中山道六十九次歩き(第19回) 宮ノ越宿~奈良井宿1
久々の中山道歩き。
昨年12月以来である。
前回は奈良井宿から贄川宿を歩いた。
そのまた前の回は宮ノ越まで歩いたのだが、寒くなって鳥居峠越えは難しくなったので、飛ばして奈良井から歩いたのだった。
本当は8時台のあずさに乗り、塩尻で普通列車に乗り換えて宮ノ越に行くのが通常だけれども、スケジュール的になるべく早くスタートした方がいいと思い、7時台のあずさ1号に乗って、塩尻着9時半。しなのに乗り換えて木曽福島着10時半。
時間節約のため、超早いけれど、お昼にする。おにぎり2個を持っていたのだが、さすがに食べられず、あとで食べることに・・・
11時過ぎの電車に乗り、宮ノ越駅着11時13分。
ちょっとだけ寄り道だが、徳音寺によることにする。
義仲橋で木曽川を渡る。
ちょっと行ってみたかった義仲館だが、さすがに見学の時間はないのでパス。
木曽義仲と勇ましい巴御前の像を撮影したのみ。
徳音寺は木曽義仲が母親の小枝御前を弔うために仁安3年(1168)に建立したお寺で、木曽氏の菩提寺である。
参道には無数の石仏があった。
蛙塚なるものもある。
山門は、享保8年(1743)に建立されたもの(その後修復あり)。
鐘は「徳音寺の晩鐘」として木曽八景のひとつとなっているそうだ。
中に入ると、本堂前に巴御前乗馬像があった。
木曽義仲公霊廟。
中には木曽義仲像が。
こちらが、木曽一族の墓である。
義仲の墓。
右側に、右から今井四郎兼平、義仲の母小枝御前の墓。
左側に、左から樋口次郎兼光、巴御前の墓が並ぶ。
兼光、兼平は巴御前の兄である。
つらぬきいし。
巴御前が木曽川巴淵を馬で駆けた際、馬蹄がこの石を貫いたのだそう。
お泣き地蔵尊。泣いたようなお顔かな?
街道に戻って本格的に歩きスタート。
時間の都合上、旗挙八幡宮はパスし、葵橋で再び木曽川を渡る。
句碑のある葵橋公園を通り過ぎ、旧道へ。
このあたりも屋号札がかかる。
有栖川宮御休所跡碑。
明治20年、有栖川熾仁親王夫妻が中山道旅行の際、紺屋を営む手塚家で休息したそうである。
いくつか道祖神を見るが、みな文字だけだ。
木曽川を渡る手前に、南宮神社手洗水。義仲がが産土南宮神社を拝するときの手洗水としたと云われている。
そして、ここが巴渕。水の色がとてもきれいだ。
木曽川は山吹山にさえぎられ、直角に曲がる。
木曽川が巴状に渦を巻く淵であることからこの名がついた。また、ここに住む龍神が化身して権守中原兼遠の娘として生まれて巴御前になったとの伝承もあるとのことだ。
東屋で少々休憩。
先ほど残したおにぎりを食べる。
(2へ続く)
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