続く)

マップはこちらを使っています。

2021/10/24

中山道六十九次歩き(第15回) 大桑~須原宿~上松立町1

昨年11月半ば以来の中山道歩き。
ようやく歩くことができました!

日帰り難関地域なので、電車に乗ってる時間の方が長いのですが、あせらずゆっくり進むことにしましょう。

4時半起床。この日は東京も12月並みの気温ということで、暖かくしてお出かけ。
東京6時半発ののぞみに乗り、名古屋到着8時10分。
8時30分の快速中津川行きに乗り換え、終点中津川到着9時44分。16分の待ち合わせで、普通列車に乗り、大桑駅には10時34分着。
家を出てから実に5時間半!おかげでよく眠れました(笑)

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懐かしい大桑駅をスタート。

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前回見過ごしていたが、駅前に大桑開設記念碑があった。
中央線が通った時にこの駅はなく、どうしてもここに駅が欲しいと運動、ようやく昭和26年に駅ができたのだそう。
駅舎はそのときのものなんですね。

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長野宿橋を渡って右へ。
道は上がっていく。

天長院を見学。木曽家祈願所として建立されたお寺。

いやはや石仏石造物がたくさんある。

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庚申塔もあり。

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鳥獣魚供養塔。

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羅漢かな?

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一番気に入ったのがこれ。

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六地蔵。

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山門。

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山門脇のこの地蔵は、マリア地蔵。
子供を抱いているのだが、十字が見えるようだ。

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本堂、庫裡。

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なんか、この茶坊主が気に入りました~

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ここから少し歩くと最高点に到達、水害記念碑があった。
大正12年の山崩れによる土石流で26名が亡くなったそうだ。

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サヨリ沢沿いを道は下って行く。
子供釣り専用河川だそうだ。
そういえば、陣馬街道沿いに、女性子供専用の釣場があったっけ。

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念三夜塔。
前回でも見たけれど、二十三夜塔と同じ。
二十三夜塔は日光街道でよく見かけている。

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伊奈川橋が見えてきた。向こうに見えるのは岩出観音だ。

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伊奈川。岩がやはり白い。

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岩出観音のカエデは紅葉の時期、とても美しいらしい。ほんの数枚色づいている程度だった。残念。

岩出観音は木曽三大馬頭観音(他は、岩華観音と丸山観音)の一つ。
300ほど前、須原で馬の沓を作り商いをしていた老人のもとに、馬上の侍が馬の沓を求めにきたが、片足分しかなかった。不足分を作り追いかけて現在の橋場の入り口で渡した。代金を辞退したところ、侍は木片に「馬頭観音」と書いて渡し、光を放ったので、岩出山の岩間に祀った・・・という。木曽の清水寺と言われる。確かに規模は小さいけれど同じ造りである。

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お堂に古い絵馬がかかっており、木曽材の川狩りの様子が描かれているそうなのだがよく見えない。

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馬頭観音がぎっしり!

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馬頭様以外もあり!

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。

2021/10/23

ヤッホーブルーイング 軽井沢高原ビール 2021年限定

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2回目のクラフトビール定期便、1本目に飲んだのは軽井沢高原ビール 2021年限定(セッションIPA)である。

注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、フルーティな感じのあとにぎゅっとした苦みが。ちょっと不思議な香りだなと思ったら、白桃のような香りがプラスされているようだ。
苦みを飲み込むと、そのあとさっと味がひくんですね。
意外に爽快な感じで、これはもっと暑い時期の方がいいかも?
(11月下旬の気候という日に飲んでしまった・・・)

 

2021/10/21

よなよな月の生活 クラフトビール定期便

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2ヶ月前にはじめたよなよな月の生活・・・ヤッホーブルーイングのクラフトビール定期便。
2ヶ月に1回、24缶届くのだが、自分で好きなようにビールを組み合わせることができるのがうれしい。

あとまだ3本残っているところで、次の定期便が届いた。
慌てて届いた日に前の3本を消費(いやそこまでがんばる必要はなかったか・・・笑)。

よなよな、この苦みがいいんですよ~
ビールを飲むのが楽しみになります!

2021/10/20

甲州街道歩き(第10回) 甲府柳町宿~韮崎宿4

(3より続き)

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道は二基の二十三夜塔のところを左に入っていく。

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やがて塩川橋に出た。塩川を渡る。

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富士山がまだ見えている。
鳳凰三山や甲斐駒なども。

韮崎市に入った。

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しばらく線路脇の道を歩くことになるが、遠くに平和観音が見え始めた。

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韮崎市のマンホール。
市の鳥チョウゲンボウ、市の花レンゲツツジ、そして甘利山に群生するスズランが描かれており、周囲は武田菱である。

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姫宮神社に行ってみる。

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いろいろな石造物。
丸石道祖神もあるけれど、やはり石の祠がたくさんあった気がする。

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拝殿。

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宝暦6年(1835)建立の鏡石があるのだが・・・


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この穴からは富士山が見えるのである。だいぶ雲がかかってしまったけれど。
富士講の信者がこの穴通して富士を遙拝した。

鰍沢横丁(信州の年貢米を鰍沢河岸まで運ぶ道筋で、沿道には茶屋や駄菓子やが軒を並べていた)のところから街道に戻り、先に進む。
韮崎宿に入ってきた。
本陣1、問屋1、旅籠17。交通の要衝、物資の集散地として賑わったところで、この地名の由来は、長くのびる七里岩が韮の葉のように見え、その崎に位置しているところからきているそうだ。

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大蓮寺参道口の南無妙法蓮華経題目碑。

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境内には縁切り地蔵(延命地蔵)があった。

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最上稲荷のお狐さんはなかなかに恐い顔をしている。

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少し先に進むと馬つなぎ石があった。馬の手綱を石の穴に通してつないだところである。

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一橋陣屋址。
一橋家の陣屋だったが、ところがえになり幕府領となった。このとき村では陣屋の存続を願い出たとのことである。

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本陣跡。問屋を兼ねた本陣だったが、参勤交代の大名は三藩に限られ、日程の都合上ここに宿泊することは少なかったという。

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はす向かいにある旅館清水屋は弘化2年(1845)創業。

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またまたあった馬つなぎ石。

雲岸寺に寄る。

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なんとまあ!猫寺じゃないですか!
次々出てくるわ、10匹もいたのだった。

雲岸窟観音は弘法大師が七里岩の中腹に築いた岩屋観音堂で弘法大師像や千体仏を安置しているところで、韮崎から7里続いている崖の末端に位置している。残念ながら、現在工事中で入れず・・・

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下の洞窟にある日限地蔵尊にお詣り。

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こちらはいろいろなお地蔵様。

まだ少し時間があるので、せっかくなので平和観音に行ってみることに。

ゆるゆると上がっていくと・・・

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おお、大きい!
関東三観音の一つという(あとは、高崎観音と大船観音)。

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山本周五郎氏の名作「山彦乙女」の一節を刻んだ文学碑。

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魚族供養塔が見えるが、港でもないのになぜここにあるのかな?川魚だろうか。向こうにはだいぶ雲がかかってしまった富士山がうっすらと。

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茅ヶ岳もばっちり。

これにて街道歩きは終了。韮崎駅へと向かう。

駅前のお土産コーナーでお土産を買い、特急を待つ。

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ホームからは観音様がよく見える。
写真は撮らなかったけれど、八ヶ岳連峰も見えた。

16時53分のあずさに乗り、立川で乗り換え、地元駅へ。

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寿司酒場まぐろ人にて乾杯!

まぐろ味噌ピーマン、ごまあじ、長芋ステーキ、あなきゅう巻。生ビールと白ワインを飲んで解散。

帰宅は7時半過ぎ。
約40700歩。まずまず歩きました。

次回からは電車の駅から離れてしまうので、バスを利用して少しずつ進みます。

(完)

2021/10/19

甲州街道歩き(第10回) 甲府柳町宿~韮崎宿3

(2より続き)

坂を上がっていく途中で振り返ると・・・

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おお、富士山が上だけ見える!
今日もまた見られないかと思っていたけれど見られてうれしい。

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坂を上がりきったところに、石仏石塔群が祠の中にあった。真ん中は道標を兼ねた地蔵である。

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茅ヶ岳が見えてきた。
甲州街道はずっと山が見えてとても気分がよい。

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廿三夜塔があり、その先は旧道を下って行く。

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なまこ壁の家。

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庚申供養塔。寛政5年(1793)のもの。

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庚申塔道標。文字は判別しにくくなっているが・・・
右は元禄6年(1693)、左は弘化3年(1846)のもの。だいぶ埋まってしまっているんですね。

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これは双体道祖神らしいのだが、ほとんどわからない。

下今井の集落に入ってきた。街道らしい風情である。
昔は立場があった場所である。

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なまこ壁の土蔵が続く。

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旧双葉町のマンホール。
町の花のつつじと周囲には武田菱が描かれている。

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自性院の入り口には丸石道祖神。
参道の石畳は明和2年(1765)敷設された。

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延命地蔵尊。
含蓄のある言葉が書かれている。

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大森稲荷大明神は、安政年間に大火があり、火防のために勧請されたものだ。

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さて、穢土に戻りましょう!

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またまたの丸石道祖神。

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その先でレンガ造架橋(明治36年作られた)をくぐる。

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坊沢川の手前に泣石があった。
高遠城が落城すると勝頼は完成したばかりの新府韮崎城に火を放ち岩殿城に向けて落ち延びた。その際勝頼夫人がここで振り返り燃える城を見て涙を流したといういわれがある。

塩崎駅入り口の交差点を過ぎたところで、イートイン可能なコンビニを見つけ、あまりに暑かったので、アイスを食べることに。

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ということで久々のジャイアントコーン!

赤坂を登ってすっかりアチアチになっていたので、ようやくクールダウンしてほっとする。

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まだ収穫が終わっていない田んぼを見つつ進む。

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光善寺跡には、文化15年(1818)の丸石道祖神。

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そして三界萬霊塔。寛政5年(1793)のもの。

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二十二夜塔は久々にみたような?

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斜め向こうは旧庄屋宅らしい。

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細い旧道を通り、合流した地点に船形神社があるのだが、この鳥居がおもしろい。寸詰まり感がある。
応永4年(1397)の建立。かつて釜無川沿いの古墳の上に祀られていて、その石室が船形であったという。

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丸石道祖神。

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道路の向かいには宇津谷頭部の道祖神。石の祠+丸石だ。

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六反川沿いに芭蕉句碑があった。「昼見れば首すじ赤き蛍哉」。
この川は蛍の名所だったのだという。

先を進んでふと振り返ると・・・

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富士山が大きく見えていた!
下の方に雲がかかっているものの、きれいに見える。

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茅ヶ岳も近づいてきた。

(4へ続く)

2021/10/18

甲州街道歩き(第10回) 甲府柳町宿~韮崎宿2

(1より続き)

中央自動車道高架の手前で甲斐市に入る。

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道祖大神。
文化10年(1813)建立。
前回は道祖神というと、丸石がほとんどだったが、今回はこのタイプをたくさん見た。でも丸石もなんとなく置いてあるような?

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日蓮遠忌碑。右は天明元年(1781)建立の日蓮大菩薩五百年忌。左は天保2年(1831)建立の五百五十遠忌。遠忌とは50年ごとに行う回忌法要のことだそうだ。

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真福寺。

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回國地蔵尊がある。享保5年(1720)のもの。

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甲斐市のマンホール発見。旧竜王町のマンホールで、町の花だった桔梗のデザイン。

さて、そろそろ早めのお昼をと思っていくつか候補があったのだが、予定より少し早い時間でどこもあいておらず・・・

結局、街道からほんの少し離れて、やはり候補にしていたビッグボーイへ。
きちんと対策をとったお店で安心だ。

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しそおろしハンバーグプレートを注文。
サラダバー、スープバー付きである。デザートのラフランスゼリーまでいただいて、大満足。プレートランチ、なかなかいいかも!

お腹いっぱいになって出発。街道へと戻る。
道は新町交差点で右折する。

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またまたマンホール発見。新しく2015年に設置されもので、いろいろと描かれているが・・・
ふちには市の花サクラ、茅ヶ岳、釜無川、信玄が築堤させた堤防の信玄堤(聖牛で表現)、そして市のキャラクターやはたいぬ。猫かと思ったら犬だった・・・
甲斐市で栽培されている里芋の八幡芋と甲斐犬がモチーフになっているそう。確かに里芋っぽい!

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丸石道祖神があった。ここは竜王新村下宿村の寄りあい場だったという。

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お隣に山県斎宮宅址碑がある。
実は通り過ぎてしまったのだが、日蓮遠忌碑の先に山県大弐神社社標があり、大弐は尊皇攘夷を唱え処刑された儒学者。
ここは、大弐の兄、昌樹の旧宅跡。兄も大弐の事件に連座、駿河に追放されたそうである。

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称念寺。

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入り口に百萬遍供養塔など。

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馬頭観音や庚申塔もあり。

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ここで有名なのは、くり抜き石枠井戸。
一枚岩をくり抜いた石枠の井戸で、ここを往来する旅人が休息したところからお休み井戸と呼ばれたという。

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ちょっと太めな?六地蔵。江戸初期の作とのこと。下が埋もれちゃっている。

ちょっと寄り道。

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稲刈りがほとんど終わっているようだ。

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慈照寺である。

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振り向くとちょうどあずさが通っていくところだった。

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茶筌塚なるものが。はじめて見たな。

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富士講の石造物なのだが、富士山と月と太陽はわかるけれど、下、何が掘られてるんだろう。猿に見えたのだが・・・

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山門。寛永16年(1639)に建てられたもの。

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境内に湧く龍王水は、竜王という地名の由来となっている。

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松が立派だ。

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鐘楼。戦争に拠出されずに済んだとのこと。

街道に戻る。

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ここからは上り坂。赤坂である。

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途中に馬頭観音。

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向かいには赤坂供養塔があった。
「南阿弥陀仏」と刻まれ、安政年間建立。近隣の信者が組織した念仏講中が無縁者供養のため建立したものだそうだ。赤坂は赤土の坂で雨が降るとぬかるんで行き倒れの旅人が多かったとのこと。

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その先に諏訪神社。

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御柱がある。平成28年に御柱祭りがあった模様。

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そしてこの石碑はなんだろう?そもそも読めない・・・

→フォロワーさんに蚕の旧字「蠶」 と教えていただきました!山梨では養蚕信仰が見られるそうです。

ありがとうございました。

(3へ続く)

2021/10/17

甲州街道歩き(第10回) 甲府柳町宿~韮崎宿1

緊急事態宣言も解除され、都外に出られるようなったので、甲州街道歩きを再開。約3ヶ月ぶりである。

あずさ1号に乗って甲府まで。
立川から1時間10分弱で到着。
早速歩き始める。まずは甲府城址(舞鶴城公園)に寄り道。
武田氏滅亡後、秀吉の命により築城され、甲府が幕府直轄地になると、甲府勤番が置かれた。城郭が鶴が舞う姿に似ているところから舞鶴城と呼ばれるようになったとのこと。

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内松陰門から入る。平成11年復元。

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とてもきれいな公園である。

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稲荷櫓(艮(うしとら)櫓)。江戸時代には武具櫓として使われ、平成16年復元されたもの。9時前だったので中には入れなかった。

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天守台に上ってぐるりと見る。

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うーん、残念。富士山、なんとなく形はわかるものの見えず・・・

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明治天皇御登臨之趾なるものもあった。

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中の門跡。

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鍛冶曲輪門から出て、街道へ。
相生歩道橋を渡って、街道歩きスタート!

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すぐ先に復元された道標があった。
みなみみのぶみち・・・身延、そして、東海道富士川の間の宿岩淵へとつながるんですね。東海道懐かしい・・・

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天然寺。
勢至菩薩像がある。

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お隣のお寺は法輪寺。

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かんかん地蔵がある。
このお寺を開祖した武田有義の墓。有義は武田家の祖・新羅三郎義光の四代孫で鎌倉幕府討幕を図ったが失敗し、五島列島に逃れ、五島家の始祖となったそうである。

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その先、右の道を入っていったところに穴切大神社。
昔、甲府盆地は湖で、疎水を作ろうとした国司が祈ったところ、南の丘陵に穴があき水が流れ、良田となった。以降治水祈願の神として信仰された。

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随神門。彫刻が立派だ。
右大臣と左大臣がいる。

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神楽殿。

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本殿は桃山時代のものだそう。

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街道に戻り、文殊神社へ。

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素堂治水碑。山口素堂とは甲府藩士で近くを流れる濁川の治水事業に携わった人物だそうだ。

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芭蕉句碑もあった。「物言えば 唇寒し 秋の風」

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荒川橋で荒川を渡り・・・

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貢川橋で貢川を渡る。
貢川は荒川に合流し、荒川は笛吹川へと合流する。

その先は旧道へ。

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サイカチが二本ある。いずれも300年くらいたっているそうで、大きさが違うので夫婦サイカチを地元では呼ばれているが、実際は二つと雄木である。

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こんな葉っぱなんですね。はじめて見たかも?
川岸の湿ったところに生える木なので、むかしはここが貢川沿いだったのだということだ。

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貢川村役場・小学校の址碑を通り過ぎ、次第に県立美術館・文学館が近づいてきた。

以前きたときに、前にある小作(ほうとう屋さん)がなくなってしまっていて(昨年閉店したらしい)悲しい・・・

文学館では「ミステリーの系譜」、美術館では「新版画」展をやっていてどちらも見たい展示ではあったが、ここでそんなに時間をとるわけにもいかないし、何度かきたこともあるので今回はパスする。

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美術館。

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文学館。

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ブールデルの彫刻なんてあったんだっけ?

(2へ続く)

2021/10/16

サッポロ 冬物語SAPPORO 2021 LIMITED EDITION

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冬物語がもう出ていて購入。
冬って感じじゃないけれども・・・
まあでも来週はぐんと気温が下がるようだしいいか。

なんと今年で三四年目だそうである。

注いでみると、フツーのビール色。
飲んでみると、ガツンと苦みがくる。が、重いわけではなくて、苦み苦手な人でもまずまず飲めるのでは?

毎年楽しみなビールの一つだ。

2021/10/13

ミャウ カベルネ・メルロー

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完璧にジャケ買いのワイン。
ラベルがいいな~かわいいな~
ミャウ・・・猫ですね。

500円以下のワインなので、ヤバイかしら?と思ったら・・・
結構いいんですよ。

色濃いめ。味もわりと濃いめで、好みの味。
お値段以上ですね。

2021/10/12

盛田 ねのひ 生囲い無濾過

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コストコで買った日本酒。
最近、コストコで売られる日本酒も種類が増えてきてうれしい。

知多半島の酒造盛田がつくるお酒である。

生囲いとはなんぞや?
生酒のまま貯蔵する製法のようで。

味のしっかりしたお酒ですね。
じわじわと旨みがくる。甘みもじわじわくる。
こってりしたお料理にいい感じですね。

サッポロ ビアサプライズ 至福のコク

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ファミマとサッポロコラボでは、しばしば至福の・・・という製品が出ていてなかなかよろしいので、今回も買ってみた。

注いでみると、ちょっと濃いめの色。アンバーに近い感じ。
飲んでみると、濃いですね。アルコールも強い感じ(実際、6%)。
そして、結構な苦みと、若干の焦げ味が。
コクもぱっちり!
看板に偽りなしであります。

2021/10/10

佐々木譲『エトロフ発緊急伝』

本日の本



book-14 『エトロフ発緊急伝』 佐々木譲 新潮文庫 


STORY:太平洋戦争勃発の直前。日系人スパイ、サイトウは日本に潜入、択捉島へと向かい、駅逓の女主人ゆきと出会う。憲兵がサイトウを追って島に潜入するが・・・


☆☆☆☆五十音順読書の「え」はこちら。


この小説が書かれたのは1989年。読もう読もうと思っているうちになぜか機会を逸していまっていたのだった。


いや、これおもしろかった。もっと早く読めばよかった!


スケールの大きいスパイもので、スリル満点。
解説にあるように、ケン・フォレット『針の眼』と同じようなストーリー(大まかには)とも言えるけれど(ワタクシ、針の眼の映画は好き)、人物造形などはこちらの方がよくできてるなあと思った。


皆、悲しみを抱えた人物。
日系人であるが故にアメリカでは疎外されてきたサイトウ。
ロシア人の父を持つが故に、幼い頃から白い眼で見られてきたゆき。
南京で大切な人を失ったが故に虚無感からスパイ活動する宣教師スレンセン。
すべてを奪われ、憎しみの塊となった朝鮮人の金森。
差別から生まれ故郷にいつか帰りたいと思うクリル人の宣三。
登場人物の背負ったドラマが重いのだが、先を早く読みたいという気持ちになる。


史実を織り交ぜながらの重厚なドラマ。
第二次世界大戦三部作の二作目にあたる作品。他のも読みたくなりますね。
このお話に出てくる登場人物が他の作品にも出てくるらしいし、楽しみだ。


 

2021/10/09

シャトー・トゥティジャック ボルドーブランセック

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ボルドーの白ワイン。
品種はソーヴィニヨン・ブラン、セミヨン、ミュスカデ。
これは多分好きそうな予感・・・

香りはとてもよい。
優しい味のワインですね~
もうちょっと酸味があった方が好みだけれど、まずまずです。

中村酒造 特別純米 千代鶴

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あきる野市の酒造のお酒。
昔、秋川渓谷に鶴が飛来したことから、これに因んで千代鶴を銘柄としたそう。
千代鶴はもしかして飲むのはじめてかも?

やや辛口とあったのだが・・・
飲んでみると、やや甘口ですね。とともに、酸味があって、一瞬辛口に思えるのかも?

しっかりとした味わいのお酒で、なかなかよろしいです。

2021/10/07

五日市街道歩き(第1回) 新高円寺~小平桜橋4

(3より続き)

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玉川上水と合流する手前に清流の復活碑があった。
いったん役目を終えた上水だが、平成元年よみがえったんですね。

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その先に玉川上水碑がある。

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ここで、玉川上水が千川上水へと分岐している。

境橋で井の頭通りも合流してくるが、ここからは玉川上水脇の道を歩いていく。

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いくつもの橋を通りすぎていくが、橋から下をのぞくと、必ず、鯉がすごい勢いで寄ってくる・・・おなかすいているのか、人間が通ると餌がもらえると思っているのか・・・

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草木が結構伸びているので、道からはほとんど上水は見えないのが残念だ。蚊もいるし・・・

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桜樹接種記の碑。
元文2年に桜が植えられて以来百余年が経ち、老木化が進んだので、嘉永3年(1850)各村が植え足した。その経緯を後の世に伝えると共に桜が永久に保護されることを願って建てられたものだそう。
この道、春は桜がきれいでしょうね。

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北関野八幡神社。

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ここにあるのが関野クリ。
徳川将軍に上納された栗で、当初、育成した庭田五郎兵衛の名を取って 「五郎兵衛」 と名付けられたが、後に地名を取って 「関野クリ」 と呼ばれるようになったとのことである。

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小金井公園到着。サルビアがきれいだ。

ここで雨がポツポツきたので、ザックカバーをかけ、傘をさす。
予定よりちょっと早く降り出したようだ。

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陣屋橋。
玉川上水北側の関野新田に南武蔵野の開発を推進した幕府の陣屋が置かれていた。

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御成の松跡。
天保15年(1844)、13代将軍家定一行が花見に訪れた際、堤を歩き、御座所を設けて花見の宴を催したところ。家定の御成りを記念して里人が一本の黒松を植え 「御成の松」 と呼ばれていたが、残念ながら平成6年に枯れてしまったのだそうだ。
この松は新しく植えたんですかね。

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大正14年(1925)の小金井桜碑。
玉川上水の桜並木小金井桜であるが、武蔵野新田の開発が行われた元文2年(1737)頃、吉野(奈良県)や桜川(茨城県)から山桜の名品種を取り寄せ、小金井橋を中心とする玉川上水堤の両岸約6kmに植えたのだという。

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行幸松・行幸松碑。
明治16年(1883)、明治天皇が馬で3人の親王とともに、小金井堤に観桜で見えられたことを記念して植えられた松。

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海岸寺到着。
山門が立派だ。天明3年(1783)頃の建立。鎌倉様式が取り入れられ、総ヒノキ造りの四脚門である。

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寛延4年(1751)の石灯籠。

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子育地蔵尊とみたま観世音。

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松が見事だ。

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参道脇に、慶應3年(1867)の馬頭観音、と天保4年(1833)の庚申塔。

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文化7年(1810)の小金井桜樹碑。
江戸時代の漢学者大久保挟南が、武蔵野新田世話役の川崎平右衛門定孝氏の桜植樹の功績などを後世に伝えるために建立したものだそうだが、字が見えないなあ・・・

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しばらく歩くと茜屋橋がある。
この辺一帯は 「茜草」(染料) を盛んに栽培しており、その元締めの島田家を 「茜屋」 と呼んでいたことから、この名が付いたという。

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やはり上からのぞいてみると鯉がいる。

喜平橋のところから道は南側へ。
上水沿いの土道だが、草が生えていて、雨はやんでいたものの、ズボンが濡れてどろどろに・・・

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桜橋に西武多摩湖線の踏切があり、ここで歩き終了。
一橋学園駅に出て、一駅乗り、国分寺へ。

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中村屋オリーブハウスにて夕食。
ウニとイクラのこく旨バター醤油スパゲティと零ICHI。

約38000歩でした。

五日市街道、なかなか楽しい道でしたね。

(完)

2021/10/06

五日市街道歩き(第1回) 新高円寺~小平桜橋3

(2より続き)

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少し歩いたところにあるのが武蔵野八幡宮。
なかなか立派だ。
延暦8年(789)坂上田村麻呂が宇佐八幡大神の分霊を祀り水道橋附近に創建したが、明暦の大火後に水道橋附近の住民が移住して吉祥寺村を開村した際に村の鎮守として、寛文年間(1661-72)に遷座したとのことだ。

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入り口に「神田御上水 井之頭辨財天 道標」がある。草がのびちゃって下の方がちょっと見えなくなっているけれど。
横には「天明5年(1785)これよりみち」と刻まれている。

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しばらく進むとケヤキ並木が見えてきた。
奥にあるのは成蹊大学。
成蹊学園の武蔵野市への移転に先駆けて、大正13年5月頃同一樹齢の若木百数十本を、玉川、用賀、狛江などから運んで植えたのだそうだ。

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その先に三峰神社。

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狛犬ではなく、狛狼。ちょっと恐い顔ですね。

武蔵野文化会館前で思いがけない出会いが!

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フォロワーさんとお会いし、差し入れをいただいてしまった。
ほんの少しの時間でしたがお話できてうれしかったです。ありがとうございました!

先を進む。

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西窪稲荷神社。
神楽殿に奉納されている絵馬35枚は、市の有形民俗文化財に指定されているそうだが、残念ながら見られない。

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お隣の源正寺。

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本堂前には創建当時からの樹齢300年のイヌツゲがあるが、だいぶ傷んでいる様子。

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常夜燈は寛永6年(1629)のもの。

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左から、享保7年(1722)、文政2年(1819)、嘉永3年(1850)の地蔵菩薩。

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延命寺。
多摩四国88所2番で、武蔵野吉祥七福神の毘沙門天・寿老人が置かれている。

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なぜか二宮金次郎が。

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寿老人。鹿もいる。

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毘沙門天。

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一番左が元禄9年(1696)の青面金剛の庚申塔、右から3番目が元禄2年(1689)の地蔵菩薩。

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250K爆弾の破片もあった。
このお寺の北側に軍需工場があり、軍用機のエンジンを生産していた。戦争末期の空襲でお寺の境内にも爆弾が落ちて被害を受け、周辺地区では多くの犠牲者が出たとのことだ。

お隣に関前八幡神社がある。

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石の鳥居の奥に木造の両部鳥居がある。

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明治百年記念樹の楠木が大きい。

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うっかりちょっとばかし行き過ぎてしまったが、その先にあるのが御門訴事件記念碑。
明治3年(1870)、その前年に品川県から布達された社倉制度(飢饉に備えるための貯穀制度)に反対した旧関前村新田を含む武蔵野12か新田の農民たちが品川県庁へ門訴したが、名主井口忠左衛門は非業の死をとげている。

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この先で武蔵野大学にぶつかり、街道は左に折れるのだが、その前に石橋供養塔と庚申塔を見る。
この地には古くから橋が架けられていたが、関前村村民の総意に基づき、近隣諸村の助成を受けて天保12年(1841)に石橋に架け替えられ、その完成を記念して石橋供養塔が建てられたそうである。

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大学の門の左には文字庚申塔が。
天明3年、浅間山の大噴火・洪水・冷害が重なったため、村の入口から飢饉が侵入しないように庚申の強い霊力に祈願して建てられたもの。
ちゃんと三猿もいますね。

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ここからはしばらく千川上水脇の道を歩いていく。

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緑があり、水辺なので涼しい。ただし蚊がいる・・・

(4へ続く)

2021/10/05

五日市街道歩き(第1回) 新高円寺~小平桜橋2

(1より続き)

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お隣のお寺は慈宏寺。
大宮前新田開墾の名主井口杢右衛門が開基となり、南大泉妙福寺の慈宏院日賢上人を開山に招いて寛文13年(1673)に創建されたとのこと。

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ここには葉書という言葉の元になった木、多羅葉の木がある。

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こちらは珊瑚樹。2本とも葉っぱは結構似ているのだけど、珊瑚のような赤い実がなるんですね。確かにこの実がたくさん集まっていると珊瑚みたいかも?

まだ11時をまわったところではあるけれど、早めのお昼にすることに。バーミヤンに入店。

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頼んだのは、ワンタン麺。と、ノンアルコールビール(アサヒドライゼロ)。バーミヤン久々に入ったのだけど、おいしい。
最近、ファミレスばかり最近入ってるような気がするけれど、ファミレスはちゃんと対策が多くていいですね。

英気を養ったところで出発。
西荻窪に通りかかり懐かしいなと。昔むかし住んでいたので。

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やがて松庵稲荷神社到着。
稲荷なので狛犬じゃなくて狛きつね。

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きつねたくさん。

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ふと上を見上げるとぎんなんがたくさん。

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元禄3年(1690)、元禄6年(1693)の青面金剛の庚申塔もある。
松庵という地名はお医者さんにちなむんですね。

ぐいぐい進む。中央線の高架をくぐる。
吉祥寺にも住んでいたことがあるのでまたまた懐かしい。

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吉祥寺の杜宮本小路公園の宮本小路公園で少々休憩。
吉祥寺のはじまりの解説板がある。
明暦3年(1657)・4年(1658)の大火で水道橋にあった吉祥寺も類焼、万治2年(1659)から門前町の住民が武蔵野に移住し、荒地を開墾した人々は新田を吉祥寺村と名付けたという。

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サンロードに入り、月窓寺にお詣り・・・と思ったらこの日はあいておらず・・・昔、花まつりであまちゃをいただいたっけ。

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ということで光専寺に寄ってみる。

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不動堂の中には、不動明王と・・・

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大黒天。

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地蔵菩薩や馬頭観音。
右から三番目が正徳2年(1712)の地蔵菩薩だ。

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水子地蔵尊。

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通りのはす向かいの安養寺の入り口に「境内の銀杏どうぞお拾い下さい」と書かれていた。確かにたくさん落ちているが、剥くのは大変なのでやめておく。
安養寺は、多摩88ヶ所霊場1番で、武蔵野吉祥七福神の布袋尊があるところ。多摩88ケ所もちょっと行ってみたくはある。

参道に石仏がいろいろ。

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左から2番目が大正11年(1922)の馬頭観音、右から2番目が享保4年(1719)の青面金剛の庚申塔。

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真ん中のが寛文5年(1665)の庚申塔。
銘文に吉祥寺新田の開発に関係の深い人たちの名前が刻まれているそうだが、女性の名前が十数名も刻まれているのは珍しいのだそうだ。

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梵鐘。武蔵野市に現存する唯一の江戸時代のものだそう。安永2年(1773)に奉納されたもの。

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布袋様。

(3へ続く)

2021/10/04

五日市街道歩き(第1回) 新高円寺~小平桜橋1

そろそろ涼しくなってきたことだし、街道歩き再開!
といってもまだ緊急事態宣言下(9/30)なので、都から出られず・・・
近場でということで、五日市街道を歩いてみることにした。

五日市街道は、家康の江戸入府後、五日市や檜原から木材・炭などを運ぶために整備された街道で、初期には「伊奈道」と呼ばれ、伊奈の石材を扱っていた石工が江戸城修築のため江戸へ行き来するための道として発展したが、修築が終わり木炭輸送が主流になるにつれ、五日市の方がメインに。
約43キロなので、3回に分けて歩こうと思う。

仕事に行くときと同じ電車に乗って出発!
と思ったら、電車が遅れている。が、ちょうどきた電車に乗り、荻窪での乗り換えがスムーズだったこともあり、9時30分には歩きスタート。

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旧道の入り口を入っていくと、突き当たったところに大法寺がある。
牛込榎町で江戸時代、二度の火災にあい、明治42年に移ってきたお寺。

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境内に、女団十郎と言われた市川九女八(明治期に活躍。9代目團十郎の唯一の女弟子)のお墓があった。

だいぶ進んで、成田東三丁目交差点を過ぎた先から七曲がりが始まる。新五日市街道を出たり入ったりする。これ、地図ないと難しい・・・実際、一回行き過ぎてしまったりしたのだった。

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最初の旧道から新道に出て、斜め向かいの米店から入ると・・・

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坂になっていた。白幡の坂である。ゆるやかに下って行く坂だけど、昔は急坂の難所の一つと言われていたとか。

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下った先に石造物が3つ。
左から、宝暦3年(1753)の地蔵菩薩、宝暦10年(1760)の馬頭観音、元禄11年(1698)の地蔵菩薩。

新道に合流、五日市街道の説明板を過ぎると尾崎橋。善福寺川を渡る。尾崎はおさきと読む。突きだした台地の先端(小崎)を指す地名だとのこと。

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善福寺川沿い、なかなかいい散策(ジョギング)コースですね。
緑地広場にて少々休憩。

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コンビニの裏を回りこむように旧道を行くとあるのが宝昌寺。

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入り口に道標をかねた石橋供養塔がある。
正面に「石橋供養 十方村々」、右に「東江戸道」、左に「長新田道」と刻まれているらしい(部分的にしか読めない)。石橋の完成と交通安全供養と道標をかねていたものとのこと。

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寛文8年(1668)と元禄3年(1690)の青面金剛の庚申塔。

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これは何かな?

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豊川稲荷社。明治時代末期に豊川稲荷から勧請したもの。周辺に豊川稲荷信仰が広まるきっかけになったという。

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元禄3年(1690)の青面金剛の庚申塔。
どうやら、この日は庚申塔をよく見そうな予感・・・

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その後何回も旧道・新道の出入りを繰り返し、あったのが庚申塔。宝永5年(1708)のもの。なかなか立派。

少し進んで五叉路を左に入り、すぐに右に曲がるとまた新道に。

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この合流地点にあるのが、五日市街道の碑。

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五日市街道の略図がざっくりしすぎてるような??

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けやきの葉、花、実の図もあったけれど、実は見たことがないような??
ここにて七曲がりも終了。

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環八を越えて、しばらく言ったところに庚申堂がある。
立派なお堂に、左から延宝6年(1678)、元禄9年(1696)の青面金剛の庚申塔がある。大切にされているんですね。いい状態で残っている。

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ケヤキ並木を進む。

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しばらくすると、大宮前春日神社が見えてきた。
大宮前新田の鎮守として、万治年間(1658-60)に農民井口八郎右衛門により創建された。

ここは狛犬ではなくて狛鹿である。

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石造りの大神鹿一双は明治27年4月、小鹿一双は明治33年4月に寄進されたとのこと。

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拝殿。

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入り口のところに、力石があった。

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一番大きいのがこれかな?73貫!273.75キロ!よく持ち上げられるな~ 

(2へ続く)

2021/10/03

サントリー 金麦 濃いめのひととき

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昨年も発売されていた金麦の派生品。
缶のデザインも濃いめって感じしますね。

注いでみると、濃い・・・というかほぼオレンジに近い色。
飲んでみると、甘みがあって、コクが足りないかなと思うものの、結構いいですね。苦みもあるし。

よく出来てる新ジャンルと言えます。

2021/10/02

アサヒ 生ビール

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缶がとってもレトロ!
スーパドライが売られる前に売っていたビール、マルエフのリバイバルだそうで。
知らなかったな。

発売と同時に売り切れ状態で全然手に入らなかったのだが、職場の後輩が手に入れてくれてようやく飲むことが出来たのだった。感謝!

注いでみると、やや淡い色。
飲んでみると、じんわりとした苦み。じんわりとしたコクもあって、なかなかいいですね。
スーパードライは全然好きじゃないのだけれど、これはいいなあ。

アルコール分は低めだけれど(4.5)そんな感じしないですね。

2021/10/01

シャトー・ピコナ ブラン

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ボルドーの白ワイン。
品種はソーヴィニヨン・ブラン。

飲んでみると、意外とシャープだなという印象。
すーっとした酸味もあって、お料理はなんでもあいそうかな。

ソーヴィニヨン・ブラン、白ワイン品種としては好きなタイプです。

 

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