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2022年6月

2022/06/30

アンソニー・ホロヴィッツ『その裁きは死』 

本日の本

 

book-7 『その裁きは死』 アンソニー・ホロヴィッツ著 創元推理文庫

STORY:実直さが売りの弁護士が、裁判の相手方が脅した方法で殺される。謎の数字が残され、被害者が最後に口走った言葉も謎だった・・・

☆☆☆ホーソーン&ホロヴィッツシリーズ第二弾。

前作『メインテーマは殺人』がとてもおもしろかったので、こちらも読んでみた。各ミスベスで一位を獲得した話題作である。

今回もとても古風で本格的なミステリで、いや、やっぱりこういうのいいなあ。お見事。

伏線が張り巡らされているのだけど、すっかりだまされて、やはり犯人はあたらず。
あとから振り返ってみると、納得なのだけど。
いやー、今回もやられました・・・

やっぱり、探偵約の元刑事ホーソーンはいやなやつで好きにはなれないけれど、なんとなく憎めないというか・・・
ホーソーン自身の謎もあって、これはこの後の作品で明らかにされるのだろうか。

やはり次が出たら読むんだろうな。
ホーソーンいやなやつと思いながら(笑)

2022/06/29

中山道六十九次歩き(第23回) 男女倉口~下諏訪宿4

(3より続き)

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前回の歩きでも見たくるみの実。

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このマンホールははじめてかな。ツツジだけのはあったけれど、これはさくらも描かれている。

しばらく国道を歩き(歩道があるので安心)、町屋敷の住宅団地に入ってきた。

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道祖神は、御柱に囲まれている。

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木落し坂到着。

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いやー高いなあ。ここから落ちていくなんて怖すぎる・・・

ここから急坂を下りていく。

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国道合流前に馬頭観音群と・・・

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芭蕉句碑。
「雪ちるや穗屋のすゝきの苅り殘し」。

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ここでこの日唯一の猫。なかなかの面構えだ。

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この丘の上は注連掛。
木落としを終えた下社用の8本の御柱を里曳きまでの間休ませる場所とのことだったが、もうないので上には上がらず。

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注連掛橋。
ここまでずっと流れている川は砥川である。

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山之神。ミニ滝もあった。

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旧道に入ったところにまたまたあったのは御柱に囲まれた道祖神。

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纏のデザインの消火栓。

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ついに諏訪湖が見えてきた。
前々回ここまで歩いたのだった。

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諏訪大社春宮まで出て、駅に向かう。

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下諏訪駅到着。
早くここまで来られたので、上諏訪まで移動し、夕ご飯を食べて帰ることにした。

駅近くのいずみ屋というお店で、いずみ屋御膳。

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信州諏訪みそ天丼、ゆば豆腐煮、ワカサギの佃煮、馬刺し、お吸い物。
もちろんビールも!

19時3分のあずさに乗り、帰宅は9時過ぎだった。

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おみやげはわかさぎ空揚(甘辛味)と、横笛の八剣。

約37000歩。
峠越えは思ったより楽でしたが、その後の国道歩きがちょっとこたえました・・・
助っ人さんありがとう!

(完)

マップはこちらを使っています。

2022/06/28

中山道六十九次歩き(第23回) 男女倉口~下諏訪宿3

(2より続き)

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ようやくここで七曲がりも終わり。

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石小屋跡。
下原村の名主勝五郎は安政2年(1855)に旅人のために避難場所と荷置場を造ろうと郡御奉行所に口上書を差出し、馬士の出金、旅人等の援助を乞うて、50両ほどで石小屋を築いたのだそうだ。

この先で熊の糞らしきものを発見。
やはり熊が出るのか・・・

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中山道はこの後3度国道を横断して下っていく。

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倒れかかった牛頭天王と道祖神。

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3度めに国道を渡る手前にあるのが西餅屋茶屋跡だ。
茶屋本陣の小口家と武居家、犬飼家、小松家の4軒があり、藩界にあったので、ときには穀留番所が置かれた。幕末の砥沢口合戦の際は、高島藩の作戦で焼失されたが、すぐに再建されたそうである。

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再び旧道に入ると一里塚跡があった。53里目。

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このあと崩れそうな細い道が続くのだが、地元の方たちが補強してくださっているので安心だ。

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かわいらしい橋もある。

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このあたりは道幅も広い。

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そして、ついに国道に合流、ここからしばらく歩道がないのでちょっと怖い。

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歩いていると、なぜかエゾハルゼミも歩いている。

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警告パトカー。効果あるのかな?

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ぐいぐい下がってきて浪人塚到着。
元治元年(1864)11月20日に水戸浪士浪人の武田耕雲斎たち千余名と松本、諏訪の連合軍千余人が戦った古戦場であり、水戸浪士6名が埋葬されている場所である。
墓碑の後ろにちゃんと塚がある。

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徳本の南無阿弥陀仏名号碑と観世音碑。

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蠶玉神社。

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山の神。

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樋橋茶屋本陣跡。和宮様も休息している。
最近、ここにトイレができたようで利用させてもらう。とてもきれいだった。和田峠越えはトイレがなく大変なので、ここにできたことは喜ばしいですね。

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向かいの地蔵堂跡にはいろいろな地蔵がある。
標高1000メートルのところまで下ってきた。


(4へ続く)

マップはこちらを使っています。

2022/06/27

中山道六十九次歩き(第23回) 男女倉口~下諏訪宿2

(1より続き)

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やがて一里塚が見えてきた。広原一里塚。52里目である。
東の塚が現存している。

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その先に廃業してしまったらしいキャンプ場の炊事場。

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石畳(風)。これは昔のものではないですね。

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国道に出て進むと東餅屋ドライブイン跡がある。力餅食べてみたかったな・・・雪の重みなのか、屋根がすごいことに・・・

難所和田峠にいは唐沢、東・西餅屋、樋橋、落合と茶屋があり、人馬の休息所となっていたが、この東餅屋では、5軒の茶屋が名物の餅を売っており、幕末には大名休息のための茶屋本陣も置かれ、土屋氏が勤めていた。しかし、 鉄道の開通とともに往来も途絶え、5軒の茶屋も店をたたんでいる。

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再び石畳風の道を少しだけ進むと再び国道に出て向かいに旧道口があったのだが・・・
昨年の台風のため通行止めとなっており、やむなくビーナスラインをすすむ。コルゲート管通ってみたかったなあ。

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まあでもそのおかげでオトシブミも見ることができたのではあるが。

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迂回して(途中、廃業してしまったらしい和田峠茶屋の近くを通る)ようやく旧道へと復帰する。

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国道を2回横切り、ようやく峠が近づいてきた。

古峠到着。約1600メートルでさすがに涼しい。

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賽の河原地蔵が迎えてくれる。馬頭観音もある。

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本尊大日大聖不動明王。

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御嶽山坐王大権現。

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うっすら御嶽山が見える。

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ここでお昼タイム。30分ほど休憩する。

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さて下り始める。下諏訪町側は道が細いが、中山道の標柱がありわかりやすい。

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七曲がりの急坂を下る。

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水呑場。

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そばに欠けた(上に頭がわりの石が置かれている)お地蔵様。

(3へ続く)

マップはこちらを使ってます。

2022/06/26

中山道六十九次歩き(第23回) 男女倉口~下諏訪宿1

前週に歩く予定だった和田峠だったが、雨のため延期。
1週間後天気は大丈夫そうということで、いよいよ難所の和田峠越えを決行することにした。
道迷いはなさそうだけれど、電波も途中こなさそうだし、下りはかなりの急坂ということで、今回は助っ人1名を加え3名での歩きである。

いつものあずさ1号に乗り、上諏訪駅到着9時13分。
22分発の各駅(飯田線経由で本来は豊橋行きだったが、落石で一部不通になっていたため、中部天竜行きとなっていた)に乗り、下諏訪駅到着27分。

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今まで気づいていなかったが、下諏訪駅に原田泰治の絵(万治の石仏の絵)の説明板があったんですね。原田泰治美術館に行ったのはずいぶん前のことだ。

改札を出てタクシー乗り場に行くと運良く一台いたので乗り込む。
上田からバスを乗りつけば男女倉口まで行くことができるのだが、長久保から先のバスが火、金しか運行していないため、やむなく下諏訪からタクシーに乗った次第(行ったのは土曜日)。Googleマップで調べると車で23分ほどとのことだったが、本当にその通りに男女倉口の和田峠登山口に到着した。

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トレッキングポールを組み立て、10時10分前出発、登り始める。
熊出没注意の看板がある。

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すぐに休み茶屋が見えてきた。トイレは使用禁止の張り紙がしてある。

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横には三十三体観音が。
かつて、山の中腹にあった熊野権現社の前に並んでいた石像だったが、旧道の退廃とともに荒れ果て、ここに安置されたもの。内訳は、千手観音13体、如意輪観音4体、馬頭観音10体、不明2体とのこと。千手観音が目立つ。

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すぐ近くを和田川が流れているのだが、かなりの水流でゴーゴーといっている。

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道は草が刈られて歩きやすくなっていて、なんかわりと刈ったばかりの草のにおいがするねという話をしていたら、ボランティアの方たちだろうか、草刈りをまさに今している方々(6名)がいた。

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途中が切れてしまった木。枯れないのかな?

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大小いくつかの木の橋を渡って進むと国道に出た。

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そこで見えてきたのが国史跡の接待茶屋(永代人馬施行所)跡。
江戸呉服町の豪商加勢屋与兵衛が、金千両を幕府に献金し、その利子百両を二分して、碓氷峠とこの和田峠に50両づつ下付して、文政11年(1828)に設置された施行所の一つ。11月から3月まで峠越えの旅人に粥と焚火を、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を提供したという。
中にかまどと焚き火場があった。
ここで少々休憩。

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道路をはさんで向かい側に接待の湧水。汲みにくる人も多いのだろう。

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すぐ先にあるのが殉職警察官近藤谷一郎巡査之碑。
明治22年、窃盗犯人を下諏訪へ護送する途中に逃走した犯人を捕えようとして格闘中、犯人の投げつけた石を顔面に受けて倒れ、巡査の剣で腹部を切られて殉職した。
犯人は傷を負って接待茶屋に逃げ込んできたが、茶屋の主人が護送中の犯人であることに気付き、通りかかった住民取り押さえたという。

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国道を進みカーブした先で、道はまた山道へ。

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このあたり、シダが多い。オシダかな?苔も芸術的だ。

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近藤谷一郎巡査殉職地の碑。
この前の和田川で発見されたという。

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またまたいくつか木橋を渡るが、苔が生えているのもあり、雨だとすべりそうだ。

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避難小屋。
トイレもすごいことになっているが、中も座るところが崩れていたりで、もう避難小屋としても使えなさそうだ。

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その先は石畳の道だが、ちょっと歩きづらい。箱根を思い出す。

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これまた苔がすごい橋。
抜け落ちて補修してある橋もある。

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。

2022/06/25

サッポロ 北海道生搾り

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先日、生協の北海道フェアで買ったもの。
ビールかと思ったら発泡酒。。
最近あまり発泡酒ってないですね。

注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、うーんやっぱりこれはビールじゃないですね。
不思議な香りだ(褒め言葉にあらず)。この時点で、ビールじゃないなと思う。
そして、味はあっさりというかほぼなくて、夏の昼にくいっと飲む感じですかね。

ヤッホー・ブルーイング クラフトザウルス ブラックIPA

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クラフトザウルスの黒ビール。

注いでみると、当然ながら真っ黒。
飲んでみると、へー、焦げ味がもっとくるかと思いきや、以外と爽やか系ですね。6.5%とちょっと度数高めだけれど、あまりわからなかったですね。

これ、好きなタイプの黒ビールです。

 

2022/06/23

熊澤酒造 河童の純米吟醸

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我がふるさと、茅ヶ崎の酒造のお酒をいただいた。
この酒造さんのお酒は天青は飲んだことがあるし、地ビールも飲んだことがある。
しかし、この河童のお酒は知らなかったな~

ん?
茅ヶ崎に河童の伝説なんてあったっけ?
河童徳利伝説なるものがあったんですね。知らなかった・・・

なんでもこのお酒は、茅ヶ崎産の米、酒造の井戸水、敷地内で採取した自社酵母とすべて茅ヶ崎のもので造られているらしい。

飲んでみると、辛口かなと一瞬思ったけれど、その後甘みを感じるように。はっきりとした飲み口のお酒。
じっくり飲むのがよいですね。

 

2022/06/22

伊東酒造 本醸造 八剣

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先日、和田峠を越えて下諏訪まで中山道を歩いた際、上諏訪駅に出たのでおみやげやさんでゲットしたお酒である。
この酒造のお酒、フツーの横笛は飲んだことがあるのだけど、自分では買っていなかったので購入。これで上諏訪の酒造のお酒はコンプリート!

飲んでみると、結構辛口ですね。
キリッとしたお酒。
最近自分のお酒の好みが、やや甘めにシフトしているんだけど、これくらいの辛口はちょうどいいかも?酸味もちょうどいい感じ。

諏訪のお酒はまた買おう!

2022/06/21

ヤッホー・ブルーイング 裏通りのドンダバダ

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今回のよなよなクラフトビール定期便で届いたビール。
缶、インパクトありますね~
なんだろ、これ??どうやらプロレスラーらしいですね。ルチャリブレか!

フリースタイル・ベルジャンゴールデンエールとのことだが、えーとそれってどんな感じなんだろう?

注いでみると少し薄めの色。
飲んでみると、フルーティビールかと思いきや、かなり苦みがありますね。
6%ということもあるけれど、結構がっつり系のビール。
うん、これはおいしい。

2022/06/20

前略 好みなんて聞いてないぜSORRY 其ノ四 セッション柚子エール~あら塩仕立て~

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よなよなのクラフトビール定期便で届いたビール。
あまりに名前が長すぎて、こりゃ絶対覚えられない(笑)

ゆずが入っているということで、昔ではビールの範疇に入らなかった製品ですね。

注いでみると、若干薄い色。
飲んでみると、まずはゆずの香り、そしてガツンと塩味。
おもしろい!

しかしこれはお料理にあわせるのが難しそう?
クラフトビールのお店に行って、ちょっと変わったものをということで何杯目かに頼むビールかな。

2022/06/19

沓掛酒造 福無量 純米酒

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先月、中山道を男女倉口から長久保まで歩いた際に、新幹線に乗る前に上田駅で買ったお酒。
北国街道沿いの酒造さんなんですね。

飲んでみると、お米の味を感じますね。
甘さを感じるけれど、これはお米の甘みでしょう。
もっとゆっくり飲むべきお酒なのかもしれないけれど、案外飲みやすくてすいすい飲んでしまいました。

 

2022/06/18

笑亀酒造 笑亀 特別純米酒

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先月、塩尻から中山道を歩いた際、塩尻宿の酒蔵で購入したお酒。
まだ歩き始めで、しかもこれから塩尻峠を越えるというのに買ってしまうという(笑)

笑亀・・・しょうき・・・
あ!ラベルは鍾馗様か!

飲んでみると、米の甘みがじわっとくる感じ。
でも、すーっと甘みは消えて、うまみに変わる。
なかなかよいです。

 

2022/06/17

アサヒ ホワイトビール

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東京・神奈川のセブンイレブン限定のビール。
缶のデザイン、きれいだな。

注いでみると、ホワイトビールというだけあって、白っぽい少し白濁した色。
飲んでみると、うーん確かにホワイトビールですね。バナナっぽい香り、オレンジっぽい感じもある。
ほー、ちゃんとコリアンダーシドとかオレンジピールとかが使われていて、結構本格的。
と思ったら、製造元は軽井沢ブルワリーなんですね。

2022/06/16

よなよな月の生活(クラフトビール定期便)5回目

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よなよなのビールが届いた(5回目)。
まだ前のが2本残っているんですけどね。

今回の新作は2本。
裏通りのドンダバダと、前略 好みなんて聞いてないぜSORRY 其ノ四
セッション柚子エール~あら塩仕立て~。
ネーミングがいつもおもしろいのだけど、後者は長過ぎないか???
どっちも楽しみ。多めにチョイス。

そして、今回の限定ビールは山の上ニューイと軽井沢ビール・クラフトザウルスブラックIPA。こちらも多めにチョイス。

まずどれから飲もうかな?

2022/06/15

中山道六十九次歩き(第22回) 男女倉口~和田宿~長久保宿4

(3より続き)

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すぐ先の下和田中組のバス停の後ろには馬頭観音がある。

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寛政12年(1800)の天王夜燈、青面金剛の庚申塔、宝暦2年(1752)の西国三十三所巡礼供養塔など。このあたり注連縄が巻かれたものが多いですね。

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またまた茅葺きのバス停は上深山口バス停だ。

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文久元年(1861)の青面金剛の庚申塔(後ろに道祖神もある)。
なんかかわいらしい。

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国道に出る手前の公園にあった石造物群は馬頭観音。

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入り口には水明の里の碑がある。

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ちょっとだけ国道を歩き、再び旧道に入って和田橋、落合橋を渡る。
向こうに見えるのは国道の青原橋である。

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新しいマンホール発見。旧長門町のマンホールで、町の木カラマツ、町の花ミツバツツジ、町の鳥チョウゲンボウが描かれている。

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いったんまた国道を歩き、旧道に入ってまた国道に合流するところにあるのが、四泊一里塚跡。48里目。榎が植わっていたが、昭和35年道路改修の際に伐採されたそうである。

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このあたり、歩道がなくてちょっとつらいが、大石団地入口のバス停からすぐ先で旧道に入りほっとする。

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長久保宿が近づいてきた。
長久保宿は東に笠取峠、西に和田峠を控え、善光寺へ通じる上田道の追分でもあり賑わった。宿場通りは、当初本陣のある堅町が中心だったが、その後横町が形成され、L字型の珍しい宿場となっている。本陣1、脇本陣1、旅籠43。

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鍵の手があって曲がった横町バス停あたりが宿の京方見附である。
この宿も屋号札がかかる。

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袖うだつがあり出梁造りの建物は辰野屋(竹重家)。

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宿の風景。

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ここまで横町を歩いてきたが、濱田屋旅館で街道は直角に曲がり堅町通りを行く。

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ここに「中山道 長久保宿 左ぜんこうじ」の道標や木製の常夜燈などある。

一応、バスターミナルで帰りのバスの時間を確認し、行けるところまで堅町通りを行ってみることにする。
ちょっと雨が強くなりつつあったので、バスの待合室でザックカバーをかけた(が、その後わりとすぐにやんだ・・・)

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堅町の通りは徐々に上がっていく。

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問屋の小林家。明治3年大火後の建築で、谷文晁が描いた恵比寿と大黒があるのだそうだ。

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釜鳴屋(竹内家住宅)は、江戸時代初期から酒造業と醤油の醸造業をしており、うだつが上がる。

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高札場の復元(前には脇本陣跡)。

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旧本陣石合家。
長久保宿創設当初から、江戸時代を通じて本陣と問屋を勤め、4代目当主のもとには真田信繁(幸村)の娘が嫁いでいる。
非公開である。

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一福処濱屋。
明治初期に旅籠として建てられれたものの、開業には至らなかったという。出梁造りである。
中は資料館になっているそうなのだが、残念!4時を過ぎて見学できず。次回歩くときに見学しよう。

この前のベンチで、途中のセブンイレブンで買った栗あんどら焼を食べ、バス乗り場へと戻る。

5時5分のバスに乗り込む。
上田駅に近づくと渋滞にはまってしまい、6時2分着の予定が15分以上遅れてしまった。

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あせりつつ、駅前のコンビニで夕食を買い、駅構内のニューデイズでおみやげも買い、無事6時35分の新幹線はくたかに乗る。

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お寿司と信州浪漫ビール(アルクマ缶!)の夕食。
信州浪漫は甲州街道を歩いた際にお酒を購入した麗人酒造が出しているビールである。

大宮には1時間後到着。埼京線、武蔵野線、中央線を乗り継ぎ帰宅。
9時前だった。

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今回のおみやげは信州くるみゆべしと上田のお酒、福無量。

約36000歩。現地に到着するまでに時間がかかって、少し距離は短めでした。

(完)

マップはこちらを使っています。

2022/06/14

中山道六十九次歩き(第22回) 男女倉口~和田宿~長久保宿3

(2より続き)

さて、街道に戻り、先を進む。

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双体道祖神。

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菩提寺は空也上人の弟子、空了の開山だそうだ。

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八幡神社。このあたりが和田宿の江戸見附。

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拝殿と覆屋を併合した入母屋造りの建物はめずらしい。
手前は樹齢350年ほどのケヤキ。

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中の拝殿。

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和田神社の向こうにあるのが和田小学校。

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是より和田宿という石を通り過ぎ、狐坂を下っていく。

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しばらく進むとこれは???

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手書きですね~

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アートですね~バンクシーまで!!

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その先の芹沢のバス停はとんがり屋根だ。

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芹沢一里塚跡。49里目。

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その先は何の木かなと思ったらクルミの木なのだった。

 

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この状態での実は見たのはじめてかも?

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若宮八幡神社。鳥居が低いですね。

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推定樹齢300年の杉。

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矢ヶ崎の戦いで信玄に滅ぼされた和田城主大井信定父子の墓と、元首相羽田孜氏の祖先である矢ヶ崎城代の羽田幸清の墓がある。

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芭蕉の句碑もあった。
「安能雲は稲妻越待つたよ里可南」。

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馬頭観音、道祖神、四国秩父坂東百番観世音巡礼、水道之碑。
羽田孜氏と長男雄一郎氏のお墓もあった。

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三千僧接待碑(諸国遍歴の僧侶一千人への供養接待を発願して見事結願し、一躍二千を増やして三千僧接待に改め、碑の一の字を三に改刻した)と、馬頭観音、大乗妙典日本廻国供養塔、南無阿弥陀仏名号碑、大乗妙典供養塔など。

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大日堂があるといういことで、脇道に入ったのだがよくわからず、戻って先に進もうとしたら・・・
農作業していた方が親切にもあぜ道を通っていくとありますよと教えてくださった。

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周りには馬頭観音など。

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中には5体の大日如来像が並んでいる。

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田んぼの鴨。
ずっとあぜ道をさらに進むと蚯蚓神社がありますよと教えてもらったのだが、残念ながらわからず、街道へと戻る。

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戻ると、みみず道祖神があった。
先ほどの方によると、自分が子供の頃にはなかった、新しいものだとのこと。
このあたりの地名が蚯蚓なんですね。
昔、大雨で大ミミズが流れ出てきて大騒ぎとなり、神として神社に祀ったのだそうだ。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています。

 

2022/06/13

中山道六十九次歩き(第22回) 男女倉口~和田宿~長久保宿2

(1より続き)

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新海神社に上ってみた。和田宿がちらりと見える。

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本殿。三間社流造。

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鳥居は両部鳥居。

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旧米屋鐵五郎。上問屋米屋跡。

ここで、ちょっと街道から離れて和田宿ステーションに行き、お昼ご飯を。

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もつ煮とざるくるみそば。
くるみがいい感じだ。細かくくだいたくるみにそばつゆを入れていただくもの。

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長和町は黒耀石のふるさとだそうである。

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街道にもどり、本陣へ。こちらは御入門。
本陣は大火で焼失したが、和宮様降嫁にそなえて約8ヶ月で再建された。以前は和田村役場として使われていた。

この後に訪れるいくつかの施設共通で300円。
ボランティアガイドの方に説明していただく。

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やはり、和宮降嫁、すごい人数だったんですね。次の長久保宿に着いた頃、後ろの列はまだ和田宿にいたそうだから・・・

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主屋の入り口から見たところ。

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東之間。

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箱階段を上って上も見学できる。

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台所とお勝手。
本陣を出ようとしたら雨が降っていて致し方なく傘をさす。わりとすぐにやんだのだが。

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羽田野は大火のあとに平入出桁造りの建物として再建築された。
現在はおそばやさんになっている(この日はやっていなかった)。

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街道らしい眺め。出桁造りの家が並ぶ。

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旧旅籠たかき。これも出桁造りですね。

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旧旅籠大黒屋跡。

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ここも中に入ることができる。

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旧和田村のマンホールは、広重の木曽海道和田のデザイン。

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旧旅籠かわちや。本陣などど同じく再建された。出桁造りで格子戸がある。

ここもまたボランティアガイドの方が説明してくださる。

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お庭。

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旅籠ではあるが、上段の間がある。

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いろり。

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2階にも上がれます。

後ろに黒耀石資料館兼林業資料館があるので見学しようと思ったのだが、あいておらず・・・

あきらめて信定寺に寄る。

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鐘楼門が立派だ。

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虚空蔵菩薩。念ずれば記憶がよくなるというので、念入りにお詣りする。

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と、庭仕事をしていた方が話しかけてきて、どうやら前住職さんらしかったのだが、本堂の中も是非見ていってくださいということだったので、遠慮なく見させていただく。

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虎の屏風などもあり。

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龍に涅槃図。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています。

2022/06/12

中山道六十九次歩き(第22回) 男女倉口~和田宿~長久保宿1

梅雨入りして雨の日が多くなり、出かける前日まで、行こうかどうしようか迷う。が、休暇はだいぶ前から入れるので、そう簡単に変更できないところが毎回の悩みだ。

前日の天気予報では夕方あたりもしかするとちょっと降るかもしれないけれど、そうたいしたことはなさそうというので予定通り出かける。

今回は都合により和田峠越えをとばして歩くことに。
ということで大宮から新幹線はくたかに乗り、上田まで。上田は子供の頃に訪れて以来である。

8時15分発のJRのバスに乗り、ちょうど一時間で終点の長久保着。
我々の他には数名乗ったきりで、大半の時間は我々のみ。
降りるときに、男女倉の方面に行かれますか?と聞かれ、はいと答えるとこれを出せば、お金を払わずに男女倉行きに乗れますのでとチケット?を渡された。990円。

5分後きたのは、バス・・・というかワンボックスカー。
我々の他に乗客は1名。

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25分ほどで男女倉口バス停到着。

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このあたりの標高は1100メートルだ。

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今度歩くことになる和田峠への登り口まで行って、ここから歩きスタート。

早速道は下っていく。

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前日雨だったからか、依田川(和田川)は水量が多い。

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二之橋手前にあったのが観音澤分教場跡碑。
明治40年住民の強い要望で開校、昭和39年閉校。

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草道を少し進むと・・・

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唐沢一里塚があった。木はないももの、両塚残っている。

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傍らに不動明王碑と御嶽山座生大権現碑、山之大神碑がある。

いったん戻り、唐沢入り口から旧道に入る。

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唐沢バス停。この先、ずっとバス停がいろいろで面白かった。
この手前の家が本陣跡だったらしいのだが、見逃してしまった・・・

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大きな常夜灯の向かいにあるのが、羽田貞義翁碑。元首相の羽田孜氏のおじいさんだそうだ。

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依田川を一之橋で渡る。

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ドライブインの横にある扉峠口バス停の屋根は茅葺きだ。

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双体道祖神もあった。

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田んぼが美しい季節だ。

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ようやく国道を離れほっとする。
大出集落である。

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大出バス停。ここもまた茅葺きだ。

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和田鍛冶足信号交差点で国道にいったんでるが、一里塚跡があった。
脇には道標も(右諏訪街道、左松澤歩道)。

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再び旧道に入り、双体道祖神の先に菅沼曲水句碑がある。芭蕉の門人だそうだ。句はちょっと読めない・・・

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大きな馬頭観音。

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この宿も各家に屋号札がかかっている(これが大きい!)

高札場跡(このあたりが和田宿の京方見附)を過ぎた先の公民館のところに不動明王があるというので見てみたのだが・・・

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全身は見えなかった。

和田宿は和田峠を控え、次の下諏訪宿まで五里十八町(約22km)と距離があったため旅人で賑わったが、文久元年(1861)の大火で宿の3分の2程が焼失。和宮の通行も控えていたため、突貫工事で復旧した。現在も旧本陣や古い家屋が修理保全されている。本陣1、脇本陣1、旅籠28。

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万屋。うだつが上がる。
江戸時代は質屋兼両替だったという。

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大火前の薬医門が残るなが井。

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脇本陣跡。

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。

2022/06/11

国分寺:真打かず家

久々に開いたお店での飲みました!
母親の誕生日会。

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まずは生ビール。お通しはのりクラゲの高野豆腐、鳥刺し。

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特上刺し盛。まぐろ脳天、あじ、あわび、鰹、ヒラメ、ホタテ、イシナギ。

 

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夏野菜(ヤングコーン、姫竹、丸なす)焼き。

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スイートポテト入り卵焼き。

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かさごの煮付け。

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すき焼きコロッケ。

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うにの炊き込みご飯。

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日本酒1。明鏡止水。

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日本酒2。正雪。

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日本酒3。陸奥八仙。

どれもおいしかったです。ごちそうさま。

国分寺市本町2-10-3 本多ビル 2F

ル・プティ・リュック

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フランス、ラングドックの赤ワイン。
品種はマルセラン、カラドッグ。南仏っぽい。

飲んでみると、うーん、重みはないですね。軽いワイン。
少し酸味が強いかなあ・・・
ま、この値段なのでそれなりだけど、ちょっと軽すぎるかも???

 

2022/06/09

カパ・ロタ セレクション モナストレル

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スペインの赤ワイン。
モナストレル100%。

この品種なのでもっと色が濃いかなと思いきや、そうでもない。
あ、でも味は濃いですね。
甘みと渋みと。
しかし、濃いのに飲みやすいワインなのでありました。

2022/06/08

コント・ド・ブリニャック ボルドーブラン

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ボルドーの白ワイン。
ボルドーだとついつい赤を買ってしまうのだけど、たまには白もいいですね。

品種はシャルドネ100%。
わりと酸味がはっきりしているのだが、すっきり飲める。
フツーにおいしい白ワイン。
やはりお料理は魚系があうけれど。

2022/06/07

カステッロ・ディ・アマキャンティ・クラッシコ

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いただきもののワイン。
イタリアのキャンティ・クラシコ。

注いでみると、きれいな赤紫色。
飲んでみると、ほぼサンジョベーゼ(ちょっとだけメルロー)ということで、メルロー要素はあまりわからず・・・
いやーさすが上品なおいしさですね。
渋さもちょうどよい。

自分じゃ普段買わない価格のワインなのでさすがです。

2022/06/06

真澄 2022松本山雅オリジナルラベル

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甲州街道を歩いた際、真澄には寄らなかったので、なぜか?松本駅で真澄を買ってみた。
特に気にせず買ったのだが、松本山雅オリジナルラベルだった。

ワタクシ、サッカーは全然見ないので知らないのだけど、松本のチームなんですね。
で、この柄がどうやらユニフォームの柄らしい・・・

とはいえ、中身はフツーの真澄なので・・・
まあ真澄はよく飲むので、あらためて感想というまでもないのだけど・・・

フツーにおいしいお酒なんですね。
甘みはなく、酸味もあまりなくて、でもじわじわとうまみがくるお酒。
困ったときの?真澄ですね。

2022/06/05

酒ぬのや本金酒造 清酒 本金

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甲州街道を終点下諏訪まで歩いた際、帰りに上諏訪のお土産やさんで買ったカップ酒。

街道沿いにある酒造で全部買うわけにはいかず、結局麗人と舞姫で購入したのだが、あと帰るだけならもう一つはリュックに入る!
ということで購入。

このラベル、何が描かれてるのかな?と思ったら、どうやら染め物をしているところかな。近くに染め物やさんもあったし。

飲んでみると、意外と甘みを感じますね。といってもべとつくような甘さではなく、辛みも適度にあるので、ちょうどいい感じ。するすると入っていくお酒でした。

2022/06/04

サントリー ザ・プレミアム・モルツ ホワイトエール

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プレモルの派生品。
今までホワイトエールはなかったっけ?

注いでみると、やや薄めの色。でも、濁ってはいないですね。
飲んでみると、フツーのプレモルより、すっきり系かな。苦みはちゃんとあるけれど、スパイスというかハーブっぽい感じはなし。

ホワイトエールと聞いて想像したものとは違ったけれど、これはこれでおいしいです。

2022/06/03

アラモ ロッソ

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シチリアの赤ワイン。

シチリアのワインは結構好きなんだけど・・・
注いでみると、シチリアにしては濃くないというか・・・薄い。
品種はネロ・ダヴォラとメルローで、ネロなら当然濃いかと思いきや・・・
メルローが圧倒的なんですかねぇ。
残念。

2022/06/02

中山道六十九次歩き(第21回) 塩尻駅~塩尻宿~下諏訪宿5

(4より続き)

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湯田坂を下っていく。旅館、温泉がいくつもある。

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番屋跡を過ぎたところで、人なつっこい猫に遭遇。

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ひとしきりなでる。

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御作田社。

下社の御作田祭(御田植神事)は、毎年6月30日にこの境内で行われ、この日に植えられた稲は一ケ月後の8月1日には諏訪大神の神供として捧げられたと伝えられた。御作田の早稲として諏訪七不思議の一つにあげられているそうである。
確かに神田はあったけれど、まだ何も植えられていない状態だった。

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伏見屋。元商家の建物。

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下諏訪一里塚跡。53里目。両塚あったが、取り壊された。

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慈雲寺参道を上がる。
庚申塔、三界萬霊塔、正力不動碑、秋葉大権現碑、験徳霊神碑、幸験不動碑、動力霊神碑など、たくさんの石造物が並んでいる。

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矢除石。
武田信玄が慈雲寺の天桂和尚に戦勝の教えを請いに立ち寄ったとき、天桂和尚がこの石の上に立ち、矢を射させたところ全てこの石が跳ね返したという霊力のある石で、信玄は念力のこもった矢除札を受けて戦場に向かった・・・そうである。

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表門。

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安永8年(1779)の慈雲寺山門(楼門)。こけが美しい。

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街道に戻り少し先に進むと、「左諏訪宮 右中山道」と刻まれた道標がある。
中山道は右を行くのだが、今回はここまでとし、諏訪大社下社春宮に寄ることにした。

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春宮到着。

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神楽殿の左右に御柱が2本見える。

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一之御柱。

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二之御柱。
三と四の御柱は後ろにあるのでちょっと見えづらい。

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幣拝殿と片拝殿。秋宮と構造が同じだ。

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結びの杉。上の方で2つにわかれている。

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浮島社経由で万治の石仏へ。

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浮島橋。

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おお!久々の万治の石仏。前より整備されたかな?
いやー、なんか楽しくなっちゃう石仏ですよね。
3回まわって願い事をしてみる。

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後ろ姿も味わいがあるな~

左右には田んぼがあった。

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岡本太郎がこんな面白いものは見たことはないと絶賛したとのことで、岡本画伯の揮毫「万治の石仏」を彫った石碑があった。

ここからは元来た道は戻らずショートカットして駅へと向かう。

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下社最古の建造物、春宮下馬橋。
春宮参拝の際は、ここで下乗下馬しなくてはならなかった。

途中西友で夕飯を調達し(この場所は下諏訪倉庫 旧繭倉庫群の跡地)、駅へ。
そして、予定より早い電車に乗ってお隣の上諏訪駅へ。

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おみやげの追加を買い、ビールを買って、7時3分のあずさに乗り込み、乾杯!

帰宅は9時過ぎだった。約42600歩。

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今回のおみやげ。

次回は和田峠越えなのだが、交通機関の都合上、逆向きに歩きます。
そして、助っ人1名を加えての峠越えの予定で、都合をあわせるため、おそらく男女倉バス停から和田宿に向かっての歩きが先になることになりそうです・・・

(完)

マップはこちらを使っています。

2022/06/01

中山道六十九次歩き(第21回) 塩尻駅~塩尻宿~下諏訪宿4

(3より続き)

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東堀正八幡宮。

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男女双体道祖神などが並ぶ。

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舞屋。安永期頃(1772-80)の建築。

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本殿・拝殿。木造に彫刻を多用する建物の早い作例とのことで、明和3年(1766)の建立。

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街道に戻り、少し進むと平福寺がある。

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日限地蔵尊が有名とのことだ。
おひぎりさまの通称で親しまれる地蔵尊で、日を限って願うと聞き届けられるのだそうだ。特に23日とのこと。

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筆塚やら小僧さんやら身代わり地蔵などもある。

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本堂。

十四瀬川を木橋で渡り、民家の裏?の細い道を行く。

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砥川を富士見橋(富士山が見えるのかな?)で渡って、少しの間土手を行くのが中山道。そしてまた細い道を通る。

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道祖神。御柱に囲まれている。さすが!

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やがて大きな通りを横切ることになるが(諏訪宮一之宮の石灯籠あり)、左を見ると春宮の鳥居(青銅製)が見える。その先には小さく春宮も見える。

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さらに進むと魁塚があった。
相楽総三以下赤報隊8名の墓である。
東山道軍先鋒の赤報隊は偽官軍の冤罪で隊長相良総三以下幹部8名が慶応4年斬首されたが、のちに名誉は回復された。

下諏訪宿に入る。ここからは甲州街道歩きを終えて、駅に向かった時に部分的に歩いている道である。

下諏訪宿は諏訪大社下社の門前町として古くから栄え、和田峠と塩尻峠、甲州街道との追分を控え、中山道随一の温泉場として賑わった。本陣1、脇本陣1、旅籠40。

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高札場(復元)から道は左へと入っていく。

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宿場街道資料館に寄る。入場無料。
建物の前には源泉掛け流しのお湯がある。この通り、何カ所にもある。

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旅籠の看板。

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庭。

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当時の食事の様子。

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和宮様の行列の様子。これでは通るのに何日もかかるなあ。
そのほか、赤報隊、和田嶺合戦の展示などがあった。

懐かしい場所にやってきた!

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つい一ヶ月前にもきた甲州道中中山道合流之地の碑である。

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その後ろにあった宿場問屋場跡を撮影するのを忘れたので今回はちゃんと撮影。ここは綿の湯があったところ。

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前回5時半を過ぎてしまい寄れなかった塩羊羹の新鶴本店に寄る。
今回は無事ゲット!!やったあ。

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岩波本陣。
残念・・・開いておらず。和宮、明治天皇の小休所となったそうだ。

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「児湯」の看板があるつる屋跡。
和泉式部伝説の銕焼地蔵尊(来迎寺)の御利益により湧き出したと云われる湯で、子宝の湯として親しまれたことから児湯と呼ばれているそうだ。

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ということで来迎寺に寄る。

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本堂。

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銕焼地蔵尊。

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下諏訪の湯屋別当方にかねという娘が奉公しており、日頃道端のお地蔵様に自分の弁当の一部をお供えするやさしい子だった。ある日別当の妻が火箸でかねの額を打ち据えて傷から血が流れ、痛みに耐えかねたかねが、お地蔵様に祈り仰ぐとお地蔵様の額から血が流れ、かねの傷は無くなったという。かねは後に和泉守橘道貞と結婚し、歌人和泉式部となった・・・うーん、知らなかったなあ。

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和泉式部の歌碑。
「あらさら無 この世のほか能 於も悲てに 以ま飛とたひの 阿ふこともか耶」
そうか、この歌は和泉式部だった!

マップはこれを使っています。

(5へ続く)

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