甲州街道歩き(第12回) 教来石宿~蔦木宿~青柳駅2
(1より続き)
少し行くと道標がある。といってもまったく読めないのだが、武川筋逸見筋との合流地点の道しるべで、「へみみち にらさきまで むしゅく」と刻まれているそうだ。逸見路は七里岩の上を通って韮崎へ出る路で、釜無川の氾濫で甲州街道が通れない時に利用されていたらしい。

下蔦木集落の集落センターの前には標高731メートルの標識。少しずつ上がってきている。

眞福寺。
山門が立派だ。

本堂。

これまた全然読めないが芭蕉の句碑。
「御命講や 油のような 酒五升」の句碑だそう。

文化元年(1804)の甲子塔。

蠶関連もまたあった。
石祠を見つつ先を進む。

八ヶ岳がきれいに見えてきた。

応安の古碑。
古碑は後ろにある四角の石造物で、宝篋印塔の基礎石と言われており、応安5年(1372)の銘が刻まれていて、諏訪地方では石造物として最古のものとのこと。
子乃神、九四天も見えている。

馬頭観音もたくさん。

またまた甲子塔と庚申塔が並ぶ。

蔦木宿が見えてきた。
宿に向かって緩やかに路は下っていく。

蔦木宿に入ってきた。

常夜燈の奥に道祖神。宿の入り口で悪霊が侵入しないよう見張っている。

またまたまた甲子塔と庚申塔。

枡形道路の碑があった。ここが宿の江戸口である。
蔦木宿は1611年に新設された宿で南北に枡形がある。本陣1、問屋2、旅籠15軒。

国道に合流してすぐ、三光寺がある。1417年武田信重が創建。
武田信虎は諏訪と和睦を結び、天正9年(1582)信虎の三女で信玄の妹・ねねを諏訪頼重に嫁がせ、甲斐領であった上蔦木を化粧料として結納した。甲斐領から諏訪領へとなったのである。

山門。

本堂。武田菱が見える。

鐘楼。

お隣にあるのが十五社大明神。
七年に一度、御柱祭りが行われるそうで、社殿にめどでこが掛かっていた。
めどでこは、棒に縄の輪をくくり付けたもので、氏子はこの輪に足を入れて、体を安定させるのだそうだ。同じ年に行われるのかな?


街道を進んでいくと、屋号札がどこのお宅にもかかっている。

大阪屋本陣跡。
元治元年(1864)の大火の後に建てられた本陣門が残っている。

明治天皇御駐輦跡碑。

裏にまわると、与謝野晶子の歌碑がある。「本陣の 子のわが友と いにしえの 蔦木の宿を 歩む夕暮れ」。
与謝野晶子はこの地を訪れ、三光寺に宿泊、2首詠んでいる。

御膳水跡(七里岩から出る湧き水が明治天皇ご巡幸の際に使われた)に与謝野晶子のもう一つの歌碑がある。「白じらと並木のもとの石の樋が秋の水吐く蔦木宿かな」である。

北の枡形跡の碑。

宝暦11年(1761)の観音講供養塔、享和9年(1809)の廿三夜塔など。

庚申塔、甲子塔、愛宕山大権現地蔵、不動明王。
(3へ続く)
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