アサヒ スーパードライ 生ジョッキ缶
この春にコンビニ限定で発売されたビールだが、あっという間に売り切れて買うことができなかった。
そして、この秋また発売され、今度は入手成功!
缶を開けたらば、泡がいっきに盛り上がって、なんということだ。こぼれてしまった・・・
これは缶から直接飲むように作られたビールなので、置いておくのはよくなかったんですね。
缶から飲むのってあんまり好きじゃないので・・・
で、飲んでみるとスーパードライねという味だけど、ちょっとピリピリ感は少なかったかな?
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この春にコンビニ限定で発売されたビールだが、あっという間に売り切れて買うことができなかった。
そして、この秋また発売され、今度は入手成功!
缶を開けたらば、泡がいっきに盛り上がって、なんということだ。こぼれてしまった・・・
これは缶から直接飲むように作られたビールなので、置いておくのはよくなかったんですね。
缶から飲むのってあんまり好きじゃないので・・・
で、飲んでみるとスーパードライねという味だけど、ちょっとピリピリ感は少なかったかな?
最後のボジョレー。
ビオに関心があるわけではないのだけど、なぜか買ってしまった・・・
これ、いいですね。
酸味は抑え気味で、若干甘みもある。
今年のボジョレー一番はこれに決定!
ペットボトルのボジョレー。
生協にて購入。
ペットボトルだとまったく期待はしていないけれど・・・
まあそれなりの味ですね。
でも、西友のペットボトルワインの方が、わずかにおいしかったような気がしました。
art-21【ゴッホ展】 東京都美術館
先日、都美術館でゴッホ展をみてきました。
事前予約制のチケットとるの大変で(特に土日祝日は競争がはげしい)、ようやく祝日の午後4時のチケットを予約。
4時半の回もあったみたいだけど、4時でも見終わったのが閉館間際だったから、4時半だと結構駆け足になっちゃいそうです・・・
今回の展覧会の作品のほとんどはクレラー=ミュラー美術館からきたもの。
ヘレーネ・クレラー=ミュラーはゴッホがまだあまり評価されていない時代から蒐集した、世界最大の個人収集家で、90点以上の油彩と180点ほどの素描版画を入手している。
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館は行ったが、クレラー=ミュラーはまだ行ったことがなく、とてもうれしい展覧会である。
1 芸術に魅せられて:ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラー=ミュラー美術館の創立者
ヘレーネと、美術収集のアドバイザーだった美術評論家ブレマーの肖像画。ヘレーネ、意志の強そうな女性に見える。
2 ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで
ヘレーネが収集したのはゴッホだけではないんですね。
ゴッホ意外もすばらしいコレクションだ。
ハブリエル「それは遠くからやってきた」。ヘレーネがはじめて蒐集した作品。ハーグ派。牧歌的な風景なんだけれど、汽車がが向こうからやってきていて近代的な要素もある。
ファンタン=ラトゥール「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)」。いいなあ、ラトゥール。
ルノワール「カフェにて」。女性がやっぱりルノワールだ。
スーラ「ポール =アン= ベッサンの日曜日」。点描だけれどそれとわからないくらいに細かい。
シニャック「ポルトリューの灯台、作品183」。シニャックの方が点が大きくて派手に見える。
トーロップもあったし、ヘレーネは点描画が好きだったのかな?
ルドン「キュクロプス」。ちょっと不気味。恐くはないけれど。
もっと不気味なのはアンソールの「キャベツのある静物」。一見普通の静物画かと思いきや、よくよく見ると恐い・・・
モンドリアン「グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション」。こんな淡い色のモンドリアンもあるんですねぇ。
3 ファン・ゴッホを収集する
3-1 素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代
今までゴッホの素描画はあまり見たことがなかったが、これがなかなかよかった。
「風車」、「刈り込んだ柳のある道」、「砂地の木の根」など、風景画はきっちりデッサンしていて、精密。
人物画は意外とリアル。しわまでくっきり描かれている。
農民の姿を描いた作品群は、ミレーの影響がうかがえる。
あの「ジャガイモを食べる人々」のリトグラフもあった。
3-2 画家ファン・ゴッホ、オランダ時代
「麦わら帽子のある静物」。はじめての油彩画。オーソドックスな静物画。
「森のはずれ」。ヘレーネが購入した最初のゴッホ作品。いわゆるゴッホ的な絵でないので、これでゴッホに魅了されたのは不思議。
「女の顔」「白い帽子を被った女の顔」。見たら忘れられない顔の女性たち。こういう顔を好んで描いたらしい・・・ジャガイモを食べる人々の中にもいる顔だ。
「鳥の巣」。中に卵も雛もいない、ただの巣を描いているのがおもしろい。
3-3 画家ファン・ゴッホ、フランス時代
3-3-1 パリ
「草地」。印象派的な作品。
「レストランの内部」。点描画のよう。この色合いいいなあ。
「石膏像のある静物」。この色もいい。この時代は明るい作品が多い。
特別出品 ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション:オランダにあるもう一つの素晴らしいコレクション
ファン・ゴッホ美術館からの出品。
「サント=マリー=ド=ラ=メールの海景」。荒々しいタッチで波が描かれる。
「黄色い家(通り)」。アルルのあの家。これが描かれた時は、ゴッホは希望に満ちていたのだよなあ・・・と思うとのどかな田舎の風景とは思えなくなるものだ。
3-3-2 アルル
ここからはああゴッホねという絵が続く。
「夕暮れの刈り込まれた柳」。なかなかに強烈な色。
「糸杉に囲まれた果樹園」。アーモンドの花の絵にテイストが似ている。
「レモンの籠と瓶」。なんかレモンがレモンに見えないような・・・
「種まく人」。青と黄色のコントラストが強烈。
3-3-3 サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
この時代の絵は結構好きだったりする。
「サン=レミの療養院の庭」。療養院の庭を描いた絵はどれも好きで、これもいいなあ。この頃、少し心穏やかだったのではないだろうか。
「麦束のある月の出の風景」。このうねり!
「夕暮れの松の木」。浮世絵の影響を受けたと思われる構図だそうだ。
「善きサマリア人(ドラクロワによる)」。ドラクロワの絵がこんなになるのかという・・・
「夜のプロヴァンスの田舎道」。ポスターにもなっていて、マグネット購入。杉も空も道も家もうねっている。強烈な印象。これこそゴッホという感じ。
いやーいいコレクションでした。
ボジョレー2本目は、これまた毎年勝っている西友のペットボトルワイン。
ペットボトルだっていいじゃないか(笑)
前日のより酸味は少ないけれど、厚みもないというか・・・
いやこれで味としてはボジョレーなんだからよいのだけども!
スイスイ飲めちゃうワインです。
この季節がやってきました~
毎年楽しみなボジョレーの季節。
今年4月、フランス全土に寒波がきて、歴史的規模の霜害が発生、ボジョレーも収穫量が少なく・・・
そのせいなのか、今年はあまり大々的に宣伝していなかったような?
それでも無事、先週木曜日ボジョレーをゲット。
まずはこれを飲まないとの、ジョルジュ・デュブッフ。
色はきれいな赤紫色。
そして、味はというと、意外と酸味を感じますね。
とても若々しい味で、すごいよい年ではないけれど、まずまずかな。
(3より続き)
ちょっと恐い感じの橋が見えてきた。ここを渡るの?なんだか途中で
折れ曲がっているような・・・
なかなかにワイルドな橋だ。
おそるおそる渡る。
草道を進んで上がっていくと舗装道路に出た。
これ、標識がなかったら絶対わからない・・・
旧日義村に入った。マンホールは、ササリンドウのデザイン。
朝日将軍木曾義仲が平家討伐の旗挙を行った地であることから義仲にちなんで「日義村」と命名され、義仲の家紋がササリンドウだったことにちなむ。
しばらく行くと、ついに!中山道の中間地点。ちょっとうれしいです。
明星岩公園から見えるのは・・・
明星岩。
大きな白いカジカが住み着き、朝日が当たると輝いたと言われる。
おお!
前週は見えなかった木曽駒ヶ岳が見えた!
ちょっと行くと墓地の入り口に石造物がたくさん。
これは墓地守護石人像。
六地蔵+α。
無佐澤川を渡ったところには庚申塔。
林昌寺に寄る。
地蔵堂。
本堂。
中原兼遠の墓。
なんかハートが見える!
街道に戻り、踏切を渡る。
まだまだある柿。
宮ノ越の一里塚跡。
下町会館のところにまたまた廿三夜塔があった。
他は南無阿弥陀仏名号碑、大乗妙典供養塔、西国三十三所観世音菩薩。
水神もある。
先を進むと明治天皇宮ノ越御膳水碑があった。
明治13年、明治天皇中山道御巡幸のみぎり、旧j本陣にお小休みされた際、この井戸水をもってお茶を献上されたとのこと。
田中屋。
旅籠屋田中忠右衛門と記された旅籠。
残念ながら4時を過ぎてしまっていたので中には入れなかったけど、ちらっと中をのぞくことはできた・・・
脇本陣問屋跡を通りすぎた先に、本陣跡が。
宮ノ越宿は明治16年の大火で90軒の家が燃えてしまい、本陣もほとんどが焼失したものの、客殿部分が残り再生工事をして公開されている。
これまた4時を過ぎてしまって中が見られず残念・・・
そしてこの日のゴール、宮ノ越駅。
木曽福島に戻り、しなのに乗って松本に出てあずさに乗る。
今回の駅弁は米豚のめし。お米配合の餌をたべた米豚。
味噌漬けと塩豚が乗っていておいしい!!
帰宅は9時すぎだった。
今回のおみやげ。
約28100歩。入場施設が多かったので、歩数少なめでした。
(完)
マップはこちらを使っています。
(2より続き)
石段を上がっていくと木曽義仲公墓があった。
義仲のお墓は東海道を歩いた際も訪れているが(義仲寺)、こちらは宝篋印塔に遺髪が納められているそうである。
木曽家代々のお墓。
ちょうどお墓参りの方がいらしたので上に上がってみなかったが、山村家の墓もあったようだ。
続いてお庭の見学。
看雲庭。枯山水の庭としては東洋一の広さだそうだ。
確かに広い!カメラに納めるのが大変だ。
宝物殿。
須弥山の庭(九山八海の庭)。
9つの山を石組みで表現、まわりを砂で八海を表現しているそうだ。
昇龍の庭(登龍門)。
親子三体の龍が昇天する姿を滝上部に表現し、下部には、これから龍とならんとする鯉魚石(りぎょせき)を表現しているそう。
万松庭。
江戸中期金森宗和の作庭。
石庭もいいけれど、こういうお庭もいいなあ。
帰りも紅葉を見つつ門を出る。
長福寺は、山村家の菩提所。木曽義昌は信玄の弔いのため五輪塔を建立したそうだ。
法羅陀山地蔵大菩薩(貞治の石仏)横には、一体をのぞいて焼けてしまった三猿が復元が復元されており、青面金剛の神像もある。
お庭。
街道に戻り、福島宿を出る。
冠木門。これは電車からも見えますね。
寄る時間がなかった、御料館(旧帝室林野局木曽支局庁舎)。昭和2年12月に再建された洋風建築。
奥に黒川ダム。いくつダムを見たことか!
関町の交差点のところで旧道に入り、道は下ってまた登る。
国道に合流したところに、元禄15年(1702)の大日如来坐像と経塚。
初代木曽代官山村良候が全国の霊場を廻って大乗経を納め塚を築いたものだ。
芭蕉句碑もある。
「思い出す 木曽や四月の 桜狩り」。
創業300年の老舗、おそば屋さん、くるまや。
食べてみたかったなあ。
その後道は旧道に入ったかと思うとまた国道に合流し、再び旧道に入る。
さらに細い道へ(おと坂)。
斜面を登ると・・・
出尻の一里塚に出た。
このあとの旧道は通れないようなのでしばらく国道を歩き、上田口の交差点のところで旧道へ。
やがて手習天神が見えてきた。
脇にたくさんの石造物がある。
西国三十三所供養塔、南無阿弥陀仏名号碑、享保19年(1734)の西国巡禮三十三所補陀道場、寛保2年(1742)の南無阿弥陀仏名号碑などなどである。
手習天神。
木曽義仲を養育した中原兼遠が義仲の学問の神として勧進したものと伝えられている。
境内のイチイの木は樹齢千年とか!
公民館のところに義仲梅と巴松があったが、松はとても小さかった・・・
薬師堂脇には大きな廿三夜塔が。
今まで一番大きいかも??
栗本の集落を進む。
いい感じの道だ。
福島関所を描いたマンホール。
道はどんどん細くなり、やがて舗装道路でなくなった。
向こうの畑に見えるのは・・・
野沢菜みたいですね。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
(1より続き)
11時半になるのを待って、肥田亭に向かったのだが・・・
なんと、この時間で満席の札が!もしかして貸し切りだったのだろうか。仕方なく昼食は第二候補のお店にすることにして、先に大通寺を見にいく。
このお寺は、木曽代官山村良勝によって建立された。
鐘楼門。
境内には武田信玄の三女、真理姫の供養塔があった。
信玄が木曽義康と和睦した際に、嫡男義昌に嫁いできたのが真理姫であった。
大きな廿三夜塔などもある。
中山道、このあたりは二十三夜塔が多い。
鐘楼門を横から見たところ。
さて、お昼は豆腐料理のお店、和幸家(かずさや)にて、揚げ出し定食。さすが豆腐がおいしい!
宝来屋さんで、山村代官御用達の黒むし羊羹をおみやげに買い、出発。
道は少し上り坂だ。
高瀬家資料館に寄ってみる。
高瀬家は、文豪島崎藤村の姉 「園」 の嫁ぎ先で、作品 「家」 のモデルとして知られる。高瀬家は藤原氏の出で、山村家の家臣として代々御側役、鉄砲術指南役、勘定役として仕えた。
大火で土蔵と庭園の一部を残し、焼失してしまっている。
門は鳥居の形だ。
3館共通券を出すと50円引き。
説明して下さるのは、高瀬家の子孫の方である。この方のお話がとてもおもしろく、時間が許せば是非訪れるべき!
九代目当主が奇応丸の製造販売を行い、徳川家に献上することとなった。
藤村の作品にもでてくる衝立大看板。
こんな看板も。
お庭。
昔は線路を越えた向こうまですべて高瀬家の土地だったとのこと。
資料館内は、高瀬家代々の肖像画(13代目は暗殺されたそう)、藤村の手紙や写真などもあくさん。
藤村は、姉の嫁ぎ先である高瀬家に滞在し、また子供を預けたりもしたそうだ。
資料館の2階は外にでることができる。
焼け残ったという蔵もちらっと見えたりする。
木曽川の対岸。
火災は右岸で発生、風で対岸に飛び、また右岸に火が移って高瀬家も類焼した。
階段を降り、続いて向かったのは関所。
御番所が復元されており、ここが資料館となっている。
武具などの展示。
さすまたは新居の関所でも見たっけ。
座敷。
上番所。
当時女性が関所を通るのに約2時間を要したという。
関所跡。
このあと、また関所橋を渡って対岸へ。
川は結構急な流れだ。
突き当たりに権現水。
戦国時代に、福島城があった城山の権現滝付近から水を引いてきた水場だそうである。
3館共通券を使う最後は興禅寺。
まだ紅葉は終わっていなかった!
勅使門。
御影観音堂。
本堂の前にある時雨桜。義仲お手植えの2代目。
山頭火の石碑があった。
「たまたま詣でて木曽ははなまつり」
蛻庵(ぜいあん)稲荷堂。
巴塚の巴松。
(3へ続く)
マップはこちらを使っています。
前週に続いての中山道歩き。
前の週は曇りでとても寒く感じたけれど、この日は晴れで昼間は暖かったです。ただ、やはり朝晩は冷え込みます・・・
まったく同じ時間のあずさとしなのを乗り継いで、木曽福島駅到着は10時半。
早速歩き始める。
坂を下っていく。
前々回にそば饅頭を買った芳香堂を通りすぎた先が、福島宿の京方見附である。
福島宿は、木曽氏の城下町。江戸時代になると、代官山村氏の陣屋町となった。本陣1、脇本陣1、旅籠14。
案外小さな宿なのは、関所が厳しく、旅人たちは早々に立ち去ったから、だそう。
漆器屋さんが並んでいたが、しなのに乗って見ていると道中たくさん漆器のお店が見えていたのだった。木曽は漆器生産に適したところだったのだろう。
このあたり、八沢地区は漆器発祥の町だそうである。
八沢川を渡り、道を上がっていくと上の段と呼ばれる地区に入る。
福島宿は昭和2年の大火でほとんどが焼けてしまったが、このあたりは大火を免れ、古い町並みが残っている。
木曽義昌居城があった場所である。
江戸中期に作られた井戸。昭和の中頃まで飲料水として用いられていたとのこと。
猫、残念ながら横切らず・・・
いい感じの町並み。
築150年の古民家を利用したレストラン、肥田亭。
突き当たり休憩所の前には水場があった。
その脇に、高札場(実物の3分の2の大きさで再現)。
紅葉がきれいだ。
道を下っていくと、七笑酒造の工場があった(前回、木曽福島駅の前のお店で生酒を購入)。
向かいには喜又橋がある。清水が湧いたところから小川が流れ出てそこに木製の橋が架かっていたものを復元したものだ。
ここで街道をいったん離れ、大手橋を渡って木曽川の向こうへと行く。
大手橋は昭和11年完成した世界初の鉄筋コンクリート製のローゼ橋(アーチ橋の一種)である。土木学会選奨土木遺産。
木曽川。
木曽福島ではたくさんの丸型ポストを見た。
の町では近代化遺産の一つとして愛称をつけて、活用している・・・らしい。
ということで、ここは代官屋敷前なので、「お代官さま」という愛称だそうだ。
山村代官屋敷到着。
八代代官の時代に建立された稲荷の祠。
木曽五木が植えられている。
木曽五木、すぐに忘れてしまうのだが、ひのき、さわら、ねずこ、ひば、こうやまきでした。ねずことこうやまきがなかなか出てこないのだ。
お屋敷を見学する。
3館共通券(他は関所資料館と興禅寺)のお得だったのでそれを購入。
山村氏は鎌倉幕府の一族の流れを祖とし、関ヶ原で武功を立てて木曽代官となり、関所の関守も兼ねたことからその権力は強力で、屋敷が豪壮を極めたものだった。図面を見たが、すごい広いお屋敷だ。
山村家で使用された漆器。
貝合わせと百人一首。
ゴージャスなお食事!安政年間の饗応料理。毎日食べていたわけではないのでしょう。
漢学者石作駒石の書斎翠山楼を移築したもの。
お庭。
山村家十二代良祺公の書斎。
巴御前ってこの姿でよく描かれますね。
見学を終えて街道へと戻る。
木曽文化交流センターのところにある本陣跡の石柱。
中に山車があった(写真はうまく撮れず)。
喜又橋を渡った先に山村代官の代々家老だった千村家の茶屋や、蔵などがある。
ここからショートカットして上の段へと上がっていくことができる。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています。
街道歩きに出かける前日はお酒を飲まないようにしているのだけど、たまには少しならいいかということで飲んだのがこれ。
サッポロドラフティ。
アルコール分7%。
注いでみるとフツーにビール色。
飲んでみると、なんかね、変な金属的な味?
まあでもビアリーよりビールよりかな。
やっぱりビールの方がいいけどね。
毎年発売されているとれたてホップ生ビールを今年も購入。
注いでみると、若干薄い色。
飲んでみると、まずは青っぽいホップの香りがくる。
苦みはさほどないけれど、ホップの味がよい。
毎年楽しみなビールです。
昨年も発売された派生品が今年も出たので買ってみた。
注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、わりとすっきり味かな~
苦みは弱めで、どちらかというと甘さがありますね。
まあでもこういうのも悪くないです。
エクストラモルトというのはよくわかないけれど・・・
(3より続き)
赤いかけはしが見えてきた。
車道は大回りしているのだが、ショートカットできそうな草道があったので、やぶの中を降りて行くと、ちょうどかけはしのところだった。
芭蕉句碑。「桟や 命をからむ 蔦かつら」。
くっきりとした馬頭観音。
明治天皇聖跡碑。
子規句碑。
「かけはしや あぶない処に 山つつじ
桟や 水にとどかず 五月雨
むかしたれ 雲のゆききの あとつけて わたしそめけん 木曽のかけはし」。
木曽のかけはしが向こうに見える。
昔は険しい岩の間に丸太と板を組み、藤づる等で結わえた桟だったが、正保4年(1647)に通行人の松明で焼失してしまった。尾張藩は慶安元年(1648)に長さ56間(102m)中央8間(14.5m)の木橋を架けた石積みを完成させた。国道改修時、このまま保存することになったのである。
かけはしを渡って、中山道に復帰。
橋からの眺め。
やがて車道から別れて細い道を上がっていくが、その入り口にあるのが沓掛一里塚碑。71里。
西側の塚の上にあるのが沓掛観音堂だ。
馬頭観音などが並ぶ。
木曽義仲の馬は、人の言葉がわかる馬だった。義仲が木曽の桟の絶壁に通りかかり、目算で 「七十三間とべ」 と号令をかけ馬は命ぜられるまま正確に七十三間跳んだが、実際は七十四間あったので、人馬ともに河中へ転落。義仲は九死に一生を得て助かったが、馬は亡くなってしまった。そこで、義仲は金の観音像を作らせて一堂を建てて馬の菩提を弔ったという。
そこから道は線路脇の草道を行く。
木曽町に入り、国道に合流。すぐ先で御嶽山遙拝所中山道コースの標識のところで、線路の向こう側に出る。
木曽本宮が見える。なんか派手だな~
道の駅木曽福島。
向こうに御嶽山が見えるはずだが、残念!ちょっとしか見えない。
御嶽遙拝所。
ここからも見えないなあ。
木曽町のマンホール。旧木曽福島町のもので、木曽の山や川を幾何学模様で表したものとのこと。
沼田野、中平(立場茶屋があり木櫛を売っていた)を通り過ぎ、道は次第に下っていく。
木曽川取水堰が見えてきた。
斜面の上の方に堤防記念碑、新田記念碑、菩薩像、勢至大菩薩、廿三夜塔、開発記念碑。
その先に塩渕一里塚跡碑。70里目。少々ここで休憩する。
昔、中山道を馬の背中に塩を載せて運んできたところ、その馬が木曽川の渕に転落し塩を撒いてしまったところから、塩渕という地名が付いたと伝えられているそうだが、シオは川の曲流部に付けられること多いらしい。
その先、また細い道を上がっていく。
駅も見えてきた。
御嶽大神。
御嶽大神とは、国常立命(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おおむなちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神をいうそうである。
御神水。
不動明王など。
木曽福島駅到着。
道を下って、今回は大村屋さんでそば饅頭と栗子餅を、駅前で七笑の生酒をおみやげに買い、しなのを待つ。
前回と同じく17時25分のしなのに乗り、18時4分松本着。
駅弁とワインを購入。
中央線の人身事故の影響で(まさか14時台の東京の事故が影響するとは!)到着が遅れたけれど、定刻に発車。
早速駅弁を食べる。
今回は大糸線の旅とイヅツワイン白。
大糸線沿線の松川村は男性寿命日本一の村で、その食材を利用して作られたやさしいお味のお弁当だった。
結局立川には約25分ほど遅れて到着。
帰宅は9時半だった。
今回のおみやげ。
今回は紅葉をめでた旅でした。
約33900歩。
(完)
マップはこちらを使っています。
(2より続き)
さて、街道に戻り先を進む。
道はまだ少しずつ登る。
庚申塔。
諏訪神社の鳥居。
拝殿には小学校の校庭を突っ切らなければならず、入れない。
その先に上松材木役所跡の石柱があった。
寛文3年(1663)から4年にかけて尾張藩は木曽総山の検見を実施し、その大半が伐られ、尽山も多いことに驚き山村代官から山に関する一切の業務を取り上げ、上松の原畑の地に直轄の材木役場を作った、とのことだ。
大乗妙典の碑。
この先、階段を下っていく。これが寺坂である。京方見附はここにあった。
下りきって広い通りを進むと旅館田政があった。江戸時代から続いている旅籠。
上松駅(昭和25年の火事で開業当時の木造の駅舎は焼けてしまい、鉄筋コンクリートの駅舎ができた)を左に見て進み、枡形をまがると上松一里塚碑がある。72里目。
上松宿は火事で焼けてしまい、遺構は残っていない。
本陣跡は歯医者さんになっていて、その前に双体道祖神と水速女命。
本陣は藤田九郎左衛門が勤めた。皇女和宮も宿泊したそうだ。
向かいは脇本陣跡。原家で問屋、総庄屋を兼ねた。
門のところに札がかかっている。
玉林院に寄る。
木曽家16代目木曽義元の次男玉林が創建したと伝えられているお寺である。裏手には木曽氏の館があった。
山門(鐘楼門)。明和3年(1766)のもので、火災でも生き延びた。
地蔵など。口角が上がっていてほほんでいるように見える。
もみじの絨毯の上の供養塔。
樹齢およそ200年のクロマツが4本。これも火災をまぬがれている。
観音堂の中にはたくさんの観音に囲まれて、千手観音(多分)があった。
若宮八幡神社。
玉林和尚が甥の木曽義豊(上松蔵人)のために、源氏の守護神である八幡社を館の近くに勧請したものと言われ、上松宿で最も古い神社だそうだ。
鳥居の脇には大きな廿三夜塔がある。
街道に戻ると、いい感じの町並み。
昭和25年の火災を免れたため、古い町並みが残る。
屋号札がかかった家もある。
十王橋に出る。
枡形になっており、ここが東見附である。
かつて十王堂に祀られていた地蔵尊など。
双体道祖神。
たくさんの馬頭観音。
笹沢交差点からは少しの区間歩道がないため、早足で歩く。
本来、中山道は木曽川の左岸を行くのだが、橋梁補強工事のため車・歩行者とも通行止めになっており、やむなく右岸に迂回するため、木曽川をあげまつ大橋で渡る。
トンネルの手前で階段を上がり、林道を歩いていく。
静かな道だ。
たくさんの石仏。
御嶽大権現。御嶽のマークは「三」に山のマークなんですね。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
(1より続き)
上松町のマンホール。
木曽のひのき(町の木)の森が広がる赤沢自然休養林、森林鉄道、町の花オオヤマレンゲが描かれている。
まずは越前屋(今は国道沿いに移っている)にて昼食を。
創業寛永元年(1624)、日本で2番目に古いそばやさんとか。昔は浦島太郎伝説の長寿にちなんで寿命そばなるものが名物だったらしい。
店内には亀なども飾ってある。
芭蕉や十返舎一九、島崎藤村も食べたとのことで、藤村の「夜明け前」にも登場している。
注文したのはかけそばと五平餅のセット。丸くて意外と大きい五平餅だ。
そばはさすが木曽!とてもおいしかった。
まだちょっとすんき蕎麦には早かったのが残念だ。
臨川寺からねざめの床へ。
入場料200円とのことで支払おうとおもったら、お掃除中なので境内で支払って下さいとのこと。
六地蔵。
明治天皇寝覚御小休所跡碑。
明治天皇御駐輦跡碑と大きな灯籠。
宝物殿。
なんと浦島太郎の釣り竿などもある。
浦島太郎伝説はいろいろなところにあるが、ここでは・・・
太郎は龍宮から帰ったのち、知っている人が一人もいなくなり、山の中に迷い込んできた。きな釣りをしたり、龍宮の話を村人にしたりして暮らしていたが、ある日、玉手箱を開けたところいっぺんに300歳のおじいさんになってしまった。床を敷いたような岩の上で、今までのことは夢かと目覚めたので寝覚めの床を呼ばれるようになった。村人たちは驚き、ここに住んでいられなくなり、跡には弁財天像や遺品があったので、寺に納めその菩提を弔ったという・・・
ここの灯籠はおもしろい。
もみじが散ってきれいだけれど、お掃除するのは大変でしょうね・・・
山頭火の句碑。「おべんたうを食べて洗って寝覚めの床」。
芭蕉の句碑。「昼顔に昼寝せふもの 床の山」。
ぴんころ地蔵。
明治天皇寝覚御膳水と浦島太郎旧縁趾。
弁財天堂。
弁財天様。
亀の家。
とここで、お掃除中の方に出会い、料金を払う。
展望台からの眺め。ここにちょうど電車がきたらよかったんだけど・・・
階段を降りて寝覚めの床へと向かう。
不思議なオブジェが見えるのは寝覚めの床美術公園。
浦島太郎にちなんで「時」をテーマとした作品が並んでいる・・・らしい。
ずんずん降りて行く。
公園の方角。
浦島堂が見える。
右から亀岩、床岩、浦島堂の左が屏風岩。
(3へ続く)
マップはこちらを使っています。
今回の中山道歩きより、往きもあずさに乗っていくことになりました。
我が家からは、こちらのルートの方が遅い出発でよいので楽ですね。
ただ、どうしても現地到着が遅くなるので、距離は短くなります。特に今は日が短いし・・・
ということで、立川7時21分発のあずさ1号に乗り、車内で朝食。
富士山はじめ、山々がきれいに見え、韮崎駅では観音様も見え・・・あまり寝たりせずに(いやちょっとは寝たのだが)塩尻到着9時28分。
駅に降り立つと寒い・・・
2週間前より寒くなっているようだ。最低気温が低くなっているんですね。もうちょっと暖かくしてくればよかったか・・・
しなのがくるまで30分ちょっと、待合室の中で待つ。
向かいのホームに葡萄棚があった。
ホームに唯一!葡萄棚がある駅とか・・・
10時3分のしなのに乗り、木曽福島駅10時30分着。
11時前にバスはあるのだが、時間節約のためにタクシーに乗り、前回のゴール立町のバス停で降りる。
雨は夕方からと思っていたのに、途中から雨が降り出していた。
バス停の待合室でザックカバーをかけ、傘を取りだし、歩き始めたのは11時5分だった。せっかくカバーをかけた途端、雨はやんでしまった・・・
歩道橋の脇の旧道に入り、また国道へと出る。
神明社の鳥居が見え、本来であればその先の旧道を歩くはずが、夏の台風で通行止め。やむなく国道を歩く。
川の向こうに貯木場が見える。
国道歩きはイマイチだが、川沿いの景色はよい。
萩原の交差点から旧道に入ると文化4年(1807)の廿三夜塔と文化10年(1813)南無阿弥陀仏名号碑があった。
奥には風越山の湧水(和水)がある。水は冷たい。木舟があったりして、先日訪れた須原を思い出す。
常夜灯の先で国道に合流するが、そこに萩原一里塚跡があった。左右とも榎が植えられていたそうだが現存はしない。73里目。
10月22日に歩いた際は紅葉はまだほとんど始まっていなかったが、今回はちょうどいい時にきたようだ。
この先、小野の滝の手前で、やはり夏の台風で崩れた箇所があり、車は片側相互通行となっている。工事をしているため歩道もあまり通らない方がよいのかもしれなかったが、迂回もできないのでそろそろと進む(工事の方は快く通してくださった。すみません)。
小野の滝到着。
中央線の高架下にあって元の風景とは違うけど、なかなかよい。
木曽八景の一つで、木曽街道六十九次の上松の絵にも描かれている。
常夜燈、南無阿弥陀仏歓喜天と祠。
不動明王ですね。
滝のすぐ先で民家の脇を通る細い道を行き、小野架道橋をくぐって、中央線の反対側へと出て、道は上がっていく。
御嶽山石の先も紅葉がきれいだ。
馬頭観音の後は岩に磨崖文「石道 文化元甲子年」が彫られているそうなのだが、ほとんど読めない・・・
滑川橋。アーチ状の梁を両岸に固定して、その上に橋梁を渡して下から支えるという独特な工法、刎懸造りで造られているという。桟、伊奈川橋とともに木曽三大橋と言われた。
ここから木曽駒ヶ岳が見えるとのことだったが、残念・・・見えず。
しかし、よい風景だ。
その先には石畳を登って行く。下りだとちょっとすべりそうだ。
中学校のあたりからも木曽駒ヶ岳が見えるとのことだったが、残念。やはり雲に隠れてしまっていた。
上松町中で一番太い桂の木。幹回りは4.1mあるそうだ。
木の横に南無勢至大菩薩、青面金剛王、南無阿弥陀仏名号碑。
津嶋神社(合祀牛頭天王)、大宮神社(仮参拝所)。
古い感じの建物が見えてきた。
手前が越前屋、奥の赤いポストがある方がたせや。昔は立場茶屋だったところ。
中山道はこのまま直進するが、寝覚めの床に寄っていくことにする。
道は下って行く。
(2へ続く)
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おみやげにいただいたワイン。
サドヤで唯一、山梨県産甲州種を主原料とした白ワインだそうである。
が、甲州種の他にソーヴィニヨン・ブランも入っていて、甲州種主体とはいえ、ブランの方が勝ってるかも??
若干の甘みも感じるけれど、まあさっぱりと飲める万能白ワインでしょう。
ボルドーの白ワイン。
ソーヴィニヨン・ブラン100%。
辛口ですね。
なんのフルーツかな、グレープフルーツ感?爽やかな感じ。
あっさり系のお料理にいいかも??
ボルドーの赤ワイン。
品種はメルロー、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン。
割合はメルローの方が多いようだけれど、味的にはややカベルネが勝っているかな。
うーんでも、軽めですね、結構。
スイスイ飲めちゃうタイプです。
イタリアのオーガニックワイン。
なんか、ラベルがイタリアンレストランのメニュー黒板みたい??
品種はネグロ・アマノ、シラー。
とくれば濃そうな感じだけど(色は濃い)、値段が安かったからどうだろう?
薄いかも?と思ったら結構濃いですね。
値段からしたらかなりよいのでは!
クリアアサヒの派生品。
もう冬なんですねぇ。
注いでみると、思ったより濃い色。
これはもしかして、クリアアサヒとしては濃い味かな?
しかし・・・
色とは関係なかったですね。
全然味がない。これこそクリアアサヒというべきなのか・・・
もうちょっと味があってもいいんだけどな。
冬バージョンの金麦が出たので買ってみた。
ホントは春夏秋冬、全部並べて飲み比べてみたいんだけどね・・・
注いでみると、少し薄めの色。
飲んでみると、よくいえばすっきり味、悪く言えばあまり味がしない。
最後に少し甘さを感じる程度。
これが冬のバージョンなのかな~という疑問はあるけれど、まあまあです。
本日の映画
movie-17 「ベスト・キッド」 THE KARATE KID 2010年米
DIR:ハラヅド・ズワルト
CAST:ジェイデン・スミス、ジャッキー・チェン、タラジ・P・ヘンソン、ハン・ウェンウェン
STORY:父親を亡くし、母親の転勤に伴って北京に移り住んだ称念ドレ。カンフー少年チョンの一派にいじめられていたところをアパートの管理人ハンに助けられ、カンフーを教えてもらうことになるが・・・
☆☆☆舞台を中国に移してのリメイク。
オリジナルは何度も見ていて、空手の師匠ミヤギ(ノリユキ・P・モリタ演)がとてもよかった。
正直リメイクしてどうだろ?と思っていたが、意外とよかったですね。
親ばかのウィル・スミスが息子のために作った映画・・・というのがちょっとねぇ・・・とはいうものの、ジェイデン・スミスが結構がんばっている。しっかり鍛えたようで動きも俊敏で様になっている。
それより、よかったのが、ジャッキー・チェン。
こんなに静かなジャッキーはめずらしいのでは??
大暴れしない(酔っ払って車を壊すけど)ジャッキー、脇役に徹するジャッキー。くたびれたジャッキー。新境地開拓?
舞台を中国に移し、空手がカンフーになっても骨子は変わらず、いじめられっ子の主人公が、カンフーを通じて成長し、正々堂々といじめっ子を倒す・・・ストレートな展開である意味潔い。後味もよいし。
またオリジナルを見てみたくなりました。
新潟、柏崎市の酒造のお酒。
いただきものです。ありがとう!
飲んでみると、じわりと甘みが感じられますね。
これで辛口なのかな???
普通酒ではあるけれど、かなりレベル高し!コクがある。
おいしいです。
北杜市の酒造のお酒。
酒造に行ったわけではないけれど、韮崎駅前のお土産屋さんで買ってきたもの。
飲んでみると、おそらくこれは辛口ってことになるのだろうけれど、むしろ甘みを感じましたね。ちょっとだけ辛味が見え隠れしているというか。
それなりにコクもあってまずまず。
この酒造の男山を今度は飲んでみようかな。
art-20【動物の絵展】(後期) 府中市美術館
府中市美術館の【動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり展】の後期展示に行って参りました。半券を持っていると後期は半額で入れます。
駐車場に入るのにも少々時間がかかったが、見終わって出てきたら入場制限をしていました・・・
大盛況。
後期展示のみは72点なので、感想は簡単に。
第1章 動物の命と心
涅槃図からスタート。鎌倉時代の涅槃図より室町時代の涅槃図の方が動物の数が増えている。
狩野永泰「放生図」。放生というのはインドの風習かと思っていたけれど、日本でもあるんですね。
小川芋銭「イモリ」。イモリというよりヤモリに見えるのだが・・・
気に入ったのは、松本泰時「蛙図」。禅画のような少ない筆数で描いた蛙がユーモラスだ。
西洋画のコーナーへ。
ゴーギャンの版画は前期も出ていたけれど、後期と入れ替わっていたんですね。
ゴーギャンより、ゴーギャンの影響を受けたと言われるゼーヴェルト「牧人」がよい。
伊藤若冲「河豚と蛙の相撲図」。これも好き。お互いにつるんとしていて相撲が取りづらそう!
第2章 いろいろな動物、いろいろな絵画
前期も出ていたジューヴの黒豹の絵、やっぱりいいなあ。豹って確かに、木の上でぐたーってしてることが多いかも。
ヤン・ヨンストンの版画を原画とする作品2点。
石川孟高「犀図」。うーん、犀というより、金属で出来たロボットみたいだ。司馬江漢のライオンもかなり変。
その点、上田公長、窪田雪鷹、谷文晁の2頭のヒトコブラクダを描いたものは結構リアルかも?オランダ船にのってやってきたラクダは全国をまわったのだそう。そういえば、中山道を歩いているときにラクダがきたという話を聞いたっけ。
応挙の「百兎図」。淡い色彩で描かれる兎たち、いろいろな格好をしている。子犬の絵に通じるものがあるかな。
はじめてみた北斎の「河豚と大根図」。河豚が意外とリアル。大根は毒消しとしてよく一緒に食べられたらしいのだけど、効くんですかね?
第3章 動物から広がるイメージ
筑陽「寿星図」。寿老人と一緒にいる鹿の目!まつげが全方向に向いていてしかも見開きすぎ?な目だ。
原在照「三猿図」はおもしろい。目と口を手で、耳を足で隠していて、1匹で三猿をあらわしているという・・・庚申の絵なんですね。
そして、鹿の競演!モローの一角獣に続いて「春日鹿曼荼羅図」と春日大社にある「鹿図屏風」。前者はよくよく見ると、下に奈良の鹿が見える。後者は、前面金箔で、今はだいぶ色が落ちてしまっているけれど、往時はさぞかしきらびやかだっただろうなあ。
第4章 愛おしいもの
歌川国芳「七婦久人・寿老人」。これシリーズものだと思うが、寿老人ではなくて、猫に袋をかぶせてその間に手紙を読む女性がポイント。猫は袋とか箱とか好きだよね。
長沢蘆雪「獅子の子落とし図」。なかなか厳しい絵なのだが、母獅子の目がなんともいえない。
伊年印「虎図」。丸すぎる虎!
夏目漱石「柿烏図」。やっぱり漱石は絵がうまくないよね・・・
そして家光!家光の絵、いつみても笑ってしまう。
木菟はまあまあだけれど、「鳳凰図」。いや鳳凰には見えないよ・・・しかも真ん中から描き始めて、しっぽつけたら妙に右に寄ってしまったんだろうか。いやでも楽しいね。
家綱の作品も一つあったけれど、テイストは家光そっくり!
最後は子犬のコーナー。とにかくかわいい!
仙厓の「双狗図」は何度か見たことがあるけれど、きゃんきゃんってホントに鳴く声が聞こえそう。
若冲のは、犬たちより箒とちりとりの方に目がいってしまう。
でもやっぱり、応挙と蘆雪だなあ。
子犬たちが固まっている様子がなんともいえない。
後期の作品では、応挙なら「雪中狗子図」、蘆雪なら「菊花子犬図」が好き。
前後期、とても充実した展覧会でした。
是非どうぞ。
9月に羽村~福生をウォーキングした際に田村酒造場に寄って買ってきたお酒。
いろいろあったが、基本のお酒を買ってみた。
飲んでみると、ほんのり甘みを感じる。
じわじわ旨みを感じるけれど、後味はわりとすっきりめでしょうか。
濃い味の料理にもあいそうかな。
先日中山道を歩いたのだが、最後は木曽福島駅に出て、電車の時間まで結構あったので、お土産屋さんへ。
そこで見つけたお酒である。ま、去年も買っているのですけど(なぜか馬籠で)ね。
秋あがり、そろそろ終わりかな。
注いでみると、ほぼ色はなし。
飲んでみると、この度数(19度・・・去年は20度だった気が)だと、かなり強いと感じるかと思いきやそうでもないし、とても飲みやすいんですね。
まろやかで甘みもあるからでしょうか。
これは好きなお酒。
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