甲州街道歩き(第10回) 甲府柳町宿~韮崎宿3
(2より続き)
坂を上がっていく途中で振り返ると・・・
おお、富士山が上だけ見える!
今日もまた見られないかと思っていたけれど見られてうれしい。
坂を上がりきったところに、石仏石塔群が祠の中にあった。真ん中は道標を兼ねた地蔵である。
茅ヶ岳が見えてきた。
甲州街道はずっと山が見えてとても気分がよい。
廿三夜塔があり、その先は旧道を下って行く。
なまこ壁の家。
庚申供養塔。寛政5年(1793)のもの。
庚申塔道標。文字は判別しにくくなっているが・・・
右は元禄6年(1693)、左は弘化3年(1846)のもの。だいぶ埋まってしまっているんですね。
これは双体道祖神らしいのだが、ほとんどわからない。
下今井の集落に入ってきた。街道らしい風情である。
昔は立場があった場所である。
なまこ壁の土蔵が続く。
旧双葉町のマンホール。
町の花のつつじと周囲には武田菱が描かれている。
自性院の入り口には丸石道祖神。
参道の石畳は明和2年(1765)敷設された。
延命地蔵尊。
含蓄のある言葉が書かれている。
大森稲荷大明神は、安政年間に大火があり、火防のために勧請されたものだ。
さて、穢土に戻りましょう!
またまたの丸石道祖神。
その先でレンガ造架橋(明治36年作られた)をくぐる。
坊沢川の手前に泣石があった。
高遠城が落城すると勝頼は完成したばかりの新府韮崎城に火を放ち岩殿城に向けて落ち延びた。その際勝頼夫人がここで振り返り燃える城を見て涙を流したといういわれがある。
塩崎駅入り口の交差点を過ぎたところで、イートイン可能なコンビニを見つけ、あまりに暑かったので、アイスを食べることに。
ということで久々のジャイアントコーン!
赤坂を登ってすっかりアチアチになっていたので、ようやくクールダウンしてほっとする。
まだ収穫が終わっていない田んぼを見つつ進む。
光善寺跡には、文化15年(1818)の丸石道祖神。
そして三界萬霊塔。寛政5年(1793)のもの。
二十二夜塔は久々にみたような?
斜め向こうは旧庄屋宅らしい。
細い旧道を通り、合流した地点に船形神社があるのだが、この鳥居がおもしろい。寸詰まり感がある。
応永4年(1397)の建立。かつて釜無川沿いの古墳の上に祀られていて、その石室が船形であったという。
丸石道祖神。
道路の向かいには宇津谷頭部の道祖神。石の祠+丸石だ。
六反川沿いに芭蕉句碑があった。「昼見れば首すじ赤き蛍哉」。
この川は蛍の名所だったのだという。
先を進んでふと振り返ると・・・
富士山が大きく見えていた!
下の方に雲がかかっているものの、きれいに見える。
茅ヶ岳も近づいてきた。
(4へ続く)
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