日光街道歩き(第9回) 小山宿~新田宿~小金井宿~石橋宿2
(1より続き)
代官陣屋跡。
ここを入っていくと、羽川薬師堂がある。
小金井宿にある慈眼寺の権大僧都覧清師が、衆生を病苦から救うため薬師如来を祀る御堂を建立したもの。
横の覆屋には十九夜塔、雨引観世音がある。
橿原神社に寄る。
江戸時代までの新田宿の氏神は星宮神社であり、明治5年、九州の宮崎神宮より勧請し、橿原神社となったそうだ。
桜の季節はきれいだろうなあ。
拝殿。
明治39年、東北線の蒸気機関車の飛び火で社殿が焼失し、その後再建された。
脇にある小さな社が星宮神社だ。
国道を少し進んで、銅市金属工業のところから左の旧道に入ったところに、石仏石造物群があった。
寛政12年(1800)の馬頭観世音。
左から、宝暦2年(1752)の大乗妙典六十六部供養塔、文政の馬頭観音、寛政12年(1800)の青面金剛庚申塔、元禄3年(1690)の庚申塔、享保元年(1716)の一面六臂青面金剛庚申塔。
ここから右の道に入らねばならなかったのだが、うっかり左に行ってしまい、慌てて戻る。
やがて旧道は通行止めになってしまい、国道へ迂回。
ほどなく下野市に入った。
ここで超早い昼食。
幸楽苑である。まだ11時前だが、朝が早かったのでまあいいのだ。
頼んだのは、塩たんめんプレミアム。チャーシューが長いなあ。
おなかいっぱいになって出発したところで、マンホール発見。
南河内町、国分寺町で運営されていた自治医大周辺下水道組合のもので、両方の町の花が菊だったことから、菊を幾何学的にデザインしたという。
小金井一里塚が見えてきた。
手前は東塚。くぬぎとえのき。
奥は西塚でえのきが植えられている。
今まで日光街道で見た一里塚では一番立派かも?
国道の左右には別れてはいないのは、ここが元々街道だったということですね。
慈眼寺に寄る。建久7年(1196)新田義兼の開基で新田一族の祈願所として建立されたお寺である。日光社参の将軍はここで昼食をとったそうだ。
入るとそこには布袋様が微笑んでいる。
石造物がたくさん!
よくよくみると、いくつかある二十三夜塔の他に二十六夜塔。これはあまり見ないかも?
十九夜塔もあった。
山門。
十三重塔。
塀は筋塀だ。天皇とは関係ないように思うけれど・・・徳川将軍が寄る場所だったから??
観音堂。弘法大師作の千手観世音が祀られているそうだが、見られない。
鐘楼。
弘法大師。
本堂。屋根瓦や灯籠に葵の御紋が見える。
(3へ続く)
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