京街道歩き(第4回) 守口宿~高麗橋1
2週間前に中山道を贄川まで歩いたが、そろそろ気候的に厳しくなってきたので、2000年2月に守口宿まで歩いて以来、あと少しを残してストップしていた京街道を歩くことにした。
まさか、コロナで歩けなくなるとはそのときは思ってもみなかったのだった・・・
4時半起きで6時15分ののぞみに乗り京都着8時25分。近鉄に乗り換え、丹波橋で京阪の特急に、枚方市駅で準急に乗り換え、守口市駅到着は9時33分。もしかして雨がまだ降っているかもと思ったが、幸いやんでいた。

前回歩き終えた本町橋から歩きスタート。

守居橋も本町橋同様、下に川が流れているわけではない。
明治の河川改修で堤(堤防)の意味がなくなり、両側をつなぐために堤防が切られ、橋が架けられたのだそうだ。

その先の義天寺は、元「丁子屋」という茶屋の跡。明治23年、仏立宗の開祖日扇上人が大阪に下る途中に体調が悪化しここで亡くなった。そのあとを日聞上人が買い取り、道場を建てて義天寺としたという。

ここに大きな題目碑があるが、この先の野江の刑場に建てられていたものだ。

すぐ先が守口宿の西見附で(「京街道 陸路官道第一の驛 守口」の表示があるあたり)、旧道は消滅しているため、京阪本通という大きな通りに出る。
大阪市に入ってきた。
今市で旧道に入る。

マンホールは大阪城のデザインだ。

そして、この家紋のようなマークはなんなんだろう?
このあとずっと続いていたのだが・・・
ちょっと寄り道。寶龍寺へ。

樹齢800年のクスノキが4本。門は閉まっていたので外から撮影。
1本だけちょっと丈が低かったような?

向かいの建物は今市会館。
昭和24年の建築。
街道に戻り、木犀陣屋跡を通り過ぎる。
庄屋浅田家のあった3本の木犀は関目まで香りを漂わせるほどで、14代将軍家茂が宿泊した際、この香りを喜んだという。

ちょっと行きすぎてしまったが、千林商店街(ダイエー一号店が開店した場所だそう)を入ったところに朝日地蔵尊がある。

水路の曲がり角にあったことから船頭が櫓で突き華が欠けてしまったという。お酒が好物のお地蔵さんで、今もお酒が奉納されるとのこと。

各所にこんな道標がある。
横に「大阪城京橋口まで○○km」と刻まれている。高麗橋までじゃないのはなぜと思ったら、豊臣秀吉が淀川左岸を改修して堤防上に築いた京街道は大阪城京橋口が起点だったのが、江戸時代に東海道57次ができて起点は高麗橋東詰に移されたのだという。

古市橋で運河を渡る。

この城北運河は、工業用船運のために、昭和10~15年に開削され、橋は昭和12年に架橋された。
大阪はホント、橋の大い街だ。
関目5丁目交差点の辺りからは七曲りといわれる。秀吉が大阪城を築くに当たり、防備に重要と考えたのが関目あたりで、敵の様子を察知するため、蛇行させたのだという。

都島通りに出たところに明治天皇聖躅碑がある。
慶応4年の行幸の際に西井茶屋で休憩された記念に建てられた。
京街道は都島通りを横断し、細い道に入る。

また通りを渡るのはやめて、関目神社を通りの向かいから写真を撮る。
神社は大阪城の東北の鬼門に当たり、毘沙門天を祀っている。

別デザインのマンホール。
大阪城、ツインビル、アクアライナー、旧淀川に架かる水晶橋。

都島通りに合流すると野江国道筋商店街が続いている。
野江四丁目交差点のところでちょっと寄り道。

野江水神社。
天文2年(1533)創建だが、明治18年洪水で倒壊し再建された。

水流地蔵はこの洪水で流れ着いたお地蔵さんだそうだ。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています。
« よなよな月の生活(クラフトビール定期便) 3回目 | トップページ | 京街道歩き(第4回) 守口宿~高麗橋2 »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡5(2025.06.19)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡4(2025.06.18)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡3(2025.06.17)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡2(2025.06.16)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡1(2025.06.15)


コメント