甲州街道歩き(第11回) 韮崎宿~台ヶ原宿~教来石宿1
昨年10月以来の甲州街道歩き。
ようやく再開です。
いつものとおり、7時21分立川発のあずさ1号に乗り、韮崎着8時36分。この日は天気がとてもよく、窓から雪をかぶった富士山もよく見えた。

駅に降りたってみると、桜が満開。
山梨は東京より寒そうなのに、もう満開?と思ったら、違う種類の桜だったようだ。エドヒガンザクラ?

前回撮り忘れたが、駅前に「球児の像」なるものがあった。サッカーが盛んなところだったんですね。
次回はバスに乗るため、乗り場を確認し、出発。
前回見学した雲岸寺を横目にみつつ進もうとしたら・・・

やっぱり猫がたくさん!
このあいだよりは数は少なかったけれど・・・

街道に出て、少し進むと小林一三翁生家跡の石柱がある。
宝塚歌劇団の創始者だそうだ。

平和観音を横目にみつつ市役所に寄る。
こちらから見ると、七里岩が始まっているのがわかる。

ここにもサッカーの町らしく、サッカーボールが!

そしてあったのは、武田信義像。
新羅三郎義光から4代目で初めて武田姓を名乗ったのが信義である。

韮崎市のイメージキャラクター、カエルのニーラ(Neera)。韮崎が舞台の絵本の主人公らしい。

街道に戻る白髭神社がある。

俳人、金井志雪(諏訪郡金沢村生まれの武士)の句碑「暮おしむ 枝から明し 桜かな」。

花の大きさでは日本一といわれた大花桜の木があるが、残念、まだ咲き始めだった。

青坂(釜無川の氾濫により甲州道中が通行不能になることが多く、七里岩上に迂回路として原路が開削され甲州道中裏道と呼ばれた。その原道口)入り口手前の馬頭観音。

行人塚。
行者が生きたまま埋葬され即身成仏したもの。うーむ。

国道に合流するところに水神宮。石祠は安政4年(1857)建立。

少し進むと十六石の解説板があった。
信玄が釜無川の水害から河原部落を守るために治水工事を行い、堤防の根固めに並べた巨石が十六石だそうだが、これは違うよね?

公民館の奥に三体の地蔵尊、その右の寛政4年(1792)の庚申塔、左の安永9年(1780)の馬頭観音。

寛政2年(1790)建立の秋葉大権現常夜燈。

九頭竜社。
このあたり、祖母石(うばいし)村は釜無川の氾濫に悩まされ、文化2年(1805)戸隠神社の祭神・九頭竜権現の分霊を祀ったのだそうだ。

水難供養塔のところから旧道に入っていく。
昭和34年8月14日の台風7号の豪雨で釜無川が氾濫し、多数の犠牲者がでた。その供養のためのものである。

旧道はなかなかいい雰囲気で、立派なお屋敷が続く。なまこ壁や長屋門の家もある。

茅葺の武家門。武田家に仕えた名家だそうだ。

旧祖母石村、旧西岩下村の鎮守、神明社。

この日たくさんみた石祠が並ぶ。

田んぼの水に映った山々。

赤地蔵なるものがあった。
享保6年(1721)の南無阿弥陀仏名号碑なのだが、赤く着色されていたことからそう呼ばれているらしい。下の方はもう色が落ちてしまっている。

国道合流手前に新しい蚕神、石尊神、道祖神、和気大神、九頭竜大神が並んでいる。昭和34年の水害で流失してしまい、復元されたものだ。

治水護郷碑。
水害が大変な地区なんですね。
(2へ続く)
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