甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿6
(5より続き)
アララギ派、島木赤彦旧宅(柿蔭山房)に寄る。かやぶきの立派なお宅だ。
前回富士見公園で句碑などを見たが、明治30年久保田家の婿養子となり、死去までここに生活したという。
松がなかなか立派だ。樹齢300年。
街道に戻り先を進む。
南信八名所石投場碑と明治天皇駐輦址碑。
江戸時代には、諏訪湖がこの真下まで迫っており、旅人はここから湖面に石を投げ、打ち興じたという。
また、明治天皇は、ここから漁師達の投網を御覧になったという。
ここからの眺め。
最後(53里目)の一里塚跡の碑。あと少しだ。
若宮神社社標を通り過ぎ、承知川(なんともおもしろい名前だが、武田信玄が川中島出陣の際に、諏訪大明神に戦勝を祈願し、社殿の建て替えを約した。しかし戦に利あらずここまで戻ると、馬が頑として動かない。信玄は先の約を思い出し「神のお告げ承知つかまり候」と言った・・・ことから承知川と呼ばれるようになったという)を承知橋で渡ると、旧承知橋の一枚岩がある。
この模様は、滑り止めとも信玄の埋蔵金の隠し図とも言われているらしい。ホントかいな・・・
横には承知地蔵尊がある。
諏訪大社下社秋宮が見えてきた。下諏訪宿(中山道との追分を控え、また諏訪大社下社の門前町として昔から栄えた。中山道の唯一の温泉場としても大いに賑わった。本陣1、脇本陣1、旅籠40軒)に入ってきたが、まずはゴールへと急ぐ。
ああ、残念!
塩羊羹の老舗、新鶴本店がちょうど閉まるところだった。
中山道を歩く際に買うことにしよう!
そして、ついにゴール!!
長かったような、短かったような・・・
カラーマンホールがあった。
御柱祭の木落としがデザインされている。
さて、下社を見学に戻る。
根入りの杉。樹齢700年。
神楽殿のしめ縄が太い。約2500束のわらを材料に長さ9㍍、最大直径0・7㍍の芯2本をより、ふさ3本が付いている。800キロほどあるとか・・・
狛犬は青銅製の狛犬としては日本一大きいそうだ。
天覧の白松。
弊拝殿。弊殿と拝殿が一体となっている。
彫刻が見事だ。
左右片拝殿。
ついつい奉納されたお酒を撮してしまう(笑)
さざれ石。
神社の前の専女(とうめ)の欅(樹齢1000年。秋宮の一部で芽吹きや紅葉で気候を占なう「陽気木」として知られる)。
これもまた空洞になってますね。
さて、駅へと向かう。
下諏訪駅到着。
駅前にも御柱があったり・・・
改札入ると、万治の石仏のミニチュアが・・・ちょっと形違う??
ホームに平成22年の御柱祭の際の秋宮三之柱が置かれていた。
上諏訪まで一駅乗り、いったん外に出てコンビニで夕食を買い、7時3分のあずさに乗り込む。
少々遅れたが、9時過ぎに帰宅。
おみやげ。
約45800歩でした。
全13回に渡った甲州街道もついに完歩しました!最後の方は電車の駅から遠くちょっと不便でしたが、なんとかうまくつなぐことができました。
コロナ禍で遠出が出来なくなり、近くをということで歩き始めた甲州街道、なかなか進めない時もありました。小仏峠では助っ人を頼んだり、その後大雨の中を歩いたりといろいろありましたが、山の景色がすばらしく、楽しく歩くことができました。
次回は中山道の続きを歩きたいと思います。
(完)
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