甲州街道歩き(第10回) 甲府柳町宿~韮崎宿2
(1より続き)
中央自動車道高架の手前で甲斐市に入る。
道祖大神。
文化10年(1813)建立。
前回は道祖神というと、丸石がほとんどだったが、今回はこのタイプをたくさん見た。でも丸石もなんとなく置いてあるような?
日蓮遠忌碑。右は天明元年(1781)建立の日蓮大菩薩五百年忌。左は天保2年(1831)建立の五百五十遠忌。遠忌とは50年ごとに行う回忌法要のことだそうだ。
真福寺。
回國地蔵尊がある。享保5年(1720)のもの。
甲斐市のマンホール発見。旧竜王町のマンホールで、町の花だった桔梗のデザイン。
さて、そろそろ早めのお昼をと思っていくつか候補があったのだが、予定より少し早い時間でどこもあいておらず・・・
結局、街道からほんの少し離れて、やはり候補にしていたビッグボーイへ。
きちんと対策をとったお店で安心だ。
しそおろしハンバーグプレートを注文。
サラダバー、スープバー付きである。デザートのラフランスゼリーまでいただいて、大満足。プレートランチ、なかなかいいかも!
お腹いっぱいになって出発。街道へと戻る。
道は新町交差点で右折する。
またまたマンホール発見。新しく2015年に設置されもので、いろいろと描かれているが・・・
ふちには市の花サクラ、茅ヶ岳、釜無川、信玄が築堤させた堤防の信玄堤(聖牛で表現)、そして市のキャラクターやはたいぬ。猫かと思ったら犬だった・・・
甲斐市で栽培されている里芋の八幡芋と甲斐犬がモチーフになっているそう。確かに里芋っぽい!
丸石道祖神があった。ここは竜王新村下宿村の寄りあい場だったという。
お隣に山県斎宮宅址碑がある。
実は通り過ぎてしまったのだが、日蓮遠忌碑の先に山県大弐神社社標があり、大弐は尊皇攘夷を唱え処刑された儒学者。
ここは、大弐の兄、昌樹の旧宅跡。兄も大弐の事件に連座、駿河に追放されたそうである。
称念寺。
入り口に百萬遍供養塔など。
馬頭観音や庚申塔もあり。
ここで有名なのは、くり抜き石枠井戸。
一枚岩をくり抜いた石枠の井戸で、ここを往来する旅人が休息したところからお休み井戸と呼ばれたという。
ちょっと太めな?六地蔵。江戸初期の作とのこと。下が埋もれちゃっている。
ちょっと寄り道。
稲刈りがほとんど終わっているようだ。
慈照寺である。
振り向くとちょうどあずさが通っていくところだった。
茶筌塚なるものが。はじめて見たな。
富士講の石造物なのだが、富士山と月と太陽はわかるけれど、下、何が掘られてるんだろう。猿に見えたのだが・・・
山門。寛永16年(1639)に建てられたもの。
境内に湧く龍王水は、竜王という地名の由来となっている。
松が立派だ。
鐘楼。戦争に拠出されずに済んだとのこと。
街道に戻る。
ここからは上り坂。赤坂である。
途中に馬頭観音。
向かいには赤坂供養塔があった。
「南阿弥陀仏」と刻まれ、安政年間建立。近隣の信者が組織した念仏講中が無縁者供養のため建立したものだそうだ。赤坂は赤土の坂で雨が降るとぬかるんで行き倒れの旅人が多かったとのこと。
その先に諏訪神社。
御柱がある。平成28年に御柱祭りがあった模様。
そしてこの石碑はなんだろう?そもそも読めない・・・
→フォロワーさんに蚕の旧字「蠶」 と教えていただきました!山梨では養蚕信仰が見られるそうです。
ありがとうございました。
(3へ続く)
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