中山道六十九次歩き(第20回) 贄川宿~本山宿~洗馬宿~塩尻駅3
(2より続く)
本山宿を出る。

国道合流前に秋葉神社と石仏石塔群がある。
寛政2年(1790)道祖神、馬頭観音、文政2年(1819)と文化2年(1805)の南無阿弥陀仏名号碑、二十三夜塔、供養塔、庚申塔など。

馬頭観音2基のうち、一つは観音像の頭の上に馬頭がいる。

その斜め前にため池があった。鯉がいる。これは何のためのものだろう?大正時代からあったようなのだが・・・
国道を進み、セブンイレブンがあったので少々休憩。

アイスを食べる。この日はからっとしていてそう暑いわけではなかったのだが、中から冷やすといい感じだ。

さらに進んで馬頭観音を撮影。
周囲にはたけのこが。今頃あるんですね。

その先の公民館のところにたくさんの石造物があった。
庚申塔やら、南無阿弥陀仏名号碑やら、蓬洲仙應尼供養塔、念仏供養塔やら。

これはなんだろう・・・

公民館の下には牧野一里塚跡の碑がある。60里目。
線路をくぐり、ちょっと寄り道。

踏切を渡って言成地蔵尊へ。

庚申塔、二十三夜党、供養念仏塔、青面金剛庚申その他である。

猿が4匹いる??

かわいい豆地蔵さん。

なぜか、千羽鶴がたくさん奉納されている。
願い事をすれば必ず叶えて貰えるというので、しっかり願い事をしておいた。
当初、洗馬宿の出入口の急坂にあって人々の安全を願っていたが、余りにも落馬する人が多く、ある時一人の武士が怒って地蔵様を斬ってしまい、これでは縁起が悪いと新福寺に移して安置したが、新福寺は廃仏毀釈によって廃寺となったので、その後地元住民によって今の位置に移され、昭和3年御堂を新築して現在に至っているのだそうだ。
洗馬宿に入ってきた。
慶長19年(1614)中山道が塩尻峠経由に付け替えられた際に、塩尻宿、本山宿とともに新設された宿で、北国往還善光寺道の追分にあたり、おおいに賑わった。たびたび大火に見舞われ、昭和7年の大火で宿並はすっかりなくなってしまった。本陣1、脇本陣1、旅籠29。当初松本藩であったが、享保10年(1725)幕府直轄領になっている。

高札場跡。

広重が描いた洗馬宿。
あふた清水から奈良井川を見た風景だそうだ。月明かりの中、柴舟を筏がゆく。

芭蕉の句碑もあった。
「入梅はれの わたくし雨や 雲ちきれ」

万福寺の朱塗り門(再建)。住職が木曽代官山村氏の娘と結婚したことからこのような門をつくることが許されたという。

脇本陣跡には明治天皇御駐輦之處碑がある。
脇本陣と本陣の庭は名園だったそうだが、洗馬駅の敷地となりなくなってしまった。
荷物貫目改所跡(荷物の目方を検査する役所。中山道では洗馬・板橋・追分の3宿に置かれ、規定の重量を越えた荷物に増賃金を徴収するなど、伝馬役に過重な負担がかからないようにしていた)、本陣跡を通り過ぎる。

あふた(邂逅)の清水に寄ってみる。

木曽義仲が挙兵の際、今井から出迎えた今井兼平と邂逅した(出会った)所と言われ、ここで兼平が義仲の馬を洗うと、馬はたちまち元気を回復したので洗馬というようになっただそう。

ここから田んぼが見えたのだが、ちょうど田植えをしているところだった。
このあたりが洗馬宿の江戸方見附。
(4に続く)
マップはこちらを使っています
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