中山道六十九次歩き(第18回) 奈良井宿~贄川宿4
(3より続き)
贄川宿が近づいてきた。
桜ノ宮は贄川関所を前に旅人が身繕いをしたというところ。
文政7年(1824)の囘国接待一千人文政7年(1824)、念仏六百万遍、南無観世音菩薩、奉拝禮東国、地蔵尊などがある。

後には馬頭観音など。

食堂S.Sは絶めしロードの舞台にもなった食堂だ。
なんでもありの食堂らしい。トラックがたくさんとまっていた。
やがて大木が見えてきた。
贄川のトチである。

樹齢1000年。根元の周囲は10メートル以上、こぶもある。
高さは8.6メートルでいやはやホントにでかい。
県内最大だそうだ。
中央線を越え、いよいよ贄川宿へ。

鉤の手になっていて、水神があった。ここからが贄川宿。
明和5年(1930)の大火で宿並は全焼してしまっている。本陣1、脇本陣1、旅籠25。奈良井宿の手前だったので宿泊客は少なかったそうである。
ここは木曽路最後の宿だ。

焼失してしまったといえ、ちゃんと街道らしい町並みですね。

深澤家住宅。連子格子がみえる。
屋号は加納屋。名字帯刀を許された贄川宿屈指の商人の屋敷で、嘉永7年(1854)に建てられた。
重要文化財に指定されている。

ここにも水場があった。

奥には秋葉神社・津島神社。

道祖神に不動明王。
この宿にはお寺と神社は1軒ずつ。せっかくなので線路と国道を越えて行ってみる。

観音寺。大同元年(806)創建。

山門は寛政4年(1792)の建立である。

大きな聖観音菩薩もある。

奥にある神社が麻布廼神社。天慶年間(938~947)の創建。

ここにも御柱が。
7年に一度御柱祭があるそうだ。諏訪神社が本社なんですね。

本殿。
街道に戻り、少し進むと郵便局があり、その前の丸ポストがめずらしいものだった。
1948~1949年に試作された3つのうちの一つで、何が特徴的かというと、投函口の下には通常POSTと書かれているのがLETTERとなっているんである。桜の紋章もついている。

贄川のマンホールは関所と花桔梗。


関所は残念ながら4時を過ぎていたので閉まっていたので外だけ撮影。
明治2年に木曽福島の関所とともに廃止されていて、これは復元したものである。
メロディー橋と言われている中山道跨線橋で線路を渡る。

大名行列の透かし彫りがある。

この橋から関所を見ると屋根に石があるんですね。
妻籠でも見たなあ。

橋の欄干に鉄パイプが下がっており、叩いていくと木曽節を奏でる仕組みとなっているそうなのだが、叩いていてもよくわからなかった。

日も暮れてきた。

ようやく贄川駅に到着。
ワンマンの電車に乗って松本駅に出る。
駅弁を買ったあと、いったん改札の外に出て待合室であずさを待つ。
いつものあずさ(6時40分発)の乗りこみ、早速お弁当を。
今回は富山直送のますの寿し。久々だ。
食べきりサイズというだけあってちょうどいい量。
そして、甲州ワインを飲む。
今回はめずらしく電車も遅れず、帰宅は9時過ぎ。

今回のおみやげ。
かなり寒いかなと思い、重装備でいったのだが、さすがに夕方は冷え込んだものの、昼間は結構暖かくて歩きやすかったです。
27300歩。
年内にもう一度歩けるといいなあ。
(完)
マップはこちらを使っています。
« 中山道六十九次歩き(第18回) 奈良井宿~贄川宿3 | トップページ | サッポロ ヱビス ホップテロワール »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡5(2025.06.19)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡4(2025.06.18)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡3(2025.06.17)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡2(2025.06.16)
- 鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡1(2025.06.15)


コメント