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2022年4月

2022/04/30

【メトロポリタン美術館展】

art-8【メトロポリタン美術館展】 国立新美術館

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国立新美術館で開催中の【メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年】に行って参りました。

メトロポリタン美術館は現在照明設備の改修工事が行われており、今回素晴らしい絵画の数々が来日。点数は少なめだったけれど、とても充実した展覧会でした。

Ⅰ 信仰とルネサンス
フラ・アンジェリコ「キリストの磔刑」
この人の絵はザ・宗教画なのだけど、意外と色鮮やかだし、奥行きが感じられる。
カルロ・クリヴェッリ「聖母子」
めずらしくイエスがカメラ目線ではない聖母子像。背景に描かれている果物やへちま??が気になる。
ラファエロ「ゲッセマネの祈り」
あまりラファエロっぽくないなと思ったら若い頃の作品とのこと。
ピエロ・ディ・コジモ「狩りの場面」
異様な絵。画家は変人だったらしい(お湯がもったいないから卵をまとめて50個ゆでてご飯にしていたとか??)。ちょっと納得。
フィリッポ・リッピ「玉座の聖母子と二人の天使」
マリアの表情が暗いなあ。
クラーナハ(父)「パリスの審判」
いいな、クラーナハ。三美神がまさにクラーナハの裸婦!
エル・グレコ「羊飼いの礼拝」
光の表現がいいですね。
ティツィアーノ「ヴィーナスとアドニス」
これは人体表現が(ややムリがあるけど)さすが。

Ⅱ 絶対主義と啓蒙主義の時代
ルーベンス「聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者聖ヨハネ」
ドラマチックな構成。このルーベンスは好き。
ピーテル・クラース「髑髏と羽根ペンのある静物」
メメント・モリだろうか。
ムリーリョ「聖母子」
穏やかな聖母子像。ムリーリョの絵は癒やされる。
カラッチ「猫をからかう二人の子ども」
猫の怒った顔!そりゃザリガニ?を近づけられたら嫌だよね。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「女占い師」
ラ・トゥールというと夜の絵とともに風俗画もあり、「いかさま師」の系統ですね、この絵。金持ちのボンボンを瞞す悪い奴ら。冷たさを感じる絵である。
カラヴァッジョ「音楽家たち」
登場人物が中性的。自分がモデルなのかな?
プッサン「足の不自由な男を癒す聖ペテロと聖ヨハネ」
これはまるで、ラファエロの「アテネの学堂」ですね。
フェルメール「信仰の寓意」
フェルメールの寓意画はめずらしい。晩年の作のようで。フェルメールらしくない感じもするが、床や、置かれた物などはそうかなと思う。
レンブラント「フローラ」
妻サスキアをモデルにした作品の方が好きかな。
ブーシェ、フラゴナール、ヴァトーはロココ趣味全開。優雅。
ル・ブランと同時代の女性画家、ヴィレールは、新発見。
「マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)」
外にいる人物たちは何者??不思議な構図だ。

Ⅲ 革命と人々のための芸術
ターナー「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む」
ターナーがまだそんなにモヤモヤしていない頃の作品でなかなかよいですね。ヴェネツィアの絵は結構好きなの多いかも。
クールベ「漁船」。
これは打ち上げられて朽ちかけてる?題材の選び方がさすがだ。波の荒さはクールベならではのタッチ。
クールベ「水浴する若い女性」
リアリズムを追求したクールベらしく、女性をまったく美化していないという・・・注文者は満足したんだろうか。
ジェローム「ピュグマリオンとガラテア」
なんとも不可思議な、そして艶めかしいギリシャ神話を描いた作品。奥に描かれた叫んでる仮面?顔が気になる・・・
ドーミエ「三等客車」
オランダ時代のゴッホっぽい感じ。風刺画家だとばかり思っていたけれど、こういう作品もあるんですね。庶民の力強さを感じる絵。
マネ「剣を持つ少年」
ゴヤとベラスケスの影響をうけたマネだが、これはよりベラスケスに近いかも?
ルノワール2点はいかにもな作品。
ドガ「踊り子たち、ピンクと緑」
これはすごい色彩。緑が強すぎる・・・なんでもこの頃目を悪くしていたようだだが、自分に見えやすい濃い色で描くんだろうか。
モネ「睡蓮」
これも晩年の作品なので、色がすごいことに・・・
「木馬に乗るジャン・モネ」の方がいいなあ。
ゴッホ「花咲く果樹園」
アルルに移ったばかりの頃に描かれた絵だそうで、まだまだうねりも少なく、色彩も穏やか。
ゴーギャン「タヒチの風景」
タヒチに行ってからの作品だが、ポン=タヴァン派的。
セザンヌ「ガルダンヌ」
キュビズムのはしりだな~塗り残しが結構あってこれで完成でよいのだろうか?
セザンヌ「リンゴと洋ナシのある静物」
わりと整ったセザンヌ。りんごは腐っていないし、左右均等に配置されている。が、やはりテーブルや壁がゆがんでいてさすが!

これだけのよい作品が見られるメトロポリタン美術館展は最初にして最後かも??
是非どうぞ。

 

2022/04/29

甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿6

(5より続き)

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アララギ派、島木赤彦旧宅(柿蔭山房)に寄る。かやぶきの立派なお宅だ。

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前回富士見公園で句碑などを見たが、明治30年久保田家の婿養子となり、死去までここに生活したという。

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松がなかなか立派だ。樹齢300年。

街道に戻り先を進む。

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南信八名所石投場碑と明治天皇駐輦址碑。
江戸時代には、諏訪湖がこの真下まで迫っており、旅人はここから湖面に石を投げ、打ち興じたという。
また、明治天皇は、ここから漁師達の投網を御覧になったという。

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ここからの眺め。

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最後(53里目)の一里塚跡の碑。あと少しだ。

若宮神社社標を通り過ぎ、承知川(なんともおもしろい名前だが、武田信玄が川中島出陣の際に、諏訪大明神に戦勝を祈願し、社殿の建て替えを約した。しかし戦に利あらずここまで戻ると、馬が頑として動かない。信玄は先の約を思い出し「神のお告げ承知つかまり候」と言った・・・ことから承知川と呼ばれるようになったという)を承知橋で渡ると、旧承知橋の一枚岩がある。

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この模様は、滑り止めとも信玄の埋蔵金の隠し図とも言われているらしい。ホントかいな・・・

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横には承知地蔵尊がある。

諏訪大社下社秋宮が見えてきた。下諏訪宿(中山道との追分を控え、また諏訪大社下社の門前町として昔から栄えた。中山道の唯一の温泉場としても大いに賑わった。本陣1、脇本陣1、旅籠40軒)に入ってきたが、まずはゴールへと急ぐ。

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ああ、残念!
塩羊羹の老舗、新鶴本店がちょうど閉まるところだった。
中山道を歩く際に買うことにしよう!

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そして、ついにゴール!!
長かったような、短かったような・・・

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カラーマンホールがあった。
御柱祭の木落としがデザインされている。

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さて、下社を見学に戻る。

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根入りの杉。樹齢700年。

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神楽殿のしめ縄が太い。約2500束のわらを材料に長さ9㍍、最大直径0・7㍍の芯2本をより、ふさ3本が付いている。800キロほどあるとか・・・
狛犬は青銅製の狛犬としては日本一大きいそうだ。

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天覧の白松。

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弊拝殿。弊殿と拝殿が一体となっている。

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彫刻が見事だ。

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左右片拝殿。

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ついつい奉納されたお酒を撮してしまう(笑)

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さざれ石。

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神社の前の専女(とうめ)の欅(樹齢1000年。秋宮の一部で芽吹きや紅葉で気候を占なう「陽気木」として知られる)。

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これもまた空洞になってますね。

さて、駅へと向かう。

下諏訪駅到着。

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駅前にも御柱があったり・・・

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改札入ると、万治の石仏のミニチュアが・・・ちょっと形違う??

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ホームに平成22年の御柱祭の際の秋宮三之柱が置かれていた。

上諏訪まで一駅乗り、いったん外に出てコンビニで夕食を買い、7時3分のあずさに乗り込む。
少々遅れたが、9時過ぎに帰宅。

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おみやげ。

約45800歩でした。

全13回に渡った甲州街道もついに完歩しました!最後の方は電車の駅から遠くちょっと不便でしたが、なんとかうまくつなぐことができました。

コロナ禍で遠出が出来なくなり、近くをということで歩き始めた甲州街道、なかなか進めない時もありました。小仏峠では助っ人を頼んだり、その後大雨の中を歩いたりといろいろありましたが、山の景色がすばらしく、楽しく歩くことができました。

次回は中山道の続きを歩きたいと思います。

(完)

2022/04/28

甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿5

(4より続き)

街道に戻る。
微妙な枡形になっている(信号がその名も鍵之手)。

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2軒目の酒造、伊東酒造(横笛)。ここも捨てがたかったが、わりと最近飲んだところなので寄らず。

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3軒目は本金酒造。宝暦6年(1756)創業。ここも悩んでパス(結局帰りに上諏訪の駅で購入)。

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4軒目の麗人に寄り、御柱祭ラベルのお酒購入。寛政元年(1789)創業。

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そして5軒目の舞姫酒造にも立ち寄り、原酒を購入(よく冷やして飲んで下さいねとのことだったので、早速冷蔵庫へ)。明治27年創業。建物が立派だった。

本当は全部の酒造に寄りたかったところだけれど、さすがに持てないので・・・

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諏訪市のもう一つのマンホール。
諏訪湖の花火と高島城がデザインされている。

諏訪四湯(他は虫湯、小和田の平湯、湯の脇の平湯)の一つ、精進湯跡の説明板を読みたかったところだが、団体がいて見られず・・・手長神社の参拝者が身を清めたという精進湯。平成29年営業を終了したとのことだ。

この先で道はまた旧道に入る。

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少し進むと吉田の松がある。
高島藩士の吉田式部彦衛門が、4代藩主の諏訪忠虎の大坂城守備に随行した際に持ち帰ったクロマツだそうだ。

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桑原の一里塚跡碑。
52里目。

指月庵(高島藩主は菩提寺である温泉寺墓参りの際に、虫湯で入浴し、ここを休息所とした)のところを右折すると温泉寺(慶安2年(1549)、高嶋藩二代目藩主諏訪忠恒によって諏訪家の菩提寺として建立)があり、墓地には和泉式部のお墓があるとのことだったが、時間的にムリなのでパス。ちょっと残念・・・

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児玉石神社。
境内にある大石は諏訪七石の一つ。
拝殿の前の石はいぼ石と言われる。石にはたくさんの凹部があって常に水をたたえて乾くことがなく、この水でいぼを洗うと治癒するのだそうだ。

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御柱は4本あったが、いずれも切られていた。

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先宮神社。
道と神社の間に水が流れているが、橋がないのは、諏訪神社の神が出雲からこの地に鎮座した際、この神社の神が抵抗したため境内から出ることを許されなかったため、という。

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拝殿脇の御神木のケヤキにはたくさんのこぶがある。樹齢690年以上。

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双体道祖神もあった。嘉永5年(1628)のもの。

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さらに進んだところで、ついに諏訪湖が見えた!!
もう少しでゴールだと思うとうれしい。

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またまたケヤキが。

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穴があいている。

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裏にまわると裂けて空洞になってしまってるんですね。すごい生命力だ。

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脇には津島牛頭天王、双体道祖神があった。

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諏訪湖が光って美しい。

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天保10年(1839)の北村中と刻まれた常夜燈。

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気づくと下諏訪町に入っていて、マンホールがあった。
下諏訪町は諏訪郡の町だが、あとの二つの自治体(富士見町と原村)とは接していないのである。

マンホールは、町の花のつつじとさくらがデザインされている。

 

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突然棚田が現れた。
なかなかよい風景ですね~

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その先に茶屋橋本屋跡がある。
ちょっとぶれてしまっているが、左の方、桁に鯉の彫刻が施されている。
諏訪湖で獲れた鯉の料理が橋本屋の名物で、高島藩主もわざわざここまで食べにきたという。
左手の門は高島城の三の丸門を移築している。

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裏には殿様おひねりの松があった。確かにくねくねしてるような?

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またまた双体道祖神。

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元気もりぞうポストだそう(笑)。

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再び道祖神。

(6へ続く)

2022/04/27

甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿4

(3より続き)

 

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秋葉山常夜燈前の双体道祖神。

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こちらも同じ組み合わせ。

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またまた共同浴場。うらやましい・・・

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公民館の前にあった祝言道祖神。傍らには秋葉山石塔(常夜燈ではない)。

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その後国道に合流、清水1・2丁目交差点のところで小さい道に入ると、庶民のための清水がある。水は冷たい。

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その先には殿様御膳水が。
高島城に藩主がいる際にこの水を用立てたという。

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秋葉神社には、巨木の根元に4つの祠がある。

 

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ここに御衣黄があった。

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街道に戻って進むと染一染物店がある。このあたりは染め物店が軒をつらねていたという。

 

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向かいにはかねさ呉服店がある。蔵造りである。

ここからは酒造が5軒つらなる。

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まずは真澄。
真澄はよく飲みますね。

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十王寺跡の碑。このあたりが上諏訪宿の江戸口だった。
上諏訪宿は高島藩3万石の城下町として栄えた。本陣1、問屋1、旅籠14であった。

諏訪藩主頼水の娘亀姫は嫁ぎ先で書状を下男に託したが、日頃から折り合いの悪かった下男は書状を川に捨て、永明寺に駆け込んだ。頼水は下男の引渡しを要求したが、寺が拒否したため寺を焼き払い下男の首を刎ねここに捨てた。町人達は祟りを恐れ、亡者の裁きをする十王をここに祀った・・・のだそう。頼水って気性の激しい人だったんだろうか・・・

ちょっと寄り道。

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ここは予定ではなかったのだが、入ってみておもしろい地蔵がたくさんあったのでじっくり見学してしまったのが法光寺。

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これは地蔵ではなくて布袋様かな?

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フツーの六地蔵。

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言成地蔵尊。

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延命ぽっくり地蔵尊。長生きしてもぽっくり逝けたらいいよね。

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マスクと帽子の六地蔵。

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ともいき地蔵尊。

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一番ツボだったのは、よみかきぱそこん地蔵。現代的だな。

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お釈迦様もいたり?

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ついつい時間をかけて見学してしまったが、続いての見学は正願寺。

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曽良の像があった。曽良ってこのあたりの生まれだったのですね。
晩年は幕府巡検使として九州壱岐勝本に渡るが病に倒れ客死。享年62歳。

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ということで、曽良のお墓があった。

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続いては貞松院。
諏訪頼水の開祖で、当初は慈雲寺だったが、2代藩主諏訪忠恒が、生母貞松院(頼水の妻)の遺志により再興し、貞松院と名を改めている。

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延命地蔵尊。

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本堂。
松も立派だが、枝垂れ桜が有名みたいですね。

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貞松院のお墓。
その他頼忠の娘他のお墓もある。

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城向き地蔵尊。
高島藩3代藩主諏訪忠晴(小松三郎左衛門を処刑を命じた人物)が子を若くして亡くし、悲しみから地蔵を建立したが、自然と城の方を向いたという。

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ちょっと探してしまったが、家康の六男、松平忠輝のお墓もあった。
家康の勘気に触れて高島城に幽閉され、93歳で亡くなっている。すごい長生き!

(5へ続く)

2022/04/26

甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿3

(2より続き)

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極楽寺。
上原五山で唯一現存しているお寺だ。
享和3年(1803)の南無阿弥陀仏名号碑があった。

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このあたりは上原城の城下町で、こうした小路の標石がたくさんある。
上原城は諏訪頼重の居城であったが、信玄に攻められ、桑原城に落ち延びている。

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金剛寺跡。上原五山の一つ。

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上ノ御社宮神。諏訪神社の神長官守家の守護神である。
土橋祝殿大欅之跡碑が建っている。

郵便局が見えるところで右折、旧道に入る。

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大門追分道標のところでちょっと寄り道。

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頼岳寺へ。

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山門を通り抜けると杉並木が続く。

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久々の一石六地蔵。

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芭蕉の句碑「名月や 池を巡りて 終夜」。

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第二の山門には仁王様がいる。

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本堂は立派だ。

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墓地に入っていくと、諏訪氏御廟所があった。
左から頼水、頼忠、頼忠夫人のお墓である。
諏訪頼重亡き後、従兄弟の頼忠が家康に仕え、子の頼水は関ヶ原の戦功により高島藩に封じられた。

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街道に戻ると早速発見したのが諏訪市のマンホール。いつの間にか諏訪市に入っていた。
マンホールは市の花あやめのデザイン。

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姫宮神社の先に常夜灯がある。
竿石には「秋葉山、白雲山、象頭山、日本之総神」と刻まれる。

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その先に火燈公園(ひとほし)がある。
御柱年の7月15日夕、頼重院裏の火燈場で諏訪大社への鳥居火を灯して奉納する神事が行われるのだそうだ。

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頼重院に寄る。

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駐車場のところにあるたくさんの石造物。

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新田次郎句碑「陽炎や頼重の無念ゆらゆらと」。

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頼重の供養塔。
頼重は信玄に降伏したのだが、自害させられている。家臣が密かに遺髪を持ち帰って葬ったのだそうだ。信玄の義理の兄なのに・・・
諏訪家の歴史も学ばねば!

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街道に戻ると共同浴場があった。その後も見たし、個人のお宅にもこうしたタンクを数多く見た。タンクを設置すると安い料金で温泉のお湯が供給されるとのこと。いいなあ。

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一里塚の碑。51里目。片塚でえのきが植えられていた。

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相変わらず、お花がきれいなお宅があっていいなと思う。

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雀踊りという棟飾りのある家がこのあたりには多い。
奈良井宿にもあったっけ。

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火袋が木製の常夜燈。

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道すがら気になっていたかりんちゃんバスのバス停。
このあたりは産地なんでしょうかね。

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秋葉山常夜燈。
傍らの道標には「右江戸みち 左大明神江」 と刻まれている。

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桑原城跡が見える。

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足長神社の参道。
とてつもなく長い階段でさすがに行っている余裕はないのでパス(その後の手長神社もパスした)。


(4へ続く)

2022/04/25

甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿2

(1より続き)

国道に戻る。

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祖神と天保4年(1833) の常夜燈。

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その先の地蔵。

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奥の線路前にはおもしろい形の火の見櫓。
韮崎市あたりから火の見櫓がたくさん見られるようになったと思う。よくよく見るといろいろな形のものがあるんですね。
他のも撮影しておけばよかったな~

木舟入り口バス停の先で、道は旧道に入り、ヘアピン状に曲がって上る。

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4本の御柱に囲まれた大きな石があった。

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貴船神社(水の守護神)が見える。登るのは大変そうなのでパス。

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跨線橋で中央線を越え左折。

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宮川沿いを歩く。
広い道ではないが、トラックもばんばん通り、途中から歩道もなくなってちょっと歩きづらい。
やがて中央線のガードをくぐり、国道に合流。

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そこにあった石仏石造物。
秋葉山常夜燈、羽黒山・湯殿山・月山大権現、二十三夜塔、たくさんの馬頭観音などだ。

建倉橋で宮川を渡る。

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その先にあるのが酒室神社。
御射山祭りのどぶろくを作り、山の神に供える前夜祭をとり行なった神聖な地に祀った神で、酒解子(さけとくね)之神が祭神。

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神社の贈りに雨降塚と刻まれた石造物があるが、ここは昔は古墳だったという。

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本殿は中にもなかなかの彫刻がほどこされている。

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ここにも御柱があった。

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双体道祖神。

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先を進むとまた北アルプスが見えてきた(前回も見えた)。
道は下っていく。

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新田中バス停の先の道を入っていくと茅野の一里塚跡がある。

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その前には双体道祖神など。

宮川交差点のところで、中央の道を進む。

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三輪神社の先に宮川寒天蔵跡があった。三階建て。
寒天の保管庫として使われていたもの。

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通りを挟んだ向こうに丸井伊藤商店(味噌やさん)があり、お漬け物を購入。さすがに味噌は重くて持って帰れない(笑)
このお店の駐車場に明治天皇が休憩したという五味家宅などのことが書かれた説明板があったが、その碑は見逃してしまった・・・

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宮川とはこのあたりでお別れ、上川を上川橋で渡り、茅野駅の方へと向かう。

そして、お昼場所と決めていた馬肉専門店さくらさく到着。12時を少しまわったところだった。

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頼んだのは馬刺し定食。
薬味はしょうが、にんにくの他にわさびもあって、わさびというのは初めて。
悪くは無いけれど、やっぱり基本は生姜とにんにくかな。
久々の馬刺しおいしかった!
お酒がないのが残念だったけれど。

食べ終わって出発。

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茅野駅前に行って姥塚古墳の碑を見る。
駅ができた際に取り崩された古墳。

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街道に戻り先を進むと、諏訪大社上社の大鳥居があった。
上社は行ったことがないのだが、そのうち行ってみたいなあ。

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ここで茅野市のマンホールを見つける。
市の花、リンドウが描かれている。

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りんごの花が咲いていた。
このあたり、りんご農家さんもたくさんあるんですね。

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しだれ桃。
本当にあらゆるお花が一気に咲いている。

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上原八幡宮。
諏訪守重が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したもの。諏訪家の崇敬が篤く、参勤の際に道中安全を祈願した。

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ここからふと見ると見逃したと思っていた光明寺跡の碑があった。
鎌倉五山になぞらえた上原五山の一つである。今は跡しかない。

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大きなケヤキは御神木だろうか。

(3へ続く)

2022/04/24

甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿1

前の週に歩く予定にしていたのだが、台風の影響で雨ということで延期。満を持して?のお出かけ。前週も行くかどうか悩んだのだが、結果的にはよいお天気の日に歩くことが出来、よかったと思う。

いつものあずさ1号に乗る。
が、発車直後急ブレーキで電車が止まり、8分近い遅れ。
小淵沢での乗り換えは大丈夫か一瞬あせるが、よっぽどの遅れでない限り、次の普通電車が行ってしまうということはないのだろう・・・

結局小淵沢到着時には2分遅れまで回復し、ほっ。
途中靄っていたところもあったけれど、やはり天気はよさそうだ。

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ホーム待合室の上に巣を作ったツバメの写真など撮りつつ待つ(この日はあちこちでツバメを見た。ちょうど巣作りの季節なのでしょう)。

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甲斐駒ヶ岳もきれいに見える。

10分ほどの待ち合わせで普通電車に乗り込み、青柳駅到着。
9時半、歩きはじめる。

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街道まで上っていき、街道歩きスタート。道はここから下っていき、ほどなく国道に合流。金沢宿へと入ってきた。

甲州道中の開設に伴って、このあと行くことになる権現の森の西に青柳宿が開設されたが、度重なる宮川の氾濫や慶安3年(1650)の大火に見舞われたため、翌年に高所の現在地に移転し、「金沢宿」と改称されたのだそうだ。本陣1、問屋2、旅籠17だが、あまり遺構は残っていない。

まずは泉長寺に寄る。

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参道口の萬霊塔、聖観世音菩薩、地蔵尊。

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山門の手前に見えているのがおてつき石。

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参勤交代の大名や藩主の通行の際に役人がこの石に手を付いて口上を述べた。元々は東西の宿の入り口におかれていたそうだ。

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墓地の前のしだれ桜が満開!

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墓地に見に行ったのは、小松三郎左衛門の墓碑。
隣の千野村と、山の所有地や金沢山の入会権をめぐる争いで、高島藩が千野村の権利を認める裁定をしたのを、本陣をつとめる三代目小松三郎左衛門が、幕府に直訴も辞せじと、控訴抗弁、人馬継立の駅務を遅滞させ抵抗した。しかし、藩は延宝6年(1678)三郎左衛門を磔刑に処し、金沢山を没収し藩有としたという。金沢村の権利が認められたのは明治になってからだという・・・

金沢交差点のところに金沢宿本陣跡の説明板があり、少し入って独鈷石を見に行く。

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独鈷とは仏具だが、確かに真ん中が細いので似てますかねぇ。

街道に戻る。

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旅籠近江屋跡。木鼻に彫刻が施されている。

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旅籠松坂屋跡。古い看板がかかっている。
向かいにも木鼻に彫刻のある旅籠跡があった。

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馬宿跡。建物は明治中期の横棟造りである。

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建物の前には馬つなぎ石がある。

金沢宿もそろそろ終わりというところで、道は旧道へと入る。

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Y字路のところが高遠追分で、宝暦8年(1758)建立の道標がある。
左たかとう道を刻まれている。

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右に進むと如意輪観音があった。
ここが小松三郎左衛門が磔にされた刑場跡である。

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宮川に突き当たり左折すると石仏石塔群がある。

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六地蔵ではなく三地蔵。

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双頭馬頭観音。双頭のはあまり見たことないかも?

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金沢橋で宮川を渡る。このあと宮川(地名)までこの川と接近したり離れたりする。

橋を渡ってちょこっとだけ旧道を歩くのだが、枡形になっている。昔、金沢宿(旧青柳宿)はこのあたりにあったので、その名残なのだろう。

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枡形が終わると見えてきたのが権現の森。たくさんの石造物がある。

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摩利支天。

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不動明王。

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甲子塔、不動明王など。

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諏訪湖流域のマンホールはさすが!御柱祭が描かれている。

ここから道はまた旧道へと入っていく。

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この日は、一気にいろいろなお花が咲いてきれいだった。

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御社宮司社。
ミシャクジ神は諏訪の祭神守矢一族の守り神だったことから信仰が盛んで各地にお宮があるとのことだが、小さいな~
うっかり通り過ぎるところだった。

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のどかな道を歩いていく。

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寒天の里という大きな看板が見えてきた。このあたりは寒天作りに適した気候だったのですね。

(2へ続く)

2022/04/23

よなよな月の生活(クラフトビール定期便)4回目

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4回目のクラフトビール定期便がきた。
今回は、1週間前に全部飲みきってしまっていたので首を長くして待ってました(笑)

今回は新製品はなかったけれど、前回の新製品山の上ニューイがなかなかよかったので、今回も多めに。

入っている冊子も楽しみなのです。

2022/04/22

カンティーニ・ピッチーニ ロッソ

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イタリアのワインがまだまだ続きます・・・
今回も赤。

品種サンジョベーゼ50%、メルロー30%、カベルネ・ソーヴィニヨン20%。

飲んでみると、印象としてはメルローの味が出てるかな~。
色は結構濃いのだけれど、味は濃くないのだ。
フルーティでなんとなく若い感じがするワインだった。

2022/04/21

ロッカ ネーグロアマーロ・サレント

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イタリアワインが続きます・・・
プーリア州の赤ワイン。

品種はネグロアマーロ種100%。
プーリア州原産の品種。かかとのプーリアのワイン、結構好き。

注いでみると色はかなり濃いですね。さすがネグロ=黒。

飲んでみると、色から想像するすごく濃い味ではないんですね。アマーロ=苦いワインではない。スイスイいけます。

2022/04/20

ピエモンテ・コルテーゼ・ミラッソ

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イタリア・ピエモンテ州のの白ワイン。

コルテーゼ種100%。
ピエモンテで多く作られる品種。

注いでみるとほんのり黄緑色。コルテーゼだとこんな色になるんですかね?

飲んでみると結構辛口。酸味がとてもいい感じだ。
フレッシュなワインでした。

 

2022/04/19

ピッチーニ・プロセッコ・ロゼ

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イタリア・ヴェネト州のプロセッコ=スパークリング。
ロゼというのがめずらしいですね。
あまりロゼのスパークリングって飲んだことないかも?
いや、そもそもロゼをあまり飲まないので・・・

品種はグレーラ85%、ピノ・ノワール15%。
グレーラはプロセッコによく使われる品種だそう。

飲んでみると辛口ですっきり。
ほんのり果実の香りがあって、これはおいしい!

ロゼも積極的に飲んでいこう!

 

2022/04/17

ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』 

本日の本

book-5 『ストリート・キッズ』 ドン・ウィンズロウ著 創元推理文庫 

STORY:民主党全国大会で副大統領候補に推薦される予定の上院議員が、失踪した娘を連れ戻してほしいとの依頼を元ストリート・キッズの探偵ニールが請ける。イギリスに渡って捜索するニールだったが・・・
☆☆☆シリーズ第1作。

前々から読もうと思いながら機会がなかったミステリである。
五十音読書ミステリー編で「す」を読むことになり、この小説を選らんでようやく読むことになった。

探偵が異色である。
ドラッグ中毒の売春婦の私生児として生まれたニールは、ストリートキッズとしてすりをしていたところを片腕の私立探偵グレアムに拾われ、徹底して探偵技術を教え込まれるのだ。

しかし、ニールはまったくマッチョではなく、文学にのめり込み、大学院に通う青年。
文学青年で、ナイーブで優しい探偵というのがおもしろい。
腕力はないし、車の運転もダメだし・・・
でも頭と勇気(震えながら)で切り抜けるニール。

もちろん、これはミステリなんだけれど、若者の成長物語であり、恋愛要素もある青春もの。
そして、本当の親子のようなグレアムとの関係もいいんですね。

ラスト、すごく感傷的になってしまいました・・・

 

2022/04/16

ブラソン・デ・アルガリア

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スペインの赤ワイン。
ガルナッチャ60%、テンプラニーリョ40%で、好きな味かも?と期待したのだが、度数が11%。
ということで???となる。

飲んでみると、やっぱり薄め軽め。
厚みがないなあ。
口当たりはいいんだけど・・・

 

2022/04/15

フィンカ・ラス・ザラス ティント

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スペインの赤ワイン。
このラベルいいなあ。セットの一つに入っていたものだけど、棚で見かけたらジャケ買いしちゃうかも?

品種はガルナッチャ60%、テンプラニーリョ40%。
これは好きな品種ですね~
きれいな色をしている。

フルボディとのことだっけれど、ちょっと軽めですかね。若干ぺらぺら感がある。
こいういうの、飲みやすくって、ぐいぐい飲んでしまうんですね。危険!

2022/04/14

シャトー・オー・グラン・シャン

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ボルドーの赤ワイン。
品種はメルロー、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・ブラン。

ヴィンテージが2015年とちと古いので心配だったのだが・・・
(安いワインで古いと失敗しやすいので)

あ、意外といいですね。
少し甘みを感じるけれど、ちょうどいい感じ。
もうちょっと渋みがあるとさらにいいかな~

2022/04/13

M.A.モンテプルチアーノ・ダブルッツォ

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イタリア、アブルッツォ州の赤ワイン。
このところ、飲んだモンテプルチアーノ・ダブルッツォはハズレが
多く、ちょっと不安になる。

が、これはなかなかよかった!
果実実もありながら、結構しっかりしたワインで、うっすら樽香もあって、いいんじゃないでしょうか。

2022/04/12

ヴェッツァーニ ロッソ プーリア

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イタリア、プーリア州の赤ワイン。
プーリアは、つまりブーツのかかと部分にあたるところですね。

今まで飲んできたプーリアワインにはずれはなかったから、期待大!!
品種はネグロアマーロとマルヴァジーア・ネッラ。

なんとなく濃いワインのイメージがあったけれど、それほどでもなかった・・・
でも、酸味と甘みのバランスがよくてスイスイ飲めるおいしいワインでした。

2022/04/11

高砂酒造 国士無双 純米

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コストコで買った日本酒。
最近、コストコも日本酒の種類が増えてきたので、ついつい買っちゃったりします・・・

で、これは北海道、旭川の酒造のお酒。
国士無双っていうと、ついつい麻雀を連想してしまいますね。

飲んでみると、ちょっと甘めかな。
まあでもこういう米の甘めはOK。
昔はとにかく辛口のお酒がいい!と思っていたけれど、最近は甘さのお酒も好きになってきましたね。

 

2022/04/10

サントリー ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム 無濾過

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プレモル・マスターズドリームの派生品。
前に瓶ので飲んだことあったかな?

注いでみると無濾過というわりには濁ってはいないですね。
飲んでみると、一瞬香ばしい感じもしたけれど、その後はシルキーな柔らかい味わい。

やっぱりこのシリーズはハイクオリティです。

 

2022/04/09

今村昌弘『屍人荘の殺人』  

本日の本

book-4 『屍人荘の殺人』 今村昌弘著  創元推理文庫

STORY:大学のミステリ愛好会の葉村は映研の夏合宿に参加するためペンション紫湛荘を訪れる。ペンションに閉じ込められた参加者たち。やがて連続殺人が・・・

☆☆☆このミスなどで1位に輝いた作者のデビュー作。
ある出来事からたくさんの人がペンションに閉じ込められてしまうという、クローズドサークルものである。
クローズドサークルものは結構好きでたくさん読んでいるのだけど、こんなクローズドサークルははじめて!!
いや~驚きである。

この設定、とても本格ミステリーにはなるまいと思って読み進めたのだけど、いやいやどうして、めちゃくちゃ本格物。設定が奇抜なだけだったのだ。これも驚き。
てっきりホラーになるのかも・・・いや、相当えぐい場面もあるけれども。

しかも、この設定を最大限いかしてのストーリーで、ああなるほどね、と随所で思ったり・・・

いやはや、ビックリのミステリーだな。
映画はどうだろう?

 

2022/04/08

ベアレン醸造所 ベアレンビール ザ・デイ トラッド ゴールド ピルスナー

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ベアレンはクラフトビールのお店で飲んだことがあるが、買ったのははじめてかな?

クマさんがかわいいデザインの缶だ。

注いでみると、透き通った金色。
飲んでみると、一口目、クリアな味かなと思いきや、ぐぐっと苦みがきて、でも後味爽やかでおいしい!これは好きな味。

他のシリーズもあったら買ってみようかな。

2022/04/07

山梨銘醸 七賢 純米吟醸 天鵞絨の味

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先日甲州街道歩きで購入した七賢のお酒。

甲州街道台が原宿にある酒造のお酒である。

山梨銘醸=きたはらけは寛延2年(1749)の創業。天保6年(1835)居宅を新築した際に藩主から竹林七賢人の欄間を頂戴したことからお酒を七賢としたのだそう。

七賢は時々飲むお酒だけれど、甲州街道沿いにあるとは!!

で、このお酒、天鵞絨(ビロード)の味であるが・・・

一口飲むと甘みが口の中に広がる。
べたつく甘さではなく心地よい甘さで、じんわり旨みも感じられておいしい。ビロードというイメージにもぴったりだった。

2022/04/06

ピエモンテ・コルテーゼ・ミラッソ

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イタリア・ピエモンテ州のの白ワイン。

コルテーゼ種100%。
ピエモンテで多く作られる品種。


注いでみるとほんのり黄緑色。コルテーゼだとこんな色になるんですかね?

飲んでみると結構辛口。酸味がとてもいい感じだ。
フレッシュなワインでした。

甲州街道歩き(第12回) 教来石宿~蔦木宿~青柳駅4

(3より続き)

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塚平の一里塚。
北塚が残っており、榎である(47里目)。

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道祖神と重修一里塚碑がある。これは昭和12年に諏訪中学校の教師と生徒が一里塚を補修したことを示したものだそうだ。

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このあたりは950メートル。ずいぶんと上がってきた。

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このあと道は突き当たる。中部電力発電所の土地なので通れず迂回、原の茶屋地区に出て進むと富士見公園があった。
明治44年、アララギ派の伊藤左千夫がこの風景に感激、公園を監修。
そして、富士見の地名は、下諏訪方面からの旅人が、この地に来て初めて富士を見ることに由来しているそうだが、富士山は見えなかったなあ。

園内にはいろいろな句碑がある。

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芭蕉句碑。「眼にかゝる ときや殊更 五月不二」。

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伊藤左千夫歌碑。

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斎藤茂吉歌碑「高原に足を留めてまもらんか飛騨の境の雲潜む山」
など。

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この公園は965メートルで、この日の一番高い場所だった。
少々休憩。

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ふと見ると、スキーをしている人が見える。これは人口雪なんでしょうね。
富士見パノラマリゾートだが、4月3日で営業終了している。

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原の茶屋公民館前に明治天皇駐驛之處碑。明治13年の巡幸の際、ここで休息した。

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明治天皇御膳水碑。

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旅館桔梗屋跡。
島木赤彦が、ここに下宿していた友人の富士見小学校校長を訪れたことをきっかけに伊藤左千夫、竹久夢二、斎藤茂吉、田山花袋などの多くの歌人、文人が訪れるようになり、ここ桔梗屋は、サロン的な役割を果たしたのだそうだ。

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向かいにある金比羅常夜燈は文化8年(1811)。

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下に歌碑のある灯籠。

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百番供養塔、庚申塔、新しい双体道祖神など。

道は下っていく。
カゴメの工場を右に見て進む。

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奉納念仏供養塔があり、「左甲州道」と刻まれている。

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三崎三方功神。竈の守護神だそうだ。

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石仏石塔群。
大量の馬頭観音群の後に、真那以址碑、一億百万遍供養塔など。
いや~ホントたくさんの馬頭観音を見たなあ。

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欠けちゃった庚申塔、嘉永6年(1853)の筆塚碑、千庚申塔など。千って??

ヘアピン状に道を下り国道に合流。
枡形になっているのだが、御射山神戸村(みさやまこうど)は間の宿だったんですね。

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小沢平吉先生生誕之地碑。
明治の政治家で、鉄道大臣在任中、それまで左書きだった駅名標を右書きに改め「国粋大臣」と呼ばれた人物。

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冠木門のある立派な旧家があった。

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神戸八幡社。

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社殿とケヤキ。
社殿は宝暦12年(1762)建立、ケヤキは樹高30メートル、幹囲7.7メートル、樹齢400年。富士見町にある14本の大ケヤキのうち4本が境内にあるのだそう。

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御柱(練習用)が置いてあった。今年はその年なんですね。

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北の枡形跡を通り、馬頭観音のところ(だいぶ風化してしまっているが)で旧道へと入る。
道はまた上がっていく。

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奉拝百番供養塔、馬頭観音、道祖神などの石仏石塔群。
意外に新しい馬頭観音も多い。

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やがて一里塚が見えてきた。御射山神戸の一里塚である(48里目)。なかなか立派だ。
西塚(手前)はケヤキで樹齢400年、東塚は榎だったが明治30年に枯れてしまい、あらたにケヤキが植えられた。

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八ヶ岳もだいぶ見え方が変わってきた。

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青柳ゆるぎ石なるものがあった。触ると揺れたのだそう。
ゆるぎ石はJR中央線を越えた御狩野集落にもあって、夫婦石ともいわれ、毎日米一粒分づつ歩み寄るといわれているそう。江戸時代、甲州街道を行き来する旅人は、この石を金沢宿出入り口の目安とした・・・のだそうだ。もうすぐ金沢宿!

馬頭観音、道祖神、庚申塔などをいくつか見て街道歩き終了。
青柳駅へと向かう。

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駅はうだつをモチーフにして作られているというが、なかなかにモダンだ。

17時34分の普通列車に乗り、富士見で乗り換え、18時1分のあずさに乗って立川着19時42分。

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地元に戻って、ラーメンサラダ、鮭とオクラの塩麹あえ、つくね、かにシューマイ、ビール。

帰宅は9時半前だった。
約39900歩。

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おみやげの信州限定じゃがですよ!とくるみ饅頭。

次回で甲州街道完歩予定です。

(完)

2022/04/05

甲州街道歩き(第12回) 教来石宿~蔦木宿~青柳駅3

(2より続き)

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信玄堤と共に釜無川の氾濫による水害から地域を守るために植えられた川除木の名残りの古木、川除古木がある。
現存しているものはキササゲ一株、サイカチ二株、ケヤキ一株。明治31年(1898)の大水のときには、ここの大木を切り倒して集落内に向かおうとする大水の向きをかえ、集落を水害から守ったそうだ。

国道に合流、その先でまた旧道に入るのだが、、またもや電流ネットがあるということでそのまま国道を進む。

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旧道との合流地点に道祖神があり、後に甲子塔、庚申塔があった。
いくつめだろうか?

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石灯籠。

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下にクロッカスが。

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火の見櫓のところを左に入って旧道を行くのだが、国道の方に平岡の一里塚がある。耕地整理の際に国道沿いに移されたのだそう。

まっすぐ進んでいくと・・・

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明治天皇巡幸御野立所跡碑がある。
野立所には白砂を持ったそうだが、天皇が出立すると村人たちがその白砂をお守りとして持ち帰ったそうである。
(国道に出た先に御膳水碑があったらしいが見逃してしまった。)

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国道に合流する手前の石仏石造物群。金山彦命、甲子塔、たくさんの馬頭観音等である。

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「机」という交差点に出た。おもしろい地名だなあ。

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少し進んで旧道に入るが、そこにたくさんの馬頭観音、石祠、双体道祖神が並んでいた。

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馬頭観音がとても立派だ。

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祠の中には道祖神。

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道はすこしずつ上っていき、風化した馬頭観音を通りすぎた先に、かぐら石があった。獅子頭に似た形の石で、石の下から綺麗な清水が湧き出ていたところから「清水の神楽石」とも呼ばれ、旅人の休憩の場だったそうである。

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立場川(瀬沢川)を瀬沢大橋で渡り、旧道は逆コの字に曲がっていく。
瀬沢村にはかつて立場があったという。
道は上がっていく。

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諏訪神社。
瀬沢合戦で戦死した武田軍の屍を埋葬した塚の一つという。
常夜燈は天保13年(1842)建立。

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吉見屋。
2階の窓が全部開放できるようになっているみたいだが、養蚕に使用していたのだろうか・・・

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その先に道標があるが、右とか左以外は読めず。

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向かいの道標の「右山浦 左すわ」は読める。

ここでちょっと寄り道。

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瀬沢合戦跡を見にいく(この道も結構登る)。
天文11年(1542)、小笠原、諏訪、村上、木曽の連合軍がここ瀬沢に陣取ったことをいち早く察知した信玄が不意をついて、大勝利をおさめたのだそうだ。

街道にもどり、先を進む。

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文政元年(1818)の馬頭観音、甲子塔など。

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享和2年(1802)の観世音菩薩碑など。

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享保2年(1717)の地蔵尊、供養塔など。

坂を登り切るとしらかば園があり、そこから道は下る。

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八ヶ岳がまた見えてきた。

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止水栓の蓋。スズランが咲く入笠湿原から見える富士山がデザインされている。

とちのき地区に入ってきた。

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尾片瀬神社。

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福昌院跡碑、宝鏡印塔。

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神社のすぐ先に双体道祖神がたくさん並んでいた。

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やはり長野県は双体道祖神が多いようだ。

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馬頭観音群。

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ときの木風除林。
この地は北風が強くて五穀が実らず、無住の地だったため、寛政年間)に、とちの木の村民が高島藩へ願い出て防風林として赤松を植樹。これによって坂を下って来る寒冷の北風を遮断したのだそうだ。

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赤松って上の方だけが赤いんですね。

(4へ続く)

2022/04/04

甲州街道歩き(第12回) 教来石宿~蔦木宿~青柳駅2

(1より続き)

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少し行くと道標がある。といってもまったく読めないのだが、武川筋逸見筋との合流地点の道しるべで、「へみみち にらさきまで むしゅく」と刻まれているそうだ。逸見路は七里岩の上を通って韮崎へ出る路で、釜無川の氾濫で甲州街道が通れない時に利用されていたらしい。

731

下蔦木集落の集落センターの前には標高731メートルの標識。少しずつ上がってきている。

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眞福寺。
山門が立派だ。

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本堂。

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これまた全然読めないが芭蕉の句碑。
「御命講や 油のような 酒五升」の句碑だそう。

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文化元年(1804)の甲子塔。

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蠶関連もまたあった。

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石祠を見つつ先を進む。

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八ヶ岳がきれいに見えてきた。

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応安の古碑。
古碑は後ろにある四角の石造物で、宝篋印塔の基礎石と言われており、応安5年(1372)の銘が刻まれていて、諏訪地方では石造物として最古のものとのこと。
子乃神、九四天も見えている。

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馬頭観音もたくさん。

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またまた甲子塔と庚申塔が並ぶ。

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蔦木宿が見えてきた。
宿に向かって緩やかに路は下っていく。

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蔦木宿に入ってきた。

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常夜燈の奥に道祖神。宿の入り口で悪霊が侵入しないよう見張っている。

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またまたまた甲子塔と庚申塔。

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枡形道路の碑があった。ここが宿の江戸口である。
蔦木宿は1611年に新設された宿で南北に枡形がある。本陣1、問屋2、旅籠15軒。

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国道に合流してすぐ、三光寺がある。1417年武田信重が創建。
武田信虎は諏訪と和睦を結び、天正9年(1582)信虎の三女で信玄の妹・ねねを諏訪頼重に嫁がせ、甲斐領であった上蔦木を化粧料として結納した。甲斐領から諏訪領へとなったのである。

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山門。

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本堂。武田菱が見える。

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鐘楼。

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お隣にあるのが十五社大明神。

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七年に一度、御柱祭りが行われるそうで、社殿にめどでこが掛かっていた。
めどでこは、棒に縄の輪をくくり付けたもので、氏子はこの輪に足を入れて、体を安定させるのだそうだ。同じ年に行われるのかな?

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街道を進んでいくと、屋号札がどこのお宅にもかかっている。

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大阪屋本陣跡。
元治元年(1864)の大火の後に建てられた本陣門が残っている。

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明治天皇御駐輦跡碑。

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裏にまわると、与謝野晶子の歌碑がある。「本陣の 子のわが友と いにしえの 蔦木の宿を 歩む夕暮れ」。
与謝野晶子はこの地を訪れ、三光寺に宿泊、2首詠んでいる。

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御膳水跡(七里岩から出る湧き水が明治天皇ご巡幸の際に使われた)に与謝野晶子のもう一つの歌碑がある。「白じらと並木のもとの石の樋が秋の水吐く蔦木宿かな」である。

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北の枡形跡の碑。

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宝暦11年(1761)の観音講供養塔、享和9年(1809)の廿三夜塔など。

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庚申塔、甲子塔、愛宕山大権現地蔵、不動明王。


(3へ続く)

2022/04/03

甲州街道歩き(第12回) 教来石宿~蔦木宿~青柳駅1

前週金曜日に続いての甲州街道歩き。
出られるうちにどんどん歩かねば!ということで、休みがとれたので出かけることにした。

いつものあずさ1号に乗り、韮崎駅到着8時36分。

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降り立つと、まだエドヒガンザクラ?が咲いていたし、ソメイヨシノもけっこう満開になりつつあった。5日前にはまったく咲いていなかったのに一気に咲いたようだ。

8時45分のバスに乗る。
乗客は我々の他に4名+途中で乗った1名だったが、牧の原あたりで皆降りてしまい、以降終点まで我々のみ。
途中から高度が上がるにつれ、開花した桜は少なくなっていった。

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終点到着は定刻より遅れて9時30分過ぎ。
早速歩き始める。

歩き始めてすぐに左折して寄り道。

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萬零塔とお地蔵様を通りすぎたところに、来福寺がある。

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延命地蔵。

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享保14年(1729)の宝篋印塔。
その他供養塔など多数の石造物があった。

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さらに先に進むと享保14年(1729)の九頭竜社があった。
流川で水害がおきるので、水防の神を祀ったもの。

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教来石の地名の由来となった経来石。
上に馬頭観音4、双体道祖神1が祀られている(向こうに八ヶ岳!)。
日本武尊が東征の折、酒折を経てここにきて、休んだ石ということで経来石と呼ばれたが、のちに教と誤記され、これが地名の由来となった。

街道に戻る。

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明治天皇御小休所址の碑。ここが河西本陣跡という。
教来石宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠7軒だった。

道は郵便局手前の旧道へと入る。

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七里岩がまだ続いている。

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諏訪神社に寄る。

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不動明王など。

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庚申塔と甲子塔。
前回から甲子塔(きのえねとう、かっしとう)を見るようになったが、十二支の子の日、あるいは干支の甲子の日に大黒天を祀る甲子講によって造立された石塔だそうだ。このように庚申塔と並んで立っていることも多い模様。
東日本に多くあるようなのだが、急に見るようになった。

神社の殿は天保15年(1844)創建で、本殿全体に、信州諏訪の宮大工による見事な彫刻が施されているとのことだったが、残念ながらよく見えなかった。

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明治天皇御田植御通覧之碑。
明治13年(1880)巡幸の際、ここで眼下の田植え風景を御覧になったのだそうだ。

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大きな庚申塔(少し埋もれている)。
少し先に題目碑もあった。

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道を下っていくと御膳水跡の碑がある。
明治13年(1880)明治天皇が御巡幸の際に、この細入沢の湧水を飲み、褒めたとある。
今回はちょくちょく明治天皇関係が出てくる。

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中国の宋から渡来し帰化した蘭渓道隆禅師開山の教慶寺。
境内に教化石があるとのことだったが見つからず・・・

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その先に蘭渓道隆禅師が、村人の難儀を取り払うため安置したという地蔵菩薩があった。左右に庚申塔、甲子塔、馬頭観音などが並ぶ。

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道は再び、旧道に入り、順禮四国八十八箇所供養塔。

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そして、山口素堂生誕地跡碑。
ここの生まれだったんですね・・・

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道はまた下るが、鳳来山口関跡碑があった。
武田信玄が設けた甲州24ヶ所の口留番所の一つで、國境の関だった。

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向かいには西番所跡の碑。
徳川幕府が設置した番所で、江戸時代には、「女改め」の取り締まりが厳しく行われたとのことだ。
番所蔵が残っている。

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まっすぐ延びる道を進んでいく。

やがて国道に合流。

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本来はそこから向かいの旧道に入るのだが、害獣除けの電流ネットがあるということで、そのまま国道を行くことにし、新国界橋を渡ると、ついに長野県に入った。

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富士見町のマンホール。
すずらんがデザインされている。

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このあと旧道は急坂を登っていくのだが、お昼を食べるべく道の駅信州蔦木宿へ寄り道。

11時前でちょうど食事処のてのひら館があくところ。
前に並んでいた方が、石和温泉に住んでいて、ここのそばがおいしいから時々食べにくる・・・と言っていたので、おそばを注文。

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八ヶ岳荒挽きそばのかけそばともつ煮。
確かにおいしい!やはり信州はそばですね。
おみやげを買って出発。

街道に戻り急坂に入る。

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敬冠院。

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この奥に日蓮聖人の高座石がある。
文久3年(1274)流罪を赦免され、甲斐身延山に草庵を結び、村々を巡錫した日蓮聖人は悪疫が流行っていた下蔦木村で三日三晩高座石に立って説法と加持祈祷を行い、村人を救ったいう。

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南無妙法連華経の碑。

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入り口脇の石仏石塔群。

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むかいの柳は三つ辻柳。
いや、昔の大木は倒れてしまったそうだ。

(2へ続く)

2022/04/02

ザ・プレミアム・モルツ グランアロマ

2204021

プレモルの派生品。
一瞬プレモルとはわからないような缶のデザイン。

注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、よい香り。ホップの香りですね。
アロマって感じじゃないけれど・・・
そして、ぎゅっとした苦みがきて、いいですね~

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