中山道六十九次歩き(第20回) 贄川宿~本山宿~洗馬宿~塩尻駅4
(3より続く)

少し進むと中山道と善光寺道のわかされ(追分)があった。昭和7年の大火のあとここに移された。
左を行くと善光寺西街道で、松本を経て善光寺へと至る。
道標には「右中山道、左北国往還善光寺道と刻まれる。

後ろには南無阿弥陀仏名号碑やいくつかの庚申塔などが並ぶ。

肘松の坂を上がっていくと、肘懸松があった。
細川幽斎が 「肱懸けてしばし憩える松陰にたもと涼しく通う河風」 と詠んだと伝えられる。また、江戸二代将軍秀忠上洛の時、肘をかけて休んだとの説もあるそうだ。
明治の頃の写真があったが、大きな松だったんですね。
平出歴史公園の交差点を横切り、すぐに土道に入っていく。

レタス畑の写真を撮っているとちょうど電車がやってきた。

さすが塩尻、ブドウ畑が続く。

よくよく見ると、ぶどうの花だ。
花の状態はあまり見たことがないかも?
塩尻にレタスのイメージはなかったけれど、収穫量は全国でもトップクラスとのこと。寒暖差がよいらしい。

さらに進んで第1中仙道踏切を渡る。
塩尻から中津川の間にある16の踏切の一番目。そういえばいくつも渡ったっけ。

まっすぐな道を進み・・・
ちょっと寄り道。平出遺跡である。
日本三大遺跡(ここと登呂遺跡、茅野の尖石遺跡)の一つ。
縄文時代から平安時代にかけての大集落で、発掘調査により、縄文時代の中期60、後期2、古代の古墳時代79、平安時代28、時期不明30の計199軒の住居が発見され、緑釉水瓶をはじめとする土器・石器などが大量に出土している。
遺跡公園をぐるっとめぐる。
縄文・弥生・平安の3つの時代の住居がそれぞれ再現されている。
まずは古墳時代の村。

住居。

高床式倉庫と住居。

この住居は中に入ることができた。

これは何の実だろう?
と思ったら、おはつもも(古代から栽培された中国原産の桃)の実だそうだ。

先ほどからずっとアルプスの山が見えていて、なんだろうと思っていたのだが、ちょうど解説版があった。
見えていたのは、穂高連峰、大滝山、常念岳、燕岳などである。
続いて縄文の村。


屋根には茅が使われていたらしい。

住居の中。
最後に平安時代の村へ。


こうしてみるとやはり時代によって違いますね。

この家はおもしろい形をしている。
街道に戻る。
平出一里塚。59里目。両塚を残す。

南塚。
武田家の武将山本勘助が桔梗ヶ原合戦の際に赤子を拾ったとされる伝説から「勘助子育ての松」「乳松」と呼ばれたそうだ。今の松は何代目なんだろう?

北塚。
ここから昭和電工の工場を脇を歩き、線路をくぐったところで街道歩き終了。

塩尻駅へと向かう。
駅のおみやげやさんで、ワイン、チーズなどおみやげに買い、改札脇のキオスクに寄るも駅弁は売り切れ(朝はあったけど)。
ホームの売店にも寄ってみたが、駅弁は見事に売り切れ。

ということで、りんごプリンとお茶を買い、5時29分のあずさに乗り込む。
地元到着は8時近くで、駅ビルにて夕食を。

ビールで乾杯。その後日本酒を。
あん肝ポン酢、白げんげの丸干し、野菜の辛味噌ディップ、奈良漬けクリームチーズ。
帰宅は9時過ぎだった。

おみやげのワインとチーズ。
約35600歩。
次回は、下諏訪まで歩きます。
(完)
マップはこちらを使っています
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