中山道六十九次歩き(第19回) 宮ノ越宿~奈良井宿3
(2より続き)
跨線橋で線路を越え(飛騨街道の追分)、徐々に道は上がっていく。
尾州御鷹匠役所跡。
はじめは尾州御鷹匠役所は妻籠宿にあったのだが、享保15年(1730)、薮原宿に移された。毎年春、尾張藩から鷹匠と役人がやってきて、鷹の巣を見つけて鷹の飼育・調教・公儀献上、巣山の管理などを木曽代官山村家の家臣等と行っていたのだそうだ。
原町清水。後ろに水神様。
水は結構冷たい。
天降社。
後ろに見えるオオモミジは胸高直径約80センチ。
秋はきれいだろうなあ。
鳥居峠から降りてきた10人以上の団体さんと出会う。
結構登りますよ、お気をつけてと声をかけられる。
さて、登り口にやってきた。
杖置き場もある。
トレッキングポールを組み立て、登山開始!
原町稲荷社。
ほどなく石畳の道がはじまる。
熊除けの鐘(この後もたくさんあった)を見て、そうだ、まだ熊除けの鈴替わりのカウベルをつけるのを忘れていたことに気づき、慌ててつける。
経塚牛馬供養塔。
馬、牛、溺死者などの文字が見える。このあたりで亡くなったものへの供養の塔なのでしょう。
九十九折りにぐんぐん上がっていく。
馬頭観音。
振り返ると藪原宿が見える。
丸山公園にはいろいろな碑があった。
左から、法眼護物句碑「嶺は今朝ことしの雪や木曽の秋」、鳥居峠標柱、芭蕉句碑「雲雀より上にやすろう峠かな」。
芭蕉句碑「木曽の栃うき世の人の土産かな」。
月雪花句碑。
御嶽手洗水鉢。500m先の峠山からの湧水だそうだ。
ここから上がると義仲硯水井戸があった。
義仲が平家追討の旗揚げで戦勝祈願の願書をしたため、御嶽山に奉納した時の硯の水。
御岳山遥拝所へと上がっていくのだが、ここが、一番急な道だった。といってもそう長い距離ではない。
御嶽山の眺望所についてみると・・・
うーん、ほんのちょっと下の方だけ見えている。残念だが、天気が下り坂だったのでやむを得ない。
たくさんの石塔石造物が並んでいた。
いろいろな講の人たちが建立した帝釈天、不動明王、摩利支天、霊神などである。
御嶽神社。
神社入口。
不動明王がここにも。
(4へ続く)
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