サッポロ サクラビール
昨年も発売になったビールが今年も出たので早速購入。
大正2年北九州で製造されたサクラビールを現代風にアレンジしたビールだそう。
注いでみると、ブロンズっぽい濃い色。
飲んでみると、甘さの中から苦みがでてくる感じ。重めのどっしりビールで、古風なのかな、やっぱり。軽やかさはないですね。
でもこういうのも好きです。
« 2022年1月 | トップページ | 2022年3月 »
昨年も発売になったビールが今年も出たので早速購入。
大正2年北九州で製造されたサクラビールを現代風にアレンジしたビールだそう。
注いでみると、ブロンズっぽい濃い色。
飲んでみると、甘さの中から苦みがでてくる感じ。重めのどっしりビールで、古風なのかな、やっぱり。軽やかさはないですね。
でもこういうのも好きです。
アサヒ生ビールの派生品。
と思ったのだが、1982年発売されたアサヒ黒生ビールの復活らしい。
といっても覚えてないな・・・
注いでみると、黒は黒だけれど、ちょっと薄め。
飲んでみると、黒ビールだから焦げ味なんだけど、控えめ。酸味も控えめ。
飲みやすい黒ビールですね。
アサヒの製品はあまり好みでないものが多いのだけど、これは好きかも。
長野県と山梨県のセブンイレブンで先行発売されたヤッホー・ブルーイングのビール。
今回のよなよな月の生活で選択できたので5本頼んでみた。
というか5本しか頼めなかったのだった・・・
大人気で生産が追いつかないらしい。
缶のデザインは何?
と思ったら上半身はかもしか、下半身は雷鳥なんですね。
長野県発祥の信州早生ホップ、山梨県発祥のかいこがねというホッププラス4種のホップを使用。このあたりでもホップを作っているんですね。
注いでみると、かなり薄い色。
飲んでみると、結構軽めですね。度数が4.5とちょっと低めというのもあるかな。
すーっとハーブの香りが鼻に抜ける感じで、意外に苦みもある。
これまたいいですね。
東京都美術館に行ったあとの昼食。
展覧会はわりと早く見終わって、ちょうど食事時ということもあり、どこも混んでるだろうなあと思いつつ、やはりさくらテラスへと向かう。
営業を休んでいるお店もあったりして、どこもだいたい列がある。
その中で、見慣れないアジアン料理のお店には入れそうだったので、えいやと決める。
昨年12月オープンだそう。
どうりで知らないわけだ・・・
インド料理メインかなとも思ったけれど、ネパール、タイ、ベトナムなどのお料理もある。ランチメニューも結構いろいろあって迷ったが・・・
ワタクシが注文したのはベトナムフォー。
定番の具材がいろいろ入っている中(肉は鶏肉と鶏団子)、なぜか大根が!
大根てあまり入ってるのみたことないような??いや、なじんでいたけれど。
久々にフォーを食べました。
同居人のグリーンカレー。
辛さは普通にしたけれど、じわじわと辛さがあとからきたそう。
次回はネパール焼きそば=チャウメン(辛さは普通でいいけど)を食べてみたいな。
東京都台東区上野公園1-54 上野の森さくらテラス 1F
art-7【フェルメールと17世紀オランダ絵画展】 東京都美術館
東京都美術館で開催されている【ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展】に行って参りました。
開幕が延期となり、見られずに終わってしまうのか?と心配していた展覧会が、遅れたものの無事はじまって何より。行ける時に行かねば!ということで早速行って参りました。
ドレスデンを訪れたのは、7年半ほど前。もちろん、古典絵画展は訪問。フェルメールをはじめとして、クラナーハ、デューラー、ルーベンスなど堪能した。
今回の目玉はフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」だが、それ以外もなかなかに充実。
レンブラントとオランダの肖像画
まずは肖像画からスタート。
肖像画は、対象となった人を知らないとおもしろくない作品もあったりするが、別の楽しみ方もある。
ミーレフェルト「女の肖像」。お金持ちしか依頼できなかった画家のようで、ここに描かれた女性もいかにも上品な上流階級の女性という感じ。
フランス・ハルスの「灰色の上着を着た男の肖像」と「黒い上着を着た男の肖像」は小品で下絵なんだろうか?しっかりとは描きこまれていないみたいだ。
ヘルスト「緑のカーテンから顔を出す女」は女性がちょい不気味だ。
レンブラント「若いサスキアの肖像」。結婚することになるサスキアを描いているが、この光の当て方、まさにレンブラントなんだが、サスキアがちょい恐い・・・
フリンク「赤い外套を着たレンブラント」。てっきり自画像かと思ったが違いましたね。
複製版画
コレクションを宣伝する目的で作られた複製版画。
これがなかなかに精密でいい出来なんである。欲を言えば原画の写真でも隣にあったらもっとよかったかな。
レンブラント、メツー、ライスダールなどなど。
一番印象に残ったのは「歯医者」。麻酔なし??みんなで患者を押さえつけてる気が・・・
レイデンの画家―ザクセン選帝侯たちが愛した作品
ここにもあった!「歯医者」。ダウの作品。
だまし絵風に描くのが得意な画家だそうで、なるほどこれは手前に飛び出して見える。「老齢の教師」も同じ趣向。
ボルフ「手を洗う女」。ドレスが美しいのだが、寓意画でもあるんですね。
ボルフ「白繻子のドレスをまとう女」。これは手紙を読んでるのだろうか?うしろを向いていてよくわからないが・・・この後ろ姿をボルフは何枚も描いているらしい。ボルフはやはりドレスを美しく描くなあ。
オフテルフェルト「雅なる紳士」。これ、紳士の下心がわかりやすい。雅じゃないなあ。
メツー「レースを編む女」。よくよく見るとあんかに乗る猫が描かれているが、単に寒さを表しているだけでなく、官能の象徴ということで、案外意味深な絵なのか・・・
メツー「鳥売りの男」、「鳥売りの女」。鳥もまた性的な意味合いがあるとのことで、うーんこれはどう解釈したよいのだろう・・・
《窓辺で手紙を読む女》の調査と修復
いよいよこの展覧会の目玉。
「窓辺で手紙を読む女」は1979年のX線調査ですでに壁にキューピッドが描かれていることがわかっていたが、フェルメーズ自身が塗りつぶしたと考えられていた。しかし、2017年の調査で、フェルメールの死後、何者かによって消されたことが判明、今回とりのぞく作業が行われた。
なんのために塗りつぶしたのか?一説には、レンブラントの作品らしく見せるためとも・・・(当初はレンブラントの作品として売られたらしい)
この修復が行われた結果、相当大きなキューピッドが出現。
うーん、これは好みかもしれないけれど、ワタクシとしてはない方がいいなあ。キューピッドがあるということで、恋文だということがはっきりするのかもしれないけれど、なくてもそうではないかと思えるし。なんかちょっとバランスがよくないし、ない方が余白の美が感じられるような・・・
とはいえ、買ったのは修復後のマグネットなのだが。
オランダの静物画―コレクターが愛したアイテム
静物画は好きなジャンルなので大いに楽しむ。
デ・リング「キジのパイがある静物」。パイ??キジそのものではないか・・・
ブライ「ニシンを称える静物」。これはおいしそう。アムステルダムで食べたハーリングプローチェおいしかったなあ・・・
ヤン・デ・ヘーム「花瓶と果物」。こうした絵を見ると、虫やかたつむりが描かれているのを探すのが楽しみだったりする。
ヴァイヤン「手紙、ペンナイフ、羽根ペンを留めた赤いリボンの状差し」。とても写実的!
オランダの風景画
なんといってもライスダール!
これって滝?と思うが「城山の前の滝」。水と空と雲と森と。らしい絵だ。
ポッテル「家畜の群れ」。馬、牛、羊、やぎ。家畜画というのも一つのジャンルですね。
ウィッチ「アムステルダムの旧教会内部」。この画家は教会内部を専門的に描いた人。光の差し込み具合が美しい。
聖書の登場人物と市井の人々
ヤン・ステーン。風俗画で有名な画家だが、「ハガルの追放」は聖書に題材をとっているが、風俗画そのもの。「カナの婚礼」もフツーに宴会という感じだ。
アーフェルカンプ「そりとスケートで遊ぶ人々」「氷上の遊び」。なんとなくブリューゲルを思い出す。
スケートとかそりはわかるけれど、ゴルフみたいな遊び、なんだろう?
フェルメールだけでなくいろいろな作品が楽しめます。
是非どうぞ。
(3より続き)
続いて岩走神社。
平安時代末期に信州の伊那郡の石工たちが移り住んでこの神社を開き、寛政6年(1794)には正一位の神階を受けている。
拝殿。
奥に本殿が見える。
境内社(琴平神社・稲荷神社・八雲神社・熊野神社・疱瘡神社)。
疫病封じ祈願をする。
この神社の前から秋川沿いの旧道(瀬音道)を行く。
川沿いは気持ちいい。
途中、階段を上がり、踏切を越えて大悲願寺へ。
源平合戦で名を馳せた日野の武将平山季重が醍醐寺三宝院の僧を招いて、建久2年(1191)に開山した。
楼門は安政6年(1859)の仁王門。
仁王像。
天井絵。大日如来の梵字を囲んで草花が描かれる。
寛政6年(1794)観音堂。
彫刻が素晴らしい。
地獄。
極楽。
こちらも小さいけれど観音堂。
お地蔵様。
四国八十八ヵ所があって、もっと時間があったら全部回りたかったところだけど、そこまで時間はなかったのでいくつかだけ見る。
奥に乳牛供養塔なるものがあった。
このあたりはかつて酪農が盛んだったらしい。
梵鐘は寛文12年(1672)のもの。
本堂。
内側からみた安永9年(1780)建立の朱雀門。
仙台市から贈られた伊達政宗ゆかりの臥龍梅。
伊達政宗の白萩文書(庭の白萩が見事であったが、その白萩を所望したいというもの)なるものが残されているらしい。
ここで焼き酒まんじゅうを食べて休憩。あまじょっぱいお饅頭だ。
瀬音道に戻り先を進む。
秋川のサギ。
上の道との合流点に、右から文化3年(1806)の庚申塔、青面金剛庚申塔
、地蔵、馬頭観音。
馬頭様のアップ。ちょっとおもしろい髪型?
旧道をさらに進み、秋川支流を渡ると小さなお堂があり、右脇に馬頭観音があった。
道の向こうに冠木門が見える。
正光寺である。嘉元3年(1305)開山。
清掃中か工事中の車がとまっていたので、馬頭観音や寒念仏を見るのはあきらめ、弁財天堂のみ見る。
弁財天が運良く見ることができた。
武蔵五日市七福神の一つらしい。
旧道を少し歩いて都道7号線に合流、ほどなく武蔵五日市駅到着!
五日市線、青梅線、中央線を乗り継ぎ、地元到着5時15分過ぎ。
前週と同じお店で乾杯!
酒盗チーズ、とん平焼き、はたはたの小鍋を瓶ビールと一の蔵で。
帰宅は7時前だった。
今回のおみやげ。千代鶴、醤油フィナンシェ、同居人分の焼き酒まんじゅう。
約32700歩。
五日市街道は3回で完歩しました。
次は青梅街道かな?
(完)
(2より続き)
そして寄ったのが真照寺。多摩八十八ヶ所霊場58番にして関東九十一薬師霊場の6番(そんなのもあるんですね。地元の国分寺が1番だそう)。
山門は、元禄元年(1688)建立。四脚門である。
本堂。
の前の小僧さんがかわいい。
あきるの市名木・巨木百選指定樹木のいとひば。
こちらはさるすべり。大きい!
六地蔵。文化の文字が見えるのでまあまあ古い。欠けたり落ちたりしたと思われ、補修のあとが見られる。
薬師堂。
前も見たことがある「めめ」と書かれている絵馬。
目の薬師さんなのかな?
街道に戻る途中で、この日唯一の猫を撮影。
さて街道歩き再開。
フェンスがあってよく見えないけれど、左から寒念佛、地蔵、馬頭観世音。
享保16年(1731)の青面金剛庚申塔だけはちゃんと撮れました。
ここで違う柄のマンホール発見。
森っ子サンちゃん(サンショウウオがモチーフ)と石舟橋(秋川にかかる96メートルの歩行者専用吊り橋)が描かれている。
これは旧五日市町のマンホールで、梅が描かれている。
前々からきてみたかったキッコーゴ醤油。
醤油フィナンシェを購入。
この斜め前のセブンイレブン(登山の時にいつもおにぎりを買うところ)で飲み物を買い、裏手にある天神社に寄る。
足利基氏の母瑞雲尼が創立とのことだ。
ご神杉はばっさり切られてしまっている。4年ほど前の写真だとまだあるのだが・・・
紅白の梅が咲いている。
拝殿。
能満寺はお寺自体はお詣りしなかったのだが、駐車場に菩薩などが6体あり撮影。なぜ駐車場にあるんだろう?
この布団やさんは、テレ東のあさモヤで訪れていたので撮影してみました。
その先のセブンイレブンのところから旧道に入る。
旧道にあった道標。
旧道から再び都道7号線に合流、その先でちょっと寄り道、明光寺へ。
入り口の明和3年(1766)の地蔵菩薩など。
本堂。運慶作の薬師如来がご本尊とのことだが、当然ながら見ることはできない。
街道に戻るとちょうどそこに和菓子屋さん恵比寿屋にあり、酒まんじゅうが名物っぽかったが、ちょっとめずらしいところで焼き酒まんじゅうをおやつに買う。
その先に伊奈の市神様があった。
この地域で産出される伊奈石(昼前に玉泉寺で見ましたね)は農具や木炭などと共に取引され伊奈の市は大いに賑わった。江戸城の建築が始まると、伊奈石の採掘で石工が動員され、村と江戸を結ぶ道は 「伊奈みち」 と呼ばれた。この石祠は伊奈村の市の守り神だったとのこと寛文2年(1662)とある。
だいぶ馬刈山・鶴脚山が近づいてきた。
この先で再び旧道に入る。ここからは秋川に沿って進むことになる。
すぐのところに成就院。この先で訪れることになる大悲願寺の末寺である。
六地蔵。
不動明王。
お寺を出ると寒念佛、地蔵、馬頭観音。
寒念佛はこの日2つめだったがよく似ている。
(4へ続く)
(1より続き)
続いて玉泉寺へ。本堂・山門・鐘楼は元禄4(1691)年の建立。
仁王門。
剣。成田山と書かれている。
大樽平和観音。
大樽恵比寿。
昔この近くにあった早川醤油(キッコー早)が創業約100年昭和43年廃業した際に樽を保存しようと、昭和57年置いたもの。
本堂。
ちょうど涅槃図が公開中だった。
木像の不動明王坐像。
ご本尊は阿弥陀如来。
慶長~寛永の宝筐印塔。
経典供養塔。
いずれも伊奈石が使われている。このあと歩くことになる伊奈をはじめ、横沢、三内、高尾、網代、日の出町平井に分布する石。都唯一の彫刻加工できる石材で、柔らかく加工しやすいが風化しやすいという欠点があるそうだ。
街道に戻る。
坂を上がった先のイタリアンで昼食をと考えていたが、なんと3月6日まで臨時休業中・・・
ということで先を進むと、突如畑が現れた。
急にのどかな風景だ。
雪の積もった山も見える。
秋川ファーマーズセンターにてお酒(千代鶴カップ)を購入。
秋留台公園を通りすぎたところで・・・
つぐみ発見。
前回の歩きでもいましたね。
その先の大根畑の大根がなんと芸術的なこと!
あきる野市役所の向かい側にあるバーミヤンにてお昼タイム。
ちょうど12時を過ぎたところだった。
五目麺で暖まる。
ぐるっと迂回してしまったが(実際はバーミヤンのあたりから見えたのだ)、大塚古墳を見に行く。
一辺が33メートル、高さ8メートル。方墳とされていたが、その後平成5年の発掘調査で、周溝が確認されず、盛り土が古墳とは異なることから塚なのかもということだ。結局わからないままなのですね。
ワタクシとしては古墳と信じたい。
鳥居をくぐって上がっていくと・・・
上には鳥居と稲荷社があった。
めざしが供えられていたけれど、これは節分の名残なのかな?
降りて行くとちょうど五日市線が通っていくところだった。
やがて秋川駅前を通過。
鮎が一匹だけ描かれた小さなマンホール。
さらにちっちゃいやつ。
これは、前回も見た多摩流域下水道のマンホール。
「多摩川へ13.34㎞」とある。
五日市線の線路を越えた先には旧道がちょこちょこと出てくる。
ここで寄り道を。
一の谷通りを下っていくと、秋川の対岸にサマーランドの観覧車(現在臨時休業中)と右側に六枚屏風岩が見える。
うーん、ちょっと光っちゃって屏風な感じがわかりづらいなあ。
近くまでいかないとわからないのかも?
(3へ続く)
前週に引き続き五日市街道を歩きました。
曇りの予報だったけれど、そこそこ太陽が出てまずまず暖かい一日でした。
中央線、青梅線を乗り継いで、前回ゴールの牛浜駅を9時40分歩き始める。
青梅線の踏切を渡ると牛浜橋がある。
明治初期、新政府が東京市の近代化を図るべく熊本から石工を招き、二重橋をはじめ木橋を洋風の眼鏡橋に架け替えた。これを見た村民が牛浜橋の建設に取り入れ、明治10年12月に建設され、当初はめがね橋と
呼ばれた。
現在の橋は昭和52年に架け替えたもの。
この川は何川?って思ったら、これは玉川上水だった。
道は突き当たり、多摩川沿いに出た。
眺望案内板があり、天気がよければ大岳、三頭山から富士山まで見えるらしいが、残念、富士山は見えなかった。
多摩川中央公園を散策。
石濱渡津跡碑と牛浜渡津跡碑が並んであった。
牛浜の渡しは、かつて五日市街道を行き交う人馬が多摩川を渡る際に利用されていたが、大正14年に多摩橋の開通によって廃止された。五日市街道最大の難所だったという。
公園内には玉川上水田村分水が流れている。
葉ボタンはもう終わりに近いようだ。
「光の中で」と題されるオブジェがあった。駅前にもあったし、福生はこういうのに力を入れてるのかな?
こんな公園が近くにあったら、散歩にいいですねぇ。
田園広場公園にあった獣魂碑と供養塔。
第4代・5代東京都知事の東龍太郎の字だそうだ。
福生は七夕まつりが有名らしく、ゆるキャラも七夕っぽかったが、多摩橋のところにもこんなのが。
多摩橋で多摩川を渡る。
オオバンが見えた。
あきる野市に入ってきた。
マンホールに描かれているのは秋川で泳ぐ鮎だ。
多摩川に続き平出川を渡るのだが、その手前右に森山神社がある。
川のそばには必ず水神宮がありますね。これは明治21年のもの。
先を進む。
坂道の途中に、馬頭観音があり、ちょうど地元の方がお掃除、お供えをしていらっしゃったので見にいくのは遠慮したのだが、向かい側にお地蔵さんがあり、こちらはもうお掃除等が済んでいるようだった。
なんと、ちっちゃなおにぎりが6個そなえてある!
二宮本宿交差点には町内会のふれあい花壇がある。秋葉大権現常夜燈があったが、平成12年とだいぶ新しいものだった。
二宮神社に寄る。
室町時代にこの地に勢力を持った豪族大石氏の城館跡と言われている場所で、藤原秀郷や北条氏照も崇敬したという。
拝殿。
本殿の中には、室町後期以前の建築と考えられる宮殿(一間社、見世棚造、板葺目板打ち)が納められているそうだが、当然ながら見ることはできない。
筒粥の篠竹。
毎年1月15日の早朝に行われる筒粥の神事に使われるもの。宮司が鉄鍋に白米と長さ17㎝ほどに切り束ねた篠竹32本を入れて粥を炊き。、篠竹に入った粥粒の多少によってその年の農作の豊凶を占うそうである。
諏訪神社。
早く甲州街道の続きを歩きたいなあ。
二宮神社御池にも行ってみる。
武蔵野の路の地図があり、東京をぐるりと散策する路(全長270キロ)だそうだが、なんかいいマップがないかな?調べてみよう。
鴨がたくさん。
「
雨乞いの男」。
二宮神社の池は、昔雨乞いをしたところなのだそうだ。
(2へ続く)
スペインの赤ワイン。
ランプニーリョなので期待!!
度数は12%と低めだからどうか・・・
いや、結構いいですね。
やや軽めだけれど、デイリーワインとしては十分。
安いワインながらがんばっていると思う。
こういうの、気軽に飲めていいですね。
3回目のクラフトビール定期便がきた。
まだ4本残っていたけれど・・・
今回の限定ビールは、山の上ニューイ。新製品である。
なんでも、長野と山梨で限定的に売られているそうで、大人気のため生産が追いつかないようで、今回選ぶに際しても5缶までということで、ワタクシも5缶注文。
これは楽しみ!
art-6【上村松園・松篁・淳之 三代展】 東京富士美術館
2020年2月末から開催され、コロナ感染拡大によりわずか2日間で会期が終わってしまった展覧会を再度開催すると聞いて行って参りました。
点数も結構あったので、見応えありました。
Ⅰ上村松園
建設期~模索期~大成期プラス下絵・画稿等から構成される。
若くして数々の賞を受賞し、世に認められた松園だが、妬まれ嫌がらせなども受け、一時精神的に落ち込んだ時期もあったという。
その頃の作品なのか、「花がたみ」はちょっと恐い絵だ。凶女の顔が・・・能面十寸髪を顔の参考にしたのだそう。
下絵だけ展示のあった「焔」も恐い絵だ。
その他は、優美で美しい美人画ばかり。「楊貴妃」などはちょっとなまめかしいけれど。
好きな作品は、「長夜」、「鼓の音」、「志んし」など。
どれもまた、着物の柄や色が素敵なんですね。それもまた綿密に計算されているのかな。
Ⅱ上村松篁
松篁は花鳥画を描いている。
特に一時は鳥を1000羽以上飼っていたとのことで、観察力はすごい。
「春園鳥語」などはいろいろな鳥が描かれていてにぎやかだ。
鶴を描いた「月明」など、とても神秘的で美しい。
鳥ではないが、「羊と遊ぶ」かわいい。ほのぼのとする絵だ。
Ⅲ上村敦之
敦之もまた花鳥画である。
父が飼っていた鳥の世話をして細かく観察していたという。
「雁金」は地を灰色として、月がぼんやりと照らす中を雁金が飛んでいる姿を描いて美しい。
灰色の背景の絵としては「晨」もあるが、ぼんやり描かれた足から水の中の鳥ということがわかる。静かな作品。
かと思うと、ピンクっぽい赤が基調の「秋映」や、他にもカラフルな作品もあり、結構幅があるなあと。
とても充実した展覧会でした。
是非どうぞ。
なお、常設展示と山本作兵衛展も見ました。
(3より続き)
街道に戻るとやがて玉川上水を渡るのだが、その前に八雲神社へ。とても小さい神社だ。
享保4年(1719)の念佛講と刻まれた地蔵菩薩と享保20年(1735)の馬頭観音。
文化3年(1806)の秋葉大権現常夜燈。
多摩流域下水道のマンホールがあった。空から見た多摩川と戻ってきたアユが描かれている。
「多摩川へ3.89㎞」とあるが、これは処理場までの距離だそうだ。
玉川上水を渡って左の道に入る。ほどなく西武拝島線の線路をくぐる。
と、右側に茶畑が広がっていた・・・
前方を見ると大岳が見えてきた。
馬頭観音をいくつか通り過ぎ、玉林寺にて少々休憩。
十三重の塔があった。
六地蔵。
このあとほどなく旧五日市街道に入る。途端に静かな道になる(現五日市街道の県道七号線は左へ行く)。
この日、二つめの阿豆佐味天神社があらわれた。
一つめのより規模はだいぶ小さい。同じく村山郷殿ヶ谷(現瑞穂町)の延喜式内社阿豆佐味天神社より勧請されたもの。
殿ヶ谷分水跡碑なるものもあった。
殿ヶ谷分水は享保5年(1720)玉川上水より分水し、中里・殿ヶ谷・宮沢の三新田の開拓農民の生活を支えたとのことだ。
脇には文化元年(1804)の馬頭観世音碑と明和元年(1764)の青面金剛の庚申塔がある。
林泉寺に寄る。
入り口の六地蔵はダブル!
本堂。
カラス天狗がいると思ったら、鷹尾山林泉禅寺なのだそうだ。
おもしろい小僧さんがいると思ったら、干支小僧さんだ!
一応十二支全部撮りました~
ここではいくつかだけ紹介。
進んでいくと横田基地が見えてきた。
そして、道は突き当たってカーブしているのだが、本来はここをまっすぐ街道が通っていたのですね。相当迂回しなければならないのだ。
県道七号線に出て少し進むと福東トモダチ公園があって少々休憩。
誰でも仲良く遊んで交流し、みんなが友達になれる施設として作られた公園で、アメリカハナミズキが植えられているとのこと。咲いていないのでちょっとわからなかったが・・・
ちょうど休憩している時に見た飛行機。
先に進み、玉川上水に架かる日光橋を渡って・・・
日光橋公園の遊歩道を行く予定だったのだが、残念ながら工事中のためわらつけ街道を経由して第五ゲート前へ。
本来なら、ここまでまっすぐ街道が通っていたのである。
八高線の踏切を渡り、福生市民会館の坂を下った先にある福生公園の中に道標があった。
ちょっと読みづらいが、「右江戸 左きよ戸」と書かれている。きよ戸は清瀬市の清戸とのこと。
ほどなく牛浜駅に到着(駅前にあったLunaというオブジェ)。
駅前のスーパーでお酒を買い、電車に乗る。
立川で乗り換え、地元到着は5時少し過ぎ。
一杯やって帰宅したのは、7時前だった。
約38700歩。
前回よりほんの少しだけ多く歩きました。
次回が最終回です。
(完)
(2より続き)
古民家園を出たところで、つぐみ発見!
地面を掘って虫を食べていたようだ。
そして、立川市のマンホールも発見。
市の花コブシである。
街道に戻り、モノレールをくぐった先で昼食。
イタリアンのお店である。
ミックスピザとパスタ(あさりとプチトマトのヴォンゴレ・ヴェラーチェ)をシェア。
ピザの台がおいしい!
午後の歩きをスタートしてほどなく、阿豆佐味天神社に到着。
寛永6年(1629)に村山郷殿ヶ谷(現瑞穂町)の延喜式内社阿豆佐味天神社より勧請された神社。
拝殿は文久2年(1862)の総ケヤキ造り。
本殿は元文3年(1739)に作られた立川市内最古の木造建築物で一間社流造正面軒破風付こけら葺というが、覆殿に納められていて見られない・・・
天神社・浅間神社・八坂神社・金刀比羅社・八雲神社・御嶽神社・疱瘡社・稲荷社が合祀された蠶影神社。
その前にはただいま猫像がある。
ジャズピアニストの山下洋輔の飼い猫がいなくなり、この神社の前で「どうか、無事に帰ってきますように」と願掛けしたところ、翌日、17日ぶりに猫が戻ってきて、その後も、猫が逃げるたびにお参りに行き、その都度猫が返ってきたことから、“猫返し神社”と書いたところ、噂が広まり多くの愛猫家が訪れるようになった・・・のだそうだ。
絵馬もこんな感じ。
唐子手水鉢なるものもあった。
四人の唐子が手水鉢を担いでいるのだが、全国でもあまりないという。
砂川もだいぶ進んできた。
砂川三番の信号の先、左をちょっと入ったところに大山道の道標があった。安政4年(1857)のものだが、途中で折れたあとがあった。
流泉寺。
砂川新田開発に携わった人の菩提寺。明治にはいり、立川市立第九小学校の前身ともなった。
六地蔵。
慈光観音菩薩。
しだれ梅が咲き始めている。向こうに見えるのは薬師堂。
庫裡。
眠り小僧。
五百羅漢。
いろんなのがありますね。
見ていてとても楽しい。
本堂。
お寺の斜め向かいの大きなお屋敷は砂川家で、そこを曲がった先には、見影橋がある。
江戸時代から架かっている橋で、玉川上水の上流から4番目の橋だったので「四ノ橋」と呼ばれており、また名主の屋敷に近いため「旦那橋」とも呼ばれていたのだそうだ。
このあたりの玉川上水は木がうっそうとしていなくて明るい。
街道に戻る。
五日市街道はケヤキが多く、自治体でもちゃんと保存しているんですね。
先を進むと残堀川がある。
かつて砂川三番の見影橋付近を流れていた残堀川は、玉川上水の完成時に天王橋付近につなぎ替えられ、玉川上水の助水として利用されたが、明治41年(1908)に玉川上水から切り離されたとのことだ。
上流に少し歩いていくと、玉川上水と交わるところがあるが、ここを伏せ越しという。
上流からきた玉川上水は残堀川に突き当たると、サイホンの原理によって残堀川の下で立体交叉して下流で再び顔を出す。
(4へ続く)
(1より続き)
街道に戻る。
ほどなく立川市に入った。
若葉町のあたりに寛保元年(1741)の地蔵菩薩があった。顔が長い!
砂川十番組が砂川前新田として享保年間(1716-35)武蔵野の新田開発によって拓かれた頃、建立されたが盗難に遭い、現在の地蔵尊は昭和36年に再建され、昭和61に現在地に安置されたものとのことだ。
隣に小さな天保11年(1840)の馬頭観音もある。
文政9年(1826)の月山湯殿山羽黒山三所大権現碑。どこか他の場所でも見たなあ。
砂川地区に入ってきた。
砂川十番からはじまって、進むにつれ番号が若くなっていく。
砂川九番をすぎて、道が右から合流してくるところに、文化11年(1814)の大乗妙典六十六部廻國供養塔があったが、下の部分は修復してあるようで新しい石になっていた。
ちょっと寄り道。川越道緑地古民家園に行ってみることにした。
梅が咲いている。
古民家園到着。
正面に見えるのは小林家住宅である。
トイレがあると思ったら、これは使えないのだった。昔のトイレですね。隣は貯穀倉。
小林家住宅は嘉永5年(1852)に建てられた農家だが、6つの部屋からできていて、約60坪もある。
入ったところは台所(土間)で、各種農機具が展示されている。
お勝手。
ちょうど雛人形の展示があった。この季節歩くと、どこかで必ず雛人形にめぐりあえますね。
囲炉裏の火でいぶされている。茅葺き屋根の家は煙でいぶさないとダメなんですね。
お座敷には火鉢。
この組み方は捻れ組というそうだ。角から見ると水の字に見えるので水組とも言われるそう。
中の間にもお雛様が。
奥の間が素晴らしい。
違い棚が見える。
付書院の障子の細工は見事だ。
奥の間と次の間との間の欄間は漆塗りの菱格子欄間である。
ねこごたつ。
布団をかけた形が猫がうずくまっているようだとか、猫を抱えているような形になるとか説があるらしい。
前庭は、スタッフの方がきれいに筋をつけていた。
古民家園にはもう一つ建物がある。須崎家内蔵である。
木造三階建ての土蔵で、江戸末期から明治初期に建てられたものだそうだ。
須崎家は江戸時代、砂川村八番組の組頭を務め、かつては質屋を営んだ家。この蔵は質蔵として使われていたとのこと。
内部。
箱階段で登っていたんですね。帳面などを収納していたようだ。
砂川十番の大のぼり。
江戸時代末期、神社の祭礼の時に、豊作を願って大幟を掲げていた。
現在は五番、八番、九番、十番組の大幟が残っているそうだが、十番組大幟はその中でも保存状態がよく、幟、竿、彫刻などの部材も残っているとのこと。
ここ、無料で見学できるのいいですね。
(3へ続く)
久々に前週と比べると感染者が減ったとはいえ、まだまだ感染者が多く、遠出は難しいので、昨年9月以来となる五日市街道の続きを歩くことにした。
地元国分寺から西武多摩湖線に一駅乗って、一橋学園駅へ。
そこから小平桜橋まで戻って9時頃街道歩きスタート。
少しの間、玉川上水沿いを歩く。
前回歩いた時は草ボウボウで大変だったが、今回は刈り取られていて歩きやすい。
玉川上水にはやはり鯉がいますね。
アオサギもいました。
小川水衛所跡に出た。
江戸時代には水番所と呼ばれて、奉行の支配下に置かれ、水番人と呼ばれる人が常駐。明治になり、東京市水道部が管理することとなったことから、明治27年に水番所を水衛所と名前を変え、玉川上水の点検や清掃を行っていたとのことだ。
ここで玉川上水とお別れ。
Y字路を右へ。
とすぐにあるのが、上鈴木不動尊。
前面は地蔵と、奉納金の碑、成田山碑。
後は左から坂東西国秩父百番供養塔と寛政3年(1791)の庚申塔。
なんだか立派なお屋敷?と思うと和食のお店いろりの里で(まだ行ったことない・・・)、突き当たりを左折し、都道7号に合流する手前に石造物が3つ。
左から馬頭観音、庚申塔、石橋供養塔である。
都道7号に合流すると、小平市のマンホールがあった。
市のケヤキをメインに、市の街並みをデザインしたものだそう。富士山もありますね。
武蔵野線はトンネルを通っていくので通りすぎたことに気づかず・・・
国分寺市に入り、西武国分寺線の線路を越える。
神明社。
南野中新田が開発された享保10年(1725)に野中新田六左衛門組の鎮守として奉られ、元文元年(1736)に鎮守として認められた神社である。
愛宕神社。
榎木戸新田が開発された享保10年(1725)に氏神様として創建、明治6年(1873)村社に列格した。
神厩舎の中には・・・
白い御神馬が。
御神木のケヤキ。
この日はホントにケヤキをたくさん見た・・・
妙法寺に寄る。
本堂。
青面金剛庚申塔。
川崎・伊奈両代官謝恩塔。
府中市郷土の森博物館に銅像のあった川崎平右衛門は武蔵野の新田開発に貢献した人物。平右衛門が美濃国に支配替えとなったのち、このちの代官となった伊奈半左衛門もまた新田開発を推し進めた人物で、2人の功績を記念するため、寛政11年(1799)建立されている。
続いて斜め向かいの鳳林院へ。黄檗宗の寺院である。
入ってすぐのところに寛政10年(1798)の馬頭観音と秩父西国坂東百番四国八十八箇所順拝供養塔があった。
この馬頭様は立派ですね~
本堂。
鯉もいたが、餌を十分食べているのか、玉川上水の鯉みたいにわらわらと寄ってくるわけではない(笑)
地蔵菩薩。
木のお地蔵さんはめずらしいかも?
(2へ続く)
毎年発売されているクリアアサヒの派生品。
まだまだ桜の季節にはほど遠いが・・・
今年は特に寒いので春って感じじゃないですね。
注いでみるとやや薄めの色。泡はビールにはないような粗い泡。
飲んでみると、さすがクリアアサヒ!すっきりですね~
ほとんど味はない。あとからじわりと甘みがくるけれど・・・
これはコクとは違うんだなあ。
とかいいつつ、来年も出たら飲むのでしょう。
セブンイレブンで購入した赤ワイン。
普段はコンビニでワインを買うことはないのだけど、昨年、市から買い物券をもらい、使うのに苦労して結局コンビニでお酒やらおつまみやらを買ったのだった・・・
で、これはスペイン、ラ・マンチャの赤ワインである。
品種はテンプラニーリョ。
いやこれ、ワンコインだけれどなかなかいいですね~
すごく濃いワインではないけれど、バランスがよい。
テンプラニーリョはあまり当たり外れがないなと思う。
スペインの白ワイン。
スペインでしか作られていないアイレンという品種使用。
注いでみると、ややイエローっぽい色。
飲んでみると、フルーティで軽め。
度数低めというのもあるけれど、スイスイいけちゃいます。
夏場にキンキンに冷やして飲むとよさそう・・・
いただきものの成城石井のワイン。
このシャトーはロバート・パーカーにも称賛された姉妹の醸造家が経営するワイナリーだそう。
これは濃いですね~かなりの重口。
ほんのり甘みもあり、酸味とのバランスもよし。
とてもおいしいワイン。
また飲みたいものです。
フランス、メドックの赤ワイン。
品種はカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、プティ・ヴェルド。
注いでみると赤茶系でちょっと大丈夫と思ったけれど・・・
悪くないですね。値段からしたらかなりよいかと。
香りはスモーキー。
渋くて濃くて、好みのワインでした。
府中郷土の森の観光物産館で買ったお酒。
このお酒は、甲州街道沿い、大國魂神社のそばにある酒造のお酒で、もちろん甲州街道を歩いた際には買ったお酒なのだけど・・・
カップ酒になるとなぜかカタカナに・・・
飲んでみると、直前まで超辛口〆を飲んでいたせいか、かなり甘みを感じる。酸味はなし。
ちょっとべとつく感じはあるけれど、こういうのもいいですね。
本日の本
book-2 『これ誘拐だよね?』 カール・ハイアセン著 文春文庫
STORY:ドラッグ漬けの落ち目のアイドル歌手チェリーをスキャンダル記事から守るため影武者として雇われた女優の卵アン。ある日チェリーと間違われてアンが誘拐されてしまい・・・
☆☆☆ユーモア・ミステリ。
初ハイアセンである。
ユーモア・ミステリは大好きなので、前々から読みたいと思っていたのだが、ようやく!
なかなかに過激な、ぶっとび系のユーモア・ミステリ・・・というかクライムコメディというか。
とにかく、登場人物がこゆーい、クセつよの人物ばかり。
落ち目のアイドル歌手チェリーは、おつむが弱く、ドラッグお酒中毒。歌の才能ゼロのお騒がせセレブ(なんか、アメリカのお騒がせセレブ・・・あの人とかあの人を連想させるね)。
チェリーを狙うパパラッチのアボットはピューリッツァー賞を受賞した報道写真家だったのが、汚いやり口で転落、忌み嫌われるパパラッチとなったイカレ野郎。
元フロリダ州知事だが、自然保護過激派の義眼三つ編み老人スキンク。
整形の失敗でおぞましい顔となり、バラクーダに腕を食いちぎられ、草刈り機のアタッチメントをつけた元殺し屋のボディーガードのケモ。
と書いただけでキャラ濃すぎの人物ばかり。
十分不思議ちゃんのアンがまともに見えるという・・・
こうした人物が入り乱れ、ハチャメチャの物語を繰り広げる。
おもしろいのはおもしろいのだけど、ちょっとやり過ぎかなと。
ちょっと濃すぎるな。
いただきもののお酒。
この酒造さんは甲州街道沿いにあるから、いつか歩いた時に是非よろう!
ラベルの〆(けじめ)の字がきりっとしていいですね。
で、味もきりっとしている。
超辛口というからかなりの辛口かと思いきや、そうでもなかったですね。すっきり、きりっ。でもじわじわとうまみが出てくる。
いいですね。
先日、所沢方面に用事があり、お昼をいうことで、武蔵野うどんのお店に入った。
武蔵野うどんのお店といえば、地元国分寺には甚五郎という有名店があるのだが、麺が太くコシがあり、しかも量が多い!
ワタクシにとって武蔵野うどんはそういうイメージになってしまっているんである。
メニューもいろいろあったが、基本の肉汁うどんを注文。麺はあつもりで。
おや?麺細いですね。でもコシはそれなりにあって、粉の味を感じる。
肉汁の肉は豚バラじゃない・・・ロースかな?そして、ねぎではなく玉ねぎが入っている!
いろいろと自分の概念をくつがえす武蔵野うどんではありましたが、これくらい細い方がむしろ食べやすいなあと思いました。そして、量がそれほどでもない(ワタクシには少々多いけど)のもいいですね。
埼玉県所沢市上新井1-12-20
前日に引き続いてのプレモル派生品。
去年はこの香るエールの方をゲットし損なってしまったけれど、今年は無事入手。
フツーの香るエールは意外と居酒屋さんで置いてあるところがあるので、飲む機会はまあまあある。すっきりフルーティなビールで、はじめの一杯としてはなかなかよろしい。
ではこれはどうか。
注いでみると、薄めの色。
飲んでみると、フツーのより苦みがあるかな。が、苦みはすーっと消え、すっきりとした後味。
うーん、どっちもいいなあ。
去年も発売されたプレモル派生品。
今年は無事、香るエール版とともに早々ゲット。
缶のデザインがキラキラ。ダイヤモンドのイメージなんですかね。
注いでみると、フツーの黄金色。
飲んでみると、苦みは結構ありますね。通常のプレモルよりどっしり感のあるビール。
普通のもいいけど、これもいいな。
(2より続き)
万葉歌碑。
「赤駒を 山野にはかし 捕り可にて 多摩の横山 か志ゆか遣らむ」。山野に放し飼いをしてあった赤駒を、捕えることが出来なくて、多摩の横山を歩いて行かせることになってしまった。と、防人として出立する夫を思いやる気持ちを歌った歌とのこと。
庚申塔。天和元年(1681)造立。
こちらも。左から享保9年(1724)、元文4年(1739)、元文3年(1738)造立。
馬頭観音。嘉永3年(1850)造立。
ちょっと楽しみにしていたまいまいず井戸。
羽村で見たのは立派だった。
でここのだけど、羽村のとそっくりさんだけど(実際羽村のを参考に再現したらしい)規模は小さいですね。
旧府中郵便取扱所の脇にあったポスト。ちょっと変な色?
明治初年に府中で最初の郵便取扱所になった矢島家住宅である。
角柱型のポストがあったんですね。
お隣は旧府中町役場。大正10年完成。
洋風建築と和風建築が入り交じっている。
2階にあった通気口は孔雀のデザインだ。
島田薬舗(旧島田家住宅)。
水虫専門薬のポンポリン???
今年初のお雛様。ちょっと早いような??
旧田中家住宅。府中宿の大店で明治天皇鷹狩りの折には休憩所や宿泊所となったという。
その前にあったのが明治天皇府中行在所の石柱。
ずいぶんと奥行きがある。
奥に見えていたのは、明治天皇が休まれた間だったんですね。
最後に梅の盆栽を見る。
出たところにこの日2つめの郷土カルタの碑があった。
隣の観光物産館に寄り帰る。
おみやげは、日本酒こうづるのカップ酒、うめジャム、梅ようかん。
郷土の森、季節ごとに行ってみたいなあと思いました。
(完)
最近のコメント