日光街道歩き(第9回) 小山宿~新田宿~小金井宿~石橋宿1
冬の中山道(長野)は雪と寒くて歩けない・・・
甲州街道もそろそろ寒い地域に入ってきてなかなか機会がない・・・
ということで、2020年10月以来の日光街道歩きをすることにした。
うちからは比較的行きやすい地域に入ってきていて、今まではゆっくり目に家を出ていたのだが、ラッシュは避けたいと思い、早めに出ることに。
6時少し前に出発、中央線、武蔵野線、京浜東北線、東北本線を乗り継ぎ、7時52分小山着。8時に歩き始める。
小山宿は前回全部見終えていたので、サクサク進む。
まだまだ寒く、完全防備だ(風が強い予報だったので、しっかり着込んできた)。

第一奥州街道踏切で両毛線を横断する。
両毛線は今まで乗ったことないなあ・・・

薬師堂に寄る。
この日は西風ということで、西に向かう道に入ると向かい風が強く寒い。
右が観音堂、左が薬師堂だ。

薬師如来。

観音様は小さかった・・・

右にはお地蔵様。

脇に十九夜塔などが4つ並んでいるのだが、右端は念仏供養地蔵尊で、道標をかねており、「右へ奥州海道 左へ日光海道」と書かれている。かつては喜沢追分にあったという。
1716年、幕府が中仙道は中山道、日光海道は日光道中と表記する旨のお触書を出したものの、2年後たてられたこのお地蔵様はまだ日光海道という・・・

日枝神社。

3本の大きなけやきがあるが、推定樹齢400年以上だそうだ。

太い!

長い参道を歩いて行くと、国道で遮られている。渡ってお詣り。

社殿の裏の土塁は、かつて祇園城の北の守りの役目を果たしていた喜沢の砦があった場所だそうだ。
上に上がってはみなかったが、「男體山」碑があり、道標をかねた石碑だったとのこと。

上が切られた幹にも屋根が。

じょうびたきも撮ってみました。意外と逃げません。
街道に戻って進むと喜沢追分に出る。

大きな男体山碑が見えてきた。これは日枝神社の土塁の上にあったものの復元なのですね(平成31年百数年ぶりに元の位置に復元したとのこと)。

明治27年(1894)の馬頭観世音碑、日清日露日支出征馬碑もある。

ここから細い道へと入っていく。

東北本線と東北新幹線のすぐそばを道を通っていくのだけれど、ふと高架の向こうを見ると、筑波山が見えた!
やがて雑木林が見えてきた。

ここが喜沢の一里塚だ。

東側のこれも塚の痕跡かな?
道はしばらく新幹線の高架下を進み、やがて国道4号線に合流する。
新田(しんでん)宿のはじまりだ。
新田宿は日光街道でもっと小さな宿で本陣1、脇本陣1、旅籠11。
新田義貞とは関係ないのか・・・

こうした行灯が随所におかれていていいですね。新しそうな感じ?

青木本陣跡。
本陣門(四脚門)が残っている。

いくつか屋号札があった。
中の兵庫屋ってなんだろう?

小さい宿だけれど、がんばってますね。
(2へ続く)
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