中山道六十九次歩き(第21回) 塩尻駅~塩尻宿~下諏訪宿1
前週に続いての中山道歩き。
当日は午前中は雨という予報で、ギリギリまで行くかどうか迷っていた。が、前日になってどうやら現地はわりと早く雨がやみそうな予報に変わり、思い切って行くことに。
出かけるときは雨が降っていて風もあり、ちょっと心配になる。
塩尻峠を越えるので雨風はできれば避けたい・・・
いつものあずさ1号に乗り、塩尻駅到着9時28分。
外に出てみると、やった、雨はやんでいる!!
早速歩き始める。
スタート地点は前回終了の線路をくぐったところである。
少し進むと耳塚があった。
天文17年(1548)、武田信玄と小笠原長時とが戦った桔梗ヶ原合戦で武田軍が勝利し、討死した将兵の耳を葬ったところだそうだ。
耳の形をした素焼きの皿や茶碗を奉納すると耳の聞こえが良くなるのだそう。
素焼きのお皿が多かったが茶碗も見える。
隣の神社は大門神社。
鳥居は両部鳥居だ。
柴宮銅鐸出土の地の碑がある。
境内から日本最北の弥生銅鐸が出土したとのことで、現物は平出博物館に展示されている。この博物館、時間があったら行ってみたかったな・・・
拝殿の前の木も大きいのだが・・・
こちら、推定樹齢300年の三本の大ケヤキである。
塩尻橋を渡った先で旧道へ。すっかり晴れている。
いったん、また国道に合流して向かいの旧道に入っていくのだが、そこに、蠶玉大神、秋葉大神、庚申塔、道祖神、南無妙法蓮華経題目碑がある。やはりこのあたりの庚申等は文字(しかも太字)のものが多い。
堀内家の冠木門。
左から庭へと入ることができる。
雀踊りの棟飾りの立派な住宅は国の重要文化財。
堀内家は旧堀ノ内村の名主を勤めた豪農だったそうだ。
すぐ近くに男女双体道祖神が。この日はこのタイプの道祖神を大来るみることになる。
やがて道が右に曲がっているのが見えてきたが、この枡形から塩尻宿となる。
正面の神社は阿礼神社。
ご神木。
龍の湧き水。この日は水が出てはいなかったが。
石の鳥居。
拝殿。寛保三年(1743)のに再建。狛犬がなかなかキュートだ。
鉤の手跡の碑のところで国道に合流する。しばらくは国道歩きだ。
塩尻宿は伊那街道(三州街道)五千石街道(糸魚川街道)、松本街道(善光寺西街道)の要衝で、東に塩尻峠を控えて大いに賑わった。三河からは南塩、糸魚川からは北塩が運ばれた。
本陣1、脇本陣1、旅籠75。文政11年(1828)と明治15年の大火で宿並は焼失してしまっている。
笑亀酒造。ここは陣屋跡。
まだ歩いて間もないが、お酒を購入。お酒なら重くない!!
塩尻宿のモニュメントがあるところが脇本陣跡。
脇本陣は本陣の川上家の分家だった。土蔵と庭は残っているそう。
渓斎英泉の塩尻宿の絵は、塩尻峠から諏訪湖を望む絵である。
本陣跡。中山道随一の規模だった。間取り図を見ると確かに広い!
造り酒屋を兼ねた川上家を勤めた。
後ろに明治天皇塩尻御膳水碑がある。
高札場跡兼下問屋跡。
向かいには上問屋跡。半月ごとに問屋をつとめた。
飛脚問屋跡の斜め向かいにあるのが小野屋住宅。
屋号は「いてうや(銀杏屋)」で、旅籠を営んでいた。
天保7年(1836)に建てられた木造2階建ての主屋と、土蔵造りの文庫、隠居屋の計3棟などが国重文に指定されている。
五千石街道の碑に続いて十王堂跡の碑があり、そこには双体道祖神をはじめ、いろいろな石造物がある。字がくっきり!
この道祖神は、通常向かって右が男性のところ、逆並びで女性が盃を持っているのですね。
口留番所跡(米・塩・材木・女人などの取り締まりをおこなう)、
三州街道碑を通り過ぎ、塩尻宿を出る。
マップはこれを使っています。
(2へ続く)
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