甲州街道歩き(第10回) 甲府柳町宿~韮崎宿4
(3より続き)
道は二基の二十三夜塔のところを左に入っていく。
やがて塩川橋に出た。塩川を渡る。
富士山がまだ見えている。
鳳凰三山や甲斐駒なども。
韮崎市に入った。
しばらく線路脇の道を歩くことになるが、遠くに平和観音が見え始めた。
韮崎市のマンホール。
市の鳥チョウゲンボウ、市の花レンゲツツジ、そして甘利山に群生するスズランが描かれており、周囲は武田菱である。
姫宮神社に行ってみる。
いろいろな石造物。
丸石道祖神もあるけれど、やはり石の祠がたくさんあった気がする。
拝殿。
宝暦6年(1835)建立の鏡石があるのだが・・・
この穴からは富士山が見えるのである。だいぶ雲がかかってしまったけれど。
富士講の信者がこの穴通して富士を遙拝した。
鰍沢横丁(信州の年貢米を鰍沢河岸まで運ぶ道筋で、沿道には茶屋や駄菓子やが軒を並べていた)のところから街道に戻り、先に進む。
韮崎宿に入ってきた。
本陣1、問屋1、旅籠17。交通の要衝、物資の集散地として賑わったところで、この地名の由来は、長くのびる七里岩が韮の葉のように見え、その崎に位置しているところからきているそうだ。
大蓮寺参道口の南無妙法蓮華経題目碑。
境内には縁切り地蔵(延命地蔵)があった。
最上稲荷のお狐さんはなかなかに恐い顔をしている。
少し先に進むと馬つなぎ石があった。馬の手綱を石の穴に通してつないだところである。
一橋陣屋址。
一橋家の陣屋だったが、ところがえになり幕府領となった。このとき村では陣屋の存続を願い出たとのことである。
本陣跡。問屋を兼ねた本陣だったが、参勤交代の大名は三藩に限られ、日程の都合上ここに宿泊することは少なかったという。
はす向かいにある旅館清水屋は弘化2年(1845)創業。
またまたあった馬つなぎ石。
雲岸寺に寄る。
なんとまあ!猫寺じゃないですか!
次々出てくるわ、10匹もいたのだった。
雲岸窟観音は弘法大師が七里岩の中腹に築いた岩屋観音堂で弘法大師像や千体仏を安置しているところで、韮崎から7里続いている崖の末端に位置している。残念ながら、現在工事中で入れず・・・
下の洞窟にある日限地蔵尊にお詣り。
こちらはいろいろなお地蔵様。
まだ少し時間があるので、せっかくなので平和観音に行ってみることに。
ゆるゆると上がっていくと・・・
おお、大きい!
関東三観音の一つという(あとは、高崎観音と大船観音)。
山本周五郎氏の名作「山彦乙女」の一節を刻んだ文学碑。
魚族供養塔が見えるが、港でもないのになぜここにあるのかな?川魚だろうか。向こうにはだいぶ雲がかかってしまった富士山がうっすらと。
茅ヶ岳もばっちり。
これにて街道歩きは終了。韮崎駅へと向かう。
駅前のお土産コーナーでお土産を買い、特急を待つ。
ホームからは観音様がよく見える。
写真は撮らなかったけれど、八ヶ岳連峰も見えた。
16時53分のあずさに乗り、立川で乗り換え、地元駅へ。
寿司酒場まぐろ人にて乾杯!
まぐろ味噌ピーマン、ごまあじ、長芋ステーキ、あなきゅう巻。生ビールと白ワインを飲んで解散。
帰宅は7時半過ぎ。
約40700歩。まずまず歩きました。
次回からは電車の駅から離れてしまうので、バスを利用して少しずつ進みます。
(完)
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