中山道六十九次歩き(第16回) 上松立町~上松宿~木曽福島駅4
(3より続き)
赤いかけはしが見えてきた。
車道は大回りしているのだが、ショートカットできそうな草道があったので、やぶの中を降りて行くと、ちょうどかけはしのところだった。
芭蕉句碑。「桟や 命をからむ 蔦かつら」。
くっきりとした馬頭観音。
明治天皇聖跡碑。
子規句碑。
「かけはしや あぶない処に 山つつじ
桟や 水にとどかず 五月雨
むかしたれ 雲のゆききの あとつけて わたしそめけん 木曽のかけはし」。
木曽のかけはしが向こうに見える。
昔は険しい岩の間に丸太と板を組み、藤づる等で結わえた桟だったが、正保4年(1647)に通行人の松明で焼失してしまった。尾張藩は慶安元年(1648)に長さ56間(102m)中央8間(14.5m)の木橋を架けた石積みを完成させた。国道改修時、このまま保存することになったのである。
かけはしを渡って、中山道に復帰。
橋からの眺め。
やがて車道から別れて細い道を上がっていくが、その入り口にあるのが沓掛一里塚碑。71里。
西側の塚の上にあるのが沓掛観音堂だ。
馬頭観音などが並ぶ。
木曽義仲の馬は、人の言葉がわかる馬だった。義仲が木曽の桟の絶壁に通りかかり、目算で 「七十三間とべ」 と号令をかけ馬は命ぜられるまま正確に七十三間跳んだが、実際は七十四間あったので、人馬ともに河中へ転落。義仲は九死に一生を得て助かったが、馬は亡くなってしまった。そこで、義仲は金の観音像を作らせて一堂を建てて馬の菩提を弔ったという。
そこから道は線路脇の草道を行く。
木曽町に入り、国道に合流。すぐ先で御嶽山遙拝所中山道コースの標識のところで、線路の向こう側に出る。
木曽本宮が見える。なんか派手だな~
道の駅木曽福島。
向こうに御嶽山が見えるはずだが、残念!ちょっとしか見えない。
御嶽遙拝所。
ここからも見えないなあ。
木曽町のマンホール。旧木曽福島町のもので、木曽の山や川を幾何学模様で表したものとのこと。
沼田野、中平(立場茶屋があり木櫛を売っていた)を通り過ぎ、道は次第に下っていく。
木曽川取水堰が見えてきた。
斜面の上の方に堤防記念碑、新田記念碑、菩薩像、勢至大菩薩、廿三夜塔、開発記念碑。
その先に塩渕一里塚跡碑。70里目。少々ここで休憩する。
昔、中山道を馬の背中に塩を載せて運んできたところ、その馬が木曽川の渕に転落し塩を撒いてしまったところから、塩渕という地名が付いたと伝えられているそうだが、シオは川の曲流部に付けられること多いらしい。
その先、また細い道を上がっていく。
駅も見えてきた。
御嶽大神。
御嶽大神とは、国常立命(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おおむなちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神をいうそうである。
御神水。
不動明王など。
木曽福島駅到着。
道を下って、今回は大村屋さんでそば饅頭と栗子餅を、駅前で七笑の生酒をおみやげに買い、しなのを待つ。
前回と同じく17時25分のしなのに乗り、18時4分松本着。
駅弁とワインを購入。
中央線の人身事故の影響で(まさか14時台の東京の事故が影響するとは!)到着が遅れたけれど、定刻に発車。
早速駅弁を食べる。
今回は大糸線の旅とイヅツワイン白。
大糸線沿線の松川村は男性寿命日本一の村で、その食材を利用して作られたやさしいお味のお弁当だった。
結局立川には約25分ほど遅れて到着。
帰宅は9時半だった。
今回のおみやげ。
今回は紅葉をめでた旅でした。
約33900歩。
(完)
マップはこちらを使っています。
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