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2022年5月

2022/05/31

中山道六十九次歩き(第21回) 塩尻駅~塩尻宿~下諏訪宿3

(2より続き)

どんどん道は上がっていく。

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高ボッチ高原への標識が頻繁に出てくる。

半僧大権現碑やら馬頭観音やらを通り過ぎて、一里塚が見えてきた。

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東山一里塚。南側のみ現存している。

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さらに進むと親子地蔵があった。天明の大飢饉で行き倒れになった親子を供養したものであるという。
ここには夜通道の標柱が建っており、片丘辺のある美しい娘が岡谷の男と親しい仲になり男に会うため毎夜この道を通った、とあった。結構怖い道な気がするけど・・・

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明治天皇御膳水。

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その前が茶屋本陣跡である。

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ほどなく塩尻峠到着。
明治天皇御野立所碑、明治天皇行幸記念碑があった。

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浅間社をさらに上がっていくと・・・

展望台があったので上ってみた。
いい眺め!!

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塩尻方面を見ると北アルプス。

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反対側は諏訪湖が一望できる。
しかし、残念。富士山は見えなかった・・・

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ここで、パーキングエリアで購入した信州産シャインマスカット生サブレを食べて休憩。
風が心地よい。

道はここから急激に下る。
足がつんのめりそうになる。これ、登りだったら結構大変だろうなあ。
ここまで、春ゼミだの、きじだの、かえるだのなかなかににぎやかだったが、このあたりから聞こえなくなっていた。

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途中養蜂場があった。
結構羽音が大きい。

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ちょっと先で諏訪湖が見えてきた。結局富士山は見えない。

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大石。
昔、山賊がこの石の裏に隠れて旅人を襲ったのだそうだ。以前もこういうの見たことがあるような?

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一気に降りてきて、諏訪湖が近くなってきた。

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石船観音。
本尊馬頭観音が、船の形をした台石の上に祀られているところから石船観音と呼ばれ、とくに足腰の弱い人に対して霊験あらたかという。
わらじがかかっている。

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塩尻峠を境に岡谷市に入ってきており、岡谷市のマンホール発見。
市の花、つつじである。

長野自動車道跨線橋を越えて間の宿今井に入ってきた。

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「右しもすは 左しほじり峠」と刻まれた道標。

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すぐ先に茶屋本陣跡がある。
皇女和宮がここで休息し、明治天皇も山梨、三重、京都方面御巡行の際に、ここで休息されている。

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中に明治天皇今井御休所の碑もある。

向かいには今井番所跡の碑もあった。口留・穀留の役割を果たしたところだ。

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明治天皇今井御膳水碑を通り過ぎた先に男女双体道祖神。
消防団の建物の前で、ここにベンチがあったので小休止。

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天満宮と蠶玉神社の石碑プラス道祖神。

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横河川を渡る。

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しばらく進むと東堀一里塚跡の碑があった。

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国道を渡ってさらに旧道を進むが、このあたり、生け垣が立派なお屋敷が連なる。

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雀踊りも見える。

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「右中山道 左いなミち」と刻まれた道標のある交差点を右折してちょっと寄り道をする。

マップはこれを使っています。

(4へ続く)

2022/05/30

中山道六十九次歩き(第21回) 塩尻駅~塩尻宿~下諏訪宿2

(1より続き)

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柿沢一里塚跡碑を見てちょっと寄り道。

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木曽義仲ゆかりの永福寺に寄る。

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参道には石造物いろいろ。

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これはなんだろう?

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山門は仁王門だ。

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本堂。

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ご神木。

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観音堂は、義仲が信仰した馬頭観世音を祀ったのがはじまりという。

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茅葺きで、諏訪の名工立川和四郎(京都御所、諏訪大社、豊川稲荷などを手がけている)の建築。
おびんづるさまも見える。

街道に戻る。

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双体道祖神。
板碑に掘られた抱擁像で、お女郎道祖神をも呼ばれているそうだ。

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ようやく国道を離れ旧道へと入る。

柿沢集落へと入ってきて、本棟造りの民家がいくつも見える。

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道はゆっくりと上がっていく。
永井坂と言うそうだが、長い・・・

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双体道祖神を見て、ちょっと寄り道。

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右に入っていくと、塩尻の街が見える。だいぶ上がってきたなあ。

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首塚と胴塚。
天文17年(1548)、武田信玄軍と松本城主の小笠原長時軍が永井坂において交戦、小笠原軍は大敗し多くの戦死者を残して退却してしまった。武田軍は首実検をしたのち、遺体を放置して引き上げたため、哀れに思った柿沢の村人が埋葬したのだそうだ。

街道に戻る。

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かわいらしい馬頭観音を見つつ、さらに道は上がっていき、柿沢橋を渡って、みどり湖パーキングエリアへと降りていく。

小木曽屋玄治郎で昼食である。

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暑かったのでざるそばをすする。
結構混んできたので、ささっと食べて席を立つ。

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街道に戻り少し進むとサンサンワイナリーがあった。
時間が許せばここでワインを飲みながらお食事したかったなあ・・・

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ブドウ畑を見ながら・・・

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道が細くなってきた。

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林の中はとても涼しい。

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大きな文字の牛馬守護神碑が見えてきた。
新茶屋の立場があったところ。

その後国道に合流、明治の道に入り犬飼の清水を見て(御公家様の愛犬が元気を取り戻した水)、再び旧道へ。

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振り向くと雀踊りの棟飾りの家の向こうに山々が見える。だいぶ雲もとれてきた。

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この日はじめての猫に出会う。

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新しいデザインのマンホール発見!
高ボッチ高原の草競馬を描いている。

マップはこれを使っています。

 

(3へ続く)

2022/05/29

中山道六十九次歩き(第21回) 塩尻駅~塩尻宿~下諏訪宿1

前週に続いての中山道歩き。
当日は午前中は雨という予報で、ギリギリまで行くかどうか迷っていた。が、前日になってどうやら現地はわりと早く雨がやみそうな予報に変わり、思い切って行くことに。

出かけるときは雨が降っていて風もあり、ちょっと心配になる。
塩尻峠を越えるので雨風はできれば避けたい・・・

いつものあずさ1号に乗り、塩尻駅到着9時28分。
外に出てみると、やった、雨はやんでいる!!
早速歩き始める。

スタート地点は前回終了の線路をくぐったところである。

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少し進むと耳塚があった。
天文17年(1548)、武田信玄と小笠原長時とが戦った桔梗ヶ原合戦で武田軍が勝利し、討死した将兵の耳を葬ったところだそうだ。
耳の形をした素焼きの皿や茶碗を奉納すると耳の聞こえが良くなるのだそう。

 

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素焼きのお皿が多かったが茶碗も見える。

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隣の神社は大門神社。
鳥居は両部鳥居だ。

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柴宮銅鐸出土の地の碑がある。
境内から日本最北の弥生銅鐸が出土したとのことで、現物は平出博物館に展示されている。この博物館、時間があったら行ってみたかったな・・・

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拝殿の前の木も大きいのだが・・・

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こちら、推定樹齢300年の三本の大ケヤキである。

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塩尻橋を渡った先で旧道へ。すっかり晴れている。

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いったん、また国道に合流して向かいの旧道に入っていくのだが、そこに、蠶玉大神、秋葉大神、庚申塔、道祖神、南無妙法蓮華経題目碑がある。やはりこのあたりの庚申等は文字(しかも太字)のものが多い。

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堀内家の冠木門。
左から庭へと入ることができる。

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雀踊りの棟飾りの立派な住宅は国の重要文化財。
堀内家は旧堀ノ内村の名主を勤めた豪農だったそうだ。

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すぐ近くに男女双体道祖神が。この日はこのタイプの道祖神を大来るみることになる。

やがて道が右に曲がっているのが見えてきたが、この枡形から塩尻宿となる。

正面の神社は阿礼神社。

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ご神木。

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龍の湧き水。この日は水が出てはいなかったが。

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石の鳥居。

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拝殿。寛保三年(1743)のに再建。狛犬がなかなかキュートだ。

鉤の手跡の碑のところで国道に合流する。しばらくは国道歩きだ。

塩尻宿は伊那街道(三州街道)五千石街道(糸魚川街道)、松本街道(善光寺西街道)の要衝で、東に塩尻峠を控えて大いに賑わった。三河からは南塩、糸魚川からは北塩が運ばれた。
本陣1、脇本陣1、旅籠75。文政11年(1828)と明治15年の大火で宿並は焼失してしまっている。

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笑亀酒造。ここは陣屋跡。

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まだ歩いて間もないが、お酒を購入。お酒なら重くない!!

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塩尻宿のモニュメントがあるところが脇本陣跡。
脇本陣は本陣の川上家の分家だった。土蔵と庭は残っているそう。

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渓斎英泉の塩尻宿の絵は、塩尻峠から諏訪湖を望む絵である。

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本陣跡。中山道随一の規模だった。間取り図を見ると確かに広い!
造り酒屋を兼ねた川上家を勤めた。
後ろに明治天皇塩尻御膳水碑がある。

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高札場跡兼下問屋跡。
向かいには上問屋跡。半月ごとに問屋をつとめた。

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飛脚問屋跡の斜め向かいにあるのが小野屋住宅。
屋号は「いてうや(銀杏屋)」で、旅籠を営んでいた。
天保7年(1836)に建てられた木造2階建ての主屋と、土蔵造りの文庫、隠居屋の計3棟などが国重文に指定されている。

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五千石街道の碑に続いて十王堂跡の碑があり、そこには双体道祖神をはじめ、いろいろな石造物がある。字がくっきり!

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この道祖神は、通常向かって右が男性のところ、逆並びで女性が盃を持っているのですね。

口留番所跡(米・塩・材木・女人などの取り締まりをおこなう)、

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三州街道碑を通り過ぎ、塩尻宿を出る。

マップはこれを使っています。

 

(2へ続く)

2022/05/28

アルプス 信州コンコード

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先週、中山道を塩尻まで歩いた際におみやげに買ったワイン。
なんとなくいつも井筒ワインを買うことが多く、アルプスのワイン、買うのははじめてかも?

食用ぶどうなのがちょい気になったけれど、中口というのでトライしてみることに。

注いでみるときれいな紫色。
むむ、香りはちょっと甘そうな??
飲んでみると、やっぱりちょっと甘めかな。そしてフルーティというか、かなりジュースっぽいですね。

お食事にあわすというより、デザートワインとしてとか、これだけ飲むという方がいいかも?

2022/05/25

中山道六十九次歩き(第20回) 贄川宿~本山宿~洗馬宿~塩尻駅4

(3より続く)

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少し進むと中山道と善光寺道のわかされ(追分)があった。昭和7年の大火のあとここに移された。
左を行くと善光寺西街道で、松本を経て善光寺へと至る。
道標には「右中山道、左北国往還善光寺道と刻まれる。

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後ろには南無阿弥陀仏名号碑やいくつかの庚申塔などが並ぶ。

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肘松の坂を上がっていくと、肘懸松があった。
細川幽斎が 「肱懸けてしばし憩える松陰にたもと涼しく通う河風」 と詠んだと伝えられる。また、江戸二代将軍秀忠上洛の時、肘をかけて休んだとの説もあるそうだ。
明治の頃の写真があったが、大きな松だったんですね。

平出歴史公園の交差点を横切り、すぐに土道に入っていく。

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レタス畑の写真を撮っているとちょうど電車がやってきた。

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さすが塩尻、ブドウ畑が続く。

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よくよく見ると、ぶどうの花だ。
花の状態はあまり見たことがないかも?

塩尻にレタスのイメージはなかったけれど、収穫量は全国でもトップクラスとのこと。寒暖差がよいらしい。

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さらに進んで第1中仙道踏切を渡る。
塩尻から中津川の間にある16の踏切の一番目。そういえばいくつも渡ったっけ。

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まっすぐな道を進み・・・
ちょっと寄り道。平出遺跡である。
日本三大遺跡(ここと登呂遺跡、茅野の尖石遺跡)の一つ。
縄文時代から平安時代にかけての大集落で、発掘調査により、縄文時代の中期60、後期2、古代の古墳時代79、平安時代28、時期不明30の計199軒の住居が発見され、緑釉水瓶をはじめとする土器・石器などが大量に出土している。

遺跡公園をぐるっとめぐる。
縄文・弥生・平安の3つの時代の住居がそれぞれ再現されている。

まずは古墳時代の村。

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住居。

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高床式倉庫と住居。

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この住居は中に入ることができた。

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これは何の実だろう?
と思ったら、おはつもも(古代から栽培された中国原産の桃)の実だそうだ。

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先ほどからずっとアルプスの山が見えていて、なんだろうと思っていたのだが、ちょうど解説版があった。
見えていたのは、穂高連峰、大滝山、常念岳、燕岳などである。

続いて縄文の村。

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屋根には茅が使われていたらしい。

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住居の中。

最後に平安時代の村へ。

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こうしてみるとやはり時代によって違いますね。

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この家はおもしろい形をしている。

街道に戻る。

平出一里塚。59里目。両塚を残す。

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南塚。
武田家の武将山本勘助が桔梗ヶ原合戦の際に赤子を拾ったとされる伝説から「勘助子育ての松」「乳松」と呼ばれたそうだ。今の松は何代目なんだろう?

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北塚。

ここから昭和電工の工場を脇を歩き、線路をくぐったところで街道歩き終了。

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塩尻駅へと向かう。

駅のおみやげやさんで、ワイン、チーズなどおみやげに買い、改札脇のキオスクに寄るも駅弁は売り切れ(朝はあったけど)。

ホームの売店にも寄ってみたが、駅弁は見事に売り切れ。

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ということで、りんごプリンとお茶を買い、5時29分のあずさに乗り込む。

地元到着は8時近くで、駅ビルにて夕食を。

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ビールで乾杯。その後日本酒を。
あん肝ポン酢、白げんげの丸干し、野菜の辛味噌ディップ、奈良漬けクリームチーズ。

帰宅は9時過ぎだった。

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おみやげのワインとチーズ。

約35600歩。
次回は、下諏訪まで歩きます。

(完)

マップはこちらを使っています

2022/05/24

中山道六十九次歩き(第20回) 贄川宿~本山宿~洗馬宿~塩尻駅3

(2より続く)

本山宿を出る。

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国道合流前に秋葉神社と石仏石塔群がある。
寛政2年(1790)道祖神、馬頭観音、文政2年(1819)と文化2年(1805)の南無阿弥陀仏名号碑、二十三夜塔、供養塔、庚申塔など。

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馬頭観音2基のうち、一つは観音像の頭の上に馬頭がいる。

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その斜め前にため池があった。鯉がいる。これは何のためのものだろう?大正時代からあったようなのだが・・・

国道を進み、セブンイレブンがあったので少々休憩。

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アイスを食べる。この日はからっとしていてそう暑いわけではなかったのだが、中から冷やすといい感じだ。

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さらに進んで馬頭観音を撮影。
周囲にはたけのこが。今頃あるんですね。

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その先の公民館のところにたくさんの石造物があった。

庚申塔やら、南無阿弥陀仏名号碑やら、蓬洲仙應尼供養塔、念仏供養塔やら。

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これはなんだろう・・・

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公民館の下には牧野一里塚跡の碑がある。60里目。

線路をくぐり、ちょっと寄り道。

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踏切を渡って言成地蔵尊へ。

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庚申塔、二十三夜党、供養念仏塔、青面金剛庚申その他である。

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猿が4匹いる??

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かわいい豆地蔵さん。

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なぜか、千羽鶴がたくさん奉納されている。
願い事をすれば必ず叶えて貰えるというので、しっかり願い事をしておいた。
当初、洗馬宿の出入口の急坂にあって人々の安全を願っていたが、余りにも落馬する人が多く、ある時一人の武士が怒って地蔵様を斬ってしまい、これでは縁起が悪いと新福寺に移して安置したが、新福寺は廃仏毀釈によって廃寺となったので、その後地元住民によって今の位置に移され、昭和3年御堂を新築して現在に至っているのだそうだ。

洗馬宿に入ってきた。
慶長19年(1614)中山道が塩尻峠経由に付け替えられた際に、塩尻宿、本山宿とともに新設された宿で、北国往還善光寺道の追分にあたり、おおいに賑わった。たびたび大火に見舞われ、昭和7年の大火で宿並はすっかりなくなってしまった。本陣1、脇本陣1、旅籠29。当初松本藩であったが、享保10年(1725)幕府直轄領になっている。

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高札場跡。

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広重が描いた洗馬宿。
あふた清水から奈良井川を見た風景だそうだ。月明かりの中、柴舟を筏がゆく。

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芭蕉の句碑もあった。
「入梅はれの わたくし雨や 雲ちきれ」

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万福寺の朱塗り門(再建)。住職が木曽代官山村氏の娘と結婚したことからこのような門をつくることが許されたという。

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脇本陣跡には明治天皇御駐輦之處碑がある。
脇本陣と本陣の庭は名園だったそうだが、洗馬駅の敷地となりなくなってしまった。

荷物貫目改所跡(荷物の目方を検査する役所。中山道では洗馬・板橋・追分の3宿に置かれ、規定の重量を越えた荷物に増賃金を徴収するなど、伝馬役に過重な負担がかからないようにしていた)、本陣跡を通り過ぎる。

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あふた(邂逅)の清水に寄ってみる。

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木曽義仲が挙兵の際、今井から出迎えた今井兼平と邂逅した(出会った)所と言われ、ここで兼平が義仲の馬を洗うと、馬はたちまち元気を回復したので洗馬というようになっただそう。

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ここから田んぼが見えたのだが、ちょうど田植えをしているところだった。

このあたりが洗馬宿の江戸方見附。

(4に続く)

マップはこちらを使っています

2022/05/23

中山道六十九次歩き(第20回) 贄川宿~本山宿~洗馬宿~塩尻駅2

(1より続く)

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すぐ先で落石注意標識があり、そこを上がっていくのが旧道だ。

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三面八臂の馬頭観音と南無阿弥陀仏名号碑。

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大岨隧道。中央線が開通した当時通っていたトンネルだが、昭和40年代にルートが変更になったため使われなくなったもの。

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このあと、しばらく崖沿いの道を行く。結構な高さだ。

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国道の向こうに奈良井川が見える。

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やがて下に降りて国道に合流した先に南木曽の碑がある。
県立長野図書館長を務めた乙部泉三郎氏の書とのこと。
ここで木曽路も終わり、信濃路に入る。

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ようこそ木曽へ!

しばらく国道を進む。

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養蜂場を間近で見たのははじめてかも?

旧道に入る。

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日出塩駅の手前に、道祖神、秋葉大権現、筆塚がある。

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駅を通り過ぎた先には長泉寺。

 

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参道脇には、またまた庚申塔、供養塔、二十三夜塔。

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六地蔵。

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一里塚跡。61里目。石碑のみ。

日出塩の青木はパスして、跨線橋で線路の向こうへと渡る。

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段の上に本山宿のモニュメントが見えてきた。
ここから街道に入る。本山宿である。
木曽路の玄関口として賑わった宿。本陣1、脇本陣1、旅籠34。

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高札場跡には秋葉大権現(文政13年)と秋葉大権現常夜燈(元治6年)があった。

長久寺(奈良井義高が開祖)・常光寺跡、口留番所跡(幕末まで松本藩により、口留番所が置かれ、米穀、塩、女などの通行改めをした)、脇本陣跡・上問屋跡を通り過ぎる。

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広重が描いた本山宿。

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静かな宿である。

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ここもまた屋号札がかかる。

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小林本陣跡。

雀おどりのある家(明治18年建築)で、明治天皇本山行在所碑あった。
皇女和宮も泊まられたそうだ。

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その前には旧旅籠川口屋、池田屋、若松屋が並んでいるのだが、斜交屋敷(道に対して斜めに建っている)となっている。どの家も袖うだつがある。国登録有形文化財。明治2年の大火後の再建らしい。

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マンホールは、北アルプスとそばの花、まわりにはカタクリの花が描かれている。

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本山そばの里。
本当はここでお昼を食べたかったところだが、行程上難しかったので断念。残念である。
このあたりは畑でそばを育てていて、そば切り発祥の地と言われる(ほかにも発祥の地はある)。

(3に続く)

マップはこちらを使っています

2022/05/22

中山道六十九次歩き(第20回) 贄川宿~本山宿~洗馬宿~塩尻駅1

先週に引き続いての中山道歩き。
前回のゴールは奈良井駅だったが、奈良井駅から贄川駅までは昨年歩いているので、今日のスタートは贄川駅。

あずさ1号に乗り、塩尻駅着9時28分。

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10時5分発の地域振興バスすてっぷくんに乗る。

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ブドウがマークの小さなバスだ。20人くらい乗り。
乗る人はほとんどいないかと思ったけれど、地域の方もそれなりに乗ってきていた。これ、均一料金で100円というのもありがたいですね。奈良井宿の観光にも使えるなと。
バスはほぼ旧中山道を走っていて、バスでは45分でいくところをこれから夕方まで歩くのかあと思う。

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贄川駅着は10時50分。
おにぎりを食べて出発する。

少し歩いて下遠バス停の前の旧道を行く。

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すぐに草道となる。こういう道は歩きやすくていいですね。国道、線路がだいぶ下に見える。

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舗装道路に出るところに石仏石塔群が。
回国六部供養塔、馬頭観音、西国巡禮供養塔、文字庚申塔、宝暦8年(1758)の廿三夜待供養塔などが並ぶ。

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杉木立の中を進んだ先にも、石塔群がある。
明和2年(1765)の廿三夜待供養塔、天文3年(1534)の道祖神、青面金剛庚申塔などである。

その前に諏訪神社。

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両部鳥居だ。

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廻國供養塔、百万遍供養塔、光明眞言三百万遍塔などがずらりと並ぶ。
光明真言というのはどうやら密教の真言らしいですね。

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このあたり、旧若神子村のあたりにも水場がいくつかある。
火災予防の意味合いもあるのだろうか。

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この日もつばめを多く見た。

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国道に合流すると若神子一里塚がある。62里目。
明治43年中央本線が通った際、片側が取り壊され、残りも国道の拡張に伴い削られ、少し残るのみである。

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昨年開通した桜沢トンネルを横目にみつつ、右側の国道へと入っていく。

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すぐ先で片平集落を通る。
短い区間だが静かな集落だ。出梁造りの家がある。

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屋号札がかかっている。

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集落を出て進むと、ちょっと低めの鳥居が見えてきた。白山神社の鳥居である。せっかくなので上がっていってみる。

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拝殿。
この神社は、加賀の国(石川県鶴来町)の白山比咩神社が総本社で、祭神は菊理媛神。夫婦の縁から現世とあの世の縁まですべての調和結合をはかり生産者には生産の力を人には和を与える神様だそう。
という解説版が倒れてしまっていた・・・

道が荒れていたが、下っていくと階段が見えてきた。

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こちらの鳥居。こちらが正面なんですね。
手すりではなくなぜかガードレールがついている。ガードレールじゃつかまりにくいような?

片平橋から歩道工事中ということで、仮にもうけられた歩道を行く。

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桜沢茶屋本陣跡があった。
立場茶屋である。

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明治天皇御駐輦跡碑と明治天皇櫻澤御小休所碑。

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本陣門はなかなかに立派だ。

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明治天皇櫻澤御膳水碑もあった。

(2に続く)

マップはこちらを使っています

2022/05/21

麗人酒造 麗人 清酒 御柱祭ラベル

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これまた、甲州街道を歩いた際、購入したお酒。

今年は、7年に一度の御柱祭の年。
ということで、諏訪では盛り上がっているけれど、こちらの酒造さんでは御柱祭デザインのお酒が売っていて、迷わずこれをチョイス。この瓶、捨てられないな~
お酒自体は普通酒なんですけどね。

飲んでみると、やや辛口かな。あとあじはすっきりべとつかない感じで、これは食事にあいますね。
飲み飽きないです。

 

2022/05/20

舞姫 翠露 純米吟醸原酒 アルミカップ

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先月、甲州街道を歩いた際、上諏訪の酒造、舞姫で購入したお酒。
その手前、麗人で300×2本を購入していたので、こちらでは小さなアルミカップのこのお酒を購入した。

お店の方がよく冷やして飲んでくださいねと言っていたので、帰宅して早速冷蔵庫に入れておいた。

飲んでみると、ほんのり甘口。
が、原酒というのでもっと強い感じかなと思っていたのがそうでもなく・・・
むしろ飲みやすいので危険(笑)

うまみたっぷりのお酒でした。

2022/05/19

モンデ酒造 甲州辛口

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おみやげにいただいた白ワイン。石和のワイナリーのワインである。
山梨といえば甲州種!これは山梨県産の甲州種100パーセント使用とのこと。

なんでも音楽熟成だそう!
10日間音楽を聞かせるそうだけど、それってどう影響するんだろう???
いやでも、すっきりとした辛口で、酸味もいい具合でおいしいワインだったので、効果はあるってことかな?

2022/05/18

中山道六十九次歩き(第19回) 宮ノ越宿~奈良井宿4

(3より続き)

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鳥居峠のトチノ木群碑を過ぎた先に、子産みの栃があった。大きな空洞がある。
昔、この穴の中に捨て子があり、子宝に恵まれない村人が、育てて幸福になったことから、この実を信じて飲めば、子宝に恵まれると言い伝えられている、そうである。

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このあたり、トチノキがたくさんある。

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お六櫛の原木であるミネバリも植えられている。

このあと、ちょっと道がわかりづらいのだけれど、動画を見てきたのでオッケー。

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ふと向こうを見るとサル!!!
この後もたくさんサルを見ることとなった。

道を折れ曲がり、さらに上がっていく。

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と、あったのは明治天皇駐蹕所碑。

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ほどなく鳥居峠到着。標高1197メートル。
それほど大変ではなかったですね。

 

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明覚霊神碑。
御嶽を信仰する講社が建てた碑である。碑を過ぎ、丸太の階段を降りると、「明治天皇駐輦碑」がある。

やがて中利茶屋到着。
ほんのちょっとだけ休憩。

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茶屋の横には水場があった。塩尻市に入る。

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このあとは下りなのだが、木橋が次々出てくる。

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というところで、蛇を踏みそうになる!ぎゃあああ。
ジムグリのようだ。

 

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鳥居峠一里塚跡。65里目。

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昨年の台風で一時期通行止めになっていたけれど、まだ名残がある。

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まだまだ橋あり。

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そうこうするうちに中の茶屋跡到着。おやつを食べて休憩する。
天正10年(1582)、木曽義昌が武田勝頼の2千余兵を迎撃し、大勝利を収めた古戦場で、この時、武田方の戦死者5百余名でこの谷が埋もれたといわれ、戦死者を葬った場として、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれるているそうだ。
そして、菊池寛の「恩讐のかなたに」の舞台となったとあった。
青の洞門しか覚えていないのだけど・・・

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かわいらしい石像。このあたりでレインウェアを着ないとならないくらいに雨が降ってきた。

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石畳が出てきた。雨が降っていることもあり、滑りそうなので慎重に歩く。

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そして石畳終了。

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さらに下って、ついに登山口に到着!

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予定したより少し遅れたけれど、無事降りてこられたのでほっとする。

このあとは前回歩いているのでひたすら歩く。

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もう夕方なので、観光客もほぼいなくて静かな奈良井宿である。

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なかなかに風情がある。

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約20分弱で奈良井駅到着。
装備をしまって電車を待つ。

松本まで出て、いったん改札の外に出て待合室であずさを待つ。

6時40分発のあずさに乗り込み、駅弁タイム!

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山里おつまみ弁当。ごはんがちょっぴりであとはおつまみというお弁当いいなあ。
おつまみは、山賊焼き、山菜煮つけ、わかさぎ、豚ヒレカツ、きのこと塩イカの甘酢、野沢菜炒めなど。
信州ワイン(赤)も飲む。

帰宅は9時過ぎ。
あまり雨がひどくならなくて本当によかった。

約32000歩。

次回は贄川駅から歩きます。

(完)

マップはこちらを使っています。

2022/05/17

中山道六十九次歩き(第19回) 宮ノ越宿~奈良井宿3

(2より続き)

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跨線橋で線路を越え(飛騨街道の追分)、徐々に道は上がっていく。

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尾州御鷹匠役所跡。
はじめは尾州御鷹匠役所は妻籠宿にあったのだが、享保15年(1730)、薮原宿に移された。毎年春、尾張藩から鷹匠と役人がやってきて、鷹の巣を見つけて鷹の飼育・調教・公儀献上、巣山の管理などを木曽代官山村家の家臣等と行っていたのだそうだ。

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原町清水。後ろに水神様。
水は結構冷たい。

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天降社。
後ろに見えるオオモミジは胸高直径約80センチ。
秋はきれいだろうなあ。

鳥居峠から降りてきた10人以上の団体さんと出会う。
結構登りますよ、お気をつけてと声をかけられる。

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さて、登り口にやってきた。
杖置き場もある。
トレッキングポールを組み立て、登山開始!

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原町稲荷社。

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ほどなく石畳の道がはじまる。

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熊除けの鐘(この後もたくさんあった)を見て、そうだ、まだ熊除けの鈴替わりのカウベルをつけるのを忘れていたことに気づき、慌ててつける。

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経塚牛馬供養塔。
馬、牛、溺死者などの文字が見える。このあたりで亡くなったものへの供養の塔なのでしょう。

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九十九折りにぐんぐん上がっていく。

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馬頭観音。

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振り返ると藪原宿が見える。

丸山公園にはいろいろな碑があった。

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左から、法眼護物句碑「嶺は今朝ことしの雪や木曽の秋」、鳥居峠標柱、芭蕉句碑「雲雀より上にやすろう峠かな」。

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芭蕉句碑「木曽の栃うき世の人の土産かな」。

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月雪花句碑。

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御嶽手洗水鉢。500m先の峠山からの湧水だそうだ。

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ここから上がると義仲硯水井戸があった。
義仲が平家追討の旗揚げで戦勝祈願の願書をしたため、御嶽山に奉納した時の硯の水。

御岳山遥拝所へと上がっていくのだが、ここが、一番急な道だった。といってもそう長い距離ではない。

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御嶽山の眺望所についてみると・・・

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うーん、ほんのちょっと下の方だけ見えている。残念だが、天気が下り坂だったのでやむを得ない。

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たくさんの石塔石造物が並んでいた。
いろいろな講の人たちが建立した帝釈天、不動明王、摩利支天、霊神などである。

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御嶽神社。

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神社入口。

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不動明王がここにも。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています。

2022/05/16

中山道六十九次歩き(第19回) 宮ノ越宿~奈良井宿2

(1より続き)

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山吹山をぐるりとまわって道は続き、山吹トンネル手前から旧道があるのだが、立ち入り禁止(実際はフェンス脇から抜けられそうだったが)なので、トンネルを通る(音がうるさいのと空気が悪い)。

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トンネルを抜けると木祖村(木曽川源流の里だそう)に入り、一里塚碑がある。吉田一里塚跡。67里目。

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吉田橋を渡る。
昔は板橋がかかっていたそうだ。

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宮ノ越から歩いてきて、ふきをしばしば見かけた。このあたりで多く栽培されているんでしょうね。道の駅に寄ったら売っていたのかも??

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やがて吉田洞門が見えてきた。
山ぎりぎりのところを道が通っている。

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歩道は川側に作られている。風が気持ちいい。

その後、旧道があるのだが、工事中で通れず、国道を歩く。

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大きな鳥居峠の壁画があった。
鳥居峠を越える旅人と馬子が描かれている。
むむう、壁画がおおきすぎてうまく写真が撮れていない・・・

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獅子岩橋で木曽川を渡るが、橋には木祖村の花りんどうと、村の木のとちのきが。

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マンホールもやはりりんどうととちのき、そして木曽川。

少し先で、歩いてくる人たちがいて、遠くからでもきっと街道ウォーカーさんに違いないと思ったら、案の定!
京都の方たちで、東京から歩いているという。
鳥居峠の遥拝所から御嶽山がよく見えましたよという話だったので、もしかしてみられるかも?と楽しみになった。

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藪原の交差点から左の道に入り、線路をくぐって進むと一里塚跡があった。そしてなぜかSLが。68里目。

藪原宿に入ってきた。
この宿は鳥居峠と飛騨街道追分を控え、お六櫛の生産地として賑わった。明治17年の大火で、宿並の大半が焼失してしまっている。本陣1、脇本陣1、旅籠10。

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お六櫛の工房。

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高札場跡の標柱(と丸ポスト)。丸ポストがあるとついつい撮影してしまう。

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この宿も屋号札がかかっている。

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檜物屋酒店。

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お六櫛問屋篠原商店。

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漆器店もあった。

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水場もたくさんある。

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静かな宿だ。

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防火塀跡。水車と後ろに明治天皇駐輦所碑が見える。
元禄8年(1695)薮原宿のほとんどが焼失する大火があって、その対策として石垣を築き、その上に高い土塀をたて防火壁としたそうだ。

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極楽寺(観音堂はお六櫛のお六が祀られ、天井画は藤田嗣治が描いた)と、藪原神社(式部鳥居)が街道から見えるが、時間の都合上カット。

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湯川酒造店。ここが醸す木曽路は前回歩いた際に購入した。

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米屋。明治の大火後に須原宿から移築された建物だそうだ。

脇本陣跡にある笑ん館で少々休憩、本陣跡を通り過ぎ、水場をいくつか見て、宿を出る。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています。

 

2022/05/15

中山道六十九次歩き(第19回) 宮ノ越宿~奈良井宿1

久々の中山道歩き。
昨年12月以来である。

前回は奈良井宿から贄川宿を歩いた。
そのまた前の回は宮ノ越まで歩いたのだが、寒くなって鳥居峠越えは難しくなったので、飛ばして奈良井から歩いたのだった。

本当は8時台のあずさに乗り、塩尻で普通列車に乗り換えて宮ノ越に行くのが通常だけれども、スケジュール的になるべく早くスタートした方がいいと思い、7時台のあずさ1号に乗って、塩尻着9時半。しなのに乗り換えて木曽福島着10時半。
時間節約のため、超早いけれど、お昼にする。おにぎり2個を持っていたのだが、さすがに食べられず、あとで食べることに・・・

 

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11時過ぎの電車に乗り、宮ノ越駅着11時13分。
ちょっとだけ寄り道だが、徳音寺によることにする。

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義仲橋で木曽川を渡る。

ちょっと行ってみたかった義仲館だが、さすがに見学の時間はないのでパス。

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木曽義仲と勇ましい巴御前の像を撮影したのみ。

徳音寺は木曽義仲が母親の小枝御前を弔うために仁安3年(1168)に建立したお寺で、木曽氏の菩提寺である。

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参道には無数の石仏があった。

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蛙塚なるものもある。

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山門は、享保8年(1743)に建立されたもの(その後修復あり)。
鐘は「徳音寺の晩鐘」として木曽八景のひとつとなっているそうだ。

 

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中に入ると、本堂前に巴御前乗馬像があった。

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木曽義仲公霊廟。

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中には木曽義仲像が。

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こちらが、木曽一族の墓である。

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義仲の墓。

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右側に、右から今井四郎兼平、義仲の母小枝御前の墓。

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左側に、左から樋口次郎兼光、巴御前の墓が並ぶ。
兼光、兼平は巴御前の兄である。

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つらぬきいし。
巴御前が木曽川巴淵を馬で駆けた際、馬蹄がこの石を貫いたのだそう。

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お泣き地蔵尊。泣いたようなお顔かな?

街道に戻って本格的に歩きスタート。

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時間の都合上、旗挙八幡宮はパスし、葵橋で再び木曽川を渡る。

句碑のある葵橋公園を通り過ぎ、旧道へ。

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このあたりも屋号札がかかる。

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有栖川宮御休所跡碑。
明治20年、有栖川熾仁親王夫妻が中山道旅行の際、紺屋を営む手塚家で休息したそうである。

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いくつか道祖神を見るが、みな文字だけだ。

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木曽川を渡る手前に、南宮神社手洗水。義仲がが産土南宮神社を拝するときの手洗水としたと云われている。

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そして、ここが巴渕。水の色がとてもきれいだ。
木曽川は山吹山にさえぎられ、直角に曲がる。

木曽川が巴状に渦を巻く淵であることからこの名がついた。また、ここに住む龍神が化身して権守中原兼遠の娘として生まれて巴御前になったとの伝承もあるとのことだ。

東屋で少々休憩。
先ほど残したおにぎりを食べる。

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。

2022/05/11

おやすみ

パソコン故障につき、しばらくお休みします。

2022/05/09

吉祥寺:戎ビアホール 吉祥寺

東京国立近代美術館に行った後の昼食。
竹橋は特に休日は食べる場所がなく、結局どこかに出なければならない・・・
今回は吉祥寺まで戻ってきてお昼にすることにした。

前日、ヱビスバーなのにビールを飲まなかったことに悔いを残したため、ビールをのむぞ!
ということで、ビアホールにむかった。

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ビールは、空知ビールのグラス。
伝説の?ホップ、ソラチエースを使用していて、ホップの香りとちょうどいい苦みがおいしい。

お料理はサラダランチにしようと思ったところ、ちょうど売り切れとのことで・・・

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Bランチ(厚揚げハンバーグとハムカツ、オムレツ)。ご飯は五穀米。
厚揚げハンバーグとはいったい??ハンバーグの中に厚揚げが入ってる?それとも載ってる???
と悩んでいたところ、きたのは、厚さのある揚げたハンバーグというのが正解みたい(笑)。ハムカツはこれまた厚みのあるハム使用。
オムレツはふわふわ。
結構おなかいっぱいになりました。

早く、自由にビアホールに飲みにいけるよういなりたいなあ。

東京都武蔵野市吉祥寺本町1-15-9 岩崎吉祥寺ビルB1F

2022/05/08

【鏑木清方展】

art-11【鏑木清方展】 東京国立近代美術館

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連休最終日は近代美術館へ。
没後50年鏑木清方展である。
年代順ではなく、生活の絵、物語の絵、小さな絵とわけての展示。

第1章 生活をえがく
清方=美人画というイメージだけれど、意外と風俗画も描いているんですね。今回の展覧会では、庶民の生活を描いた絵が多数出展されていて、これらがなかなかよかった。
また季節のうつろいもよく描かれており、「初冬の雨」「温泉の秋」「雪つむ宵」など、季節がさりげなくわかる描き方なのである。
「露の干ぬ間」の露が美しいなあ。
清方は風景画も描いたようで、大磯の風景の絵などがあったけれど、風景画に関して言えば、もやっとした描き方で、人物の描き方と違うなと。
「明治風俗十二ヶ月」がとてもよかった。12ヶ月、それぞれの季節ごとに人々の生活が描かれている。
「鰯」も庶民の生活がいきいきと描かれる。
「墨田河舟遊」は裕福そうな武家の一行が描かれていると思えば、すいか売り、猿回し?投網をうつ舟など、いろいろな階層が描かれる。
清方は美人画だけじゃない!
とはいえ、もちろん美人画も素晴らしい。
「浜町河岸」「築地明石町」「新富町」の三部作はほれぼれとする。特に「築地明石町」のモダンさ!りんとした美しさ。
「讃春」は昭和天皇御即位記念に三菱財閥の岩崎家より献上された
ものというが、左隻、右隻が違っていておもしろい。右は双葉のセーラー服の女学生、左は水上生活者の母子。どちらも春の光景ではあるが題材のチョイスがおもしろいと思う。

第2章 物語をえがく
幽霊にぞくっとした後は、樋口一葉関連。
清方は一葉作品が大好きだったとかで、今回もその関連が2枚。
「たけくらべの美登利」はたけくれべの最後の場面、そして「一葉」は一葉を描いたもの。針仕事をする姿なのだが、凜とした姿で、一葉、確かにこんなイメージですね。
歌舞伎の関する作品も多数。
情感豊かに描かれた作品が多い。

第3章 小さくえがく
小品もまたよいですね。
「夏の生活」「金沢絵日記」は家族で避暑のため訪れた金沢での生活を描いた作品集でほのぼの感あり。
大佛次郎が創刊した雑誌「苦楽」の表紙絵もいいですね。こういう表紙だったら、ジャケ買いしちゃいそう!

残念ながら東京での展覧会は8日で終了です。

2022/05/07

上野:YEBISU BAR 上野の森さくらテラス店

連日の東京国立博物館。
やはり昼食が危ぶまれる・・・
ということで、前日目をつけておいたお店に直行!

3組待ちだったが、店内は満席ではなさそうだったので、名前を書いて待つ。
と、読み通り、それほど待たずに済んだ。

ヱビスバーなのだからビールを飲みたいところだったがぐっとこらえて注文したのは・・・

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サクサク醤油の釜玉チーズパスタ。
前日メニューを見て食べたいと思ったメニュー。

パスタは生パスタっぽい感じ(もちもちしていた)。
チーズの絡んだパスタに、トッピングはベーコン、ねぎ、おかか、サクサク醤油に生卵。
カルボナーラみたいな、混ぜそばみたいな・・・
よーく混ぜていただくのだが・・・
意外と混ぜるの大変!おかかが固まってしまう・・・という難点はあったけれど、おいしい。

やっぱりビール飲めばよかったな・・・

東京都台東区上野公園1-54 上野の森さくらテラス 1F

2022/05/06

【空也上人と六波羅蜜寺展】

art-10【空也上人と六波羅蜜寺展】 東京国立博物館

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東京国立博物館で開催中の空也上人と六波羅蜜寺展に行って参りました。

半年ぶりに東京にやってきたという空也上人像がなんといっても目玉。
なかなかの混雑ぶりでした。

ぱっと目に飛び込んできた空也上人。意外と小さいですね。
117センチとか。原寸大ってことはないか・・・
ちょっと前屈みになっているということもあって余計小さく見える。
上人が南無阿弥陀仏の名号を唱えると、声が阿弥陀如来の姿となった・・・という6つの阿弥陀如来はガラスケースの外からは、はっきり見えるわけではないけれど、それでも間近に見ると感動しますね。
もちろん見所はそこだけではなくて、よくよく見ると、非常にリアルに彫られているんですね。さすが運慶の四男康勝の作!
上人の着ている服がなんか堅そうなのと、なぜ鹿の角のついた杖(下の方に蓮華が彫られている)を持っているの?と思ったら、上人が可愛がっていた鹿が猟師に撃たれしまい、悲しんだ上人がその革と角を受け取り、革を衣服とし、角を杖につけたのだそう。
いやしかし、運搬するの大変だったでしょうね。

他の展示は・・・

「地蔵菩薩像」。美しいフォルム。
「閻魔王坐像」。ちょっと笑ってしまう閻魔様。
「薬師如来座像」「四天王立像」。四天王がちょっとやさしげというか・・・邪鬼を踏んでいませんね。
「伝運慶坐像」「伝湛慶坐像」。運慶の方が目力強いなあ。
「伝平清盛坐像」。これは教科書なんかでもよく見る座像。ちょっとほほえんでいるようにも見える。
「夜叉神立像」。歯の痛みが治るということで、歯の部分を触る人がいたのだろうか、歯がないみたいだった。

特別5室の近くの本館11室にも六波羅蜜寺所蔵の像が5体展示されている。
いかめしい「司禄坐像」「司命坐像」がよかったです。

是非どうぞ。

今回の常設展示のお気に入り。

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2022/05/05

上野:こて吉 上野の森さくらテラス店

東京都美術館に行った後の昼食。

きっと、この日は昼食場所を見つけるのに苦労するだろうなと思っていたのだが、駅に降り立った段階で、すごい人だったので絶望的になっていた。

まあでもどこか入れるお店もあるだろうということで、いつものとおりさくらテラスに行ってみると・・・
いやはや長蛇の列だ。

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おや?二人しか並んでいない!
というお店がお好み焼きのお店だった。2018年お正月に行って以来。

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オム焼きそば(豚玉)。
味濃いですね~
ケチャップ+マヨネーズというのはあまりやらないし。
これ、やっぱりビールが欲しい・・・

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お好み焼き(mix)。
ソースも足して、青のりとだし粉をたっぷりかけるとよろしいです。

次行ったら、ねぎ焼きを食べてみるかな。


東京都台東区上野公園1-54 上野の森さくらテラス2F

2022/05/04

【スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち展】

art-9【スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち展】 東京都美術館

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都美術館で開催が始まったスコットランド国立美術館展に行ってまいりました。
上野駅に降り立つと、人、人、人でびっくりしましたが、美術館は(混んではいたけれど)思ったほどではありませんでした。

プロローグ ー スコットランド国立美術館
美術館やエディンバラ城を描いた作品からスタート。
エディンバラを訪れた際、この美術館にも行ったのが、夕方だったので駆け足になってしまったのが残念である・・・

1 ルネサンス
習作が並ぶ。うーん、多少水増し感が・・・
しかし、さすがラファエロの「魚の聖母」のための習作はいいですね。優美だ。
ダ・ヴィンチの師ヴェロッキオ(帰属)の「幼児キリストを礼拝する聖母」もいい。背景が廃墟のようでちょっとおもしろい。
ヴェロネーゼ「守護聖人聖アントニウスと跪く寄進者」は堂々たる作品だ。
ボルドーネ「化粧するヴェネツィア女性たち」。真ん中に描かれている女性はマグダラのマリアでしょうね。
エル・グレコ「祝福するキリスト」。この色遣い、グレコですね。

2 バロック
エルスハイマー「聖ステパノの石打ち」。非常に緻密で小さな絵。こうした画風だったので遅筆で、また若くして亡くなったため、現存する作品は40ほどという。
ベラスケス「卵を料理する老婆」。
この展覧会で一番気に入った作品。18,9歳の時の作品だそうだが、すごい技量だな~この質感!ホントにリアルだ。
ヤン・ステーン「村の結婚式」。この人の作品としては陽気さが足りないような?
レンブラント「ベッドの中の女性」。旧約聖書のトビト記に出てくるトビトの子トビアの妻が描かれているというが・・・なんかもっと企みがありそうな女性に見える。これもまた奥さんがモデルなのかな?
ルーベンス「頭部習作(聖アンブロジウス」。コントラストがさすがだ。

3 グランド・ツアーの時代
ロココの作品が続く。
この中で気に入ったのがブーシェ「田園の情景」の3枚。優雅。若干退廃感もあるけれど・・・
レノルズ「ウォルドグレイヴ家の貴婦人たち」。三美神になぞらえて描かれる伯爵家の三姉妹。これぞ貴族という感じ。ただおもしろみはあまりないかな・・・髪がすごいけど。
モーランドの「勤勉さのもたらす快適さ」「惰性のもたらす惨めさ」。対となる作品だが、画家は大酒飲みで借金を抱え、刑務所にも入ったり、最後はアル中でなくなるという、後者だったようだ。

4 19世紀の開拓者たち
スコットランドの画家の作品が並んでいた。
一番気に入ったのはグラント「アン・エミリー・ソフィア・グラント("デイジー"・グラント)、ウィリアム・マーカム夫人(1836-1880)」。画家の次女を描いた作品だというが、なかなか上品な出来である。
詩人で画家のウィリアム・ブレイクの作品「石板に十戒を記す神」。ブレイクらしく不思議な絵。ルドン的だけど、もっと難しいような・・・
マーティン「マクベス」。劇的な画。
コンスタブル「テダムの谷」とターナー「トンブリッジ・ソマー・ヒル」が並ぶ。ワタクシはコンスタブルの方が好きなのだけど、これはターナーの方が気に入った。きちんと描かれたフツーの?ターナーだ。
ダイス「悲しみの人」。これはどう見てもイエスだよね?
ランドシーア「荒野の地代集金日」。これはよくわからない・・・左の方に描かれているのが集金人なんだろうか?しかし、みな伏せてるし、向こうを望遠鏡で見てるし・・・
ミレイ「「古来比類なき甘美な瞳」」。子供をモデルにした作品が多いミレイ。この子をモデルとした作品は何点かあるらしい。
コロー2点。暗さと明るさを重ねて、まさにコロー。
モリゾ「庭にいる女性と子ども」。ささっと描いた感じ。
ブーダン「トゥールヴィルの浜辺」。小さな作品だけれど、やはり空の画家だなあ。
モネ「エプト川沿いのポプラ並木」。水面に映る木々と空、雲を描きたかったんだろうなあ。
ヴィヤール2点。もちろん?室内の情景画なのだけど、二人のお針子を描いた絵は、一人がどこにいるのかわからず・・・
ドガ「踊り子たちの一団」。先週も緑の絵を見たところだが、これも緑が特徴的だ。
ゴーガン「三人のタヒチ人」。ゴーガンはそれほど好きな画家というわけではないのだが、これはちょっと好き。

エピローグ
アメリカの風景画家チャーチの作品「アメリカ側から見たナイアガラの滝」。アメリカで成功をおさめたスコットランド出身の実業家が寄贈した絵とのこと。大迫力の滝の絵だった。

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結構好きな作品もあった展覧会。
是非どうぞ。

2022/05/03

深緑野分『戦場のコックたち』 

本日の本

 

book-6 『戦場のコックたち』 深緑野分著 東京創元社 

STORY:第二次世界大戦下、アメリカ陸軍の特技兵士のコックであるティムはノルマンディーに降下する。転戦しながらティムは遭遇した日常の謎を解き明かそうとするが・・・
☆☆☆☆直木賞の候補ともなったミステリ。

戦争物は本にしろ映画にしろ苦手で、この本も長らく読まずにいたのだが、ひょんなことから読むことに・・・

主人公は、若いアメリカ軍のコック兵ティム。
ティムがヨーロッパを転戦しながら、戦場という特殊な・・・非日常の中で、謎に出会い、仲間とともにその謎を解き明かすという連作集である。

一つ一つのお話は独立しているように見えるが実はつながっていて、あとからふり返ってみると伏線がたくさんはってあったのだなあと気づく。

大量に消えた乾燥卵(これが実にまずそう・・・)の謎、パラシュートを集める兵士の謎、雪原にあらわれた幽霊兵士の謎など。どれもああなるほどねと思うとともに、次のお話へとつながっていくところが見事だ。

ティムはどちらかというと気弱な青年だが、様々な辛い体験を通して成長し、たくましくなっていく。ミステリーであるとともに、彼の成長物語とも言える。ひよっこだったがティムがおこした行動には、驚くことだろう。

ラスト、再会を果たしたティムと仲間たちが描かれるが、単純なハッピーエンドとはならず、ほろ苦さも残す。そして戦争のむごさ、むなしさも・・・

 

2022/05/02

サントリー TOKYO CRAFT I.P.A.

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昨年も発売されたビール。これは好きなので今回も買ってみた。

注いでみると、茶色っぽい色で、泡が盛り上がる。
飲んでみると、さすがIPA、苦みがぎゅーっとくる。でも強すぎることはなくてちょうどいい感じですね(でも苦いビールが苦手な人にはキツいと思う)。

香りもよく、これはいいですね。
来年も発売されるかな?

2022/05/01

新宿:フォーハノイ屋台33 ルミネエスト新宿店

国立新美術館に行ったあとの昼食。
美術館近くで食べるのはいつも苦労するので、いっそ新宿まで出よう!
と思ったのだが・・・

いやー、どこも人人人人・・・
人だらけ・・・
どこも並んでいて厳しい。

 

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その中で比較的列が少なかったこのお店に入ることにした。
4月はじめにオープンしたばかりのベトナム屋台料理のお店である。

メニューはセットのみ。
ベトナム麺セットか、バインミーとベトナム麺セットか。
バインミーは食べたことがなくて、食べたいなあと思ったものの、麺もあるとちょっと食べきれないかなと思い断念(よくよく見ると麺はハーフだったからいけたかも?)。

麺も33種類あって迷うが・・・
麺の種類もフォー(平麺)、細麺ブン、太麺ブン、春雨ミェンと4種類。

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結局ワタクシが頼んだのはベトナム焼き豚のブン。
ブンを食べるのは3回目。素麺みたいな細さだけど、米の麺。
生野菜と薬味(パクチー、レモン、生唐子)がついてくる。途中から生野菜をと思ったけれど、ある程度柔らかくなった方がいいかしらとはじめから入れてみる。スープは少々辛味がある。焼き豚がエスニックでおいしい。
途中からパクチーを入れ、レモンも絞るとさっぱりした感じに。
生の唐辛子はちょい危険かなとパス(実際、同居人氏が食べたところ結構辛かったらしい)。
揚げパンがついていて、これはスープにひたして食べる。香港のおかゆについてる油條みたいですね。
おっと忘れてました。生春巻きもある。ソースが甘めと思ったら、みそピーナッツソースだそう。

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同居人氏の鶏もも肉のライム素焼きフォー。
さっぱり系の鶏。

最後にデザートを。
メニューには緑豆のぜんざいピーナッツのせとあったけれど、違いますね・・・
お芋入りのタピオカかと・・・

たまたま入ったお店だけれど、おいしかったです。
33種類もあるのでまた行こう。


東京都新宿区新宿3-38-1 ルミネエスト新宿店 8F

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