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2022/02/23

五日市街道歩き(第3回) 牛浜~武蔵五日市4

(3より続き)

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続いて岩走神社。
平安時代末期に信州の伊那郡の石工たちが移り住んでこの神社を開き、寛政6年(1794)には正一位の神階を受けている。

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拝殿。

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奥に本殿が見える。

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境内社(琴平神社・稲荷神社・八雲神社・熊野神社・疱瘡神社)。
疫病封じ祈願をする。

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この神社の前から秋川沿いの旧道(瀬音道)を行く。

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川沿いは気持ちいい。

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途中、階段を上がり、踏切を越えて大悲願寺へ。
源平合戦で名を馳せた日野の武将平山季重が醍醐寺三宝院の僧を招いて、建久2年(1191)に開山した。
楼門は安政6年(1859)の仁王門。

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仁王像。

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天井絵。大日如来の梵字を囲んで草花が描かれる。

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寛政6年(1794)観音堂。

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彫刻が素晴らしい。

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地獄。

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極楽。

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こちらも小さいけれど観音堂。

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お地蔵様。

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四国八十八ヵ所があって、もっと時間があったら全部回りたかったところだけど、そこまで時間はなかったのでいくつかだけ見る。

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奥に乳牛供養塔なるものがあった。
このあたりはかつて酪農が盛んだったらしい。

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梵鐘は寛文12年(1672)のもの。

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本堂。

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内側からみた安永9年(1780)建立の朱雀門。

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仙台市から贈られた伊達政宗ゆかりの臥龍梅。
伊達政宗の白萩文書(庭の白萩が見事であったが、その白萩を所望したいというもの)なるものが残されているらしい。

ここで焼き酒まんじゅうを食べて休憩。あまじょっぱいお饅頭だ。

瀬音道に戻り先を進む。

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秋川のサギ。

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上の道との合流点に、右から文化3年(1806)の庚申塔、青面金剛庚申塔
、地蔵、馬頭観音。

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馬頭様のアップ。ちょっとおもしろい髪型?

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旧道をさらに進み、秋川支流を渡ると小さなお堂があり、右脇に馬頭観音があった。

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道の向こうに冠木門が見える。
正光寺である。嘉元3年(1305)開山。

清掃中か工事中の車がとまっていたので、馬頭観音や寒念仏を見るのはあきらめ、弁財天堂のみ見る。

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弁財天が運良く見ることができた。
武蔵五日市七福神の一つらしい。

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旧道を少し歩いて都道7号線に合流、ほどなく武蔵五日市駅到着!

五日市線、青梅線、中央線を乗り継ぎ、地元到着5時15分過ぎ。

前週と同じお店で乾杯!

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酒盗チーズ、とん平焼き、はたはたの小鍋を瓶ビールと一の蔵で。

帰宅は7時前だった。

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今回のおみやげ。千代鶴、醤油フィナンシェ、同居人分の焼き酒まんじゅう。

約32700歩。
五日市街道は3回で完歩しました。
次は青梅街道かな?

(完)

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