中山道六十九次歩き(第17回) 福島宿~宮ノ越宿4
(3より続き)
ちょっと恐い感じの橋が見えてきた。ここを渡るの?なんだか途中で
折れ曲がっているような・・・
なかなかにワイルドな橋だ。
おそるおそる渡る。
草道を進んで上がっていくと舗装道路に出た。
これ、標識がなかったら絶対わからない・・・
旧日義村に入った。マンホールは、ササリンドウのデザイン。
朝日将軍木曾義仲が平家討伐の旗挙を行った地であることから義仲にちなんで「日義村」と命名され、義仲の家紋がササリンドウだったことにちなむ。
しばらく行くと、ついに!中山道の中間地点。ちょっとうれしいです。
明星岩公園から見えるのは・・・
明星岩。
大きな白いカジカが住み着き、朝日が当たると輝いたと言われる。
おお!
前週は見えなかった木曽駒ヶ岳が見えた!
ちょっと行くと墓地の入り口に石造物がたくさん。
これは墓地守護石人像。
六地蔵+α。
無佐澤川を渡ったところには庚申塔。
林昌寺に寄る。
地蔵堂。
本堂。
中原兼遠の墓。
なんかハートが見える!
街道に戻り、踏切を渡る。
まだまだある柿。
宮ノ越の一里塚跡。
下町会館のところにまたまた廿三夜塔があった。
他は南無阿弥陀仏名号碑、大乗妙典供養塔、西国三十三所観世音菩薩。
水神もある。
先を進むと明治天皇宮ノ越御膳水碑があった。
明治13年、明治天皇中山道御巡幸のみぎり、旧j本陣にお小休みされた際、この井戸水をもってお茶を献上されたとのこと。
田中屋。
旅籠屋田中忠右衛門と記された旅籠。
残念ながら4時を過ぎてしまっていたので中には入れなかったけど、ちらっと中をのぞくことはできた・・・
脇本陣問屋跡を通りすぎた先に、本陣跡が。
宮ノ越宿は明治16年の大火で90軒の家が燃えてしまい、本陣もほとんどが焼失したものの、客殿部分が残り再生工事をして公開されている。
これまた4時を過ぎてしまって中が見られず残念・・・
そしてこの日のゴール、宮ノ越駅。
木曽福島に戻り、しなのに乗って松本に出てあずさに乗る。
今回の駅弁は米豚のめし。お米配合の餌をたべた米豚。
味噌漬けと塩豚が乗っていておいしい!!
帰宅は9時すぎだった。
今回のおみやげ。
約28100歩。入場施設が多かったので、歩数少なめでした。
(完)
マップはこちらを使っています。
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