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2021/10/05

五日市街道歩き(第1回) 新高円寺~小平桜橋2

(1より続き)

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お隣のお寺は慈宏寺。
大宮前新田開墾の名主井口杢右衛門が開基となり、南大泉妙福寺の慈宏院日賢上人を開山に招いて寛文13年(1673)に創建されたとのこと。

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ここには葉書という言葉の元になった木、多羅葉の木がある。

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こちらは珊瑚樹。2本とも葉っぱは結構似ているのだけど、珊瑚のような赤い実がなるんですね。確かにこの実がたくさん集まっていると珊瑚みたいかも?

まだ11時をまわったところではあるけれど、早めのお昼にすることに。バーミヤンに入店。

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頼んだのは、ワンタン麺。と、ノンアルコールビール(アサヒドライゼロ)。バーミヤン久々に入ったのだけど、おいしい。
最近、ファミレスばかり最近入ってるような気がするけれど、ファミレスはちゃんと対策が多くていいですね。

英気を養ったところで出発。
西荻窪に通りかかり懐かしいなと。昔むかし住んでいたので。

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やがて松庵稲荷神社到着。
稲荷なので狛犬じゃなくて狛きつね。

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きつねたくさん。

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ふと上を見上げるとぎんなんがたくさん。

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元禄3年(1690)、元禄6年(1693)の青面金剛の庚申塔もある。
松庵という地名はお医者さんにちなむんですね。

ぐいぐい進む。中央線の高架をくぐる。
吉祥寺にも住んでいたことがあるのでまたまた懐かしい。

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吉祥寺の杜宮本小路公園の宮本小路公園で少々休憩。
吉祥寺のはじまりの解説板がある。
明暦3年(1657)・4年(1658)の大火で水道橋にあった吉祥寺も類焼、万治2年(1659)から門前町の住民が武蔵野に移住し、荒地を開墾した人々は新田を吉祥寺村と名付けたという。

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サンロードに入り、月窓寺にお詣り・・・と思ったらこの日はあいておらず・・・昔、花まつりであまちゃをいただいたっけ。

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ということで光専寺に寄ってみる。

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不動堂の中には、不動明王と・・・

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大黒天。

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地蔵菩薩や馬頭観音。
右から三番目が正徳2年(1712)の地蔵菩薩だ。

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水子地蔵尊。

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通りのはす向かいの安養寺の入り口に「境内の銀杏どうぞお拾い下さい」と書かれていた。確かにたくさん落ちているが、剥くのは大変なのでやめておく。
安養寺は、多摩88ヶ所霊場1番で、武蔵野吉祥七福神の布袋尊があるところ。多摩88ケ所もちょっと行ってみたくはある。

参道に石仏がいろいろ。

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左から2番目が大正11年(1922)の馬頭観音、右から2番目が享保4年(1719)の青面金剛の庚申塔。

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真ん中のが寛文5年(1665)の庚申塔。
銘文に吉祥寺新田の開発に関係の深い人たちの名前が刻まれているそうだが、女性の名前が十数名も刻まれているのは珍しいのだそうだ。

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梵鐘。武蔵野市に現存する唯一の江戸時代のものだそう。安永2年(1773)に奉納されたもの。

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布袋様。

(3へ続く)

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