甲州街道歩き(第13回) 青柳駅~金沢宿~上諏訪宿~下諏訪宿1
前の週に歩く予定にしていたのだが、台風の影響で雨ということで延期。満を持して?のお出かけ。前週も行くかどうか悩んだのだが、結果的にはよいお天気の日に歩くことが出来、よかったと思う。
いつものあずさ1号に乗る。
が、発車直後急ブレーキで電車が止まり、8分近い遅れ。
小淵沢での乗り換えは大丈夫か一瞬あせるが、よっぽどの遅れでない限り、次の普通電車が行ってしまうということはないのだろう・・・
結局小淵沢到着時には2分遅れまで回復し、ほっ。
途中靄っていたところもあったけれど、やはり天気はよさそうだ。
ホーム待合室の上に巣を作ったツバメの写真など撮りつつ待つ(この日はあちこちでツバメを見た。ちょうど巣作りの季節なのでしょう)。
甲斐駒ヶ岳もきれいに見える。
10分ほどの待ち合わせで普通電車に乗り込み、青柳駅到着。
9時半、歩きはじめる。
街道まで上っていき、街道歩きスタート。道はここから下っていき、ほどなく国道に合流。金沢宿へと入ってきた。
甲州道中の開設に伴って、このあと行くことになる権現の森の西に青柳宿が開設されたが、度重なる宮川の氾濫や慶安3年(1650)の大火に見舞われたため、翌年に高所の現在地に移転し、「金沢宿」と改称されたのだそうだ。本陣1、問屋2、旅籠17だが、あまり遺構は残っていない。
まずは泉長寺に寄る。
参道口の萬霊塔、聖観世音菩薩、地蔵尊。
山門の手前に見えているのがおてつき石。
参勤交代の大名や藩主の通行の際に役人がこの石に手を付いて口上を述べた。元々は東西の宿の入り口におかれていたそうだ。
墓地の前のしだれ桜が満開!
墓地に見に行ったのは、小松三郎左衛門の墓碑。
隣の千野村と、山の所有地や金沢山の入会権をめぐる争いで、高島藩が千野村の権利を認める裁定をしたのを、本陣をつとめる三代目小松三郎左衛門が、幕府に直訴も辞せじと、控訴抗弁、人馬継立の駅務を遅滞させ抵抗した。しかし、藩は延宝6年(1678)三郎左衛門を磔刑に処し、金沢山を没収し藩有としたという。金沢村の権利が認められたのは明治になってからだという・・・
金沢交差点のところに金沢宿本陣跡の説明板があり、少し入って独鈷石を見に行く。
独鈷とは仏具だが、確かに真ん中が細いので似てますかねぇ。
街道に戻る。
旅籠近江屋跡。木鼻に彫刻が施されている。
旅籠松坂屋跡。古い看板がかかっている。
向かいにも木鼻に彫刻のある旅籠跡があった。
馬宿跡。建物は明治中期の横棟造りである。
建物の前には馬つなぎ石がある。
金沢宿もそろそろ終わりというところで、道は旧道へと入る。
Y字路のところが高遠追分で、宝暦8年(1758)建立の道標がある。
左たかとう道を刻まれている。
右に進むと如意輪観音があった。
ここが小松三郎左衛門が磔にされた刑場跡である。
宮川に突き当たり左折すると石仏石塔群がある。
六地蔵ではなく三地蔵。
双頭馬頭観音。双頭のはあまり見たことないかも?
金沢橋で宮川を渡る。このあと宮川(地名)までこの川と接近したり離れたりする。
橋を渡ってちょこっとだけ旧道を歩くのだが、枡形になっている。昔、金沢宿(旧青柳宿)はこのあたりにあったので、その名残なのだろう。
枡形が終わると見えてきたのが権現の森。たくさんの石造物がある。
摩利支天。
不動明王。
甲子塔、不動明王など。
諏訪湖流域のマンホールはさすが!御柱祭が描かれている。
ここから道はまた旧道へと入っていく。
この日は、一気にいろいろなお花が咲いてきれいだった。
御社宮司社。
ミシャクジ神は諏訪の祭神守矢一族の守り神だったことから信仰が盛んで各地にお宮があるとのことだが、小さいな~
うっかり通り過ぎるところだった。
のどかな道を歩いていく。
寒天の里という大きな看板が見えてきた。このあたりは寒天作りに適した気候だったのですね。
(2へ続く)
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