甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿3
(2より続き)
極楽寺。
上原五山で唯一現存しているお寺だ。
享和3年(1803)の南無阿弥陀仏名号碑があった。
このあたりは上原城の城下町で、こうした小路の標石がたくさんある。
上原城は諏訪頼重の居城であったが、信玄に攻められ、桑原城に落ち延びている。
金剛寺跡。上原五山の一つ。
上ノ御社宮神。諏訪神社の神長官守家の守護神である。
土橋祝殿大欅之跡碑が建っている。
郵便局が見えるところで右折、旧道に入る。
大門追分道標のところでちょっと寄り道。
頼岳寺へ。
山門を通り抜けると杉並木が続く。
久々の一石六地蔵。
芭蕉の句碑「名月や 池を巡りて 終夜」。
第二の山門には仁王様がいる。
本堂は立派だ。
墓地に入っていくと、諏訪氏御廟所があった。
左から頼水、頼忠、頼忠夫人のお墓である。
諏訪頼重亡き後、従兄弟の頼忠が家康に仕え、子の頼水は関ヶ原の戦功により高島藩に封じられた。
街道に戻ると早速発見したのが諏訪市のマンホール。いつの間にか諏訪市に入っていた。
マンホールは市の花あやめのデザイン。
姫宮神社の先に常夜灯がある。
竿石には「秋葉山、白雲山、象頭山、日本之総神」と刻まれる。
その先に火燈公園(ひとほし)がある。
御柱年の7月15日夕、頼重院裏の火燈場で諏訪大社への鳥居火を灯して奉納する神事が行われるのだそうだ。
頼重院に寄る。
駐車場のところにあるたくさんの石造物。
新田次郎句碑「陽炎や頼重の無念ゆらゆらと」。
頼重の供養塔。
頼重は信玄に降伏したのだが、自害させられている。家臣が密かに遺髪を持ち帰って葬ったのだそうだ。信玄の義理の兄なのに・・・
諏訪家の歴史も学ばねば!
街道に戻ると共同浴場があった。その後も見たし、個人のお宅にもこうしたタンクを数多く見た。タンクを設置すると安い料金で温泉のお湯が供給されるとのこと。いいなあ。
一里塚の碑。51里目。片塚でえのきが植えられていた。
相変わらず、お花がきれいなお宅があっていいなと思う。
雀踊りという棟飾りのある家がこのあたりには多い。
奈良井宿にもあったっけ。
火袋が木製の常夜燈。
道すがら気になっていたかりんちゃんバスのバス停。
このあたりは産地なんでしょうかね。
秋葉山常夜燈。
傍らの道標には「右江戸みち 左大明神江」 と刻まれている。
桑原城跡が見える。
足長神社の参道。
とてつもなく長い階段でさすがに行っている余裕はないのでパス(その後の手長神社もパスした)。
(4へ続く)
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