(3より続き)

すぐ先の下和田中組のバス停の後ろには馬頭観音がある。

寛政12年(1800)の天王夜燈、青面金剛の庚申塔、宝暦2年(1752)の西国三十三所巡礼供養塔など。このあたり注連縄が巻かれたものが多いですね。

またまた茅葺きのバス停は上深山口バス停だ。

文久元年(1861)の青面金剛の庚申塔(後ろに道祖神もある)。
なんかかわいらしい。

国道に出る手前の公園にあった石造物群は馬頭観音。

入り口には水明の里の碑がある。

ちょっとだけ国道を歩き、再び旧道に入って和田橋、落合橋を渡る。
向こうに見えるのは国道の青原橋である。

新しいマンホール発見。旧長門町のマンホールで、町の木カラマツ、町の花ミツバツツジ、町の鳥チョウゲンボウが描かれている。

いったんまた国道を歩き、旧道に入ってまた国道に合流するところにあるのが、四泊一里塚跡。48里目。榎が植わっていたが、昭和35年道路改修の際に伐採されたそうである。

このあたり、歩道がなくてちょっとつらいが、大石団地入口のバス停からすぐ先で旧道に入りほっとする。

長久保宿が近づいてきた。
長久保宿は東に笠取峠、西に和田峠を控え、善光寺へ通じる上田道の追分でもあり賑わった。宿場通りは、当初本陣のある堅町が中心だったが、その後横町が形成され、L字型の珍しい宿場となっている。本陣1、脇本陣1、旅籠43。

鍵の手があって曲がった横町バス停あたりが宿の京方見附である。
この宿も屋号札がかかる。

袖うだつがあり出梁造りの建物は辰野屋(竹重家)。

宿の風景。

ここまで横町を歩いてきたが、濱田屋旅館で街道は直角に曲がり堅町通りを行く。

ここに「中山道 長久保宿 左ぜんこうじ」の道標や木製の常夜燈などある。
一応、バスターミナルで帰りのバスの時間を確認し、行けるところまで堅町通りを行ってみることにする。
ちょっと雨が強くなりつつあったので、バスの待合室でザックカバーをかけた(が、その後わりとすぐにやんだ・・・)

堅町の通りは徐々に上がっていく。

問屋の小林家。明治3年大火後の建築で、谷文晁が描いた恵比寿と大黒があるのだそうだ。

釜鳴屋(竹内家住宅)は、江戸時代初期から酒造業と醤油の醸造業をしており、うだつが上がる。

高札場の復元(前には脇本陣跡)。

旧本陣石合家。
長久保宿創設当初から、江戸時代を通じて本陣と問屋を勤め、4代目当主のもとには真田信繁(幸村)の娘が嫁いでいる。
非公開である。

一福処濱屋。
明治初期に旅籠として建てられれたものの、開業には至らなかったという。出梁造りである。
中は資料館になっているそうなのだが、残念!4時を過ぎて見学できず。次回歩くときに見学しよう。
この前のベンチで、途中のセブンイレブンで買った栗あんどら焼を食べ、バス乗り場へと戻る。
5時5分のバスに乗り込む。
上田駅に近づくと渋滞にはまってしまい、6時2分着の予定が15分以上遅れてしまった。

あせりつつ、駅前のコンビニで夕食を買い、駅構内のニューデイズでおみやげも買い、無事6時35分の新幹線はくたかに乗る。

お寿司と信州浪漫ビール(アルクマ缶!)の夕食。
信州浪漫は甲州街道を歩いた際にお酒を購入した麗人酒造が出しているビールである。
大宮には1時間後到着。埼京線、武蔵野線、中央線を乗り継ぎ帰宅。
9時前だった。

今回のおみやげは信州くるみゆべしと上田のお酒、福無量。
約36000歩。現地に到着するまでに時間がかかって、少し距離は短めでした。
(完)
マップはこちらを使っています。

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